第十二話 兄と妹

 アマンダがCOCOに拘束されたとの報せをローディから聞いたニッキーはアトラスに指定された場所へと急行した。そこはバークヒルズの外れの製材所の廃材置き場の裏手だ。ここは滅多に人が入って来ないため人目につきにくい。

「アトラスさん!!」

「ニッキーか」

「ジョンはまだ?」

「集会所の屋根の修理が終わらないらしい。でもすぐ来るよ。ハーディが交替して作業をしてくれることになったから」

「そう」

 アトラスとニッキーは廃材の上に腰かけた。

「先に聞いておきたいことがあるんだけど」

 ニッキーが言った。

「何だ?」

「COCOって何なの?」

「ああ……」

 アトラスはギャングと無関係の町の住民にはCOCOの存在すら知らない者がいることを再認識した。ギャングの中でも幹部以上でなければ関わりがない外部の組織だから当然のことだった。

「ニッキーは僕らがどうしてギャングと呼ばれているか知っているか?」

「知らないわ。物心ついた時からそう呼ばれていたもの」

「それはこのCOCOがギャングの下部組織だからなんだ」

「え?」

 アトラスは周囲を確認して誰もいないことを確かめた。人影どころか気配もない。アトラスは自分の第六感を信じていたので、一安心する。

 COCOについての情報は極秘というわけではないがタブーとなっている。それはバークが土地を奪還するためにした悪事ともつながっているためだった。

「父さん達が土地を奪還するためにどうやって武器を調達したと思う? 普通のルートじゃ国に守られている大企業とまともに戦える装備を揃えることは不可能だ」

「火種があればどこへでも武器を売りに行く武器商人ならいくらでもいるはずよね」

「そうだ。僕らに目をつけたのがCOCOの親元のギャングの幹部マクダリ・ガタカだ。初めのうち、父さん達はウェイストランドとなった土地の野生動物や植物がコピアによって生命を脅かされていることを世界中に知らしめるために行動を起こした。生物の大量死や突然変異種の発見などを公表してリヴォルタに反対声明を出していたんだ。突然変異種が増えないように父さん達はウェイストランドに入っていって森や放棄された畑を焼いたりもした。父さん達の活動に目をつけたマクダリ・ガタカはもっと直接的な抗議の方法があると父さん達に教えた。マクダリ・ガタカは表向きはコピア被害者支援団体”COPIA Cure Organization”、通称COCOを設立し、会長に就任した。そして、コピアによって故郷を追われた人達の生活支援と失われた土地の自然を再生するために世界中から寄付を募った」

「ギャングの幹部がどうして慈善事業みたいなことを始めたの?」

「寄付金を使って武器を調達したからだ。マクダリ・ガタカと繋がっている武器商人が大勢父さん達に武器を売りつけにやってきた。父さん達はそれによってリヴォルタや背後に控える政府と戦う力をつけた」

「COCOは紛争が終わってからもずっと関わり続けていたの?」

「リヴォルタの支援物資を略奪するための武器を横流ししてもらっていた。他にはジェシーが交渉して医療物資も」

「私達にとってなくてはならない存在なのね」

「彼らの支援がなかったらバークヒルズはとっくに壊滅していたよ」

「で、アマンダはどうして今回拘束されることになったの?」

「おそらくジェシーが絡んでいるはずだ」

「ジェシーさんが?」

「ジェシーは父さんの後継者の座を狙っていた。アマンダが贔屓されることに納得していなかったんだろう」

「呆れた。妹に嫉妬して父親よりも上の組織に妹を売ったってことなのね」

「そういうことになるね」

「アマンダはコピアガンを撃たなかったの?」

「その隙も与えられなかったらしい。コピアガンは現在COCOが厳重に保管している」

「コピアガンなしじゃアマンダは無力に等しいものね」

 ニッキーとアトラスは沈黙した。今頃アマンダは監房でどんな扱いを受けているか想像もしたくなかった。一刻も早く助け出さなければ命にかかわる事態になりかねない。

「アトラス兄さん、ニッキー」

 ジョンが到着した。

「つけられていないか?」

「多分」

 アトラスは軽く周囲を見た。だいぶ日が落ち視界は暗い。こんな時間に廃材置き場に来る人間はいなかった。

アトラスは廃材から跳ねるように立ち上がり、姿勢を低くすると、ジョンとニッキーもその場にしゃがませた。

「これからアマンダを助け出す作戦を立てる」


*     *     *


 拘置所棟の監房はシミだらけの寝台が置かれただけの質素な部屋だった。アマンダは後ろ手に縄で縛られ、寝台に横向きに寝かされていた。何時間経過したかわからない。下になっている右半身が痺れて感覚がなかった。反対向きに寝返るだけならできないだろうかと試すが、うつ伏せになったままそれ以上体の向きを変えられない。

