第十一話 ギャング病院のエルフ

 月明かりに照らされて、金色のたてがみをした白馬が金髪の青年を乗せて走っていた。バークヒルズから西へ10kmほど離れた所だ。丘陵地帯を抜けて草木の少ない荒れた平野を真っ直ぐある場所へと向かっている。

 二階建てのコンクリートの建築が見えてきた。事務所のようなシンプルな造りだ。黒塗りの車が2台、脇に停めてある。その隣の杭に馬を繋ぎ、青年は事務所のベルを鳴らす。

 しばらくして、黒服の男がドアを開ける。男は長い金髪を見て即座にこう答える。

「嬢ちゃん、ここは女が1人で来る所じゃねえ。どうやって来たか知らないが町まで帰りな」

「僕は女じゃない」

 青年は間髪入れずに訂正する。鋭い目つきで背の高い男を見上げる青年は、よく見ればたしかに女ではなかった。手縫いの不格好な上着を着ているところから察するにバークヒルズの人間だ。

「バークヒルズのギャングの幹部、ジェシー・ローズだ。責任者に会わせてもらえるか?」

 自分より大きく、年齢も上の男を前にして物怖じしないその態度を男は気に入った。中でポーカーをしている上司に会わせようとジェシーを中へ通す。

「今夜はネリ・スクワブ副支部長が当直だ。呼んでくるからここで待っていろ」

 ジェシーは応接間に案内された。デジタル時計は午後11時を表示していた。窓のブラインドは下まで下ろされ、外が見えないように閉じられている。応接間の真ん中には上質な牛革のソファがある。新品同様で塵一つついていないガラスのローテーブルには巷で流行りのキャンディが山盛り置かれていた。ジェシーは客用のソファに座って待つ。

 数分後、ネリ・スクワブが応接間に入ってきた。群青色のスーツを身に着け、白黒ストライプのワイシャツを着ていた。ワックスで固めた髪は暗い茶髪だが、ところどころ金髪に染めている。背丈はジェシーより少し高い。そして、最も特徴的だったのは奇異な物を見ている時のような生ぬるい目つきだった。

 ジェシーは一度立ち上がり、会釈をする。それだけで場の空気が華やぐような気さえする美しい所作だ。

「ワオ、こいつはまた上物が自らお出ましになったってわけか」

 ネリ・スクワブはジェシーにも聞こえる声で独り言を口走った。ジェシーは目の色一つ変えなかったが内心ではこの男へ不快感を抱いた。自分の容姿が他人に与える影響をジェシーは自覚している。その美しい容姿は他人を意図せず魅了し、余計な期待を抱かせる。そして男であると知るや否や誰もが落胆するのだ。勝手に落ち込んでろ、とジェシーは思うのだが。

 しかし、このネリ・スクワブという男は少し違った。舐め回すような目でジェシーの全身を見つめながら、うっすらとニヤけ笑いを浮かべて真向いに座った。

「それで、お話とは何です? ミズ……」

「ジェシー・ローズです」

「ああ、失敬。ミスター・ローズ」

 ジェシーの低い声を聞いてネリ・スクワブはわざとらしく謝ってみせた。部下からバークヒルズのギャングの幹部が来たことは伝わっているだろうし、ギャングの幹部のジェシー・ローズが男だと知らないはずがないくせして、あえて女性を指すミズを使うところにこの男の性格の悪さが出ていた。ジェシーは苛立ちを抑えて話を切り出す。

