第十六話 ネツサソリの毒

 3頭の黒と茶色の毛色をした大型犬がギャンギャン吠え立てている。犬達の視線は主人の男に注がれている。頭を撫でてくれて微笑みかけてくれる優しかった面影はどこにもない、血走った目をした主人は一心不乱に岩を殴り続けている。

 1頭の犬が意を決して主人の腕に噛みつく。

「ダメよ! 離れて!」

 犬を引き戻そうと女が叫び声を上げる。褐色の肌に茶色い髪は若かりし頃のサルサだ。

「キャウン!」

 犬は主人の腕に噛みつくが、渾身の力で振り払われ、岩に叩きつけられる。ピクリとも動かなくなった犬を見て、他の2頭も唸り声を上げて主人に突撃する。

「やめなさい!」

 犬達は最初の1頭と同じく主人に殴られ、蹴飛ばされ、程なくして息絶えた。

「こうなったら、もう……」

 サルサはコピアガンを犬達の主人の男に向けた。全身がガタガタと震えている。照準が狂ったところでコピアガンに支障はない。心さえ強く持てばコピアガンは応えてくれる。

 涙で視界が全く見えない。最愛の男はもう手遅れだと頭ではわかっていた。引金を引く手が凍ったように冷たい。撃たなければ、これ以上、この人に罪を重ねさせるわけにはいかない――。


*     *     *


 目が覚めるとそこはいつものベッドルームだった。サルサは穏やかに呼吸を続け、しばらく天井を見つめていた。

 2人で住むために借りた少し広めの部屋に10年間1人で住んでいる。リヴォルタの敷地内のマンションは単身者向けの部屋もあるが、引っ越そうと思ったことはなかった。

 サルサはベッドの隣の棚に手を伸ばした。時間を確認しようと棚の上に置いたスマホを探しているのだ。手が写真立てに触れる。背が高く胸板の厚い男と3頭の黒と茶色の二色の毛に覆われた大型犬が映っていた。それは先程の夢に出てきた男と犬達だった。男は犬達に囲まれ、太陽のように眩しい笑顔を向けていた。

 二度寝するには十分な時間がないことを確認したサルサはベッドから起き上がりリビングルームへと向かった。


*     *     *


 サルサは朝、出勤前に必ずカフェに寄る。いつも同じコーヒーを目覚ましに買うのだ。

「おはようございます、チーフガンナー」

 注文した商品を待っている時、後ろから声をかけられた。カズラ・コガだった。

「おはよう、カズラ」

 その時、サルサの注文番号が呼ばれた。サルサは受け取ってカズラの隣に戻る。

「いつもマラキアのコーヒーですね」

 サルサはカズラが香りだけでコーヒー豆の産地を当てたことに少し驚いた。

「よくわかったじゃないの」

「マラキア・デラ・テッラ産のコーヒー豆で一番ポピュラーなエターナルターコイズ。アケボシではエタコイって呼ばれてて人気なんですよ。柑橘類を思わせる酸味のある風味が特徴で、砂糖を入れるとオレンジのように甘酸っぱくなる。素人でもわかりやすいんですよ、エタコイは」

 カズラはそこでやや声のトーンを落とした。

「それに、マラキアはチーフの故郷じゃないっすか」

 サルサの故郷はイグニス合衆国のあるイグニス大陸の南西部の半島の国、マラキア・デラ・テッラだ。政情不安が長引き、イグニス合衆国に不法に流れ込んだ移民が大勢いる。サルサもその一人だった。

