第四話 おばあさんの家

 早朝、アマンダは昨日のバティラ兄弟との件でバークに呼ばれた。訓練を始める前に必ず来いとの命令だ。叱られることは間違いなかった。

 昨晩からそうなるだろうと予想していたアマンダは緊張しながらバークの部屋に向かった。

バークは窓のそばに立ってアマンダを待っていた。室内は昨日アマンダが散らかした本がそのままの状態で散乱している。バークは部屋に入ってきたアマンダを見ると、ソファに腰かけ、向かい側のソファを指さした。アマンダがソファに座ろうと移動すると、ローテーブルの上にコピアガンが置いてあるのが目に入った。

「どうやって隠し場所を見つけた?」

 バークの最初の言葉はそれだった。声は穏やかだ。これは意外な反応だった。

アマンダはどう答えようか迷った。こんな事を言っても信じてもらえるかわからない。だが、正直に言わないと質問責めになった時に困るだろう。アマンダは考えて、本当のことを話すことにした。

「怒りが込み上げて来るとコピアガンが私を呼ぶような気がするんです。その感覚はなんだかわからないけど、でも本当に、イライラして腹が立ってどうしようもない時にコピアガンが使ってくれと私を呼ぶような感覚があります」

 アマンダは顔を俯けコピアガンを見つめながら淡々と話した。バークの視線が恐い。話し終わって顔を上げると、バークは神妙な面持ちでアマンダを見つめていた。

「なるほどな……」

 バークは腕を膝の上に置いて前のめりになってじっとアマンダの話を聞いていた。アマンダが話し終わると背中をソファの背もたれに預けた。

「体はどうなんだ」

「思ったより平気です」

「コピアガンを撃っても倒れなかったんだってな」

「はい。自分でも何でだかわかりませんけど」

 バークは何も言わなくなった。この反応は何だろうか。今までのバークとは全く異なるので、アマンダは何が起きようとしているのかわからず怯えた。ギャングでのバークはこんな風に部下になった息子達の処分を決めていたのだろうか。

「アマンダ、お前、コピアガン持ってろ」

「え?」

 アマンダは驚いて変な声で聞き返してしまった。バークは気にせず説明を始めた。

「反撃できねえ弱いやつだと思われてたらまたバカな野郎がお前にケンカふっかけるだろう。だが、今回の件でお前にコピアガンを撃たせるとどんだけやべえかわかったはずだ。そいつを持っているお前をからかうやつはもう出て来ねえ。だからこれはお前が持っていていい。ただし、本当に必要な時だけ撃て」

 バークはテーブルに置かれたコピアガンをアマンダの方に押し返した。状況が飲み込めずアマンダはしばし茫然とした。

「何してる。早くそれ持って訓練を始めろ」

 バークに促されてアマンダは素早くコピアガンを手に取った。通常の銃よりもずっと軽くて持ちやすかった。中のコピアは安定していて、穏やかな光を放って漂っていた。

「……ありがとうございます」

 アマンダは礼を言ってバークの部屋を出た。ガンホルダーに収まったコピアガンはとても軽くて、歩いているアマンダの足の動きに合わせて前後に揺れた。しかし、そのわずかな存在感がアマンダの気を強くしてくれた。これがあればどんな相手にだって負けない自信があった。舐められて堪るか、と心の中で呟いたアマンダは颯爽とグラウンドに降り立った。


*     *     *


 それから3ヶ月が経った。アマンダはギャングの生活に慣れ、順調に体力をつけていき、訓練の他に仕事を任されるようになった。ギャバンの仕事の手伝いが主な業務だ。ギャバンは新人訓練の教官の他に様々な雑務を請け負っていて、バークほどではなかったが多忙だった。アマンダのようにギャバンの手足となって走り回っている兄達が他にもいた。アマンダの役割は町内外で働いている町の人達の働きぶりを視察し、成果報告を幹部会議の時に発表することだ。幹部連中にはなかなか会えない歳の離れた兄達がいるので、会議の時は緊張した。