「今回は、バークヒルズで起こっているある変化についてお話をしに来ました」

 ジェシーは世間話などはせず、単刀直入に用件のみを話した。ネリ・スクワブはその話を斜に構えた態度で聞いていたが、悪くない話だと思ったようだ。

 十数分後、ジェシーは話がまとまった安堵を見せながら玄関へと歩いていた。

「それでは、スクワブ副支部長、今後のことは手筈通りに」

「抜かりなく実行いたしますよ」

 ネリ・スクワブはジェシーの前を歩き、うやうやしく玄関のドアを開けてやった。

「よろしければバークヒルズまでお送りしましょうか?」

 紳士な振る舞いとは裏腹にネリ・スクワブのじとっとした視線がジェシーにまとわりつく。ジェシーは何でもないという風に軽く微笑んで申し出を断った。

「お構いなく。馬を待たせているので、1人で帰れます」

「そうですか。それでは、お気をつけて」

 ジェシーは玄関を出て馬を繋いだ場所まで早足で行く。玄関の壁にはコピア被害者支援団体”COPIA Cure Organization”の看板がかけられていた。

 1人になるとジェシーは先程まで抑えていた嫌悪感を顔に出した。ネリ・スクワブの薄気味悪い視線をジェシーはずっと我慢していた。あの男は危険だと本能が訴えていた。ネリ・スクワブには腕っ節の強さだけが取り柄の男とは異なる狂気が漂っていた。だが、目的のために手段を選べない。取引が終わるまでの辛抱だと自分に言い聞かせた。

 ジェシーの姿が見えるとジェシーの愛馬クリスティーナが嬉しそうにいなないた。

「さあ、帰ろう。クリスティーナ」

 ジェシーはクリスティーナに跨ると音もたてずにバークヒルズへ続く道を走り去った。


*     *     *


 射撃場に一発の銃声が響き渡った。放たれた銃弾は丸太に円を描いただけの的の右下辺りに命中する。

「やった! 命中!」

「嘘でしょ!?」

ニッキーが歓声を上げる。先程の銃弾を撃ったのはニッキーだ。その横で、アマンダはショックを受けていた。

「ニッキー。お前、素質あるな。アマンダより」

 ジョンがアマンダをからかいつつニッキーを褒める。

「最後は余計じゃない!?」

 アマンダはジョンにまでからかわれてプライドがズタボロだった。

「今のはお見事だったよ」

 アトラスも拍手をしてニッキーを称える。

 和やかな雰囲気で射撃訓練を受けているのは、先日の報復部隊との抗争でアマンダと仲良くなったニッキーだった。アマンダが訓練で使用している通常の銃を借りて撃たせてもらっていたのだ。ジョンとアマンダの訓練にニッキーが乱入してきて、さらに暇していたアトラスまでやってきて、射撃場はにぎやかだった。

「これがあればいつでもアマンダを支えてあげられるでしょ?」

 ニッキーは銃身を肩に乗せて首を傾け、ポーズを取る。アマンダはその様子に少し顔を曇らせる。

「ニッキー、やっぱり本気なんだ」

 報復部隊との抗争でアマンダとジョンは1週間の謹慎処分を受けた。デモ隊の家族に事情説明と謝罪をする際だけ外出を許可され、1軒1軒の家を回り、一応の理解は得ることができた。その直後のことだった。突然、ニッキーがギャングに入ってアマンダを支えたいと言い出したのだ。

「私は一度言ったらきかないタイプなのよ。あなたを1人になんて絶対しないから」

 クロエ、ギヨーム、リリアンの3人もアマンダの力になりたいと言っていた。しかし、親がそれを断固として許さず、表立っての協力はできなくなった。報復部隊を解散させた勢力がなし崩しに消滅することを危惧したニッキーは自分がギャングに入ることでアマンダの勢力を少しでも保ちたいと思っていた。

「それに、今後、この町におけるアマンダの信用回復をするのに私はうってつけよ。私、結構顔広い方だから」

 アマンダとは裏腹にジョンとアトラスはニッキーのギャング入隊に乗り気だった。もちろんバークが許可しなければ入隊できない。ニッキーは女性だし、バークの親戚というわけでもない。しかし、アマンダの右腕ということなら取り入ってもらえる可能性が高くなる。凝り固まった組織に新しい風を入れることができるかもしれなかった。

「いいんじゃないか? アマンダに何度もコピアガン撃たせるわけにもいかないし、こちら側の戦力が確保できるなら俺は賛成だぞ」

「ジョン! ありがとう! 私、頑張るわ! この調子で立派なギャングになってムカつくやつらを一網打尽にしちゃうんだから!」

 ニッキーはもう何が起きても止まらないのではないかと思うほどやる気がみなぎっていた。アマンダはどう言っても意見を変えないニッキーに戸惑いつつも、本心では心強いと思っていた。なんだかすごく気持ちが明るくなるのだ。こんな気持ちになるのは久しぶりだった。ニッキーが言ってくれた1人じゃないという言葉がこれほど嬉しいものなのだとアマンダは初めて知った。

