1-4 平和の檻
昨日と変わらない今日を何千日も過ごし、やがてシェスティンは六歳の子供から十五歳の少女になった。
金色の髪はよりなめらかに伸び、灰青の瞳はより深く。細く小柄だが女性らしく成長したシェスティンには、あどけなさを残しつつも聖女らしくおごそかな美貌がある。
しかし大人の姿になってもやるべきことはそのままで、シェスティンは六歳のときと同じように神に祈り続ける日々を送っていた。
「神よ、我らは汝を称える。汝は貴き血をもって、信ずる者を救い給う」
神の姿を描いた金色の聖画を前にして、シェスティンは狭い祈祷室で一人蹲んでかじかんだ手を合わせた。そして昔よりも意味がわかるようになった祈りの言葉を、鈴の音に似た明るい声で唱える。
より多くの言葉を覚え、一人きりで祈る機会が増えたこと以外は、シェスティンは変化のない生活を送っている。
(だって祈る以外に、やることがありませんから)
小窓から差し込む淡い太陽の光は、冷えた石の床を暖めるには弱々しい。
だからシェスティンが着ている服は幼いときと同じ灰色の毛皮を使った外衣で、肌触りも何も変わらなかった。
「敵人は平伏し、神の民は喜ぶ。神は永久の平和を、我らに与え給う」
内容は理解できても、信じられるわけでもない言葉を、シェスティンはただ静止した視線を投げかける神の聖画に捧げる。
神の姿は濃い輪郭と鮮やかな色彩で描かれていて、全体を覆う金色の塗料が神々しい輝きを添えていた。
やがて定められただけの文章を言い終え、朝の祈りの時間を終えたシェスティンは、木の扉を押し開けて祈祷室を出た。
その先の回廊で立って待っているのは、もう騎士見習いではなく騎士になったクルトである。
「今日も俺たちのために祈ってくださり、ありがとうございます。シェスティン様」
何も疑うことを知らない、穏やかな微笑みを浮かべて、クルトは日課通りに行動しているシェスティンを迎えた。
十六歳になったクルトは、子供のころと違ってシェスティンより背が高く、黒いサーコートを着た姿もよく鍛えられて引き締まっていた。顔立ちも眼差しも男らしくなり、短く刈った銀色の髪には凛々しい藍色の瞳が映えて似合う。
「それが私の役目ですから」
シェスティンはごく自然に、クルトを隣に従えてわずかにイバラとアザミが茂る中庭に面した回廊を歩き出した。朝の祈りの後は、クルトと散歩をするのもまた、シェスティンの日課だった。
自分の意思ではなく、聖女の肩書があるから祈っているのだという返答は、謙遜ではなく純粋な本音である。
しかし立派な青年に成長しても純粋で疑うことを知らないクルトは、シェスティンが本心では神に対して無関心であることがわからない。
「だけど本当に俺は、シェスティン様に仕えることができて幸せです」
クルトはシェスティンを護衛する騎士として、真面目な顔をして隣を歩く。
「シェスティン様さえいれば、俺は救われますから」
そう言ってクルトは、シェスティンに重い敬意と愛情を向ける。
聖女であるシェスティンはどんな些細な傷も負ってはならない存在であるので、クルトは危険のほとんどない神殿にいてもシェスティンの騎士として生きるのだ。
こうしたやりとりを百回以上はしたような気がして、シェスティンは飽きる。
しかし同じ話を何回することになっても、シェスティンは自分のために生きてくれるクルトが好きだった。弱々しく涙ぐんでいる子供ではなくなってしまっても、忠誠心以外に何も持たないクルトが好きだった。
回廊を抜けた先に続く外の石段を上がり、神殿のバルコニーに二人で立ち入る。
神殿がある湖の中の孤島は緑の少ない岩場ばかりの土地で、船が出入りする入り江以外は切り立つ崖になっている。
バルコニーはその崖を上から見下ろす位置に作られていて、眼下にそびえる城壁は神殿の敷地全体を守るように島を囲んでいた。
敵から身を隠しながら攻撃するための胸壁の狭間に手をおいて、クルトは深い藍色の瞳に湖を映す。
「今日も湖が綺麗ですね」
「本当に、何もかもが昨日と同じです」
まぶしそうに瞬きをしているクルトとは対照的に、シェスティンは静かに毛皮の外衣の襟を抑えて湖を眺めていた。
岩崖に打ち寄せる波は穏やかで、湖は薄い晴天の光を映して白く向こう岸まで広がっている。
(ここからの眺めには、知っているものしかありません)
目の前の湖のように凪いだ気持ちで白い息をつき、シェスティンは色石で飾った革の靴で城壁の影を踏む。
時折吹く風は刺すように冷たいが、湖は年中なぜか凍ることなく孤島を囲んでいる。
神殿の紋章を掲げた船に乗る騎士が操舵の訓練を兼ねて網で魚を獲っているのも、黒い鳥の群れが視界を横切っていくのも、いつもと同じ湖の景色である。
「鳥もこの神殿とシェスティン様を、きっと守ってくれています」
クルトはその景色を、毎日飽きもせずに嬉しそうに見つめる。
聖女であるシェスティンと神にすべてを捧げることができる、この神殿での生活こそが最も大切な幸せなのだと、クルトは本気で思っているようだ。
一方でシェスティンは、クルトと違って見ている景色を好きになれないし、自分が幸せだとも思えない。
だがシェスティンはクルトが好きだから、彼の期待を裏切らないようにバルコニーからの眺めが好きなふりをした。
「きっと、そうなんでしょうね」
鳥を目で追い、シェスティンは微笑む。
シェスティンは神のことは信じてはいなかったが、自分の地位が人を動かすことは知っている。
だからシェスティンは寒くなって部屋の中に戻りたくなっても、クルトの楽しそうな横顔に付き合った。
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