4-5 古い婚約
自室を出たギジェルミーナは、大理石の彫刻が美しい柱の並んだ
皇帝がいるのは新しく建てられた宮殿の棟で、ギジェルミーナやエルベルトの部屋がある古い棟とは違う。
謁見室や書斎などの部屋があるその棟は、星々のような模様を作る木組みの天井と、緻密な幾何学文様が彫られた石の壁が壮麗な建物で、私的な客人を迎えるための応接間には天板がよく磨かれたテーブルと揃いの豪華な椅子が置いてある。
「それで、大切な話とはなんですか。アルデフォンソ兄上」
応接間に入ったギジェルミーナは、手触りのなめらかな黒革の長椅子に腰掛けてさっさと本題を尋ねる。
「私が話そうと思っていたのは、お前の結婚についてだよ」
アルデフォンソは黒い
背が高く金髪と青い目が綺麗なアルデフォンソは、腹違いの妹であるギジェルミーナと違って端正な顔立ちで、美人の妃と可愛い二人の息子もいる。
自分ももう十七歳になったのだから、そろそろそういう話もあるだろうと思っていたギジェルミーナは、特に驚かずに相槌をうった。
「私の結婚ですか」
「そうだ。相手はグラユール王国のイェレ国王。昔一度会って婚約した相手だが、覚えているか?」
アルデフォンソはここでやっと少しは振り向いて、ギジェルミーナがどこまで把握しているかを確認した。
グラユール王国はオルキデア帝国の北西にある小国で、オルキデア帝国が長年戦争をしているユルハイネン聖国とも北側の国境を接している。
ギジェルミーナは幼いころから今までに会った人々のことを一通り思い出してみたけれども、自分の婚約者になる相手と会った覚えはなかった。
しかしイェレという隣国の王子との縁談についてはうっすらと耳にしたことがあったので、素直にそのとおりに答える。
「会ったことは思い出せませんが、名前は確かに知っています」
ギジェルミーナは記憶を手繰り寄せて、なぜイェレを婚約者として覚えていなかったのかについて考えた。
「しかしグラユールで内乱があったことで、そのまま婚約も立ち消えたと聞いた気がするのですが」
なんとかして昔の事情を思い出してみると、今更古い婚約者との縁談が復活した理由はさらにわからなくなる。
ギジェルミーナが首を傾げていると、アルデフォンソは面倒くさそうにしてテーブルを挟んで向かいの椅子に座り説明した。
「確かにあの国は何年も後継者争いで荒れていて、当時王子だったイェレ国王も長い間幽閉されていた。だが内乱が終わって勝利した軍閥貴族が彼を国王として即位させた今は、政治も安定しているらしい」
あっさりと語られる見知らぬ婚約者の生い立ちは、あまり幸せそうなものではなかった。
(つまりイェレという人物は、傀儡の王なのか)
まだ他人事の気分でいるギジェルミーナは、未来の夫の立場について冷静に評価を下す。
「グラユールの軍閥貴族たちは、国王とお前との婚約を復活させ、我が帝国との関係を深めて王権を盤石にさせたいようだな」
アルデフォンソもまた同様に情のない人間であるので、政治的な計算だけの言葉を続ける。
だいたいのことを把握したギジェルミーナは、もうこれ以上の説明はいらないので兄の話に口を挟んだ。
「あの国は小国でも、要衝の土地を治めている。だからこちらとしても、接近して損はないってことですね」
「その通りだ。だから私はこの婚礼を進めることにした。お前は来月には向こうに行くことになるから、よろしく頼むぞ」
アルデフォンソはギジェルミーナの考察を肯定すると、テーブルに置かれた小皿に盛られた花型の砂糖菓子を一つつまんで口に放り込んだ。
綺麗な顔に生まれた人は、菓子を食べていても様になる。
皇帝であるアルデフォンソは何かを決めるのに他人の許可も求めないし、もちろん結婚する本人である妹の意思を確認することもない。
抜け目なく戦争による領土拡張を目指し続けるアルデフォンソが考えているのは、自分の国をより強大にする方法だけであり、妹の幸せは二の次である。
ギジェルミーナは、長兄がそういう人物であることを最初からわかっていた。
だがそれでも来月には異国に嫁入りするというのは急すぎるし、もっと前から知らせるのも絶対に可能だったはずだろうと思う。
(アルデフォンソ兄上は、本当に自分勝手だ)
ギジェルミーナはため息をつきたい気持ちをこらえて、心の中で毒づいた。
しかしその兄が皇帝であることが気に入らないからこそ、こことは違う別の国に嫁ぐことができるのは事情がどうであれ嬉しいのも本当だった。
だからギジェルミーナは、結局は笑顔になって顔を上げた。
「かしこまりました。帝国の皇女として恥ずかしくない花嫁になれるよう、努力いたします」
一応こちらを向いてはいるけれども何も気持ちは考えていないだろう兄を前にして、ギジェルミーナは素直な妹として命令に従った。
金の枠飾りが美しい窓から太陽の光が差し込む華麗な皇帝の応接間は、やはりその主であるアルデフォンソに似合っている。
だからこそギジェルミーナは、この国は自分の居場所ではないとより強く実感していた。
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