 ある日、アマンダはギャバンと共に馬車に乗って宿舎を出た。アマンダはギャバンの隣の座席に座り、ぼんやりと窓から景色を見ていた。すると、宿舎を出てすぐそこの民家の前に20人ほどの人達が集まっているのが見えた。アマンダはなんとなく気になってその人だかりから目を離さずじっと観察した。

 民家から男性が出てきた。それは町で一番優秀な医者、ミハイル・マゴットだった。マゴットは何か男性に話しかけていたが、馬車の中までは聞こえてこなかった。男性とマゴットの話を聞いていた人達は落胆して帰って行った。その様子でアマンダは何事かを理解した。

 この家に一人で住んでいる人が病気で死にそうなのだ。集まってきた人達は民家の家主が亡くなったら、いらなくなった家財道具をもらい受けようと考えているのだった。

「何だ、シンディばあさんの家じゃないか」

 ギャバンが身を乗り出してアマンダの座っている方の窓に顔を出した。

「知ってるの?」

「シンディばあさんは俺達の戦友の母親だ」

 その情報だけでアマンダはとても大切な人なのだと理解した。

「エリックといってな、俺と兄貴の親友でもあった。紛争で勇敢に戦って死んじまった。シンディばあさんは俺達が土地を取り戻したと聞いた時、最初に移住してくれると名乗り出てくれた人だよ」

 ギャバンは昔を懐かしむように話していた。少し涙ぐんでいるようだった。

「あのばあさんももうそんな歳なんだな」

 ギャバンはそれ以降シンディばあさんの話をしてこなかった。アマンダはもっとシンディばあさんの話を聞きたかった。だが、仕事が始まってしまい、なかなか切り出せずに一日が終わってしまった。


*     *     *


 数日後の夜、ギャバンは明日から新しい仕事をアマンダに与えると言った。アマンダはまた一つ仕事を任せてもらえることが嬉しかった。物資の配達業務だった。朝一番に意気揚々と倉庫へ向かうと、ギャバンはさほど大きくないのに重たい木箱をアマンダに持たせた。アマンダは危うく落としそうになるところだった。

「気を付けろ。それはお前が配達を担当する物資だ」

 アマンダは木箱の上の配達先の書かれた紙を見る。宛先はシンディ・ウィーバーと書かれていた。シンディばあさんの家だった。

「これからシンディばあさんへの物資の配達はお前が担当しろ。午前の仕事はそれだけだ。ついでにシンディばあさんの様子を見て来てくれ。いいな?」

「は、はい!」

 アマンダは元気よく返事をした。やはりギャバンもシンディばあさんのことが気になっていたのだ。

 荷車を使うほどの距離ではなかったので、アマンダは重い木箱を抱えてシンディばあさんの家まで歩いた。木箱それ自体は小さいのにとても重いので、思っていたよりも時間がかかった。こんな小さい木箱の中に一体どれだけの物が詰め込まれているのだろうと思った。

 玄関をノックするが、しばらく返事はなかった。

「ウィーバーさん! 物資の配達です!」

 アマンダは木箱を足元に下ろして、強めにノックをして大声で呼んだ。

「はいはい、待ってちょうだいね。今行きますよ」

 シンディばあさんだと思われる声がやっと返ってきた。しゃがれ声で一生懸命大きな声を出していた。体調が悪くて動くのに時間がかかるのかもしれなかった。

数分後、シンディばあさんが出てきた。グレーの巻き毛を後ろにまとめた感じのいいおばあさんだった。着古されたサーモンピンクのワンピースを着ている。

「これです」

 アマンダは足元に置いていた木箱を持ち上げて差し出した。

「あら、それじゃ、あなたがアマンダね」

 アマンダは一度も会ったことがないシンディばあさんに名前が知られていることに驚きはしなかった。ギャングに入ったバークの娘といったらアマンダ・ネイルただ一人だ。そのくらいは誰でもわかる。しかし、他の人とは違って、シンディばあさんはアマンダを異物を見るような目で見てこなかった。

