第7話 好きにしろよ
「あ、おかえり桐生君」
玄関を開けると、制服にエプロンをかけた姿の加佐見が立っていた。
「あ……」
「なになに、まずはただいまでしょー」
「た、ただいま」
「うん。お仕事お疲れ様。ご飯にする、それともお風呂にする?」
「……飯食べる」
「あれ、そこは照れながら『加佐見さんがいい』ってならないの?」
「なんの話だよ。あと、そろそろ靴脱いでいいか」
「あ、ごめんごめん。うん、それじゃご飯温めるね」
桐生は、家に帰った時に誰かがいるという今の状況にひどく戸惑った。
口癖のように家に帰った時にただいまとは口にするが、誰かからおかえりと言われたことなんて、いったいいつ以来だったか。
そもそもそんなことを言われたことがあったかも疑問である。
慣れない事態に少し戸惑いが隠せない。
ただ、惑う自分を加佐見にからかわれるのもしゃくだと、少し大きく呼吸をして落ち着かせてからキッチンの方へ向かう。
するとテーブルにはずいぶんと豪華な食事が並んでいた。
生姜焼き、味噌汁、サラダ、それに炊き立てのご飯。
こんないっぱしの食事を見たのはいつぶりだろう。
やっぱりこれも初めてみるかもしれない。
「全部加佐見さんが作ったのか?」
「そうだよ、味は保証しないけど食べてみて」
「いただきます……ん」
懐かしい味、という感想がまず。
そして、うまい。
自分で作ったものと違い、人のあたたかさを感じる。
桐生は、思わず箸を止める。
「どうしたの? やっぱりおいしくない?」
「……いや、うまいよ。なんだろうな、うまい」
「あはは、桐生君は食レポの仕事はできないタイプだね。でも、よかった。おかわりあるから言ってね」
「ああ」
加佐見の料理はどれもおいしくて。
桐生はあっという間に出されたものを完食した。
「ふう、ごちそうさま」
「お粗末様でした。もういいの?」
「普段からあんまり食べないし。でも、本当にうまかったよ」
「ふふっ、今日はやけに素直だね。これは私に胃袋を掴まれた感じかな?」
「……なんか申し訳ない。ていうかもう遅いから、送っていくよ」
「あ、もうこんな時間かあ。でも、遅くなったついでだし洗い物しておいてあげるからお風呂入ってきたら?」
「い、いやさすがにそこまでは」
「大丈夫大丈夫。そのほうが夜ゆっくりできるでしょ?」
「……」
そこまでしてもらうわけにはいかないと、何度も断ろうとするがそのたびに加佐見に遮られて。
仕方なく桐生は風呂場へ向かう。
浴槽からは湯気が立ち込めていて、さっき沸かしたばかりだというのは一目見てわかる。
これも加佐見がやってくれたと思うと、また申し訳ない気持ちになりながら桐生は服を脱いで風呂へ。
少し熱いくらいのお湯は、一日の疲れと絡まる思考をゆっくりほぐしてくれる。
見慣れた風呂場の天井を見あげながら、大きく息を吐く。
「……なにやってんだろ、俺」
つい最近まで、誰にも頼らずに生きていくと心に決めていたというのに。
そんな信念が簡単に崩れ去りそうになっているのがよくわかる。
誰かに甘えるのは楽だ。
ただ、甘えていいものかと。
加佐見の好意を、素直に受け止めていいものかと。
自分が本当はどうありたいのかと。
柄にもないことばかりを考えてしまい、また少しうんざりする。
そして体を洗って風呂を出た時に、さっき脱ぎ散らかしていた服がないことに気づく。
さっきまで回っていなかった洗濯機がガタガタと音を立てて回っている。
「あ、桐生君出た? さっき洗濯物一緒に回しておいたからー」
キッチンの方から加佐見の声がする。
体を拭いて着替えに袖を通して加佐見の元へ戻ると、今度はキッチンのテーブルにプリンを二つ並べて彼女が座っていた。
「あのさ、洗濯物はさすがに自分でやるから」
「それなら脱ぎ散らかしてないでちゃんと洗濯機に入れておくことね」
