第5話 ちょっと時間あるかな?

「加佐見さん、ちょっといいかな?」


 放課後。

 女子数人が加佐見囲むようにして、席の周りに立つ。


「はい、何か?」

「あのさ、ちょっと顔がいいからって調子乗ってない? ああいう態度、正直ムカつくんだよね」


 空気を壊す行動は、当然のように敵を作る。

 おそらく、加佐見を囲む連中は安藤のファンなのだろう。

 それに、嫉妬も入っている。


 お世辞にもきれいや可愛いと言えない連中が数人、誰が見ても綺麗だとわかる加佐見を囲んでいる光景を見ればそれこそ誰だってそう思う。


 と、のんきなことを考えながら隣で桐生はその様子を静観する。


「私の容姿は関係ありませんが、少しでも私のことを顔がいいと褒めてくださるのならそれはきっとあなたたちとは違う心の在りようが、顔に出ているからだと思います」

「な、なに屁理屈言ってるのよ。いいから、安藤君に謝りなさい」

「嫌です。むしろ安藤君やあなた方の方こそ、酷いことをしてきた相手に謝る必要があるのではないですか?」

「……ほんとムカつく、なんなのよあんたって」


 ただでさえ醜悪な顔をひきつらせ、もう一段階ひどいものにさせながら彼女たちは加佐見の周りから散っていく。

 

 そして加佐見は椅子に座ると、ふうっと息を吐く。


「疲れた……」

「……加佐見さんって、ほんと融通効かない性格なんだな」


 あまりにもまっすぐなその態度に、思わず桐生は声をかけてしまう。

 しまったと思ったがもう遅く、加佐見はさっきまでの暗い表情を一変させて桐生の方を向く。


「ふふっ、心配してくれてるの? やっぱり桐生君って優しいんだ」

「見てて疲れるんだよ。そんなんじゃ世間に出た後も苦労するぞ」

「ほら、また心配してくれた。もしかして桐生君ってお人よし?」

「……もういい。今日もバイトだから俺、帰るわ」

「あ、待って私も。途中まで一緒に帰ろうよせっかくだし」

「……勝手にしろ」


 桐生は加佐見を待つことなくさっさと席を離れて教室の外へ。

 そしてすぐにあとを追いかけてきた加佐見は、桐生の鞄を掴む。


「ちょ、ちょっと待ってって言ったのに」

「待つとは言ってない」

「もう。そんなんだと友達失くすよ?」

「もともと持ってないものはなくす心配もないからな。便利だろ」

「はあ……ほんと、桐生君って相当ひねくれてるのね」

「それより鞄、離してくれよ。早く帰らないとバイトまで時間がない」

「あ、ごめん。ねえ、アルバイトは何時から?」

「六時からだけど」

「え、まだ時間あるじゃん。ね、お茶でもしていかない?」

「ダメだ。それまでに洗濯と夕食の支度と週末の食材の買い出しと忙しいんだ」


 悠長に空いた時間で遊ぶなんてことを、桐生は久しくやっていない。

 放課後はいつも何かしらの準備に追われ、さらにその合間を縫って勉強をする。

 週末も、アルバイトと勉強に追われて気が付けば終わっている。

 そんな生活をもう何年も。

 たった一人で繰り返して来ているうちに、次第に遊びたいなんて感覚も忘れてしまっていた。


「大変なのはわかるけど、ちょっとくらい息抜きしないと体壊すよ?」

「加佐見さんとお茶をして健康になれるっていうなら、そういう仕事でも開業したら?」

「あー、そうやって人の揚げ足ばっかりとる。じゃあ、私が手伝ってあげるからちょっとだけ寄り道とか、どう?」

「手伝う? いや、なにを?」

「だから、帰って洗濯と夕食の支度と買い出しでしょ? 私がやってあげたらさ、ちょっとは桐生君の時間も空くよね?」


 当たり前のようにそう話す加佐見に、桐生は開いた口が塞がらない。


「……まったくもって理解ができないんだが」

「なんでよー。洗濯と買い出しは桐生君がバイト行ってる間にやっといてあげるし、私が夕食作ってる間に勉強すれば、ちょっと時間できるじゃん」

「いや、そういうことじゃなくて」

「今日助けてあげたんだから、一個くらい私のわがまま聞いてよね」

「別に助けてくれとは言ってない」

「でも、殴られて傷だらけになってたら、帰って治療するお金と時間と手間が発生してたかも? それに、ケガしてアルバイトに行けなかった可能性だってあるじゃん。ね、そういうことだから、ちょっと寄り道、しない?」