「中まで運びましょうか?」

「いいのかい? ありがとう。それじゃ、テーブルの上に置いてちょうだい。一緒に中身を見てみましょう」

 シンディばあさんはちょこちょこと足を小刻みに出して小さい歩幅でゆっくり歩いた。アマンダはその速度に合わせてスローモーションで廊下を歩いてリビングに入った。

「ここに置いてくれるかしら?」

シンディばあさんはリビングの真ん中の大きなテーブルを指さした。アマンダはテーブルに木箱を置き、蓋を開けた。シンディばあさんは木箱の中を覗き込んだ。

「まあ、お砂糖。久しぶりね。もう半年くらい切らしていたからありがたいわ」

 シンディばあさんは木箱の中に入っていた物を棚や引き出しに一つずつしまっていった。塩と小麦粉が2キログラムずつ、砂糖とバターは1キログラム、ピクルスの瓶が2本とベーコンの塊、そして卵10個だった。アマンダは単純計算で7キログラム近く入っていたことに気付き、どっと疲れた。卵が入っているなら先に言ってくれと思いつつ見てみたが、卵は割れていなかった。

「アマンダ、時間はあるのかい? せっかくお砂糖をもらったから、クッキーでも焼こうかと思うのだけど」

 アマンダはシンディばあさんとゆっくり話せるようにギャバンが予定を調整してくれたことを思い出した。

「はい、午前中の仕事はこれだけなので。私も手伝います」

「そうね。じゃあ、手伝ってちょうだい。窯を温めるからあなたは先に生地を準備しててね」

 シンディばあさんはしまったばかりのバターと砂糖と卵と小麦粉をテーブルの上に出してくれた。それから必要な食器はここにあると棚の戸を開けて見せた。アマンダは底が深い器とヘラを出して生地の作成に取り掛かった。

 シンディばあさんが砂糖は久しぶりだと言っていたが、アマンダもだった。小さい頃は今より物資が沢山入ってきて、砂糖を切らすなんてことはなかった。母がビアンカとアマンダにクッキーの作り方を教えてくれて、完成したクッキーをビアンカと二人でギャングの宿舎に届けに行った。アマンダが学校に行く年齢になる頃には砂糖が入りにくくなって、クッキー作りができなくなっていた。学校で忙しくなってクッキー作りのことは思い出すこともなかったけど、思い返してみればその頃から徐々に町は貧困の波が押し寄せてきていた気がする。

「バークは私のことを本当によく気にかけてくれてね、独り身だっていうのにこんなに沢山の物資を届けてくれるのよ」

 シンディばあさんは窯に火をつけながらアマンダに話しかけた。アマンダもバターを練りながらシンディばあさんの話を聞いていた。

 この家はとても広く、外から見るだけでも一人で住むには部屋数が多いことがわかっていた。リビングのテーブルも四人掛けの椅子のうち3つがやけに使い古された傷があり、食器も同じ物が3つある。昔はシンディばあさんの他にも一緒に住んでいた人がいたのだろうとアマンダは思った。

「息子のことは聞いたかしら? エリックっていうの。あの子はとても強い子だったわ。故郷がリヴォルタに占拠されて食べる物も着る物も持たずに難民キャンプに避難して、ひもじい思いをしている時にバークに誘われて蜂起に参加したのよ。2人共まだ15歳だったけど、故郷のために必死に戦ってくれたわ」

 ここに一緒に住んでいた人はエリックではないとアマンダは推察する。ギャバンが紛争でエリックは亡くなったと言っていたからだ。

 アマンダはシンディばあさんの話を聞きながら、バターに砂糖を混ぜる工程に移った。

「アマンダ、あなた歳はいくつなの?」

 シンディばあさんはいきなりアマンダに質問をした。アマンダはパッと顔を上げてすぐに答えた。

「13歳です。来月14歳になります」

 アマンダは自分で言ってから、コピアガンの悪影響を受けなくなる年齢になるまであと1年以上もあると思い出しうんざりした。

「まあ、それじゃ、バークが蜂起した時よりも2歳も若いのね」

 シンディばあさんは切ない声でそう言った。その姿は孫娘の将来を心配する祖母のようだった。アマンダには祖母がいなかったから、もしいたらこんな風に心配してくれたのかと想像した。