「私はこっちで生まれたから、自分のルーツの国のことなんておとぎ話みたいにしか思えません。羨ましいんですよ。故郷の思い出があるってことが」

「でも、あなたはアケボシ国の剣術について学んでいるんでしょ? それだって立派じゃない。行ったことがなくても故郷の国の文化の継承に励むなんて」

「剣術なんていくら学んでも、アケボシ国民になれるわけじゃないです」

「謙遜もアケボシ国の文化の一つね」

「いやいや、謙遜なんて建前ですよ。実際の武家出身者はどいつもこいつも己の腕に自信ありまくりの傲慢な男ばっかりです」

 サルサは笑った。カズラはそんな男達を次々となぎ倒し、剣術の全国大会で優勝した経験があるからだった。

「剣術の試合は一瞬の気の緩みも許されない。女だと思って舐めてるから返り討ちに合うんですよ。こちとらそんなのわかりきった上で鍛えてんだ。気持ちでも技でも負けねえっつうの」

「その気概、私にも分けてほしいくらいよ」

「何言ってんすか。移民の女が1人で暮らす方がよっぽど度胸がいりますよ」

 カズラははっと口を閉じた。触れてはいけない話題を出してしまったと思ったのだ。サルサはカズラの気遣いに微笑みで返した。

「あの人が死んでから、もう10年も経つのね」

「すみません。思い出させてしまって」

「いいえ、平気よ。今朝、夢でもあの人が出てきたの。あなたが思い出させたわけではない」

 サルサが見た夢は単なる夢ではなかった。10年前に実際にあった出来事だ。

「またこの季節が巡ってきたのね。ネツサソリの活動が活発になるこの季節が」

 カズラはちらとだけサルサのコピアガンを見る。カズラはウェイストランドの事故の資料でその出来事を知っていた。それ以来、サルサはコピアガンを撃てなくなった。

「今年も注意報を発令しなければならない。貴重な研究者やコピアガンナーを減らすわけにはいかないから――」

 サルサはそこまで言ってある重大な事実に気が付いた。

「カズラ、車を出してちょうだい! ウェイストランドへ行かなくちゃ!」

「え、何でですか!?」

「あの子達が危ない!」

 カズラも真剣な目つきに変わった。「あの子達」が誰だか聞かなくても明白だった。ウォルト、ピート、リズが遭遇したウェイストランドに侵入しているバークヒルズの女子達のことだ。彼女達はネツサソリのことを知らない。

「私、今日は調査でウェイストランドに入る予定だったので、社用車は確保してあります。すぐ行けますよ」

「ありがとう、すぐ準備する」

 ちょうどその時、カズラの注文番号が呼ばれた。サルサは事務仕事を急いで片付けてくると言って先にカフェを出た。カズラもコーヒーを受け取ると足早に研究所へ向かった。


*     *     *


 ウェイストランドの西南部の砂漠地帯でウォルト、ピート、リズの3人は車を止めてじっと身を潜めていた。リズは車内でリヴォルタから支給された専用のタブレットで正確な位置情報や自然環境の記録など打ち込んでいる。ウォルトとピートは声が聞こえる範囲内で距離を取って、岩で身を隠しつつ周囲を望遠鏡で眺めている。

「いいよな、リズは。ネットが使えてさ」

 ゴツゴツした岩やサボテン、遠くの山脈しか見る物がない退屈な作業に飽きてきたピートがぼやく。

「これ、プライベートで使える端末じゃないけどね」

 リズはタブレットから顔を上げずに答える。

「俺らそのプライベート用ですら電話とメールしかできねえからな」

「君がゲームをやりすぎたせいだろうが」

 作業に集中しているリズに代わってウォルトが悪態混じりに返事をする。親のいないウォルトとピートはリヴォルタから生活に必要なものを支給されている。スマホもその1つだが、ピートが無駄な事にばかり使うので2人揃って通信制限をかけられていた。

