第五話 さようなら、スティーブ

 シンディばあさんの家から宿舎に通うようになってもアマンダの生活は変わらなかった。ギャバンの仕事の手伝いかジョンと一緒に訓練だ。週に二日は休みを取れるが、突発的な仕事で呼び出されることもあった。

 コピアガンがあるから嫌味な態度を取ってくるギャングのメンバーは減った。しかし、それは抑止力としての暴力に甘んじている状態でしかなかった。

 アマンダに正直な気持ちを話せる相手はいなかった。辛くても踏ん張って耐えるしかない。それが殺人への報いなのだ。バークヒルズではない町なら警察に捕まって刑務所に入れられる。だが、ここは国家機関ですら立ち入りを忌避するウェイストランドのバークヒルズだ。ここでは法の代わりにバークが人を裁く。バークがアマンダにギャングとして働くことを罰として与えるなら、それに従うしかない。

 ジョンは何を考えているのかアマンダにはわからなかったが、何も言わずに訓練に付き合ってくれた。アマンダの訓練に付き合う日は危険な仕事をせずに済むので、都合がいいのかもしれなかった。

「グラウンド4周できたじゃないか。少しは体力がついたみたいだな」

「もうダメ! お水!」

 アマンダは地面に転がって手を伸ばした先の水筒の水をガバガバと飲んだ。季節は冬に近づき、水は冷たくアマンダの口からこぼれて首筋をひんやり濡らした。

「もう外の訓練は無理! 寒い!」

「バカ言うな。これからが俺達の本番だぞ。冬になる前にどれだけ物資を蓄えられるかにかかってるんだ。今頑張らないと、この冬を何人が越せずに亡くなると思う」

 それにはアマンダも言い返せなかった。この町が豊かなら起こらずに済んだトラブルがいくつもある。皆、生きるのに必死で、だからこそバークのやり方に不満が出るのだ。とはいえ、体力の限界は別問題だ。アマンダが戦力として申し分ない体力を身に着けて、今後、襲撃チームに入れられるかどうかより、今この瞬間にこれ以上走り込みはできないことの方が重要だった。

「たまには乗馬訓練でもやるか? スプラッシュも遊ばせてやらないと体力が落ちるだろう」

「やった!」

 ジョンが譲歩するとすぐにアマンダはそれに甘えた。立てないほど疲れていたのは演技だったのかという勢いでアマンダが立ち上がった瞬間、町に出ていたはとこ達が興奮した様子で宿舎に駆け戻ってきた。

「誰か来てくれ!」

「ボスがケンカしてんだ!」

「親父が!?」

「何で!?」

 ジョンとアマンダはほぼ同時に叫んだ。

「こっちだ!」

 はとこ達がジョンとアマンダを引き連れて向かった先は鉄工所の方角だった。仕事の管轄が異なり、ギャングに入ってからは全く足を向けることがなかったスティーブの父親が働いている場所だ。スティーブも時々手伝っているとは聞いていたが、もしかしたらいるかもしれない。

「頼むから俺達をもう解放してくれ!」

 鉄工所が近づくと叫び声が聞こえてきた。スティーブの父親、イワンの声だ。

 アマンダ達が駆け付けると、尻餅をついたイワンとその上に覆いかぶさるバークが互いの襟首を掴み合っていた。

「そんな甘い考えで通用すると思ってるのか!」

 バークもいつになく感情的になっていた。どうして誰も止めないのだとアマンダは周囲を見渡した。アトラスが先に来ていて、部下達を配置してバークとイワンの邪魔をしないように人々を遠ざけていた。

「何やってるの、アトラス兄さん。二人を止めないと!」

「いや、まだだ」

 アトラスは妹達には見せたことのない冷たい表情でバークとイワンの動向を凝視していた。この兄も仕事ではこんな顔をするのだとアマンダは一瞬たじろぐ。

「どうして!?」

「二人は昔からの仲だ。ケンカくらいするよ」

 表情とは裏腹にアトラスの説明は薄っぺらかった。そんな理由で大の大人の男が公衆の面前で殴り合うわけがない。第一、これが只事ではない事はアトラス自身の表情が物語っている。

「俺達のことも考えろ!」

 イワンがバークを殴り返し、体勢が逆転した。だが、現役のギャングのボスに鉄工所の主人が敵うはずがない。バークはイワンが掴みかかってきたのを見計らって足蹴りを食らわせ、イワンを組み伏した。人間の体のどこを抑えれば動きを止められるか熟知しているバークの猛攻に敵わなかったイワンは頬に砂を沢山つけて唸るしかなかった。

「チクショー……!」

 バークがイワンを抑えていた腕を離す。イワンは倒れたまま拳を地面に叩きつけた。バークはイワンに背を向け、襟を正すとアトラスにアイコンタクトをした。アトラスは片手を上げて部下達に合図する。部下達は人々に声をかけ、日常に戻るように言って回る。バークはアマンダ達には目もくれずどこかへ行ってしまった。

