第2話 理由はどうあれ
「ただいま」
誰もいない一軒家の引き戸を開けて呟くと、自分の声が静かな玄関に少しだけ反響する。
暗い家だ。
ほこりっぽいしじめじめしている。
詐欺師の本拠地として使われた雰囲気が今も残る。
「さて、今日は何を食べようか」
アルバイトは週四日。
少し離れたコンビニで仕事をしている。
身寄りのない高校生を雇ってくれるところってだけでそうそうない上に、この街で桐生と訊いて拒否反応を起こす人はやはり多い。
ただ、今のコンビニのオーナーは事情を知らなくて都合がいいというのもあった。
本当は目いっぱい勤務してお金をもっと稼ぎたいところなんだけど。
借金もあるわけで、稼ぐためにはなりふり構ってもいられないわけだがそれでも。
バイトに追われる人生で貴重な学生の時間を消費してしまったのでは将来がない。
先は大学に進学して。
いいところに就職して金を貯めて起業して。
そうやって今を脱却するには仕事と勉強の両立が必須。
だから平日はなるべく学校に集中しようと、バイトはそこそこにしているというわけで。
今日はバイトがない。
だからといって遊びにはいかない。
勉強あるのみだ。
ひたすら勉強に打ち込む。
でも、それは認めてほしいからではない。
いい暮らしをするため。
それに尽きる。
狭い世界では、詐欺師の息子というだけで勝手にゴミのように扱われるがもっと広い海原へ繰り出せばそんな些細なことよりも重要視されるのは己の能力であると信じている。
家柄、出身地、学歴。
そんなものを問われない世界もたくさんある。
だからそういう道に進む為にも、やはり日々の勉強は欠かせない。
父親が人を騙す為に傾けたエネルギーを、ただ自分を高めることに使うだけ。
それだけのことだ。
◇
「あのー」
しばらく没入して国語の教科書を隅まで読み切った辺りで、玄関の方から声がする。
もう夕暮れ時だというのに一体誰だ?
首をかしげながら心当たりのない来客の顔を見ようと、扉を開ける。
すると、
「あ、よかった。やっぱりここ、桐生君の家だったんだ」
加佐見が玄関の前に立っていた。
慌てて扉を大きく開く。
「な、なんで?」
「交番で桐生さんのお宅はどこかって訊いたら教えてくれたの。本当に有名人なのね、あなたって」
「……」
質問の意図がイマイチ伝わっていない。
なんで、というのはどうして場所がわかったんだという意味ではない。
なぜ、ここに来た?
壁中の落書きと投げつけられた石で傷んだこの家に。
今では誰も近づこうとしないこの家に、どうして。
「言っておくけど、私はあなたの過去とか知らない。知らないけど、集団で弱い者いじめなんて、理由に関係なく許せなくて」
「……だからそれがなんだっていうんだ? いじめられてる俺に同情して慰めにきたのか?」
もちろん慰めにもならない。
冗談のつもりだった、けど。
「そうね、慰めにきてあげた」
「……は?」
「というわけで家にあがっていいかしら?」
「い、いやそれは」
「私、あなたにお話があるの」
おどけた後に真顔で。
加佐見の真剣な表情に、断る空気を失う。
そして、
「……なにもないけど」
なぜか、彼女を家に招き入れてしまう。
丁寧に靴を脱ぎながら家にあがる彼女はそれだけで品がある。
振る舞いが違うのだろうか。
ただ何気ない仕草が、様になる。
そんな有無も言わせぬ雰囲気に押されてしまったからか仕方なく。
なんて言い訳を自分に向けながら手前のリビングに彼女を通す。
「なんもないとこだろ」
「でも、広くていいおうちよ」
「人の金で建てた家、だよ」
「……」
気まずそうにソファに座る彼女に気まずくなるような発言をしたのは自らの器量の小ささを露呈してるようでうんざりするが。
世間話をしたいわけではない。
用がないならさっさと帰ってくれと、そう言わんばかりに彼女を見ると向こうもまた、大きな瞳でこっちを見ていた。
「な、なんだよ」
「綺麗な瞳してるよね、桐生君って」
「だから?」
「……私、あなたの過去は知らないけど、さっき思ったの。悪い人じゃないんだなって。だからちょっと、あなたに興味が沸いたっていったら、あなたは嫌?」
「……人の好奇心まで否定はしないけど」
「好奇心、か。そうね、まあそうなのかも。皆に嫌われて、嫌味を言われて、そんな人がどうしてそんなに真っすぐな瞳をしてるのかって、好奇心が沸いたのかもね」
加佐見は、言いながら自分のことのように辛そうな顔をする。
そしてふうっとため息を吐くと、首を振る。
「いえ、ごめんなさい。私、こんな話をしたくてここに来たわけじゃないの」
「だろうな。さっきから目が泳いでる。嘘をついてるのがバレバレだ」
「わかるの? 洞察力が優れてるってやつ?」
「親父の教えだ。詐欺師の息子らしい特技だろ」
「……」
自分を良く言ってくれることになれていなかっただけなのだろうけど。
良く言われるだけの人間なんかではないと、知ってほしかったのもある。
加佐見が思ってることもわかる。
親が詐欺師だからといって、子供である自分まで責められる理由は何一つないと。
そう言いたいのだろうが違う。
原因は自分にもあると、桐生はそのことを口にした。
「親父が詐欺を働いたのは、俺のためだったらしい」
「え? それって、生活の為、とか?」
「食うだけなら仕事でどうにかなる。俺は小さい頃に重い病気になった。で、治療費が莫大にかかるとなって、親父は俺の為に詐欺で金を工面したって、そう聞いてる」
「じゃ、じゃああなたのお父さんが豪遊してたとかって話は」
「できてたらこんなボロ家に住んでないだろ。俺の為に全額使った親父はその後で危ない連中にさらわれたそうだ。どうなったかも知らない」
「そんな……」
「あー、そういう同情いらないから。親父がやったことは犯罪だってわかってる。でも俺は親父に「死にたくない」って泣きながらお願いした。詐欺でもなんでもしてくれって、幼心にそう願ってた。だから自分が助かるために他人がどうなろうが知ったこっちゃないって、今でもその気持ちは変わらない」
人様に迷惑をかけるくらいなら死んだ方がまし、なんて死にかけたことのある人間は絶対に言わない。
最後にそう伝えると加佐見は、ゆっくり立ち上がる。
「……今日は帰るね」
「また来るような言い方はやめてくれ。基本的に他人禁制だ」
「あなた、そんな風に生きてて楽しい?」
「楽しくはないさ。でも、結局俺はこうなんだから仕方ない。体が弱かったのも、父親が詐欺をしたのも、全部。そうじゃない世界があれば行ってみたいとは思うけど、そうはならなかったってだけの話だろ」
「……人は変われると思うわ」
「だから勉強してるんだろ。嫌われ者になっても、落ちこぼれになるつもりはない」
「……今日は帰るね」
加佐見は純粋な人間なのだろう。
別れの言葉を告げ、静かに部屋を出て行く時に彼女の目に滲んだ涙を見て、桐生はそんなことを考えた。
ただ、だからこそこれでよかったと。
純粋な、穢れのない人間が自分のような人間に関わって堕ちていく必要はどこにもないと。
彼女が出て行ってから少し間をあけてから、玄関のカギを内側から閉めた。
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