「ピートって本当、ろくなことしないよね」

 リズがぼそっと呟く。

「少しは行動を改めろ。大体いつも君ってやつはだらしないし勉強しないし借りた物は返さないしすぐ部屋を汚すし一緒に住んでる方の身にもなってほしいものだよ」

 今日のウォルトはやけにとげとげしい言い方をするのだった。明らかにピートに対して苛立っている。

「なんだウォルト、もう腹減ったのか?」

 ピートはウォルトが空腹になると苛立つのを知っていた。

「君が作ったパンケーキ、だまが多くて食べられなかったからね」

「まだ根に持ってるのかよ。あんなんでも食えば同じだろうが」

 今朝はなぜか早く起きられたピートが朝食を作った。意気揚々とキッチンに立ったピートだったが、粉の配分や混ぜ方などをよく調べもせずにウォルトが作っているのを見様見真似でやってみたら、だまだらけでぼそぼそして火もろくに通っていない怪しいパンケーキが完成した。ウォルトは見た瞬間これは食べてはいけないと判断し、バナナだけを食べたのだった。

「君は胃腸が強いから生焼けでもだまがあっても平気かもしれないけどね、僕は違うんだ」

「温室育ちが自分の弱さを偉そうに語るなよ」

「おい、ピート。今何て言った? 君の方こそ少しは文明生活に慣れたどうだ、この掃き溜め野郎!」

 空腹で苛立ったウォルトはいつになく好戦的だった。

「ああ? やんのかよ、てめえ。ケンカで俺に勝てるつもりかよ!」

 2人は監視そっちのけで岩陰から出てきて殴り合いを始めようとしていた。リズは冷静に片手で助手席に置いてある紙袋を取って頭上に掲げた。

「ほらほら、サンドイッチあげるからケンカしない」

 それはリズが3人分買っておいたランチのサンドイッチの紙袋だ。リズの学生寮の近くにある人気のパン屋のサンドイッチで、ウォルトとピートも大好きだった。

「助かった……!」

 ウォルトは一瞬で機嫌を取り直し、リズから紙袋を受け取ると中のサンドイッチをすぐに取り出した。

「スモークサーモンとクリームチーズ!」

 ウォルトは歓喜した。小さい頃からウォルトはスモークサーモンが大好きだった。

「俺のは何だろう?」

 ピートも紙袋を受け取り中身を確認する。

「チキンとチリソース!」

 ピートも歓喜してフィルムを剥がして食べ始めた。

「うま!」

「うめえ!」

 ニコニコしながらサンドイッチにかぶりつくウォルトとピート。ケンカが始まろうとしていたとは思えない変わり身の早さだった。リズは運転席からそんな2人を眺めていた。

「アンタ達ってさ、見た目は全然似てないのに、好きな食べ物食べてる時の顔は同じだね」

「そうか?」

 ピートは無邪気な顔してリズに聞き返すが、ウォルトは黙してサンドイッチを食べるのに集中していた。

「私も食べよっと」

 リズもサンドイッチを食べることにした。紙袋からは特大のサンドイッチが出てきた。

「おい! 何でお前だけグランドサイズなんだよ!」

「ズルい! 中身は何にしたんだ?」

「買いに行った人の特権でしょ?」

 ウォルトとピートはリズを取り囲んでパンとパンの間を覗き込んだ。細長い茶色の線状のものがはみ出しているのが見えた。線の先にはさらに小さく細かい糸くらいの毛が生えている。

「特注のイナゴサンドよ」

 ウォルトとピートは一気に顔色を悪くした。パンからはみ出していたのはイナゴの足だ。リズの好物はイナゴの揚げ物だった。農業が盛んなハプサル州では昔から親しまれている郷土料理の一つだ。タンパク質が豊富でおいしいらしい。イナゴは大量発生すると畑を荒らすが、それも有効活用しようとした先人の知恵だった。都会育ちのウォルトとピートには理解できない食文化だった。