 足音が聞こえてきて、アマンダの監房の前で止まった。監視役の男との会話が聞こえてくる。相手はジェシーだと声でわかった。

「アマンダ・ネイルはどうしている?」

「大人しいもんだ。コピアガンがなけりゃ何でもねえただの娘だな」

「様子が見たい」

 監視役は監房の扉の上方にある監視用の窓を開けた。ジェシーの目元だけが窓越しに現れ、向かい側で姿勢を変えられずにいるアマンダと目が合った。

「調子はどうだ、アマンダ・ネイル?」

「コピアガンはどうしたの?」

「質問に質問で返すな」

 アマンダは感覚でコピアガンのある場所を特定していた。宿舎のどこかに隠されていることは明白だった。そう遠くに離れているようには感じない。ただ、簡単には取り出せないように厳重に保管されているような気がした。

「コピアガンさえ渡せば私は関係ないはずよ。コピアガンがなければ私は何もできない。ジェシー兄さんに歯向かうようなこともね」

「そうはいくか。アマンダ・ネイル。お前はいい交渉材料だ。そう簡単には解放しない」

「私で何をするつもり?」

「リヴォルタからの支援を再開してもらう」

「はっ……」

 アマンダはドキリとした。ジェシーはさすがだ。1人で町の病院機能を向上し、死亡率を引き下げただけのことはある。アマンダがいなければバークの後継者に最も近い幹部だと言われていた。

「コピアに適応した人間はリヴォルタが喉から手が出るほど欲しい人材だ。お前が持っていたコピアガンの持ち主は死んだらしいな? 貴重なコピアガンナーを失ったらその穴を埋めるのは非常に難しいと聞く。コピアガンがバークヒルズの人間を選んだとあれば、連中は飛びつくだろうさ。バークヒルズの扱いを改め、手厚く支援することも厭わないだろう」

「私1人が町を出て行くことで皆の生活が守られるのね」

「そういうことだ」

 アマンダはジェシーから目を逸らし、ネズミが出入りできそうな壁の穴をじっと見つめて考えた。自分1人が犠牲になることでバークヒルズの生活は安定する。リヴォルタはコピアに適応したアマンダを受け入れるだろう。コピアガンナーとして働くことになり、あの時アマンダやビアンカが乗った馬車を守ろうとスクラムバッファローにコピアガンを撃ったコピアガンナーのように、ウェイストランドの動植物が人間に危害を加えないように活動したりするのだ。バークヒルズからもそう遠くない場所でなら1人でも頑張れるかもしれない。

「わかったよ、ジェシー兄さん。皆のためだもの。私、リヴォルタに行く」

「物分かりのいい妹で助かるよ」

 窓から見えるジェシーの目は冷徹な光を放っていた。その目が少しだけ釣り上がる。ジェシーは笑ったらしかった。なんて邪悪な笑みだろう。ジェシーは病院の環境改善のために奔走するうちに人の心を失ってしまったのかもしれない。アマンダはそう思った。


*     *     *


 深夜のギャング病院では看護助手のパリス・ミュラーが1人で各病室の消灯を行っていた。

「パリスちゃん、あの噂は本当なのか?」

 患者の1人がパリスに声をかける。略奪部隊のその男は足を骨折して入院中だった。

「わからない。でも、ジェシーさんが戻ってこないということは、そういうことなのかも……」

「大丈夫だよ、パリスちゃん。ジェシー兄さんが忙しいのはいつものことだし、体鍛えに行ってるだけか、医学書を読むのに夢中になってるだけかもしれない」

 他の患者も気遣って明るく振る舞う。この病室は略奪で負傷したギャングの若手達で満室だった。ジェシーの凶悪さもストイックさも全て知っている弟達だ。

 パリスの表情は患者には見えなかったが、声色で心配していることは伝わった。ジェシーがアマンダを拘束したことは病院内でも既に噂が立っていた。そのことで一番気に病んでいるのはパリスだと患者達にはわかっていた。