「……」


 言い返したいことは多々あったが、これ以上何をいっても無駄なんだろうと桐生は諦める。

 もちろん、家事を手伝わせる気はない。

 加佐見の気が済むようにお茶だけ付き合って、急いでやれば問題はないと。


 今度は加佐見の方へついていくことになった。



「ふふっ、ここ来てみたかったんだ」


 嬉しそうに桐生の向かいに座って笑う加佐見に対し、桐生はさっさとメニュー表を広げて見せる。


 二人でやってきたのは桐生の自宅のすぐそばにある喫茶店。

 古民家を改装したもので、外見は古い平屋だが、内装は落ち着いた昔ながらの喫茶店といった雰囲気で、常連の高齢客やカップルでにぎわっている場所。


「……コーヒー、ブラックで」

「へー、大人なんだ。私はカフェラテかな」

「なあ、どうして転校してきたばっかでこんな場所知ってるんだ?」

「ここ、結構有名なんだよ? 桐生君は知らないみたいだけど」

「そ。まあ、俺にとっちゃ外食なんて贅沢だからな」


 店内で流れる七十年代の洋楽を聞きながら、仲睦まじく会話する老夫婦を隣に見ながら桐生は頬杖をついてため息。

 どうやら、ここに父親の被害者っぽい人間はいない。

 

 聞いてもいないのに、後々になっていろんな人に父親のことについて様々な話を聞かされた。

 それらを統合すると、父の鹿黒がターゲットにしていたのは当時二十代から三十代の、父と同じ世代の人間だったそうだ。

 そのせいで、同窓生の親が軒並み父の被害者という現象が起きて、ずっといじめを受け続けることになったのだが。


「ここはそういう人たちがいないんだな」

「ん、どうしたの?」

「あ、いや。でも、わざわざこんなとこに誘って、何の用件だ? 世間話はしないって言っただろ」

「ふふっ、ちゃんと言われた通り聞きたいこと、まとめておいたよ」


 加佐見は一冊のノートを取り出してページをめくる。

 するとそこには、整った字でびっしりと、何かメモのようなものが取られていた。


「……待て、それ全部質問か?」

「だって、桐生君のこと全然知らないんだもん」

「だからって、そんな取り調べみたいなのがあるか」

「今日全部聞くつもりはないから」

「次があるみたいな言い方だな」

「ふふっ、桐生君は優しいから次もあるかなって期待してる」

「……さっさと質問、しろよ」


 優しいと言われるたびに、桐生は気まずくて目を逸らす。

 ここまで不愛想に対応して、どこが優しいというのか。

 どちらかといえば、甘いの間違いである。

 突き放そうとする態度をとっても、最後には押し切られてしまう自分は何も優しい人間ではないと。


 桐生はまた深く息を吐く。


「ふう」

「ため息はよくないよ。じゃあ早速だけど、桐生君って好きな子とかいるの?」

「……は? なんだその質問」

「え、だってもしいたらこうやってつきあわせてるのも申し訳ないじゃん」

「そうじゃなくても申し訳ないって気持ちにはならないのかお前は」

「ということはいないんだ。よかった、いたらどうしようかと思ったけど」

「……いるって言ったら?」

「あ、今の嘘でしょ」

「……」


 最初の質問にあっけにとられていたところで二人の席にドリンクが届く。

 

 アイスコーヒーとアイスカフェラテ。

 それぞれの氷がカランと音を立てる。

 コースターの上に置かれたそれを手に取って一口飲むと、体の内側がひんやりと冷まされていく。


「ん、うまいんだなここ」

「うん、おいしいよこのコーヒー」

「それはカフェラテだろ」

「なにそれ、コーヒー語るならブラックくらい飲めるようになれって?」

「そうは言ってないけど」

「けど、言いたそうだもん。案外桐生君って顔に出るんだね」

「……飲んだら帰るぞ」

「あ、待って。もう一個質問があるんだけど」

「端的にどうぞ」

「ええと、それじゃ……桐生君って、将来何になりたいの?」

「……聞いてどうする?」

「いいじゃん別に。桐生君って頭良さそうだし、いつも勉強ばっかしてるけど目指してるものとかあるのかなって」

「目指すもの……」


 目指しているもの。

 目標。

 夢。

  

 そんなものを桐生は明確に持ったことはなかった。

 幼少期はずっと病に苦しめられてろくに外に出ることもできず、病気が治った後は唯一の家族だった父を失い、施設で孤独に過ごす間も邪魔もののように育てられ、学校に通い始めてからは執拗ないじめに遭ってきた。