「俺、ハプサル州の女と結婚するのやめるわ……」

「僕もフレイムシティの女はうんざりだと思っていたけど、ハプサル州はもっと合わないかもしれない……」

「ちょっと! たかがイナゴフライでそこまで言う!?」

「うるせえ! 食は大事だぞ!」

「食べ物の好き嫌いで離婚するカップルは多いっていうし」

「はあ? アンタ達も一回食べてみなさいよ! 絶対おいしいんだからね!」

「食べるなら胃腸が強いピートからだよな?」

「あっ! ウォルト、てめえ! 俺を差し出す気か!」

「いいから口開けなさいよピート!」

「お前らな! 俺みてえなやつなら虫でも食って生き延びたかもしれねえと思ってるのかもしれねえけどな、そんなわけねえだろうが! 俺の故郷にいる虫はゴキブリとかばっかりだぞ! 食うもんじゃねえんだよ、虫なんか!!」

「イナゴはゴキブリとは違う! 食べられる虫なの!」

「絶対やだああああああ!!」

ピートは爆音で叫び声を上げながら走って逃げた。リズは頑張って走って追いかけるがどんどん引き離される。

「おい! ピート! 1人であまり遠くへ行くな!」

 ウォルトもサンドイッチの残りのかけらを口に押し入れ、咀嚼しながら走り出した。コピアガンを抜いて周囲を警戒しながら行く。200メートルほど先でピートとリズは岩陰にしゃがんで何かから身を隠していた。

 ウォルトもそのすぐ後ろにしゃがみ込む。

「どうした?」

「馬がいる」

「まさか……」

「近くに女の子達がいるかもしれない」

「ニコラス・レアドと帽子の子か」

「あぁ」

「さっきの大声聞かれてないかな?」

「どうだかな。この距離なら十分聞こえただろうな」

 ウォルトの肌が焦げ付くようなコピアの感触を感じ取った。

「ピート、当たりだ。感じるぞ、あの子のコピア」

 前回よりもずっと近い所にいる。怒りとも悲しみともつかない負の感情がコピアを通じて漏れ出ている。己のコピアに焼かれて苦しんでいるような、とても強くて息苦しい感触だ。

 ウォルトは左斜め後ろに向けてコピアガンを撃った。間一髪で相手のコピアから放たれた黒煙がウォルトのコピアの盾に直撃して霧散した。

「攻撃してきた……!?」

「ピート! リズをどこかへ!」

「おう!」

 ピートは立ち上がってリズの手を引き走り出そうとした。その瞬間、すぐ前方の地面に銃弾が飛んできた。

「逃げようとしたって無駄よ!」

 日光を受けて燃えるようにまぶしく輝く赤毛の女子がピートとリズに銃を向けていた。

「ニコラス・レアド……!」

「え……!?」

 女子はピートが口走った名前に反応した。おそらく女子の名前なのだ。ウォルトの読みは当たっていた。

「ニッキー!」

 黒煙の向こうから女子の声が聞こえる。そうか、ニコラス・レアドの愛称はニッキーというのか。

「来ちゃダメよ!」

 ニコラス・レアドは叫んでからキッと眼光鋭く銃を握り直した。

「ニコラス・レアド、いや、ニッキー! 俺達はお前達に危害を加えにきたわけじゃない!」

 ピートは親しみを出そうとわざとニコラス・レアドの愛称で呼びかけたが、逆効果だった。

「そんな言い分が通じると思うの?」

 背後でウォルトとコピアガンナーの女子が戦闘状態の今、ピートの発言は何の説得力も持たなかった。

「そっちから攻撃しといて何言ってんだ! 俺達はただお前らがどんなやつなのか知りたくてずっと探してただけだ!」

「それは本当です! ニコラス・レアドさん、私達と一緒にリヴォルタに来てくれますか?」

 リズも説得に加勢した。ピートもぶんぶんと頷いてリズの発言に同意する。ニコラス・レアドは明らかに動揺していた。

「……どうして私の本名を知っているの?」

 ニコラス・レアドはまだ警戒を解いたわけではないと示すために銃は構えたままだ。しかし、目は先程よりは緩んでいる。話を聞く気が起きた証拠だ。

「ニッキー!」

 ウォルトの放ったコピアが逸れてニコラス・レアドのいる方へと流れてきた。コピアガンナーの女子はニコラス・レアドを守ろうとピート達とニコラス・レアドの間に立って黒煙でウォルトのコピアを防いだ。一瞬の爆発の後、全てのコピアが効果切れとなり辺りに静寂が訪れた。