 パリスにとってジェシー・ローズは聖人のような存在だった。パリスは3年ほど前、風邪をこじらせて入院したことがある。ジェシーがCOCOと交渉の末、医療物資の支援をしてもらえるようになった矢先のことだった。バークヒルズに一つしかない病院はジェシーの管轄となり、ギャング病院として生まれ変わった。病棟は建て直され、大部屋の病室が増えた。風邪薬や消毒液など必要最低限の薬品が大量に常備できるようになった。これらの大幅な設備投資が実現しなければ、パリスは死んでいたかもしれなかった。

 一週間熱が下がらず朦朧とする意識の中、パリスはジェシーが付きっ切りで看病してくれたことを今でも思い出す。

「パリス、熱はどうだ? 薬を飲め。大丈夫だ。すぐ良くなる。頑張れ、パリス」

 ジェシーの優しい声掛けがパリスをこの世に引き留めた。ジェシーに手を握られると、細長くひんやり冷たい感触がした。

 ジェシーのことをギャング病院のエルフと呼ぶ人達がいる。パリスはいつからそう呼ばれ出したのかは知らなかった。だが、ジェシーのあの誰でも心を奪われる美貌と優しい微笑み、芯の通った声で発せられる激励はエルフと呼ばれるにふさわしいとパリスも思っていた。

 パリスはそんなジェシーに憧れてギャング病院で働くことを決意したのだった。そのジェシーが今回、実の妹を利用して利益を得ようと企んでいると聞き、パリスの心はざわついた。

 ジェシーは宿舎の拘置所棟から出ると何事もなかったかのように素知らぬふりをしてギャング病院に戻った。パリスが消灯しようとしていた大部屋の病室の前を通りかかった時、パリスがジェシーに気付いて廊下へ出てきた。患者達も廊下へ飛び出したパリスとジェシーが何を話すのか聞き耳を立てた。

「ジェシーさん!」

 パリスが叫ぶと、ジェシーはいつもと同じ物腰柔らかな仕草で振り返った。しかし、パリスはジェシーの様子がいつもと違うことに感づいていた。普通の人が見たらいつも通りだが、パリスには何かもっと強くて黒い感情がジェシーの心の奥底に溜まっているのがわかる。女の勘というやつだった。

「どうかしたんですか?」

「別に何もない。それより患者はどうだ?」

「変わりありません。容態が急変する人も今日はいませんし、ジェシーさんがいなくてもきちんと薬を飲んでくれましたよ」

「それはよかった。パリス、君のおかげだ」

「いいえ、とんでもない。ジェシーさんが病院を整備してくれたおかげですよ」

「もうすぐもっと環境が良くなるはずだから。そしたらもっと多くの人が救えるようになるよ」

「支援が増えるんですか?」

「ああ、そうだ」

 パリスは何事もないように振る舞うのも限界だと感じた。いっそのこと率直に聞いてしまおう。

「アマンダ・ネイルと引き換えにですか?」

 ジェシーはギッとパリスの顔を見た。パリスはその様子を見て確信した。やはり噂は本当だった。ジェシーは本気でアマンダをリヴォルタに売り渡し、その功で支援を再開してもらおうと目論んでいるのだ。

「聞きました。アマンダ・ネイルが拘束されたんですってね。ジェシーさんがやったんでしょう?」

 ジェシーはパリスの持つランタンの灯りから逃れるように顔を背けた。

「これがこの町にとって今できる最善の方法だ」

「アマンダ・ネイルはジェシーさんの妹じゃありませんか。母親が違っていても血は繋がっています」

「血縁関係は重要ではない。この町に住む全ての人が僕の家族だ。アマンダ1人を犠牲にすることで他の多くの家族が守れるならそれが最適解だ」

「でも、アマンダはそれでは救われません」

「コピアガンナーはこの町にいてはいけない」

「これまでアマンダがコピアガンを撃ったことで健康被害を訴える町の住民はいませんでした。被害を受けたのはアマンダが狙った相手だけです。それに、コピアガンを撃つことで最も身体的被害を受けているのはアマンダ自身です」

「コピアによる影響は長期に渡るんだ。今はわからなくても子供達が成長していく過程で何かが起こるかもしれない。これから生まれてくるはずだった子供達がコピアのせいで生まれてこられなくなることだってあり得る。アマンダ1人のために町の未来を脅かすわけにはいかないんだ」

 ジェシーは語気を強めたが至って冷静だった。その冷静さがジェシーの怖さでもあった。ジェシーの持つ熱意と正義感は彼から人間らしさを奪っていた。

「……そうですね」

 パリスは俯いて指で涙の雫を拭った。早口で正論をまくしたてられ、反論の余地もなかった。ジェシーに少しでも愛があれば考えを改めてくれるかと期待した自分が馬鹿だったとパリスは悔やんだ。

