1-3 少女と騎士
重く丈夫な木でできた扉を、シェスティンは両手で強く押して入る。中には薄暗く広い空間が広がっていて、いくつもの寝台が整然と並んでいた。
どの寝台でクルトが寝ているのかはわかっているので、迷うことなく空の寝台の横を通り過ぎる。
そしてシェスティンは、壁際に置かれた寝台の前に立った。分厚い毛布にくるまって眠っているのは銀色の髪のやせた少年で、それがクルトだった。
クルトは荒い息遣いで目を閉じていて、幸薄そうな顔は熱で赤かった。
起こすのは悪いかもしれないと思いつつ、シェスティンは来てしまったからには仕方がないと声をかける。
「クルト、だいじょうぶですか?」
大声を出したつもりはなかったけれども、他に誰もいない部屋ではシェスティンの声がよく響いた。
まるでシェスティンが何かの呪文を唱えたように、クルトの色の薄いまつ毛が震えて瞬きをする。
熱で潤んだ藍色の瞳に訪問者の姿を映すと、クルトはかすれた声でその名を呼んだ。
「シェスティンさま」
辛そうに緊張した顔で、クルトは覗き込むシェスティンを見上げる。
礼儀正しいクルトは、シェスティンが来たことに気がつくと、身体を起こそうとした。
だが上手く力が入らないようで、結局は横になったままである。
大人も使える大きさの寝台の上では、クルトはより一層子供に見えた。クルトはシェスティンより一つ年上のはずだったが、六歳のシェスティンよりも身体は小さくて細い。
「おれなんかのために、きてくれたんですか」
クルトは自信がなさそうな態度で、シェスティンに尋ねた。いつも傷つき臥せっているクルトは、謙虚というよりも自虐的である。
「だってクルトは、わたしのためにがんばってかわいそうな目にあってますよね」
小さな手でベッドの縁を握り、シェスティンはクルトを励ますつもりで目を輝かせた。
弱って辛そうにしているクルトの姿を見るのは後ろめたいけれども、心ときめくところもあるからこそシェスティンはここにいる。
「かわいそうではないです。先生たちは、おれをりっぱな騎士にするために、きびしくしてくださるんです」
クルトは仰向けに横たわったまま、目を閉じてやや心外そうに反論した。
起き上がれないほどに負かされることになっても、真面目なクルトが指導者や年長者を悪く言うことはない。実際にクルトの言う通り、神殿を守る騎士たちは信心深く職務に忠実なだけで、皆善良な者たちなのだろう。
だが自分を可哀想だと認めないからこそやはりクルトは可哀想なのだと、シェスティンは思った。
(だってどれだけかわいそうな目にあっても、クルトにはほかになにもないですから)
シェスティンは誰かに殴られた青あざを前髪で隠した、クルトの目元をじっと見つめた。
宿舎は頑丈で隙間風は入らない造りになっていたけれども、他に人がいないこともあり、空気は冷たく安らげる雰囲気はなかった。
伝え聞くところによると、クルトは南のオルキデア帝国との間で続いている戦争で家族を失った孤児で、彼自身も傷を負い瀕死でいたところを修道士に助けられ、この神殿にやって来たらしい。
敵兵がクルトの背に刻んだ傷跡を、シェスティンが実際に目にしたことはないが、それが深いものであったことは知っている。
シェスティンが聖女を務める神殿で治療を受けなければ、クルトは死んでしまっていたはずだった。だから自分の人生はシェスティンと神殿を守るために捧げなければいけないのだと、クルトは本気で信じていた。
(わたしは聖女だから、痛いきもちはわからないですけど)
病も怪我も、どんな些細な痛みも知ることがないように育てられたシェスティンには、痛めつけられたクルトの苦しみは想像できない。
シェスティンにとってはそれは当然のことで、後ろめたいものでもなかったが、それでもクルトを大切にしたい気持ちはある。
だからシェスティンはクルトのまめだらけの手をとって、そっと口づけをした。
するとクルトはシェスティンの行動に慌てて、手を毛布の中に引っ込めようとした。
「そんなこと、してくれなくても大丈夫です」
「いのることが、聖女のしごとですよ」
シェスティンはクルトの手を離さず、再び小さなくちびるを重ねる。冷えたシェスティンのくちびるには、熱を出したクルトの手は熱かった。
「神の恵み、あまねく満ち、くすしき御業をしめしたまえ」
ゆっくりとくちびるを離し、シェスティンは祈りの言葉をつぶやいた。
くちづけをしたいから祈ったのであって、祈るためにくちづけをしたのではないのだが、祈ってしまえばクルトは聖女であるシェスティンを信じるしかない。
「ありがとうございます。おれのしあわせは、シェスティンさまにあります」
深い畏敬の念を抱いた様子で、クルトはシェスティンに感謝を伝えた。
シェスティンはクルトに有難がられたいわけではない気がしたのだが、具体的に何をしてほしかったのかはわからない。
「おれはきっと、強くなりますから」
「はい。そうなるように、いのってます」
かたいクルトの手のひらが、白くやわらかいシェスティンの手を握る。
健気で一途なクルトの誓いに、シェスティンは微笑んだ。
別にシェスティンはクルトが弱いままでも構わないのだが、望まれているであろうことを言う。
聖女として祈り続ける退屈な日々の中で、クルトを愛でることだけが幼いシェスティンの楽しみである。
だから薄暗い宿舎の片隅でシェスティンは、再びクルトが眠りにつくまで祈るふりをして見つめていた。
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