俺の青春は嘘で満ちている

明石龍之介

第1話 その嘘は誰がために

 加佐見千雪かざみちゆきが転校してきたのは夏休みがあけた二学期の初日。

 まだ残暑残る蒸し暑い教室に涼しい風を通すかの如く、彼女はやってきた。


 高校生らしからぬ明るい髪色、大人びた端正な顔立ち、モデルのような細くしなやかな全身にクラスの誰もが声をあげた。


 その光景をただ一人だけ。

 つまらなさそうに見つめてため息を吐く桐生は、自分とは正反対を生きてきたと見ただけでわかる彼女の人気っぷりに辟易としながら。


 くだらない、と誰にも聞こえない声でつぶやいた。


 妬みだとはわかっている。

 それでも、生まれながらに人気者になれる素養を持ち合わせ、優れた容姿というだけでちやほやされ人に囲まれる彼女を見て、とてもいい気分になどなれない。

 

 生まれながらにして嫌われ者で。

 何もしていないのに疎まれる。


 そんな人間もいるんだということを彼女は知らないんだろうなと思うと、桐生の中に自然と黒い感情が生まれたのだった。


「桐生、隣だから教科書を見せてやれ」


 ただ、何の因果か一番彼女を遠ざけたいと思う人間の傍に、彼女は座る。

 どうせなら自分の隣に、と願う男子生徒の誰かにあてがってやればいいのにと呆れながら桐生は教科書を開いて彼女に見せる。


「これ、使えよ」

「ありがと。でも、あなたは?」

「いい。そんなのもう読み飽きた」


 教科書を読み飽きるなんて、かっこつけにもほどがあると思うかもしれないが。

 桐生はそのすべてを読んでいた。

 何度も、繰り返される日々の中で日課のようにそれを何度も何度も隅から隅まで。

 だから教科書なんて必要がないと。

 不愛想に加佐見に手渡す。


「そ、そう。じゃあお言葉に甘えて」


 戸惑う転校生に教科書を渡すとまた窓の外へ視線を向ける。

 天気や景色に興味があるわけではない。

 単に目線のやり場がないのだ。

 このクラスに、この学校に、この社会に。

 自分の居場所がないというだけのことだ。



「加佐見さん、放課後いいかな?」


 人気者には人気者がお似合いだというのは安直すぎる見解かもしれないが、実際そういうもの同士が仲良くするように社会は出来ている。


 休み時間、加佐見に声をかけてきたのは安藤健一というクラスの中心を気取る男子。

 かわいい子に目がない肉食系。

 実際、今も加佐見に興味津々といった様子だ。

 安藤は少々ふざけた顔をしているが、人気者同士お似合いなんじゃないかなんて、誰も聞いていない自分の意見を心の中で呟いたあと。

 聞きたくもない彼らの会話を聞かされる。


「あの、放課後ですか?」

「ああ。加佐見さんと話がしたくて」

「こ、ここじゃダメなんですか?」

「なんだよーわかるじゃんか。とにかく放課後ね」

「あ、ちょっと」


 なるほど、加佐見はちょっと鈍い人間のようだ。

 風貌からするにどこかのお嬢様といったところだろうか。

 一方の安藤はいつもの調子。

 いつもながらにうざい。一方的で自信過剰で笑顔が気持ち悪い。


 と、そんなことを考えながらも嫌われているのは自分の方だから誰も同感してはくれないかと。

 さっき加佐見から返されたばかりの教科書をまた、最初のページからゆっくり捲って読み返す。


 『教科書は大事なことを教えてくれない』とか、『授業では学べないものがある』とか、そんなロッカーたちの叫びが嫌いだ。

 たいていの事は本の中に書いてあるし、授業で学べない人間が外で何を学ぶというのかを是非とも教えてもらいたい。


 と、そんなひねくれた思想を頭に充満させているところで。

 加佐見の声がした。


「あの」

「……なに? 次は数学だけど」

「そ、そうじゃなくて。教科書、ありがとね」

「ああ、別に。ほしいならあげるけど」

「そ、そのうち届くからそれは別に。でも、ずっと教科書読んでるけど、勉強好きなの?」

「……別に」


 実に優等生らしい会話だと、桐生はため息を吐く。

 御礼が言えて、よく知らない相手のことを悪く言わず、それでいてさりげなく質問を混ぜる。

 実によくできた会話だ。

 でも、そんな会話が死ぬほど苦手だ。


「俺なんかに話しかけてると嫌われるから。さっきの安藤たちと仲良くしてる方が楽しい学校生活を送れるぞ」


 別に皮肉を言ったつもりもなかった。

 素直な、もっともな意見だ。

 桐生蓮きりゅうれんはこの学校で知らない人はいない嫌われ者だ。

 理由は一つ。


 詐欺師の息子だから。

 

