4-3 新帝の戴冠式
支度を終えたギジェルミーナは侍女とともに寝室を出て、宮殿の庭を横切る渡り廊下で次兄のエルベルトと合流し、戴冠式が行われる大聖堂に向かった。
ギジェルミーナは自分の新しいドレスを自慢したかったので、歩きながら両腕を広げて、エルベルトに話しかける。
「エルベルト兄上も、今日はわたしをかわいいと思うよね」
「うん。まあ、いいんじゃないか」
妹の晴れ姿を一瞥すると、エルベルトは少しは感心しつつもどうでもよさそうな様子で微笑んだ。
エルベルトもギジェルミーナと同じように御ろしたての服を着ていて、コートもベストも柄が織り込まれた立派な布を使ったものだった。
城壁の門から大聖堂までの短い道の両端には集まった民衆が並んでいて、一斉に皇家への祝福の言葉を口にしていた。
ギジェルミーナとエルベルトは、供の者を引き連れて、その石畳の上を進む。
(外って、こんなにひとがいるんだ)
兄たちはこれまでもときどき民衆の前に出る行事に出ていたが、ギジェルミーナははじめてだった。しかしギジェルミーナはそれほど緊張はせずに、無事に大聖堂にたどり着いた。
大聖堂はいくつもの部屋がある宮殿と同じくらいに巨大な建物で、戴冠式は一番広くて大勢の人が入れる礼拝堂で行われた。
そこは淡い水色にたくさんの金色の星が描かれたドーム状の天井と、その下の聖堂全体を取り囲むように取り付けられたステンドグラスの窓が美しい場所である。
ステンドグラスには、神話の物語の場面が描かれていて、信仰の場にふさわしい神々しさで色とりどりの光を注ぐ。
「神々の息吹よ、我々を清め……」
教会の少年たちが歌う歌が響く礼拝堂には、皇家の親戚や貴族、聖職者たちが集まっている。
彼らは小声で今後の政治などについて話していたが、雑音は礼拝堂に響く聖歌に打ち消され、荘厳な雰囲気が守られていた。
ギジェルミーナは侍女と共に礼拝堂の前まで進み、祭壇がよく見える最前にいるエルベルトの隣に立った。
「もうそろそろ始まるみたいだが、妙に小便に行きたくなってきたな」
顔だけはきちんとかしこまり、エルベルトは小声でくだらないことをつぶやいた。
礼拝堂に来る前にすべて済ませてきたギジェルミーナは、次兄のひとり言を無視して姿勢を正す。
慣れない場に来た主を気遣って、侍女はギジェルミーナの肩に手を置いて尋ねた。
「ギジェルミーナ様は、暑かったり気持ち悪くなったりしていませんか?」
「うん、だいじょうぶだよ」
ギジェルミーナは特に困ったこともなく、軽い返事で答える。
大勢の人が集まっている晩夏の礼拝堂は蒸し暑いけれども、ギジェルミーナの絹のドレスはさらりと涼しい着心地だ。
やがて少年たちの聖歌は曲調がより落ち着いたものに変わり、最高位の聖職者がいくつもの燭台の光に照らされた祭壇に上がって古い言葉で何かを言った。
それが戴冠式の始まりの合図だったようで、しばらくすると後ろの扉から長兄のアルデフォンソが入ってくる。
大勢の出席者の視線を集めながら、アルデフォンソはゆっくりと澄ました表情で通路に敷かれた絨毯の上を歩いていた。
(あれがアルデフォンソ兄上……)
ギジェルミーナは、祭壇へ堂々と向かっていく兄アルデフォンソの姿を凝視する。
金色の糸で刺繍を施した白銀の
そのときまで自分の着ている赤い絹のドレスが世界で一番美しいものであるような気がしていたギジェルミーナは、新皇帝であるアルデフォンソの華やかな衣装を見て敗北を知った。ギジェルミーナの服も豪華なものであったけれども、アルデフォンソの着る
(だけどわたしには、真珠がたくさんついてる髪のかざりがあるけど、アルデフォンソ兄上にはそれがないし)
負けて悔しいギジェルミーナは、長兄と比べて自分しか持っていないものを探そうとした。幼いギジェルミーナは、これからどんな儀式が行われるのかをわかっていなかった。
「新皇帝、アルデフォンソ・デ・オルキデア」
人々の耳に朗々と声を響かせて、最高位の聖職者が新しい皇帝の名前を呼ぶ。
アルデフォンソは勇ましく返事をして、聖職者の前で優雅に藍色のマントを広げて跪いた。アルデフォンソの服はとても暑そうだったけれども、その偉ぶった横顔は汗一つかいてはいない。
そして聖職者は、祭壇に置かれた布張りの盆から王冠を手に取った。
王冠は銀細工で赤いベルベットの被り物を飾った造りで、ダイヤモンドやサファイアがふんだんに使われた、宝石がついていない場所を見つけるのが難しいほどに綺羅びやかなものだった。
じっと待つアルデフォンソの綺麗な金髪の上に、聖職者はもったいぶりながら王冠を置いた。
燭台の炎の光によって兄の頭上の王冠が輝くのを、ギジェルミーナは小さな赤い褐色の瞳に映す。
その光を目にしたとき、ギジェルミーナはあたりが暗くなって、隣の侍女もエルベルトも、離れたところに立っている親戚もどこかに消えてしまった気がした。
(わたしも、あれがほしい)
そのダイヤモンドや金細工の輝きは、この世で一番美しく価値のあるもののように見えて、ギジェルミーナはどうしようもなくそれを手に入れたくなる。
しかし同時にギジェルミーナは、その王冠が自分の頭の上に載ることはないことを漠然と理解した。
皇帝になれるのは皇子だけであり、皇女は皇帝にはなれない。
もしかするとエルベルトはあの王冠をかぶる日が来るかもしれないが、ギジェルミーナにはその日はきっと来ない。
今日までは兄たちと同じように生きて成長するのだと思っていたけれども、同じものを食べていても生まれたときからの決定的な違いがある。
その現実に、ギジェルミーナは初めて気がつく。
自分がオルキデア帝国の皇女として、どれくらい特別であり、また特別ではないのかを知ったのである。
ギジェルミーナがただ王冠だけを見つめていると、アルデフォンソはやがて世界のすべてに勝利したかのような表情で立ち上がった。
(あれがほしいけど、手にはいらないなら)
自分にはどうしても手が届かない輝きを目にして、ギジェルミーナは小さな手で赤いドレスの生地を握りしめる。
同じ父の血をひいてはいても、ギジェルミーナにはなることが許されていない皇帝に、アルデフォンソはなった。
兄にはあって妹には与えられていないものをまざまざと見せつけられて、ギジェルミーナは生まれてはじめて嫉妬していた。
そしてその感情は、未熟な殺意に変わった。
(王様にしてもらえる日がこないなら、わたしは王様をころしたい)
それまでは自覚していなかったが、ギジェルミーナは自分のものにならないものを壊したくなる性質の人間だった。
ギジェルミーナは長兄アルデフォンソのことが好きではないが、嫌いでもない。
優しくしてもらった記憶もないが、ひどいことをされた記憶もないから、特別な感情を抱く理由がないのだ。
しかしそれでも不当に兄だけが多くのものを手にしているのなら、憎んでなくても殺意を抱く理由になると思う。
こうして七歳の夏の日に、ギジェルミーナは人を殺したくなる気分というものがどんなものかを理解した。
具体的な方法はわからなかったけれども、その感情はギジェルミーナの物の見方を確かに決定づけたのだ。
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