「大丈夫よ、あなた。バークの子供達の中でも一番お父さんにそっくりだもの。きっといいギャングになれるわ」

 シンディばあさんは励ますようにそう言ってくれた。その声には迷いがなかった。父親似だと言われるのは気恥ずかしさもあるが、シンディばあさんが言うならいい意味なのだろうと思えた。アマンダはこれが正しい道なのかと疑問に思うこともあったが、これでいいような気がして、なんだかとても力が湧いてきた。

「バークの紛争が長引いて、大勢の男の子達が命を落としてね、紛争は負けだ、そんな事をしても何も変わらないと言う人も沢山出てきたの。そんな時、私はバーク達をずっと応援し続けてきたわ。今もそうよ。バーク達がこの町を必死で守ってくれようとしているのを私はよく知ってるから。あなたもお兄さん達の背中を追って頑張りなさい」

 アマンダは力強く頷いた。その目を見て満足したのか、シンディばあさんはおしゃべりをやめ、生地作りの方に目を向けた。

「窯が温まるまで時間があるから、こっちを手伝うわね。さあ、見せてごらん」

 シンディばあさんは卵を入れて軽く混ぜた生地を覗き込んで歓声を上げた。

「まあ、上手ね! あとは小麦粉を混ぜるだけ。貸してちょうだい」

 シンディばあさんはアマンダからヘラと生地の器を受け取るとそばにあった小麦粉の器をバサッとひっくり返して放り込んだ。粉煙が立ってアマンダはビックリして一歩引いた。シンディばあさんは気にせず勢いよく生地をかき混ぜ、そのあまりの激しさに生地が飛び散った。

 

*     *     *


 窯の蓋を開けると、クッキーのいい香りが漂ってきた。

「わあ、おいしそう!」

 シンディばあさんとアマンダは目を輝かせて取り出したクッキーを確認した。少し形がいびつなものもあるが、焼き色はとても綺麗なきつね色だった。

「さあ、冷めないうちに食べてみましょう。アマンダ、火傷に気を付けて」

 シンディばあさんは鍋掴みを外してそっとクッキーを1つ摘まんで口に入れた。

「バターの味がしておいしいわ」

 シンディばあさんはクッキーの味をそう言った。それはアマンダの好みだった。ぼてっとしたバターを見るとどうしても多めに入れてしまいたくなるのだ。そしてバターの味を強くしたいがために砂糖は少なめに入れてしまう。

 アマンダもシンディばあさんと同じように手頃な位置にあるクッキーをつついてみて触れる温度なのを確認してから掴んで一口にほおばった。味わい深いバターの香りが口いっぱいに広がってアマンダは心が満たされるのがわかった。

「アマンダ、今日は物資を運んできてくれてありがとうね。おかげでとっても幸せだったわ」

 アマンダは自分の方こそ久しぶりに楽しくおしゃべりができておいしい物まで食べられて幸せだったと言いたかったが、熱々のクッキーをほおばりながらではうまく話せなかった。

「この家は娘が死んでからずっと私一人でね」

 シンディばあさんはそう言って部屋の中を見渡した。アマンダはこの家に一緒に住んでいた人はシンディばあさんの娘だったことがわかり、話の続きに食い入るように聞き入った。

「私は娘と二人だけでこのバークヒルズに移住したの。夫はずっと前に難民キャンプからいなくなって音信不通でね。その娘が大人になって、子供を授かるんだけど、出産がうまくいかなくて、娘も孫も死んでしまったわ。あれから何年経つのかしらね」

 この家の調度品はおしゃれな物が多いことにアマンダは今更ながらに気付いた。亡くなった戦友の母親と妹をバークがどれだけ大切にしていたかが伝わってきた。大事に使われていたカーテンやテーブルクロス、花瓶にブランケット、その全てからシンディばあさんと娘さんの暮らしぶりが窺えた。

 シンディばあさんは昔を懐かしんで黙って部屋を眺めていたが、急にせき込んだ。

「大丈夫? おばあさん」

「ええ、大丈夫よ。少し調子が悪くてね。この歳になると体調がいい時の方が少ないんだから気にしないで」

 アマンダは数日前にシンディばあさんが亡くなったらいち早く家財道具をもらおうと近所の人達が押しかけていたのを思い出した。彼らが悪いわけではない。必要な物を必要なだけ得られない環境が悪いのだ。とはいえ、シンディばあさんと知り合って、この家の至る所に詰まっている思い出を知ってしまうと、赤の他人に奪われてしまうのは惜しい気がした。