「戻ります。患者が待っていますから」

 パリスはスタスタと足音を立てて病室に戻った。泣いているパリスを見て患者達はうろたえ、慰めようとして面白い話でもしようかと話した。ジェシーはそんな病室の様子は意にも介さず、自分のオフィスに向かった。


*     *     *


 午前11時。アマンダのいる監房の扉が開いて、ジェシーが入ってきた。

 薄っぺらい布団をかけられただけのアマンダは寒さに凍えて一晩を過ごした。その間に沢山色んなことを考えた。自分がいることで町の人に与える悪影響についてだ。そもそも自分が安易に拾ったコピアガンで殺人を犯してしまったことがいけなかった。何かある度にコピアガンに頼って事態を大きくしてしまっていた。体が慣れてきたのか、一発撃つごとにコピアの後遺症は軽減していったが、それはアマンダの体に対してだけ言えることで、たまたま通りかかってコピアを浴びてしまった人に及ぶ悪影響がないとは言い切れない。自分1人いなくなれば全て丸く収まる。

コピアに適合したアマンダはCOCOによってリヴォルタに引き渡される。おそらくコピアガンナーとしての活動をさせられるのだろうが、それがどんなものか想像もつかない。普通の生活を保障してくれたらいいが、人体実験の道具にされたらどうしよう。バークヒルズの人間に対する差別があったりしないかも不安だった。昨日まで敵だった人間がいきなり現れて仲良くできるものなのか。今まで以上に辛い立場に追い込まれたりしないだろうか。

「なんだ、泣いてるのか」

 ジェシーは寝台の脇にしゃがんでアマンダの顔を見た。昨日とは打って変わって優しい兄の眼差しがそこにはあった。

「ごめんなさい、ジェシー兄さん。私が皆を危険に晒すから……」

 アマンダは嗚咽をもらしながら呟いた。アマンダはその時に自分が夜通し泣いていたのだと自覚した。

 ジェシーは病人を抱き起す時と同じやり方でアマンダを起こし、寝台に座らせた。そして、アマンダの背中に腕を回したまま至近距離でアマンダの目を見つめる。

「いいか、これからお前はこの町を出ることになるが、それはお前にとって罰ではない。お前はコピアガンナーだ。リヴォルタに行けば優遇される。それに、バークヒルズの人間からコピアガンナーが誕生するということは今後の僕達とリヴォルタとの関係改善の一歩でもあるんだ。お前がリヴォルタで立派にコピアガンナーとしての務めを果たしたら、バークヒルズの待遇改善を考えてくれるかもしれない。もちろん僕はそれを見越して交渉をするつもりだ。お前は町を出てもこの町の役に立つことができるんだ」

「ジェシー兄さん、たまには会いに来てくれる?」

「交渉が上手くいけばいつでも会えるさ」

「ニッキーやジョンにも?」

「そのうちな」

「私、ニッキーに会いたい。お別れを言いに行きたい」

「それはダメだ」

 ジェシーはちらと窓の外を見遣る。

「お前と関わることでニッキーに及ぶ悪影響も考えろ。町にはギャングに反感を抱く住民だっているんだ。ニッキーが今後も平和に暮らすためにはお前との関係はなかったことにした方がいい」

「そうだね……私と一緒にいてもいいことなんか何もないもの……」

 ジェシーはアマンダを抱きしめた。

「アマンダ、僕達はこの町では他に類を見ない混じりけのない金髪をした兄妹だ。お前がこの町を離れても僕達の絆は消えない」

 アマンダはまた涙がポロポロ出てくるのを止められなかった。ジェシーは小柄だがどの兄よりも優しく包容力のあるオーラを持っている。そんな風に抱きしめられたらどんな妹でも無条件にジェシーを信頼してしまうだろう。

「でも、兄さんの方が綺麗な青い目をしてる」

 その発言はアマンダなりの反抗心の現れだった。この兄に全てを委ねたくはない。

「何言ってるんだ。お前の緑の目は父さんから受け継いだものだ。僕はその方が羨ましい」

 アマンダは笑った。そうだ。この兄はアマンダとは似ているが、バークとは似ていない。バークによく似ていると言われるアマンダには似ているのに不思議なものだった。ジェシーの母親を知っている人が見ればジェシーは完全に母親似だと言うのだ。