 ピートは爆風から身を守るために腕で顔を覆った。爆風が過ぎ去り、目を開けると、長い金髪が見えた。

 金色のコピアの光に包まれて、風でなびく金髪が煌めいた。女子が細くて白い手で顔を覆った髪をかき上げ、ピートに顔を晒す。サンゴ礁のような緑色の瞳がピートを捉えた。


*     *     *


 リズとウォルトはチーフガンナーのサルサに捜索中の女子2人組の身柄を確保したと報告するため車に戻った。リズのタブレットでしかサルサに連絡を取れる手段がないのだ。

 ピートは1人で女子2人の相手をすることになった。強気そうなニコラス・レアドといざとなったらコピアで威圧できるコピアガンナーの女子を1人で説得するのは重荷だった。

「あ、あのな。簡単に説明すると……」

 ピートは処分について自分達は知らされていないことをぼかして、リヴォルタは安全だと伝えようとした。女子2人組は聞いてはくれているようだったが、表情は終始険しかった。

 日はどんどん高くなって、もうじき一日で最も高いところに太陽が到達する。冬の砂漠地帯は乾燥していて生物はほとんど姿を現さない。そんな中、1匹のサソリだけがカリカリカリ……と音を立てて3人に近づいていた。


*     *     *


「もしもし、チーフですか? リズ・マキリです。報告を上げにお電話しました」

 リズは車に置きっぱなしにしておいたタブレットでサルサに電話する。サルサはワンコールで出た。車のエンジン音のようなものが聞こえてきた。サルサがオフィスにいないのは珍しいことだった。

「リズ、お疲れ様。報告をどうぞ」

 リズは単刀直入に状況を報告した。

「はい、実は、捜索中の女子2人組を確保しました」

 サルサはわずか数日でウォルト、ピート、リズが女子2人組を確保するとは思っていなかった。この3人は思った以上に優秀なのかもしれない。

「さすがね、3人共。私も今ウェイストランドにいますから、すぐそちらに向かいます。場所はどの辺りですか?」

「スポット3の砂漠地帯です。女子2人組がいるのは北東寄りで、崖の近くだと思います」

 褒められて少し嬉しそうなリズの声がサルサに絶望的な状況を伝えた。サルサは思わず声を大きくする。

「スポット3? あなた達、今、スポット3にいるの?」

「はい。チーフは今どの辺りですか?」

「リズ! 全員連れてすぐさまそこを離れなさい!」

「え?」

「そこはネツサソリの危険地帯です!!」

 何を焦っているのだろうと言いたげなリズの声に被せてサルサは叫んだ。


*     *     *


 ピートは足元を虫が這っていることに気付いていたが、今はそれどころではなかった。掃き溜め育ちのピートからすればゴキブリでも何でも友達のようなものだった。大抵の虫は見た目が気持ち悪いだけで害がない。どんなに腹が減っても食べるのだけは遠慮したいが、近くにいる分には気にしなかった。

「なあ、名前だけでも教えてくれよ。ニコラス・レアドはすぐわかったけど、アンタはこっちの情報だけじゃ特定できない。せめて苗字だけでも……」

「言っちゃダメよ。相手は何を企んでいるかわからない」

 女子から名前を聞きだすという特大ミッションで下手を打ったピートは完全に警戒されるという最悪の事態に陥っていた。

 特にニコラス・レアドは厄介だった。コピアガンナーである金髪の少女が主導権を握っているかと思っていたが、逆だ。金髪の少女はおそらくニコラス・レアドに言われるがままについてきただけだ。ニコラス・レアドがいなければ何も決められない。ニコラス・レアドに従うように洗脳でもされたのか、それとも何か別の要因があるのか。