 アトラスもニッキー入隊を歓迎する意向だったが、幹部としてけじめをつけなければならない。3人に優し気な眼差しを向けていたアトラスは急に真剣な表情になり、口を開いた。

「でも、父さんの許可が得られるまでその銃を君に持たせるわけにいかないよ」

「そんな!」

 ニッキーはひしっと銃を胸に引き寄せて抱えた。アトラスはふふっと笑って付け足した。

「ニッキー、大丈夫。君が本気なら僕はもっと君にふさわしい銃をあげようと思うんだ」

「ふさわしい銃?」

「ついてきて」

 アトラスはアマンダ、ニッキー、ジョンの3人を自分の部屋へ案内した。ニッキーはギャングの宿舎に初めて入り、ワクワクしながら廊下を歩いた。

 アトラスは部屋に入ると普段は近づかない北側の鉄製の大きなロッカーの鍵を開けた。複数の鍵で厳重に閉じられている分厚い鉄の扉を開けると、目の前にキラキラした物体が現れた。

赤い布が敷かれた保管ケースに銀色にキラキラ輝く小さな何かがすっぽり収まっている。

「この銃は僕の母さんが護身用に持っていたものだ」

それは拳銃だった。ギャングで支給されているものより二回りほど小さい。保管ケースの下部には”Eureka Saint-Germain”と刻まれたプレートが嵌っている。

「これがユリーカ・サンジェルマンの銃……?」

 ニッキーは銀色の銃身に目を奪われた。とても丁寧に手入れをされている。まるで宝飾品のような煌めきだった。

「この中に入っている銃は僕の個人所有のものだ。元々は亡くなった人達が生前に愛用していたものでね、捨てるには惜しいから僕が譲り受けた。ここに入っている銃ならギャングの備品とは異なるから、僕の意思で動かせる」

「ダメよ! こんな大事なもの受け取れない!」

 ニッキーは首を横に振った。そりゃそうだとアマンダも思った。幹部の母の形見の銃など気軽に受け取ることなどできない。

 アトラスは動揺するアマンダの頭を帽子越しに撫でた。

「この帽子は僕の母さんがバークヒルズ建設祝いに父さんにプレゼントしたものなんだよ」

「え! そうなの?」

 アマンダは驚いて顔を上げる。この帽子はアマンダがギャングに入る時にバークがくれた。まさかそんな大事な帽子だとは思わなかった。

「父さんがアマンダにその帽子をやったということは、後継者として見込んでいるということだと僕は初めから気付いていた。だけど、君の周りには敵ばっかり。このまま1人にしていたらアマンダは潰されてしまうだろうと思った僕は君が自立できるようになるまで見守ろうと思った」

 アトラスはケースを開けてユリーカの銃を取り出した。

「父さんだって、1人ではこの土地を奪還することはできなかった。母さんやおじさん達の協力があって成しえたんだ。ニッキー、君がこの銃でアマンダを支えてやってくれないか?」

 ニッキーは数秒間固まった。これは責任重大だ。バークから期待をかけられているアマンダを補佐することはニッキーの望むところだ。ユリーカの銃はまるでそれを可視化したかのようだった。輝く銃はニッキーの心を誘惑するが、それを持つということはその輝き以上の責任を負う覚悟を決めるということだった。