 アマンダは自分自身で気付いた時には既にシンディばあさんの手をぎゅっと掴んでいた。シンディばあさんははっとしてアマンダの目を見た。

「おばあさん、私、ここに住んでもいい? 父さんの許可が必要だけど、ここは宿舎のそばだからきっと許してくれる。おばあさんがいいなら、私、明日からここに住みたいの」

 シンディばあさんは驚いていた。アマンダとシンディばあさんは数秒間、顔を近づけたまま見つめ合った。シンディばあさんはやがてアマンダが握る自分の手に力を込めた。アマンダの申し出を心から感謝している様子が手のひらから伝わってきた。シンディばあさんはしわしわの手でアマンダの細くて折れそうな指をしっかりと握り返した。

「ええ、もちろんよ。あなたが来てくれるなら私も嬉しいわ!」

「やった! じゃあ、私、今から聞きに行ってくるね!」

 アマンダはすぐに玄関に走って行こうとしたが、シンディばあさんは大声で引き留めた。

「なら、これをお土産に持って行きなさい! 私達が焼いたクッキーがあれば必ず許してくれますよ」

 シンディばあさんは引き出しから3枚の布袋を出し、クッキーを分けて入れた。

「バークやギャバン、それにアトラスにも渡してもらえるかしら?」

「アトラス兄さん?」

 アマンダは意外な人の名前を聞いて、反射的に聞き返していた。アトラスはバークの長男だ。

「あの子を育てたのは私なのよ」

 ああ、そうか。とアマンダは納得した。この家には調度品が3人分ある。シンディばあさんとシンディばあさんの娘さん。そして、最後の一人はアトラスだ。

戦場で生まれたアトラス・サンジェルマンはバークの最初の女ユリーカ・サンジェルマンの一人息子だ。紛争の時にはバークもユリーカも戦場に出続け、バークヒルズができてからも二人は町の整備のために奔走した。ユリーカはバークヒルズができて数年で過労で倒れ、幼いアトラスを遺して亡くなった。母親代わりにアトラスを育てたのはシンディばあさんだったのだ。

 兄が世話になっているならなおさら許可も下りやすいだろうとアマンダは確信した。

「ありがとう、おばあさん! じゃあ、行ってくるね!」

アマンダはクッキーが入った布袋を3つ持ってシンディばあさんの家を出た。


*     *     *


バークとギャバンから引っ越しの許可が下り、残すはアトラスにクッキーを届けるのみとなった。シンディばあさんとアマンダが焼いたクッキーだというと、バークもギャバンも喜んで受け取った。アトラスもきっとそうなのだろうと思うのだが、アマンダの足取りは重かった。というのも、バークの娘達の間ではアトラスは絡みづらいというのが共通意見だったからだ。