「おい、ニッキー。お前が先に話しちまうからこの子が何も言えないんじゃないのか?」

「私はこの子を守るためにここにいるの」

「守るため?」

「そうよ、私はこの子を敵から守るためなら何だってする」

「本気でそう思ってるのか? 俺にはお前がこの子を抑えつけてるようにしか見えない」

「抑えつけるですって?」

 ピートは意を決して金髪の少女の肩を掴んだ。何という事だ。ほとんど骨と皮ばっかりの体だ。筋張った筋肉がやっとこさ体を支えているらしい。こんな栄養状態の人間は故郷のスラムでしか出会ったことがない。

「なあ、一言でもいいから何か話してくれよ。俺ら別にアンタ達を逮捕しようってんじゃないんだ」

 ピートは金髪の少女に呼びかけた。伏せられた目は全くピートを見ようとしてくれない。それでもピートは話しかけるのをやめなかった。でもそれは任務のためと言い切れなかった。この子の声が聞いてみたいのだ。バークヒルズで生まれた金髪で緑色の瞳の華奢な体のコピアガンナーの少女がどんな声をしているのか、ただ知りたかった。

「頼むよ。君はなんていう名前なんだ? コピアガンをどこで見つけた? どんな事にそのコピアガンを使った?」

 金髪の少女はより一層目を下に向けてしまった。今ピートがした質問の内容に言いたくないことが含まれていたのかもしれない。

「何でもいいから話してくれ。どんな事でも俺は聞くから。助けてほしいならそう言ってくれ。リヴォルタは君を悪いようには……いてっ!」

 突如、ピートの足首に焼けるような痛みが走った。ピートは少女から手を離しズボンの裾を上げて足首を見た。小さい虫刺されの跡があった。そこからじわじわと熱くなりだして、熱は数秒で全身に回った。全身が震えだし、立っていることもできなくなった。呼吸が荒くなり、ピートはばったりとその場に倒れ込んだ。


*     *     *


「あ! ウォルト! どこ行くの!?」

 話している途中でリズが叫び声を上げたので、電話口のサルサは何かよからぬ事態が起きているとすぐさま理解した。

「リズ、どうしたの? 何かあったの?」

「チーフ! 大変です! ウォルトが1人で飛び出していっちゃいました……!」

「ええ!?」

「ピート達を助けに行くって……」

 ネツサソリがいると聞いたウォルトは車を降りて1人でピート達がいる方へ走り去ってしまっていた。

 このままでは全員危ない。ウォルトとピートだけなら自力で何とかさせるが、今回はネツサソリのことを知らない女子2人組がいる。もし、すでに誰かが刺されていたら……。

「リズ、私達もそちらへ向かいます。あなたも来なさい。絶対に車から下りないこと!」

「そ、そんな……!」

 サルサは一旦電話を切った。そして、運転席のカズラに指示を出した。

「カズラ、スポット3に最短で行って!」

「了解!」

 カズラはごつごつした岩が点在するエリアでアクセルを限界まで踏み込んだ。巧みにハンドルを切り、岩を避けて蛇行しながら爆速で目的地を目指した。


*     *     *


 アマンダとニッキーはスプラッシュに乗って右往左往していた。

「スプラッシュ! もっと早く走れないの!?」

「無理だよ、ニッキー! 2人乗せてるんだよ!?」

「キャアーッ! 追いつかれる! 早く! 早く!」

 アマンダとニッキーのずっと後ろに血走った目をしたピートがいた。虚ろな視線は何も捉えていない。目の前に転がる岩を持ち上げてはアマンダとニッキーに向けてぶん投げていた。

