2-3 打算と恋(1)

 耳が遠い老人が御者を務める迎えの馬車に乗って、アスディスは目的地へ行く。


 よく揺れる古い馬車から想像したとおり、ハーフェンの領主ヨアヒムのいる屋敷は、正面ファサードに施された彫刻が未熟で垢抜けない印象を与える、時代遅れの石の城だった。

 内装も金をかけているのかもしれないが趣味が悪く、聖獣を描いたタペストリーも花柄を織った絨毯もけばけばしい。


(民に重税を課した結果が、このださい場所なんだ)


 アスディスは内心馬鹿にしつつも淑女らしい笑みを浮かべて、小姓の案内に従って歴代の城主らしき人物の肖像画が飾られた廊下を歩いた。どの絵も美しく勇ましい男性が描かれていたが、実物がどうだったかはわからない。


 やがて無愛想な小姓は、アスディスを応接間らしき部屋に通した。

 腕の悪い職人が作ったに違いないその部屋は、漆喰を塗った壁には下手くそな植物の文様が描かれ、床には派手すぎる柄のタイルの敷かれていた。家具は細部の仕上げが雑な、木の椅子とテーブルだけがある。


「主を呼んでまいりますので、しばらくこちらでおくつろぎください」


 にこりともせずにお辞儀をして、小姓はアスディスを残して部屋を出る。


 アスディスは言われたとおりに、椅子に腰掛けて一休みした。

 赤い布のかかったテーブルには冷めた茶の入った陶製の茶器と、しなびた薄切りのパンに塩漬け肉やチーズが盛られた皿が置かれていた。ひしゃげた焼き菓子やつやのない果物の盛り合わせもあり、茶請けにしては豪華な品揃えである。


 何もすることがないので、アスディスはパンを一つとって塩漬け肉を載せて食べた。ライ麦でできた黒いパンは酸味が強い分、塩漬け肉の脂身のまろやかさを引き立てて、思ったよりは不味くはない。


(そうたいした食べ物ではないけど、この国としては気の利いたおもてなしなのかな)


 ぱさついたパンを食べてのどが渇いたアスディスは、カップに入っていた黒く苦い茶を飲んだ。金箔で縁取った白磁のカップはそれなりに立派な品だったが、冷えた飲み物では身体が温まらないのは残念だった。


 やがてアスディスが生地を細く巻いた形の焼き菓子の味を確かめようとしたところで、背後の扉が開いた。

 召使い以外の人間の気配を察したアスディスは、立ち上がって振り向き、現れた人物を迎えた。


「君が、武器商人のアスディスか」


 静かな響きの声が、アスディスの名前を呼ぶ。

 その人物は名乗らなかったけれども、ユルハイネン聖国の紋章が刺繍された上等な 長衣トーガを着ていたので、アスディスはすぐに彼が王子ヨアヒムだとわかった。


(思ったよりも、普通に綺麗な人だ)


 ヨアヒムは声と同じように落ち着いた雰囲気の青年で、深紫色の目を縁取るまつげは長く、鼻すじの通った整った顔立ちをしていた。

 背丈も年齢もアスディスとそれほど変わらないように見えるが、姿勢の良いヨアヒムの立ち姿は、高貴な生まれの者らしい風格がある。そして金髪を少し長めに伸ばして後ろで束ねているのも、澄んだ風貌によく似合っていた。


 建物やもてなしの様子から想定していたよりも美しいヨアヒムの姿に、アスディスは素直に感心した。ヨアヒムがこのように美形なのだから、廊下に飾ってあった歴代の肖像も嘘ではないのかもしれないとも思う。


(着ている服は普通だし、きっと趣味が悪くて駄目なのは街や屋敷を作った昔の人なんだ)


 冷静にヨアヒムの価値を値踏みしながら、アスディスはドレスの裾を上げてお辞儀をした。


「はい。厳密に言うと私は、武器商人オグニの娘のアスディスです」


 アスディスは父親の家業を手伝っているだけであり、自分の職業が武器商人だと思ったことはなかった。だからただの娘であることを強調して、挨拶をした。

 するとヨアヒムも同じように肩書ではなく父親の名前で自分の立場を語り、テーブルの方に歩いてくる。


「そうか。僕はユルハイネン聖国の国王チャールトの息子のヨアヒムだ」


 その言葉に誇りはなく、微笑みには自虐的な影があったので、ヨアヒムが父であるチャールトを尊敬していないことはすぐにわかった。


「それで武器商人の娘の君は、この国に武器を売りに来たんだな」


 武器の売買に興味がないことを隠さない態度で、ヨアヒムはさっさと向かいの席に着いて本題に入る。

 アスディスはヨアヒムがなぜ斜に構えているのか考えながら、鞄を開けて仕入れた商品を書いてまとめた書類を取り出した。


「ご必要だと思った商品は、用意してまいりました。でも買うか買わないか決めるのは、あなた方です」


 羊皮紙を閉じた薄い冊子をヨアヒムに渡して、アスディスは再び椅子に座る。


 ヨアヒムは冊子をテーブルに置き、一頁ずつめくった。


「今のこの国には弓や剣しかないが、確かにこれだけの銃や火薬があれば、オルキデア帝国に多少の抵抗はできるかもしれない」


 関心がなさそうなわりにしっかりと目を通して、ヨアヒムは忌々しそうに冊子を閉じた。

 オルキデア帝国は大陸の南に位置する大国であり、ユルハイネン聖国とは何十年も前から戦争をしている。


「だがどうせ最後はこの国が負ける。だから本当は講和でも降伏でも何でもして、こんな戦争は終わらせるべきなんだ」


 端正な顔をしかめて、ヨアヒムが毒づく。


 初対面の人間に言ってもしょうがない愚痴を言うのはどうかと思うのだが、アスディスは不思議とヨアヒムに好感を持った。ヨアヒムには今までで会ってきた顧客とは違う、独特の人間らしさがあるような気がした。

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