 アトラスの部屋は遠いので廊下を歩いている間の時間が永遠のようにさえ感じられた。変に長話をせずにクッキーを渡したらすぐに帰ろうと、ずっとそのことばかり考えていた。

「アマンダみっけ!」

 そんな時、後ろからアマンダを呼び止める声が聞こえてきた。

「げっ!」

 アマンダは声だけで誰だかわかり、無意識に拒否反応を起こしてしまった。

「なんだよー、連れないなあ。僕に用事があってここまで来た癖にひどくない?」

 アマンダの後ろには、細身の長身でやたらと手足が長い20代くらいの男が立っていた。

「アトラス兄さん。私、今日シンディばあさんの家に行ってきたの」

「うん、知ってるよ」

 アトラスが妹達から嫌がられるのは、話してもいない事を何でも知っていて気持ち悪いからだった。

「何でわかるの……」

「だって、シンディばあさんが作ったクッキーの香りがするもの」

 アマンダは香りだけで見分けがつくものなのか疑問だったが、質問したりはしなかった。

「懐かしいなあ。僕、ギャングに入るまではずっとシンディばあさんの家に預けられてたんだよ」

 アトラスは受け取った布袋からクッキーを一個取り出して口に入れた。

「アマンダのクッキーの味がする」

「そう?」

 アマンダは昔作って持ってきたクッキーの味をアトラスは覚えていてくれたのかと不覚にも感激した。

「バター多めで砂糖少なめはアマンダのクッキーだよ」

「ああ、たしかにそうかも」

「昔は他の妹達もよくお菓子を作ってくれてたなあ」

「じゃあ、私、明日の準備があるからこれで」

 話が長くなりそうだったのでアマンダは帰ろうとした。

「そんなあ。お兄ちゃん寂しいなあ。アマンダってさ、幹部会議の時も僕に話しかけてくれないじゃん」

「幹部会議の時はアトラス兄さんの管轄で話すことが特になかったから」

「せっかくギャングに入ったのに、もっと仲良くしようよ!」

 アトラスがアマンダの肩に手を置こうとしてきたのでアマンダはさっと避けた。

 アトラスにはシンディばあさんの家に住む件を伝えると余計に話がこじれそうなので言わずにおこうとアマンダは決心した。

 本当にさっさと帰ろうとアトラスに背を向けようとしたが、アトラスに先手を打たれてしまった。

「ねえ、アマンダ。僕にまだ報告することあるでしょ?」

 アマンダは白を切ってこの場から去ろうと試みた。

「ないから、私もう行くよ」

「シンディばあさんの家に住むんでしょ?」

 アマンダは「これだからアトラス兄さんは!」と叫び出したい気持ちだった。アマンダが心底取り乱しているのにアトラスはあっけらかんとしたものだった。

「さっき父さんに聞いたよ」

「何で話しちゃうのよ、父さん!!」

「羨ましいな、あの家に住めるなんて。僕は一度出てしまったからもう一度戻るわけにもいかないし。シンディばあさんも誰か一緒にいてあげる方が助かるだろうからアマンダよろしく頼むよ」

「う、うん……」

 アトラスは言いたい事を全部言えたようで、自分から去って行った。やっと解放されたアマンダはこれから半年くらいアトラスと喋りたくない気持ちだった。


*     *     *


 その夜、アマンダは少ない荷物をまとめてシンディばあさんの家に引っ越す準備をした。遅くまで作業をしていてシャワーも浴びずにいた。やっとひと段落ついたのでシャワー室に行こうと部屋着を準備していると、ドアをノックする音が聞こえてきた。

「アマンダ、僕だよ。アトラスだ。大変な事になった」

 またアトラスかと一瞬引いたが、声音がいつもと違うので不審に思った。ドアを開けるとガウンを着たアトラスが立っていた。

「シンディばあさんが危篤なんだ。早く来て」

「嘘でしょ……!?」

 後ろにはアトラスの部下の兄達もいて、皆深刻な表情をしていた。アマンダは事態を把握してそのまま部屋を出てシンディばあさんの家に走った。

既に30人以上の人がシンディばあさんの家を取り囲んでいた。シンディばあさんが亡くなったことを確認したら我先にと乗り込むつもりだ。アマンダは引っ越し準備で疲れ切っていたが、必死に走った。

マゴットが玄関から出てきて、続いてアトラスの部下が担架にシンディばあさんを乗せて出てきたのが見えた。

 まさか、ありえない。こんなことって……。アマンダの思考はそんな言葉がグルグル駆け巡っていた。

マゴットは集まってきている人達に向けて首を横に振った。人々は一斉にシンディばあさんの家に入ろうとした。アトラスの部下達が玄関を塞いで阻止した。

「どけよ! 必要な物もらって何が悪いんだ!」

「うちには赤ん坊がいるの!」

「俺が先にもらうんだ!」

 もみくちゃになっている人混みにアマンダも突入した。

「やめろ! おばあさんに触るな!」

 皆夢中で家に入ろうとしているので誰もアマンダが紛れ込んでいると気付かなかった。人の波をかき分けかき分け前に出ると、シンディおばあさんの遺体が玄関に横たわっているのが一瞬見えた。ドドドと人混みが動き出し、何人かが先行してアトラスの部下達を押し退けシンディおばあさんの家に入って行った。アマンダは何人かが抜け出た拍子に人混みから突き出され、玄関の前に立った。