やがてニッキーはアトラスの手からユリーカの銃をそっと受け取った。

「私はアマンダとこの町の未来のために戦う覚悟よ」

「ありがとう」

 アトラスは何かを託すようにニッキーの銃を持つ手に自分の手を重ねた。ニッキーはそのぐっと握られた手の感触から、アトラスの思いを受け取った。

 ガンロッカーには他にもいくつかの遺品の銃やナイフが保管されていた。ジョンが身を乗り出して中を覗くと、ひときわ異彩を放つ重そうなスナイパーライフルが目に入った。

「おい、マジかよ。すげえ……!」

 ジョンはたまらずアトラスとアマンダの間を分け入ってスナイパーライフルを手に取る。

「ああ、それはローレンスおじさんのスナイパーライフルだよ」

「ローレンスおじさんのなのか!」

 ジョンは興奮気味にスナイパーライフルを観察しながら叫ぶ。

「ローレンスおじさんって誰?」

 アマンダはその名前に聞き覚えがあるようなないような気がした。アトラスがおじさんと呼ぶのだから親戚の誰かなのだろうと思ったが、思い当たる人がいない。

「父さんの従兄のローレンスおじさんだ。奪還紛争でも略奪でも大活躍した凄腕のスナイパーだった」

 アトラスが説明してもアマンダはピンと来なかった。

「そんな人がいたんだ」

「ローレンスさんって、たしか……」

 ニッキーはその人をよく知っているようだった。顔を曇らせてアトラスを見上げる。アトラスも何かを言いたげにニッキーの目を見て頷く。

「なあ、アトラス兄さん。俺、これ撃ってみたい」

 珍しく興奮しているジョンが空気も読まずに言い出した。

「え? でもそれ撃つのは遠くの射撃場まで行かないとできないよ」

「じゃあ、また今度でいいからさ」

「うーん、でも、その銃、ローレンスおじさんが独特な調整をしてるから撃ちにくいんだよ」

「それでもいいから!」

「わかったわかった。珍しいね、ジョンがそんなにやる気になるなんて」

「だってすげえじゃん! ローレンスおじさんのスナイパーライフルだぜ?」

 ジョンは興奮してアマンダの目を真っ直ぐ見つめてそう言ってくるが、アマンダは若干引いていた。

「いや、わかんない」

 アマンダはキラキラ目を輝かせたジョンの豹変ぶりが全く理解できずそう言うしかなかった。

 4人はそこで解散することになった。昼休憩の後にはそれぞれの仕事が待っている。アトラスは部下達に呼ばれてご近所トラブルを解決するために町へ出てしまった。ジョンはローレンスのスナイパーライフルを自分の部屋に持って行き使い方を調べておくとホクホク顔で自室に戻った。アマンダはドロシーが作ってくれるおいしい食事を楽しみに食堂へ向かった。ニッキーは1人でギャングの宿舎を出て午後から縫製工場に出勤するつもりだった。

 ニッキーはギャングの宿舎の東側へと向かった。その道はギャング病院の横を通り過ぎ、縫製工場がある道に出るための近道だった。だが、そこに門はなく、高い柵に囲まれている。柵の途中に木の板が朽ちて外れかかっている箇所があり、そこをくぐり抜けて出るのがニッキーだけが知っている抜け道だった。