 狭い田舎町で、桐生の父親は十年ほど前に大規模な詐欺を働いた。

 そして町中の人間を詐欺の被害者にした。

 何人もの人から金をふんだくって、金がない人間からは土地や車を押収し、ある人間は自殺にまで追い込んだとか。

 そんな非道を繰り返し、ひと財産築き上げたところで蒸発した。


 そして母親がいなかった桐生は、天涯孤独となった。


 施設に引き取られたあと、桐生は自分の親が何をしたかも知らずに幼少期を孤独に過ごしてきたが、中学にあがる頃になると自分の立場というものがはっきり見えてきた。


 あの詐欺師、桐生鹿黒きりゅうかぐろの息子だと。

 同姓がほぼいなかったこともあり、すぐに噂が広まるとともにいじめが始まった。


 金を返せ、家を返せ、親を返せ。

 自分の行いでないことを何度も何度も、繰り返す拷問のように責められ続けた。


 それが辛く、この街を出ようと考えた時期もあったけど。

 そうするだけの金も身寄りもなく。

 さらには父親と住んでいた一軒家の支払いまでも息子である蓮にのしかかり。

 嫌われ者としてこの街に居座りつづけることとなったのである。


 そんな自分でも、かつて一緒にいようとしてくれた人間がいたことを覚えている。

 ただ、もれなく一緒になってのけ者にされるのがオチ。

 やがて離れていき、最後には自分と関わったことを皆、後悔した。


 だから加佐見に言った言葉は親切心によるものだ。

 決してネガティブだとか、マイナス思考だとかの類ではない。


 しかし、


「どうして?」


 と、事情を知らない転校生は無垢な表情を向けてくる。

 それがたまらなくうざい。

 一から事情を説明するのもおっくうだし、かといって知らんふりするのも好きじゃない。

 だから察しろと。

 また、窓の外を見て黙り込むと加佐見もあきらめた様子で会話をやめた。


 それでいい。

 望んでこうなる必要はない。

 さっきは僻んでみたものの、生まれながらに幸福なのであればそれに越したことはない。

 誰も、自分のようになる必要はないんだから。



「加佐見さん、俺と付き合ってください」


 放課後。

 安藤は教室の教壇の前で加佐見に告白した。

 出会って初日の転校生に告白とは一体どれほど自信に満ちているのだと呆れるところだが、しかし人気者の安藤からの告白が失敗することはないと、周りに集まる誰もがそう信じて疑っていない。