 アマンダは咄嗟にコピアガンを上空に向けて発射していた。

「動くな!」

 パシューンッとコピアガン特有の発射音が鳴り、黒煙がモクモクと立ち上った。黒煙はシンディおばあさんの家の中に入って行き、全ての部屋を煙で満たした。先に入った人達がせき込みながら出てくる。

「このクソガキ! 何しやがんだ!」

「てめえ、タダじゃおかねえぞ!」

 煙に燻された人達はやったのがアマンダだと気付くと、さっと押し黙った。その時にはもうこれがただの黒煙ではないと誰もが察していた。アマンダがどうやってビアンカを誘拐した男達を殺せたか知らない者はこの町にはもう誰一人いなかった。

 静かになった辺りに向かってアマンダは大声を上げた。

「この家は私がもらい受ける! 誰もこの家の物を持ち出すことは許さない!」

「こいつ! いい気になりやがって!」

 人混みの中の一人が罵声を浴びせた。それ自体は勇気ある行動だった。相手がアマンダでなければの話だ。

「黙れ! 私はギャングのボス、バーク・ロックの娘、アマンダ・ネイルだ!」

 アマンダは人々に向かって言葉を継ぐ。

「ギャングのやり方に文句がある者は名乗り出ろ! 規律を乱す者は私が許さない!」

「下っ端風情が何言ってやがるんだ!」

「そうだそうだ! お前の方こそ、勝手な行動していいと思ってるのか!」

 アマンダに反論する人達がいることをアマンダはわかっていた。これはアマンダのエゴだ。シンディばあさんの家にある物を分け与えれば何人の人が助かるかわかっている。だが、盗人根性丸出しの人達を肯定することはできなかった。

「ならば、私は父の後継者になる! 父が作ったこの町はいずれ私のものだ! この町でよりよく生きていたければ私に従え!」

 アマンダの啖呵に最も衝撃を受けていたのはアトラスだった。バークの長男であるアトラスが本来ならバークの後継者に一番近い存在だ。しかし、コピアガンという圧倒的な力を得て、女の身でありながらバークに認められてギャングに入ったアマンダは後継者候補として相応しい素質を持っていた。そしてこの堂々とした態度だ。それは紛争を生き延びた人達が見たらかつてのバークの面影を重ねただろう勇ましい姿だった。

「参ったね」

 アトラスは近くにいた部下達に聞こえる程度の声で呟いた。部下達も苦笑いを返すばかりだ。部下達にとってもアマンダは妹か従妹だ。そのかわいいアマンダにこうして先を越された無様な男達はただ黙って事が収束するのを見ているしかなかった。

 勢いで後継者宣言をしてしまったアマンダは我に返ってあたふたしていた。人々はアマンダの鬼気迫るたたずまいに気圧されて解散し始めていた。状況を把握し、シンディばあさんの家を守れたのだとわかって少しだけ落ち着きを取り戻すと、アマンダは赤ん坊がいると叫んでいた女性を探して声をかけた。

「待って。家に赤ちゃんがいるんでしょ? この家にはいいブランケットがあるからそれを使ってください」

 しかし女性はこう言い放った。

「コピアまみれのブランケットなんて、赤ちゃんに使えるわけないでしょう」

 アマンダはその時、自分がもう赤ん坊を抱くことすら許されない存在なのだと気付いた。赤ん坊はコピアの悪影響を受けやすい。13歳のアマンダなら一発全力で撃っても体調を崩すだけで済むが、赤ん坊なら少し浴びただけで命に係わる。アマンダがコピアガンを持ち続ける限り、赤ん坊に接触することは不可能なのだ。

コピアのおかげでビアンカを守れた。しかし、相手は死んで、町の人達から恐れられてしまった。コピアのおかげで父にギャングとしての才能を見出された。でもどこにも居場所がない。アマンダが立派になれると言ってくれたシンディばあさんはもういない。アマンダは自分の未来の虚しさに思いを巡らせ、心が冷え切っていくのを感じた。

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