「待ちなさい、ニッキー」

 ニッキーがギャング病院の横を通っている時、誰かがニッキーを引き留めた。ニッキーは渋い顔をして振り返った。

「今更何なの? 父さん」

 そこにいたのはギャング病院で勤務中のジャッキー・レアド先生だった。

「報復部隊との抗争に関わったというのは本当なんだな」

ニッキーは誇らしげに返事をした。

「報復部隊を解散させたのは私達よ。すごいでしょ?」

「そんな事を言っている場合か」

 レアド先生は語気を荒げた。娘がギャングに関わることを快く思っていないのだ。

「何か問題でも? 私は私のやりたい事をしているだけよ」

「お前のような子がギャングに関わってはいけない」

「何よ、今更。ずっと家に帰ってくることすらしなかったくせに。父親面しないでよ」

「この町の医療体制は劣悪だ。私がいなければ患者の命が――」

「そうやって母さんから逃げたかっただけなんじゃないの?」

 レアド先生は溜息をついた。図星を突かれた。レアド先生が妻子が暮らす家に寄り着こうとせず働き詰めになっていたのは事実だからだ。

「そうかもな。お前の言う通りだ」

 レアド先生は眼鏡の曇りを赤茶けたシミだらけの白衣の袖で拭き、眼鏡をかけ直した。

「母さんとのことは全部間違いだった」

 レアド先生はニッキーのことを見ようともしないでさっと踵を返してギャング病院に戻った。1人残されたニッキーは目に涙を溜めて去って行く父親の後ろ姿を見送った。

「どうしてそれは否定してくれないのよ」

ニッキーは涙を拭いてから、抜け道へと向かった。


*     *     *


 午後8時頃。アマンダはようやくその日の倉庫整理の仕事を終えてシンディばあさんの家に帰ろうと身支度をしていた。報復部隊との抗争があってからギャングのメンバーはさらにアマンダを警戒するようになった。本来なら倉庫整理の仕事は複数人でやるが、アマンダといると危険に巻き込まれると言い訳してアマンダに仕事を押し付けて残業を放り出して先に帰ってしまった。アマンダは食堂で夕飯を済ませて残り2時間を1人で作業し、へとへとだった。

 真っ暗な道をランタンの灯りを頼りにトボトボ歩いているアマンダに近づく人影があった。その人影はアマンダが人目につかない建物と建物の間の小道に入ると、アマンダの左肩を掴んだ。

「きゃあ!」

 アマンダは悲鳴を上げた。左手に持っていたランタンを離してしまい、地面に落ちて壊れる音がした。アマンダはコピアガンを取り出し、姿勢を低くして逃れようとするが、相手はもう片方の手でアマンダの右腕をひねりあげ、握っていたコピアガンを取り落させた。相手はアマンダを壁に押し付ける。

「アマンダ・ネイル。こんな時間まで1人で何してる?」

「だ……誰?」

 アマンダは何をされるかわからない恐怖で頭が真っ白だった。相手の声は聞いたことがある。中低音で声質はとても美しいのに、なんだかすごく不安にさせる棘のある口調だ。自分はこの人を知っている。とても近しい人な気がしてならない。だが、恐怖で思考が停止したアマンダには思い出せなかった。

細くて長い指がアマンダの腕と肩に食い込む。とてつもない握力だった。その人物がアマンダの後頭部に顔を近づけると、かすかに薬品の匂いがした。

「僕はお前を認めないからな」

 相手はアマンダを放した。アマンダは恐怖に身を震わせながらゆっくり振り返り、落ちたランタンとコピアガンを探す。ランタンはガラス部分が欠けてしまい、油が漏れ出ていた。コピアガンは無事だ。コピアガンを構えて周囲を警戒する。真っ暗な闇の中には生物の気配すら感じられなかった。


*     *     *


 翌朝、アマンダは昨夜の不可解な事件のせいで寝付けず、幹部会議に遅刻しそうになった。朝食も食べずに家を飛び出し、幹部会議の開始予定時刻の3分前に会議室に到着した。扉を開けて一歩足を踏み入れると、意外な人物が座っていて、アマンダは背筋がゾクッとして入口で立ち止まった。

 波打つようにうねる金髪をオールバックにまとめてポニーテールにした男がいた。元は美形のはずなのに過労と寝不足で目は落ち窪み、眉間に皺が寄って険しい顔つきになってしまっている。完璧過ぎるほど真っ青な目はまるで氷のように冷たかった。彼がギャングの3人目の幹部ジェシー・ローズだ。

「何だ、ジェシー。出席するなら先に言っといてよ」

 アマンダの横をすり抜けてアトラスが会議室に入る。ジェシーは途端にパッと目を輝かせて爽やかな笑顔になった。

「アトラス兄さん! 久しぶりだね!」

 アマンダはアトラスが来た途端にジェシーが屈託のない笑みを見せたことに驚愕して、しばらくその場から動けなかった。グレイブに後ろから声をかけられるまでアマンダはそのままだった。

「何やってんだ、お前」

「あ、グレイブ兄さん」

 アマンダはジェシーのことも気掛かりだったが殴り合いのケンカをしたばかりのグレイブともギクシャクした。グレイブは目を逸らして会議室の中に視線を移し、事態を把握した。