 そんな半生で芽生えた将来像なんて、金持ちになって見返してやるということくらい。

 ただ、こんな自分になれるものなんてあるのかと、常にそんな疑問も付きまとう。

 詐欺師の息子に。

 犯罪者の息子にだって何者にでもなれると。


 そう言い切れる自信が桐生にはなかった。


「……別に。これから考えるさ」

「ダメだよそんなんじゃ。目標をもって努力した方が絶対うまくいくよ」

「誰の教えだよ。啓発本でも読むのか?」

「私の尊敬する人の言葉だよ。桐生君なら、きっと何にだってなれそうだけど、器用貧乏にならないようにしっかり目標決めなきゃ」

「すでに俺は貧乏だから不器用になればいいのか?」

「もう、そうやってー」

「……もう時間だ。帰ろう」


 時計は夕方の五時前。

 そろそろ帰らないとさすがにアルバイトに遅刻だ。


「あ、もうこんな時間? うん、それじゃお会計しよっか」


 レジに伝票を持っていき、さっさと支払いを済まそうとすると加佐見は「今日は私が出すね」と。


「待て、それはさすがに」

「私が誘ったんだから。ここは出させて」


 そういって、加佐見は強引に会計を済ませてしまう。


 店を出た後、桐生は金を渡そうとするが加佐見に断られてしまう。


「……女に奢られるのは好きじゃない」

「えー、桐生君って結構考え方古いんだね。それじゃ、女は専業主婦してろってタイプ?」

「別にそこまで思っちゃいないよ」

「でも、結婚とかしたら絶対言いそうだよね。亭主関白になりそう」

「……」


 そんな話をしているとすぐに桐生の家に着く。

 当然、桐生は家に入ろうとするがその後ろを当たり前のように加佐見がついてくるので玄関のところで桐生が足を止める。


「おい、今日はもう」

「ふふっ。洗濯と買い出し、私がするって言ったでしょ」

「……別にあとでするからいい」

「私が付き合わせて桐生君の貴重な時間を奪ったんだからそれくらいはさせて」

「本当にいいから。俺は別に」

「桐生君」

「え?」


 加佐見を振り切って先に家の中に入ろうとする桐生に、後ろからそっと加佐見が手をまわした。

 

「お、おい離せ」

「桐生君、絶対無理してる。ほんとは、おしゃべりとか好きなんでしょ? もっと遊んだり、みんなと笑ったりしたいって、思ってるよね? きっと、桐生君のお父さんだって、桐生君が元気になって、楽しい人生を送ってほしいって思ってたから必死にお金を集めたんだと思うよ?」

「……仮にそうだとしても、世の中にはできることとできないことがあるんだ。金持ちには当たり前でも、俺みたいなのには一生手の届かないことなんて、腐るほどある」

「でも、だからって孤独である必要なんてないじゃん。桐生君のお手伝いくらいしかできないけど、私でよかったら力になるよ?」

「……」


 誰かにそんなことを言われたことがあったかと、桐生はこれまでの自分を振り返った。

 ただ、誰一人として手を差し伸べてくれる人間なんて、いなかった。


 だからこそ、不思議で仕方なかった。

 どうして加佐見は、ここまで自分のために尽くそうとしてくれるのかが。


「……何が目的だよ」

「あはは、そういわれると思った。でも、だまし取るお金なんてないんでしょ?」

「ない。金目のものは全部売ったから家にも何にもない」

「じゃあ心配しなくていいじゃん。ま、目的がないと言えばウソだけど」

「なんだよそれ」

「桐生君ともっと仲良くなりたいなって。だから力になりたいんだけど、ダメかな?」

「……ダメと言ったら?」

「うーん、勝手に買い物して、おうちの前で待っておこうかな」

「怖いからそれはやめてくれ。あと、いい加減離してくれ」

「あ、ごめん……それじゃ、お邪魔してもいい?」

「好きにしろよ……」


 そのまま突き返すことも、できたと思う。

 ただ、こうして自分の味方でいようとしてくれる相手を無理に遠ざける生き方が果たして正しいのかと。


 父は、自分にこんな生き方をしてほしいと思って自分を助けたわけじゃないのだろうと。

 そう思うと、加佐見を突き放すことはできなかった。


 そのまま玄関の奥へ向かってから、着替えを済ませる。

 そしてリビングへ戻ると、


「よーし、それじゃ今晩は私の料理楽しみにしておいてね」


 と、張り切る加佐見の姿があった。


 

 

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