「私、頑張るね」

「ああ、行ってこい」

 ジェシーはアマンダを立たせた。後ろ手に縛られているがアマンダはバランスを崩さず歩くことができた。少しだけ恐怖心が薄れていた。自分は誰よりもバークに似ている。コピアにも適応している。これまでも1人で頑張って来られた。孤立無援になってもやっていけるはずだ。

 前方にジェシー、後方にCOCOの黒服の男が続き、アマンダ達は縦一列になって拘置所棟を出た。


*     *     *


 馬小屋ではギャングの新人達がダラダラと掃除をしていた。馬達は何をするでもなく人間達が干し草をひとまとめにしているのを眺めていた。スプラッシュも他の馬と同じく柵に囲まれ大人しくしていた。

「すみません、馬小屋の掃除はここで合ってますか?」

 帽子を深々と被った少年が馬小屋の中に入って来た。初めて見る顔ぶれに掃除をしていた新人達は戸惑う。

「僕、バークさんの遠縁であまり馴染みがなかったんですけど、今日からギャングに入りました。よろしくお願いします!」

 新人達はそういう少年に首を傾げつつ、これはサボれるチャンスだと気付いて顔を見合わせる。

「そうか、新人。じゃ、あとはよろしく頼むわ」

「はい! 頑張ります!」

 新人達は食堂が混む前に昼食を食べに行こうと話しながら馬小屋から出て行った。少年は誰もいなくなってから帽子を被り直した。眩しい赤毛が帽子からはみ出る。

 スプラッシュが少年を見て小さくいなないた。

「さあ、スプラッシュ。おいで。あなたの主人を助けに行くわよ」

 その少年は新人に成りすましたニッキーだった。


*     *     *


 宿舎の出入り口のそばの木の上でジョンは待機していた。この木はバークヒルズ建設記念に植えられた木で、常緑樹のため一年中葉が生い茂っている。枝も四方八方に伸びた大木は身を隠すには最適な場所だった。

 肩にずしりと来るスナイパーライフルを担ぎ、ジョンは静かに呼吸する。枝葉が比較的少なく狙いが定めやすい場所で、他人からは見えづらいポイントは一ヶ所だけ。逃げ場はない。作戦決行までに見つかってしまったら全てが台無しだった。

 アトラスからはローレンスのスナイパーライフルは調整がおかしいから、一発撃って自分には制御できないと思ったら撃たなくていいと言われていた。たった一発でも撃てば相手はどこから撃たれるかわからず迂闊に動けなくなる。それだけで十分だという理由だった。

 ジョンは紛争の英雄から引き継いだ銃の重みを感じてただひたすら時を待っていた。


*     *     *


 アマンダは宿舎の門の前に立たされた。左にはジェシー、右には黒服の男達がいて、いつの間にかアマンダのガンホルダーを持った男も列に混ざっていた。ガンホルダーの中にはコピアガンが収められている。

「10分後にCOCOの車がここに到着する。お前はその車に乗って町を出るんだ。しばらくCOCOの支部に滞在し、リヴォルタと話がついたら引き渡される」

「コピアガンは?」

「リヴォルタの許可が下りるまでCOCOが保管する」

 アマンダは静かにCOCOの車が来るのを待った。車がどんな乗り物なのか設計図でしか見たことがない。スティーブが見せてくれた古びた設計図を思い出す。

 スティーブ達が町を出ようとした時、ギャングは彼らを問答無用で殺害した。今、アマンダはそのギャングの意向により、町を出ようとしている。

 ドォォオオン!

 一発の銃声がどこからともなく発せられた。

 とても重たい響きが腹の底に響いた。こんな銃声をアマンダは今まで聞いたことがなかった。

「どこからだ!?」

「伏せろ!」

 黒服の男達が慌てふためく中、アマンダはキョロキョロと辺りを見回した。ジェシーは何かに怯えるような表情で虚空を見ている。

「この音は……」

「ジェシー兄さん! 危ないよ!」

 アマンダの呼びかけにジェシーは答えなかった。アマンダはどこからか狙撃されていてはその場を離れなければ危険だと思った。だが、後ろ手に縛られていては走ることもできない。

「ジェシー兄さん!」

 アマンダは必死に叫んだが、ジェシーの耳には届かなかった。


*     *     *


 撃った張本人のジョンは心臓がバクバクと鳴り、息を落ち着けるのに苦労していた。

「何だ、この銃。引金が異常に重い」

 ローレンスのスナイパーライフルは引金をしっかり引かないと銃弾が発射されなかった。引金を引く動作から銃弾が発射されるまでに時間差があると狙いを外しやすい。それに、余計な力が入るのも狙いがズレる一因になった。これは部品の劣化によるものではないだろう。おそらく、この引金の重さがアトラスの言っていたおかしな調整というやつだ。

