第4話 君だって嘘つきじゃないか
「おい桐生、朝からずいぶんと楽しんでたな」
加佐見の背中を見ながらゆっくり校舎へ向かう桐生のところにやってきたのは安藤。
こうなることは想定内だったので特に驚きもしない桐生だが、しかし理由はどうあれ安藤に絡まれることに対してうんざりする。
基本的に安藤のような人間は嫌いだ。
なんでも持っていて、自分が少し努力すれば人並み以上の幸せを約束されているような奴が、どうして度を過ぎた女遊びやいじめを繰り返し、身を亡ぼす方向へと進んでいくのか。
持ち合わせたものを無駄遣いするような、そんな人間性に辟易する。
「……そうだな、楽しかったよ」
「なんだ、今朝はずいぶんと素直だな。おい、ちょっと面貸せよ」
「悪いが授業をサボる気はない」
「なんだと? お前、何様のつもりだ犯罪者のくせして」
「……なんとでも言え」
血気盛んな年頃、なんていえばきれいにまとまるかもしれないが。
別に誰かをいじめたり殴ったりしなくても、もっと楽しいことが世の中にはあふれているだろうと桐生は呆れながら安藤を無視するように校舎へ向かう。
そして教室に着いて誰とも会話せずに席へ着くと、さっきの安藤の言葉が頭をよぎる。
犯罪者。
そう呼ばれることにもずいぶん慣れた。
犯罪者の息子は犯罪者という彼らの言い分も理解はした。
ただ、納得がいっていないだけの話。
いや、誰も納得してほしいなんて思ってもいないだろう。
窓の外を眺めていると、校舎の隅で下級生をカツアゲする上級生の姿が遠目に見える。
目線を変えて向かいの校舎の音楽室の窓を見ると、奥の方で男性教諭と女子生徒が逢引きしている姿を目撃する。
どれもこれも立派な犯罪だ。
世の中は犯罪に満ちている。
でも、皆それを罪だと思っていない。
罰せられるべきはもっと他にあることを俺は知っているけど。
知ったところでどうしようもない。
どうしようとも、思わない。
ただ、静かにしておいてほしい。
勝手に生きるから、邪魔だけはしないでほしい。
そんな些細な願いを心の中で呟きながら、桐生はそっと目を閉じた。
◇
「おい桐生、ついてこい」
昼休み。
加佐見が席を離れたところで、安藤は取り巻きを引き連れて桐生のところへやってきた。
「……昼飯まだなんだが」
「うるせえごちゃごちゃ言わずにさっさと来いや! てめえみたいな社会のごみに食べる権利なんてねえんだよ」
安藤の大きな声が教室に響き渡る。
興味津々にその様子を見る生徒、関わらないようにと目を逸らす生徒、面白いことになったと他のクラスの生徒を呼びに行く連中。
皆、それそれの思惑は違えどいじめというものを軽視している。
自分には関係ないとか、いじめられる側に原因があるとか、そういう感じに自分を正当化することで無関係を装う。
おそらく、今目の前で起こっていることもいじめではなく仲間同士の喧嘩とか、そういう都合のいい解釈で終わるのだろう。
「……俺を殴ったら気が済むのか?」
「ああ、すっきりするな。前からよ、その澄ました態度が気に入らなかったんだ。今日は存分にわからせてやるからな」
「そ。なら気が済むまでやれよ。その代わり」
ここで殴れと。
席を立って、桐生は両手を広げて安藤の前に立つ。
「……なんだと?」
「ここでやるっていうならいくら殴られても文句は言わない。ただ、陰でこそこそするっていうのなら話は変わる。いじめも暴力も結構だが、せめてやるなら堂々とやれ」
桐生がそう言って安藤に詰め寄ると、安藤たちは少し戸惑う。
そして周りの野次馬も皆、盛り上がりを欠いて黙り込んでしまう。
「い、いいから黙ってついてこいや」
「殴ることを許可してやってるんだ。せめてこっちの要求も一つくらい飲め。どうなんだ、殴ったらすっきりするんだろ? だったらここで、存分にやればいい」
安藤は常に世間体を気にして過ごしている。
だから横柄な態度は目立つものの、表立って暴力に走ったり不良まがいの行為はしない。