 ただ、


「ごめんなさい、無理です」


 はっきりと、加佐見は言った。

 どうしてだと、さっきまで自信満々だった安藤は目を丸くしながら動揺している。

 教室の隅からでもはっきりわかるほど、焦っていた。


「私、いじめをする人のことは好きになれませんので」


 と、加佐見は続けた。

 その言葉に、安藤は首をかしげる。


「いじめ? 俺たちはいじめなんて」

「そうですか。でも無理なものは無理なので。では」


 いじめとは。

 安藤のみならず他の連中も皆、一体誰が何のいじめをしているのだと言わんばかりに訝し気な顔をしている。


 当事者にはその自覚がないとはよく言ったもので。

 誰も自分のことをいじめているというふうには思っていなかったのだと、わかってはいたことだが改めて、桐生はそう理解した。


 しかしどうして。

 加佐見はいつ、そのことに気づいたのだろうか。

 確かに嫌われ者であることは明かしたが、学校中から、街中から嫌われているという話まではした覚えがない。

 それに、その後も加佐見は席から立つこともなく、それらしい会話を誰かとしていたというわけでもないのに。


 ただ空気からそう察しただけなのか。

 それとも最もらしい断り方が見つからなかったから故のあてずっぽうか。


 そんなことを考えながらまた、窓の外を見る。

 そろそろ夕暮れ時だ。

 騒然としながら散るクラスメイト達が姿を消すのを待ってから。


 最後にゆっくりと教室を出る。



 狭い空間から解放された下校道での清々しさは嫌われ者にも人気者にも平等に与えられる。

 間延びしながら一息。

 いつもの河川敷を歩きながらゆっくりと日が暮れるのを見つめていると、川沿いに数人の学生の姿が見えた。


「おい、調子乗るなよ転校生。お前、もしかして桐生のことが好きなのか?」


 安藤。そして取り巻きが数人。

 それに絡まれているのは転校生の加佐見。

 まあ、こうなることは予想できていた。

 安藤は表向きは人当たりがいいが、裏ではガラの悪い連中とつるんでいると、噂から一番縁遠い自分のところにまで話が入ってくるほどだから、それは周知の事実である。

 しかし親がどっかのお偉いさんだと訊くので、長いものに巻かれたがる日本人の鑑のようなクラスメイト達は彼に忖度する。

 周りがそんなだから当然、安藤は調子に乗って、フラれて恥をかかされた腹いせにこんなところで女子生徒に絡むなんて愚行を惜しげもなくやるような人間に成り下がるわけだ。


「あの、離してもらえますか? 私は事実を述べたまでです」

「何が事実だ。俺たちは被害者なんだよ。あいつの親父が何したか知らねえからそんなことが言えるんだ」


 知らないから。

 安藤は何でも知ってるような口ぶりでそう話す。

 ただ、知らないのはどっちだと。

 桐生はその会話に辟易としながらも足を止める。


「あなたがたのご家族が何をされたか詳しくは知りません。でも、桐生君がやったわけじゃないんでしょ? だったらいじめるのはおかしいと、そう言っただけです」

「あいつの家族がやったことなんだからあいつにも責任があるってんだよ。人の金でのうのうと飯食ってきたやつと仲良くなんかできるか」

「先生に訊きましたが、彼は今アルバイトをしてるそうですね。親のお金で生きているあなたたちより随分立派だと思います」

「なんだと? このくそアマ!」


 数人の男子が一斉に、彼女に距離を詰める。

 囲まれて、さっきまで整然とした態度だった加佐見も顔を曇らせる。


 さて、こういう時に自分が本当に評判通り、期待通りの詐欺師の息子として育っていれば、こういう事態も平然と見逃すのだろう。

 ただ、そういうわけにはいかない。

 彼女が今、誰を庇って窮地に陥っているかを知ってもなお、見過ごすなんてことができるはずもなかった。


「おい、やめろ」


 姿を見せるように上から呼びかけると、振り返った安藤たちはまるで幽霊でも見たような顔をする。


「……桐生。お前、今なんつった?」

「やめろっていった。頭だけじゃなく耳も悪いのかお前?」

「なんだと? お前、誰に向かって」

「通報、しといたから。女子生徒を集団で襲う男子高校生って、三面記事にもならなさそうなネタだけどな」

「う、嘘つくんじゃねえ。脅しなら」

「脅しだったら俺がお前らにタコ殴りにされるだけだ。でも、脅しじゃなかったらどうなるか、わかってるよな?」

「ぐっ……おい、行くぞお前ら」


 ぞろぞろと、連中は苦虫を噛んだように引きつった顔でその場を去る。

 度胸のかけらもない連中だ。


「ふう」

「あ、あの」

「……」


 用が済んだのでその場を去ろうとすると、加佐見が呼び止める。

 まあ、当然だろう。

 正義の味方というより正義そのもののような彼女が、助けられてそのまま黙っているはずもない。


「何か?」

「いえ……助けてくれて、ありがとうというか」

「礼はいい。次からは助けなきゃいけないような状況にならないようにしてくれ」

「で、でも……あの、桐生君」

「警察は嘘だから。俺、嘘つくのうまいんだよ」


 嘘つきの息子だから。


 これもまあ、皮肉ではなかった。

 事実として。

 昔から嘘をつくのも演技をするのもうまかった自覚があった。

 父親譲りだろう。

 ただ、父はこの能力を誤った方法で使ってしまった愚かな人間だというだけ。

 正しい使い方をすればいいだけの、なんでもない能力だ。


「……桐生君、あなたはそれでいいの?」

「いいも悪いも、こうなったものはどうしようもない。父が詐欺師なのは事実だし」

「そうじゃなくて……ええと」

「加佐見さんこそ、正義感で突っ走るなんて幼稚なことはやめて、協調性ってもんを覚えたほうがいい。君はまだクラスのアイドルでも学校の優等生でもなんにでもなれるから」

「……私に、みんなと一緒になってあなたをのけ者にしろって言いたいの?」

「そうだ、とは言わないけど結果その方がいいのかも。誰かをいじめてるうちは、みんな仲良しになれるんだよ」


 そう言い切ると、加佐見は黙ってその場を去っていく。


 その背中を見ながら思う。

 自分を庇ってくれた初めての人間にかける言葉がそれとは。

 一体どこまで嘘をつけば気が済むのだろうかと。


 でも、ありがとうなんて言葉は誰のためにもならない。

 自分の為にも、彼女の為にも。


 だから今日も嘘をつく。

 その方が自分らしくて楽だから……。


 

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