「そもそも人が風呂に入ってる時に脱衣所にくるなよ」
「あはは、覗いてないから大丈夫だよ。それより、デザートあるんだけど食べようよ」
「……帰る気、あるのか?」
時計は現在夜の十一時過ぎ。
高校生の外出と呼べる時間はとっくに過ぎている。
これ以上となると外泊だ。
「えー、どうだろ。桐生君はさ、私がこのままここにいたら迷惑?」
「俺の意見がどうとかいう以前の問題だろ」
「ふーん、帰れとは言わないんだ」
「い、いや、帰れよ」
「でも、さすがにこの時間に一人で夜道を歩くのは怖いかな」
「親に迎えにでも来てもらえ。男の家に泊まっていくよりマシだろ」
「私、一人暮らしなの。両親は離れた場所にいるから」
「……最悪送っていくから、それでいいだろ」
「あはは、やっぱり泊めてやるとは言ってくれないんだ」
「……それはダメだろ、さすがに」
家は広く、部屋はたくさん余っているので人ひとり泊めるくらいどうということはない。
ただ、そういう問題でもない。
「それって、私が桐生君の家に泊まったのを知られたら、私もいじめられるかもって思って言ってる?」
「……別に。勝手に押し掛けてきた相手がどうなろうと、俺の知った話じゃない」
「じゃあどうして? あ、もしかして私の寝込みを襲っちゃいそうだから?」
「そ、そんなわけあるか。部屋の準備とかが面倒なだけだよ」
「えー、どうかなあ。桐生君って、案外エッチなこととか好きだったりするんでしょ」
「……違う」
「じゃあ、私が泊まっても問題ないよね? 寝るのは別にリビングでもいいからさ」
「なんでそこまでしてここにいたい? 家の方が落ち着くだろ」
「一人だとさ、寂しいじゃん……」
加佐見は、初めて弱気な声で呟いた。
終始明るく、人の話も聞かない態度の彼女が急に見せた暗い顔に桐生も少し戸惑う。
「……別に、寝る時は一人だろ」
「でも、誰かがいる安心感っていうかさ。起きた時も、誰かいた方が楽しいし」
「だったら泊めてくれる彼氏でも探せよ」
「桐生君に言ってるんだよ。一人だと、寂しいよね?」
「……」
今までずっと一人だったから、一人が寂しいなんてことを桐生は考えもしなかった。
それが当たり前。一人なのが当然。
だけど、加佐見に言われてふと、一人じゃなかった頃の記憶がよみがえる。
幼いころ、父親と過ごした記憶。
朝、父が作ってくれた朝食を食べて夕方に一緒に買い物に出かけて。
休みの日は一緒にテレビを見たり庭で遊んだり。
そんな、何気ない日々が楽しかったことを。
そして、父がいなくなった後のこの家に帰ってきた時に感じた孤独感を。
そんな記憶が、なぜか今になって頭をよぎる。
「……」
「桐生君、無理してる。ほんとは、こうして誰かと一緒にご飯食べたいって、思ってるくせに」
「だとしても、それが加佐見さんだとは限らないだろ」
「あ、確かにそっか。あはは、それはうまくフラれちゃったなあ」
「……プリン、食べていいか?」
「え、もちろんいいよ。二つとも同じ味だから」
「あと、泊まるなら勝手にしろ。勘違いするなよ、こんな時間に外を出歩いてて補導される方が面倒だからってだけだ。部屋は貸すから、好きにしてくれ」
そう言ってプリンを一つ、手に取ると。
加佐見はクスクスと笑う。
「何がおかしいんだよ」
「ううん、別に。桐生君ってツンデレなんだなって」
「意味の分からんこと言うなよ。食べたらもう寝るぞ」
「はーい。それじゃ後でお風呂借りるね。あと、着替えは桐生君の借りていい?」
「……好きにしろ」
禁句だと決めたはずなのに。
また、言ってしまったと。
学習しない己に嫌気がさしながら、プリンを口にかきこむと逃げるように桐生は部屋へと戻っていった。
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