第3話

夏の日差しが、スクリーン越しに二人を照らす。

頭上にて、青空を彩る入道雲をバックに、神奈川県入りを示す道路看板が見えてきた。


この旅を支えたタンデムジャイロバイク・バルチャー号は、安心と信頼の日本製として、十分な耐久性と丈夫さを見せてくれた。

現に今まで、故障らしい故障もなく、スカーレットの半ば乱暴な運転にも耐えてくれている。


愛車を切り、風を切って進むスカーレット。

その背中に、しがみつくように捕まっているアズマの鼻腔を刺激する彼女の香水の香りも、柔らかい女体の感触も、アズマの頭の中には入ってこなかった。


感覚としては感じているのだが、これが二度と味わえないと思うと、恥ずかしいとかの感情よりも名残惜しさと悲しみの方が勝ってしまう。

スカーレットも、そんなアズマを大人のお姉さんとしてからかうつもりにも、注意するつもりにもなれなかった。


二人とも、何を、どう言えばいいかが解らなかった。



「………そろそろ、お腹すかない?」



高速道路を降りた所で、ようやくスカーレットが口を開いた。

こんな状況でも、人間である以上はお腹は空く。

この重い雰囲気に対して少々空気が読めないように感じてしまうが、何はともあれ会話はできる。

人間が物を食べる生物だった事に、スカーレットはこれ程感謝した事はない。



「………うん」



しかし、何かしらの会話をしたかったスカーレットの願望に反してアズマから帰ってきたのは、まるで反抗期の息子が母親に返すような、このそっけなく短い返事のみ。


アズマも、こういう時に気の効いた返事が出来てこそ一人前の男である事ぐらい、一般常識として知っていた。

だが、もうすぐスカーレットと離ればなれになるという事実がアズマの心に重くのしかかり、彼から精神的余裕を奪っていた。



「(どうしよう………会話が続かない)」



流石のスカーレットも、これにはお手上げ状態だ。

そも、スカーレットもアズマにどう声をかけたらいいかが解らなかった。

その上、彼女もまたアズマと離ればなれになるという事が、心に負担として重くのし掛かっていた。


出来るなら、最後の時まで一つでも多く思い出を作りたいのに、と。

二人とも同じ事を願っていたのに、二人とも踏み出せずにいた。



「………あ、ああ!ほら見て!あそこ!あれゼストじゃない?あそこでお昼にしましょ!うん、そうしましょ!」



偶然目に入ったファミリーレストランを前に、スカーレットはなんとか場を誤魔化そうと明るく振る舞ってみるものの、その後のアズマの沈黙が、それに効果がないという結果を突きつけた。