親の仕事に影響があるからなのか、そういう教育を受けているのかは知らないが、とにかくこそこそと陰で悪いことをやりたがる性分だ。
今回だって。
人目につかない場所でひっそりと、サンドバッグを殴り倒してストレス解消といきたかったのだろう。
ただ、そこまで相手の思惑に付き合ってやる義理はないと。
桐生はもう一歩、安藤に詰め寄りながら珍しく声を少し大きくする。
「自分のやってることが間違ってないって言い切れるなら、堂々と殴ればいいじゃないか。それとも、俺に制裁を加えることはただのいじめだってわかってるってことか?」
「ぐっ……てめえ、調子乗るなよ!」
煽られて理性の限界を迎えた安藤はそのまま、桐生を殴ろうと拳を振りかざす。
その瞬間、
「やめなさい!」
甲高い声が、教室に響き皆の動きが止まる。
安藤も、そして桐生も。
声の先を見るとそこにいたのは加佐見。
見たことのない怒りに満ちた形相で桐生たちのところへやってくる。
「安藤君、暴力はよくないからその手を下げてください」
「んだとこのクソアマ。お前、なんでこいつの味方ばっかするんだよ」
「いじめられてる人、殴られそうになってる人を庇うのは人として普通です」
「あのさあ、俺たちは全員こいつの被害者なんだよ? 事情も知らねえ転校生は黙って」
「それ以上言うなら、昨日あなたに乱暴されたとこの場で叫びますが」
「なっ……そ、そんなウソを誰が」
「ネットにも書き込みます。学校の人は信じなくても、あなたのことを知らない世間の人はどう思うでしょうか」
「ひ、卑怯だぞてめえ」
「集団で寄ってたかっていじめをする卑怯なあなたたちには言われたくありません。さあ、どうします?」
あまりに毅然とした態度で安藤に立ち向かう加佐見の姿に、桐生は何も言えなかった。
そして安藤も。
加佐見の本気さが伝わったのか、拳を下ろして「くそっ!」と大声を上げた後、近くの机を蹴り飛ばしてから教室を出て行った。
「……加佐見さん、なんで?」
「桐生君とお昼食べようと思ってパン買いに行ってたのに、戻ったら人だかりができてて慌ててきたんだよ。ほんと、喧嘩はよくないからね」
倒れた机を直しながら、加佐見は呆れたように笑う。
周囲にいた野次馬たちは、いつの間にかどこかに消えていて。
教室は桐生と加佐見の二人だけになった。
「……絶対、目つけられたと思うぞ」
「でも、ああやって脅しておいたらしばらくは大人しいんじゃない?」
「まあ、それはそうかもな」
「それよりお腹空いたでしょ。これ、よかったら一緒に食べない?」
席に着きながら、加佐見は袋に入ったカレーパンを一つ桐生に渡す。
「……別に腹、減ってない」
「嘘。さっきお腹が鳴ってたの聞いたよ? 嘘つくの、下手なんだね案外」
「加佐見さんには言われたくない。叫ぶ度胸もなかったくせに」
加佐見は、堂々とした態度に見えてしかし手や口先が震えていたのを桐生は見逃さなかった。
あれほど恐怖にひきつった状態では大声も出ないと。
呆れながら桐生はカレーパンを受け取ると、加佐見は笑いながら頭をかく。
「あはは、バレてたか。うん、それにネットに書き込むのってどうやったらいいかも知らないし」
「なんだ、結構な嘘つきだな加佐見さんって」
「でしょ。だけど、その嘘で誰かを守ることができるならさ、嘘も悪いもんじゃないって私は思うけど」
「詭弁だよ。嘘は嘘、いいも悪いもないって」
「じゃあ、そのまま安藤君に殴られてた方がよかった?」
「……まあ、そうだな」
小さくそう呟くと、隣でもう一つのカレーパンをかじりながら加佐見は「嘘つき」と言って、また笑う。
そんな彼女の笑顔を前に、桐生は何も言わずにパンを一口食べてから。
彼女に見えないように顔を晒しながら少しだけ口元を緩ませた。
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