「ジェシーがいるのか」

「うん」

「あいつは俺よりおっかねえぞ」

 グレイブはニヤリと口角を吊り上げた。グレイブはアマンダからしてみれば十分恐ろしい男なのだが、なぜか他の2人の幹部のことを自分よりも怖い人間だと思っていた。アマンダはグレイブが何を言いたいのかわからなかったが、ジェシーが怖いことには同意した。

 開始時刻ピッタリにギャバンが来て、5分遅刻してバークが入ってきて、会議は始まった。

「僕からの議題はニッキー・レアドのギャング入隊についてです」

 司会のアマンダに促されて、アトラスが発言した。現状において、幹部ですらないアマンダの直属の部下としてニッキーを入隊させる道理はない。第一、バークの息子ではないアマンダがいることだけでも特例なので、さらに例外を認めさせるにはそれだけの正当な理由が要る。幹部のアトラスが後ろ盾になり交渉を進めようというのが作戦だった。

 誤算だったのは、その日の会議にジェシーが出席したことだった。

「僕は反対です」

 アトラスが詳細を説明しようとするのをジェシーが遮った。

「ニッキー・レアドはギャング病院の医者の1人、ジャッキー・レアド先生の一人娘です。レアド先生の娘に何かあったら僕は先生に顔向けできない」

「ジェシー、待ってくれないか」

「それにニッキー・レアドは父さんの親戚筋ではありません。反対勢力を一掃するために行ってきた改革が無駄になります。それこそ、今まで報復と称して奪ってきた命を無碍にする行為だと僕は思います」

 ジェシーの言い分はその通りだった。ニッキーを入隊させたら、ここ数年のギャングの方針を180度変えてしまうことになる。アトラスはそうした反論も想定済みで、それに対する意見も用意していた。

「ジェシー、最後まで聞いて。ニッキーにはアマンダの助手という名目だけを与えます。ギャングとして全ての活動を担うのでもなく、ギャングの全ての権力を与えるのでもありません。原則として、アマンダの仕事の手伝いとしてのみ出動を命じるものとします」

 ジェシーはそれでも食い下がってきた。今までギャング病院の仕事で忙しく、会議に出席できなかった分、ここぞとばかりにずっと言ったかった不満をぶちまけるつもりだった。

「アマンダは勝手な行動が多すぎます。グレイブ兄さんとのことだって、アマンダがデモに行かなければあんなことにはならなかった。その上、デモ隊のリーダー格だった人間をギャングに入れさせようとするなんて言語道断です」

 私情と幹部としての意見が入り混じったジェシーの言い分に対抗するため、アトラスもだんだんと論を強める必要を感じた。アマンダの待遇を見直すためにニッキーがいかに重要か説明しようとする。

「アマンダのことをよく思わないギャングのメンバーは多いです。アマンダは一緒に仕事をするはずだったメンバーから避けられ、仕事を押し付けられています。ニッキーがいれば1人で夜遅くまで仕事をすることもなくなります」

 アマンダは何故アトラスがそのことを知っているのだろうと思った。1人で残業するのは昨晩だけでなくこれまでにも数回あった。どこかで見ていたのだろうか。なんだかいつも監視されているようで気持ち悪かった。どうせ見ているなら助けてくれたっていいのに。

「町中でコピアガンを撃つような人間を僕は擁護できない。町には少なからず15歳未満の子供達も暮らしている。そんな子達がいる場所で広範囲に影響を及ぼすコピアガンを発射して健康被害が起きたらどうするつもりなんだ」

「まあ、待て。2人共」

 アトラスとジェシーの言い合いに口を挟んだのはギャバンだった。

「俺もアマンダが孤立していることは気にしていた。デモの件はもう過ぎたことだ。今更出てきて文句を言うんじゃない。ニッキー・レアドは気合十分と聞いている。アマンダの手助けをするには申し分ない人物だと思う」

「でも、ギャバンおじさん。ニッキー・レアドを入隊させたらデモに参加した奴らが次から次へとギャングに入りたいと言い出すのではありませんか? そうなったら組織内での勢力図がガラっと変わってしまいますよ」