「急にどうしちゃったのよ、アイツ!!」

 ニッキーが悲鳴に近い声で叫んだ。それもそうだ。ピートは突然倒れたと思ったら、フラフラと立ち上がり、2人を攻撃し始めたのだから。

「下がれ!」

 前方から声が聞こえてきた。そこにはウォルトがいた。スプラッシュはウォルトの方へ全力で走る。

「ここは危険だ! 早く逃げろ!」

 自分の膝ほどもある高さの岩を軽々持ち上げて投げ付けてくるピートを目の前にして、ウォルトは驚きを通り越して畏怖の念すら湧くかと思った。岩は地面に落ちて砕け散って、辺り一面小さな石ころだらけだ。

 ネツサソリの毒は強力で恐ろしいとウォルトは知っていた。ウェイストランドの危険生物のリストに載っているのだ。強い幻覚作用、筋力増強作用、発熱、呼吸障害、様々な症状を発症して、刺された動物はひとしきり暴れ回った後死ぬ。ネツサソリは一体の動物を刺すことで、周りの動物も一網打尽にし、死肉を群れで分ける。

 一度ネツサソリに刺された人間はもう助からない。コピアガンナーがネツサソリに刺された人間を助けようとした事例もある。だが、上手くいかなかった。

 少しずつ近づき、鮮明になっていくピートの姿にウォルトは胸が痛んだ。血走った目をして、荒い息をしている。熱にうなされ、自分が何をしているのかももう判断がついていないのだろう。

「あなたも逃げた方がいい!」

 馬の上から声をかけられた。コピアガンナーの女子がウォルトを心配しているのだ。ウォルトは気にせずコピアガンを構える。

「ウォルト! 無茶はやめなさい!」

 ガタンガタンと車体を揺らしながら爆速で近づいてくる車があった。中からサルサが叫んでいる。

 サルサはネツサソリに刺された婚約者を助けようとコピアガンを撃って、誤って死なせてしまった張本人だった。ウォルトはそのことも知っていた。

「僕は、必ずピートを救い出す……!」

 だが、ウォルトは迷わなかった。ウォルトは全速力でピートの方へ走り出した。ピートは咆哮を上げてウォルトに向かって走る。

 コピアは扱う人間の意思によって多種多様な効果を発揮する。ネツサソリに刺された人間にコピアガンを撃ったら必ず死ぬとは限らない。そこに勝機はある。

「ピート! 君はこんなことでくたばるために掃き溜めから這い上がってきたんじゃないだろ!!」

 ウォルトはコピアガンを撃った。ウォルトのコピアガンが緑色の美しい光線を発生させた。その光はピートの全身を包み込み、ピートの体はふわっと宙に浮き上がった。緑色の光線はピートを守るように包み込んだ。

 これが本物のコピアガンナーの力なのか……。と、アマンダは思った。コピアガンナーだからこそわかる。このコピアはとても温かく、優しく強い意思を持っている。私怨のためにコピアガンを利用した自分にはない心の強さをウォルトのコピアから感じる。こんな素晴らしい人間がリヴォルタにはいるのか。コピアガンを持つにふさわしい人物とは、こうも輝いて見えるものなのだろうか。

 サルサはネツサソリの毒に侵された人間にコピアガンを撃ってはいけないと思い込んでいた。だが、それは違うのだと今になってわかった。あの日、自分ができなかったことをウォルトはやってのけようとしている。コピアの力でネツサソリの毒を解毒する。その方法ならきっとピートを救い出せるとウォルトは信じているのだ。自分にはその発想さえなかった。あの日、ネツサソリに刺されて暴れまくる婚約者を止めようとして、サルサは彼の心臓の鼓動まで止めてしまったのだった。

緑色の光の中でピートの全身の毛細血管が緑色に光り輝いた。光線が消えると、ピートはゆっくりと地面に舞い降りた。

「ピ、ピート……!」

 ウォルトは仰向けに倒れるピートに駆け寄った。すーっと寝息が聞こえてくる。ピートは穏やかな表情で眠っていた。

「よかった……」

 ウォルトはその場にへたり込んで泣いた。

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