『先程入りました速報です、由比ガ浜に巨大モンスターと思われる未確認物体が………』



そんなだから、オーディオ器機代わりに取り付けてラジオを流していた携帯電話スマートフォンから流れてきた緊急ニュースも、耳に入らなかった。






………………






ネットに流出した映像から、由比ガ浜沖に前触れもなく現れた「何か」は、生物………海中の魔力量の上昇から、何らかのモンスターである事が明らかになった。


即座に、由比ガ浜沖に封鎖命令が出た。

こういう仕事が早い所は、この国のいい所である。


海棲の大型モンスターである事からクジラと同一視したのか、かのグリーンガードの残党とされている自然保護団体から保護しろという主張が出た。

対して、鎌倉市の漁師連合体からは、このままじゃ仕事にならないから追い出すなり駆除するなりしてくれ、と声が上がった。

外国のモンスター生体学の研究団体から、調査のために捕獲してくれと以来が来た。



この「何か」をどうするか。

捕獲か駆除か。

政府がいかなる決断をするかはさておき、国民………特に由比ガ浜沖の周辺に住んでいる、鎌倉市民の皆様には、いち早く知りたい答えがあった。




それは、この巨大モンスターが、陸上に這い上がってくる可能性があるか、否か?である。




調査の結果明らかになったが、このモンスターの大きさは推定30m前後。

1999年アンゴルモア・ショック以前の生物学説では、これ程の大きさの生物は陸上には上がれないというのが常識であった。


しかし、ここにいるのは異世界からやってきたモンスター。

彼等は、地球の常識の外の存在である。

現に、50mの体格で陸上を闊歩し、同じ大きさの相手と平気で殴り合いをする、ドラゴンという前例も存在している。

「何か」が陸上に上がり、在りし日の怪獣映画がごとく鎌倉の市街を蹂躙する可能性は、十分にあるのだ。



「20分後に、総理から緊急会見を開く手筈になってます」

「ありがとう」



首相官邸地下の危機管理室に向かいながら、スズカは部下から報告を聞く。

幸い、生物学に詳しい有識者曰く、モンスターの特徴から見ても上陸の心配はないとの事だ。



「上陸の心配はないらしいです、よかったですね」

「何言ってるの、有識者って言ってもただの動物学者じゃない、モンスター相手に何が解るってのよ………」



安堵する部下を一蹴するスズカ。

そう、生物学に詳しい有識者といっても、政府が仰いだのはただの動物学者達。


日本特有のテイカーへの反感情、そこから来る魔力・モンスター・ダンジョンへの忌諱感から、日本にはモンスター学者がほとんど居ない。

故に、こんな状況であはあるが切れるカードが彼等しかいない以上、彼等に頼るのも仕方ないといえる。


しかし、ある程度の共通点あれど、地球の生態系の外から来たモンスターの事を、専門家に聞かなくて大丈夫なのか。

何より。



「(映像で見たあいつ………陸に近づいていたように見えたけど………)」



スズカは様々な不安を抱えたまま、危機管理室へと急いだ。

この先、彼女の思い浮かべた「嫌な予感」がいくつ当たろうと、最善の手を打つために。






………………






あの、動物園の猿のような会議から解放された総理であったが、その顔は相変わらずやつれたままだ。

そりゃそうだ。

どっち道緊急事態である事には変わりないし、これが終わればまたあの国会どうぶつえんに戻らなくてはならない。


そう思うと、総理の心は深く沈んだ。



対外的に見ても、彼は決して無能な政治家ではない。

日本の為になる政策を打ち立て、不安定で緊張の走るアジア諸国の中で、国力の乏しい日本をなんとか守ろうと奔走してきた。


だが、平和の名の元に他国に忖度する売国奴や、視聴率の為に反権力のネガティブキャンペーンしか流さないマスコミ。

見せかけの平和で頭が鈍化し、それを南の疑いも持たずに鵜呑みにしする国民。

それら全てが、一体となって総理を攻撃していた。


元来政治家というのは、所属する国家をよくする事が仕事である。

だがこの総理の場合は、国の為に尽くせば尽くす程、返ってくるのは罵詈雑言と根拠のないデマゴーグ。



彼と、彼の妻の間に子供がいない事に対して、彼の妻を「石女」等と罵倒したある女性議員が、何の批判もされない。

そんな状況である。



「ええ、巨大モンスターは、現在由比ガ浜沖に留まり、占拠している状況にあります」



会見をする自身に向けてパシャパシャと飛ぶフラッシュに、目を細める事は無くなった。

慣れたからだ。



「その正確な正体は現時点では不明ではありますが、上陸という事態は想定しづらく、仮に由比ガ浜に這い上がって来たとしても、自重で潰れ死に至ると思われますので、どうかご安心ください」



しかし、自分に向けられるフラッシュの全てに憎しみと殺意が籠り、撮られた写真の全てが自分に対する尊厳凌辱も甚だしいゴシップ記事に使われる………と、思う程には、彼の心身は追い詰められていた。



「繰り返します。巨大モンスターの上陸はあり得ませんので、国民の皆様、どうか………」



持病の胃潰瘍がズキズキと痛み、ストレスで蝕まれた身体が「もう長くない」と赤信号を発している。

そうでなくとも、任期が終わるか内閣不信任決議案で総理を辞めさせられるかしたら、首を吊って死のうとも考えていた。



「総理、会見中に失礼します!」



そんな会見の最中に飛んできた、部下の一声。

それを聞いて、総理の背筋は凍え上がった。

緊急事態に重ねて、更に緊急事態が起きたという事だからだ。


来るな来るなと念じるも、部下は総理の元に駆け寄り、緊急事態を耳打ちする。

総理もまた、耳を背けたくなる本能を律し、部下に耳を傾けた。


して、緊急事態とは。



「………えっ?!上がってきた!?」



総理は確信した。

今度こそ、自分はストレスで死ぬか、闇の仕事人に外道として殺されるだろうと。

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