 ギャングの総数は約40人、デモ隊は男女合わせて30人。もしもデモ隊のメンバーが全員アマンダの部隊に入るとすれば、最も大きな勢力を持つことになるのは明白だった。

「報復部隊を解散させたのはデモ隊の力によるところが大きい。彼らが影響力を持つことは何もおかしいことではないよ」

 ジェシーのギャバンに向けられた質問に代わりに答えたのはアトラスだった。ジェシーはアトラスが自分ではなくアマンダの味方をすることに疎外感を覚えた。

「それではギャング存続に関わるんじゃないの? アトラス兄さん!」

 ジェシーは切実な表情でアトラスを見つめた。ジェシーの目に今のアトラスはいつもと全く違う人物に見えた。大勢いるアトラスの弟妹の中で一番に贔屓されているのは自分だと自負していたジェシーの自尊心が崩れ去ろうとしている。

「アトラス兄さんは僕の味方じゃないの……?」

 アトラスはジェシーから顔を背けた。ジェシーが言おうとしていることをアトラスは重々承知していた。アトラスがジェシーではなく妹の味方をすることが、ジェシーにとって一番残酷な仕打ちなのだ。今回の会議でジェシーではなくアマンダの味方をしたからといって、今後一切ジェシーの味方をしないということではないとアトラスは気付いてほしかったのだが、そんな思いはジェシーには伝わらないのだった。

アトラスは冷静さを保とうと最大限の努力をして低い声で言った。

「これはギャングの幹部としての意見だ。組織のために必要な手段を僕は提案している」

「僕は……認めないよ」

 アマンダはその言葉に昨晩の事件を思い起こした。背中がゾクゾクしてきて意識が遠のいてきた。一気にあの瞬間の恐怖が蘇り、手が震えだす。

「ジャッキーの娘はそんなに頼れそうなのか、アマンダ?」

 唐突にバークが口を開いた。アマンダははっと現実に引き戻された。自分が質問されたことに気付くまで数秒かかった。

「アマンダ、君としてはニッキーはどんな印象なんだ?」

 アトラスが再度質問して、ようやくアマンダは質問の内容を理解した。

「あっ、あの、私は……」

 アマンダはニッキーとの出来事を思い出しながら考えた。ニッキーはとても意欲的で勇敢だ。報復部隊を出し抜く作戦を練った時も率先して意見を出してくれた。アマンダの姉ビアンカと同じ縫製工場で働いていて、アマンダより少し年上だ。友人は多いし、町の人達からも信頼されている。ニッキーがいてくれたら心強いだろうとアマンダは心の底では感じていた。

「私はニッキーに危ないことはしてほしくありません。それはニッキーがとても勇敢で強いからです。ニッキーは私が迷っている時に背中を押してくれます。でも、私のせいでニッキーを危険に巻き込みたくない」

 バークはその答えを聞いて嬉しそうに笑った。

「なら、一緒にいろ。アマンダ、そういう人間はお前を高みに引き上げてくれる。戦友ってやつだ」

 アマンダは心に一陣の風が吹くような気がした。「戦友」という言葉が胸の内で力強く鳴り響いていた。自分はもう1人ではない。背中を預け合い、守り合う仲間がいる。

「はい、ボス」

 アマンダははっきりと返事をした。そして、帽子を被り直す。バークがくれたこの帽子はかつての戦友で妻でもあったユリーカがバークに渡したものだった。ユリーカの銃を受け取ったニッキーが今度はアマンダの戦友になる。

「ありがとう、アトラス兄さん」

 会議が終わると、アマンダはアトラスに礼を言った。終了と同時にジェシーがイスを蹴飛ばして出て行った直後だった。

「うん、アマンダ。よかったよ」

 アトラスは慌てた様子で会議室を出ようとしていた。

「兄さん、どうしたの?」

「ごめん、アマンダ。また今度話そう」

「わかった。またね」

 アトラスは会議室を出ると全速力で走り出した。

「ジェシー!」

 高速で左右に揺れる癖毛の金髪がジェシーの怒りを振り子で表現しているかのようだった。

「待ってってば、ジェシー!」

 アトラスはこんなに心労をかけてくる弟妹は他にいないとヒヤヒヤドキドキしながらジェシーを追いかける。

「ねえ!」

 アトラスがジェシーの肩を掴もうとすると、ジェシーは気配を察してさらりとかわし、逆にアトラスの腕を引っ張って引き寄せ、壁に背中を打ちつけた。

「ごめんって、ジェシー」

 ひょろ長いアトラスに対してジェシーは身長も低く一見すると弱そうに見える。だが、ジェシーは素早さやしなやかさで抜きん出ており、手足が長いアトラスをいとも簡単に制圧できる体術を身に着けていた。