 一発だけで場は騒然となった。ジョンの役目はこれでひとまず終了だ。無理に牽制し続ける必要はない。

 だが、ジョンは次の準備に移った。空薬莢を排出して、スコープを覗き込む。今度はしっかり狙わなければ、とジョンは気を引き締めた。

 その時に気付いた。

 スナイパーライフルは確実に誰かを狙い撃ちするための銃だ。命の責任を背負う義務がある。自分が狙った相手は誰が撃ったか知ることなく死ぬ。これはローレンスからのお告げなのだ。覚悟をして引金を引け、と。

 ジョンは誰もいない、跳弾しても人に当たらなそうな場所へ向けて引金を引いた。


*     *     *


「そんな、まさか……」

 ジェシーは完全に我を忘れていた。全身が震え立つこの銃声をジェシーは知っている。これは自分が敬愛していたローレンスの忘れ形見のスナイパーライフルだ。数回、射撃訓練に付き合って撃つのを見させてもらった。ローレンスはその時、ジェシーに大事なことを教えてくれた。

「僕は……一体何を……」

 ドォォオオン!

 2発目の銃声でジェシーは我に返った。誰が撃っているのかわからないが、おそらくアマンダを助けようとしている人間だろう。だが、今はそんな事はどうでもいい。ローレンスのスナイパーライフルはジェシーに何かを訴えかけようとしている。

 ジェシーは素早くナイフを抜いてアマンダの縄を切った。アマンダの肩を押して黒服の男達から距離を取らせ、自分はその反動で近くの男に突撃した。

 一切無駄がない動きで男達の動きを封じていくジェシー。気絶させられた男達は地面に次々と突っ伏していく。

「アマンダ! 受け取れ!」

 ジェシーがアマンダのガンホルダーを持った男に膝蹴りを食わせた直後、アマンダに向かって奪い取ったガンホルダーを投げた。アマンダは咄嗟に動いてそれをキャッチする。

 ヒヒヒーン!

 高らかないななきと共にスプラッシュが飛び出してきた。

「アマンダ! 乗って!」

「ニッキー!」

 ニッキーはスプラッシュの上から身を投げ出すようにしてアマンダに手を伸ばした。アマンダはニッキーの腕を掴んでスプラッシュに飛び乗った。

 スプラッシュは町の外へと逃げて行った。誰も追ってくることはできなかった。ジェシーが既に制圧済みだった。スプラッシュに乗ったアマンダとニッキーはしばらくピッタリくっついて無言を貫いた。


*     *     *


 アマンダとニッキーを乗せたスプラッシュは町の外に出ても小一時間ほど走り続けた。

「ニッキー、助けてくれてありがとう」

 ようやく声に出したアマンダはニッキーの背中に顔をくっつけてぎゅっと抱きしめた。ニッキーは手綱を握っていたが、片手を離してアマンダの手に重ねた。

「当然でしょ。私はあなたの右腕なんだから」

 温かくて心地よくて、その上頼もしいニッキーの温もりがアマンダの心を癒した。危険を冒して助けてくれたニッキーはギャングに入れなくても既にアマンダの大事な仲間だった。

「でも、もう戻らないと」

 アマンダはだからこそニッキーを巻き込みたくなかった。今朝、ジェシーに言われたことを思い出した。自分はもうバークヒルズを離れる覚悟をしたのだ。自分がこれ以上関わったら、バークヒルズで今後も生活し続けるニッキーに迷惑がかかるかもしれない。

しかし、ニッキーの返答はアマンダの予想の斜め上を行っていた。

「何言ってるの。アマンダ、あの地図出して」

「え……?」

 アマンダはニッキーの言おうとしていることが理解できなかった。

「地図よ。その上着のポケットに入ってるやつ」

「あ……」

 アマンダは何故それが必要なのかは置いといて、ポケットからバークの部屋から持ち出したウェイストランドの地図を出してニッキーに渡した。

「これを出してどうするの?」

「これからウェイストランド探検をするのよ」

「ええ!?」

 驚愕するアマンダを無視してニッキーはスプラッシュに東へと方向転換させた。

「スプラッシュ! 行くよ!」

「ま、待って、ニッキー! 嘘でしょ!?」

 スプラッシュはいなないて正反対の反応をする2人を乗せて全速力で駆け出した。

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