「アトラス兄さん、どうしてアマンダの味方をしたの?」

「いいか、ジェシー。僕はギャングの今後のためになると思えば誰の味方だってするよ。もちろん君の味方だってするし、現にずっとそうしてきたじゃないか」

「僕はいつだってアトラス兄さんのことを忘れたことがないのに、アトラス兄さんにとってはやっぱり妹の方がかわいいのかな」

 ジェシーの氷のような青い瞳に焦りを滲ませたアトラスが映り込む。光でも放っているのかと錯覚するほどの美しい金髪で見目麗しい容貌のジェシーは寝不足と疲労がなければこの町で一番の美形だ。その美しさは同じ金髪のアマンダでも敵わない。神は何故こうまで美しい人間を女として生まれてこさせなかったのかと誰もが疑問に思う。それは本人が最も気にしていることだとアトラスは知っていた。

「僕は悔しいんだ。アトラス兄さん。僕がどれだけ頑張っても妹には絶対に勝てない。アトラス兄さんは妹がいたら僕を置いて行ってしまうから。ギャングにいれば誰も邪魔してこないと思っていたのに、アマンダが入ってきたらあっという間に取られちゃった」

「そうじゃない、ジェシー。アマンダは妹だから応援しているんじゃない。僕はあの子の将来に期待しているんだよ。君がギャングに入りたいと言った時と同じように」

「言い訳しないでよ」

 ジェシーは険しい目つきでアトラスを睨んだ。

「僕はアマンダのことを絶対に認めない。父さんの後継者になるのも、アトラス兄さんに愛されるのもこの僕だ」

 ジェシーはアトラスを解放した。1人取り残されたアトラスは方法を誤ったと後悔した。嫉妬に駆られたジェシーは何をしでかすかわからない。病院の管理業務で忙しくしていてアトラスがアマンダにかかり切りになっていてもジェシーは気付かないだろうと高を括っていた自分を責めた。

「何か手を打たないと……」

 アトラスは急いで自室に籠って今後の対策を考えることにした。


*     *     *


 その日の夕方、アマンダは仕事を終えてシンディばあさんの家に帰ると、家の前に黒服の男達がいるのが目に入った。

「何だろう、あの人達……」

 アマンダは気味悪く思い、少し時間を置いてから帰ろうかと家に近づかずに別の道へと行こうとした。が、その前に男達がアマンダに気付いてこちらへ近づいてきた。

「アマンダ・ネイルだな」

「だ、誰ですか?」

 アマンダはその黒服の男達に全く見覚えがなかった。着ているスーツは仕立てがよく、バークヒルズの縫製工場で作った物よりはるかに上質そうだ。

「コピアガンを押収する」

 黒服の男はアマンダに手を差し出した。男はコピアガンをアマンダが自分から男に手渡すのを待っていた。

「何であなた達にコピアガンを渡さなくちゃいけないんですか?」

 アマンダはまさかリヴォルタにアマンダがコピアガンを持っているのがバレたのかと思った。

「この人達は僕達の支援をしてくれている外部団体COCOの人達だ」

 黒服の男達の後ろにジェシーの姿があった。

「ジェシー兄さん、どういうこと?」

「アマンダ・ネイル。お前がこの町にとって危険がないかどうかをこの人達が判断してくれる」

 黒服の男達はアマンダを拘束しコピアガンを奪い取った。

「やめて! 放してよ!」

 アマンダは抵抗虚しく黒服の男達に宿舎に連れ戻され、拘置所棟の監房に入れられた。

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