 アトラスは背後にいるアマンダ達に向き合った。ピリピリした空気を纏っていたアトラスもその時にはいつもの馴れ馴れしい態度に戻っていた。

「で、下っ端君達が揃いも揃ってここに何しに来たの?」

「いや、俺達……」

「てっきり、その……」

 はとこ達はアトラスの掴みどころのない雰囲気に気圧されて口ごもった。二人はアトラスの変人っぷりをよく知らないのだ。アトラスの物言いは責めているようにも受け取れるが、アトラスからしてみると逆のつもりだ。一番上の兄でしかも幹部の自分と話す部下達が少しでも緊張しないで済むように軽い口調をアトラスは心がけている。弟妹のジョンとアマンダからしてみれば、その気遣いが完全に裏目に出ているのは明白だったのだが。

「俺はこいつらがすごい必死だったからつられて来ただけです」

 ジョンのいい所は誰に対しても言いたいことをはっきり言うところだった。

「兄さん、それよりちゃんと説明してよ。どうして父さんとスティーブのお父さんのケンカを止めなかったの?」

 アトラスは答えようとして口をつぐみ、少し間をおいてからこう言った。

「イワンおじさんは土地を奪還するために戦った人の一人だ。つまりボスとイワンおじさんは旧友同士。その二人があそこまでのケンカをするのだから、並々ならぬ事情があると考えるのが妥当だ」

 アマンダはまだ疑問点が残っていたが、アマンダが質問する前にそれに答えたのは別の人物だった。

「町を出て車の工場で働くんだ」

 スティーブがアマンダ達の数メートル先まで来ていた。アマンダはスティーブの言葉を聞いて全てを納得した。アマンダはスティーブに会うのが久しぶり過ぎてどんな顔をしていいかわからず目を泳がせた。

「アマンダ、僕は父さんにはっきり言ったよ。いつか車を作る仕事がしたいって。ここでは絶対に叶わない夢だ」

 アマンダがスティーブに会った最後の日にスティーブが見せてくれた車の設計図をアマンダは覚えていた。あれからスティーブも自分の将来について考えていたのだ。イワンが血相を変えてバークに立ち向かうのもわかる。イワンもスティーブのことを思って随分悩んだことだろう。

 バークヒルズを出るのはそう簡単なことではない。この町に移住してきた人達が別の場所へ引っ越した事例は今まで一度としてない。それはこの町が他の町とは事情が異なるからでもあり、ギャングがそれを許さなかったからでもある。

「そうなんだ。スティーブは頭がいいからきっとなれるよ。どこへ行っても」

 全てわかっていたが、アマンダはあえてそう言った。親友に現実を突きつけることはできなかった。

「本当にそう思ってる?」

 スティーブの口調はアマンダを非難しているようだった。アマンダの真意を見透かすかのような言い方だ。事実、心にもないことを言っているのはアマンダの方だった。

「君の父さんの許しがなければ僕達は町の外へ遊びに行くことすらできない。それなのによくそんな事が言えるよね」

「父さんは私達のことを思って……!」

「本気でそう思っているのか?」

「え……?」

「本当に君のことを思うなら、君にそんな格好をさせて、ギャングの仕事をやらせたりしないだろう?」

「だって、これは私が人を殺したから……!」

「罪の償い方なんていくらでもある!」

 スティーブはアマンダに詰め寄ってきた。アマンダはまた少し背が伸びたスティーブの見下すような視線を感じて顔を上げてスティーブと至近距離で見つめ合った。スティーブの顔は煤で汚れて黒ずんでいた。鉄工所の仕事を通じて一段と大人の男に近づいていた。

 アマンダはその圧に負けていなかった。背も伸びていないし体力は落ち気味だが、それでもアマンダにはギャングとして生活したこれまでの経験がある。ただ父親に言われるままに汚れ仕事に加担してきたわけではない。

「ギャングに入ったのは私の意思。私は自分でこの世界に入ったの。私は人を殺してしまったからこそ、果たさなければならない使命がある」

 スティーブは何も言い返さず、しばらくアマンダの目を睨みつけていた。アマンダは瞬きもせずに睨みつけ返した。

「それが君の答えなんだね」

 スティーブはそう言うと、踵を返して鉄工所に戻っていった。

 アマンダはほっと息をついて視線を下げた。

「大丈夫か?」

 ジョンがアマンダに聞くが、アマンダは苦笑いを返すことしかできなかった。スティーブの言う事はごもっともだ。他に道があるならアマンダだって選びたかった。だがあの時のアマンダにはギャングに入る以外の選択肢はなかったし、この町で生きていくためにはそれが最良の選択だったと今でも思う。

 アトラスがアマンダの肩に手を置いた。それは兄としての親愛の表し方とは違った雰囲気を持っていた。力強い手の温もりにアマンダは何故だか勇気づけられた。

「皆、僕の部屋に来ない? 幹部にしか回らないいい紅茶があるんだ」

 アマンダはアトラスが何を言うのか期待しかけたのに、アトラスの発言はいつもの気の抜けたものだった。

 はとこ達とジョンとアマンダは顔を見合わせた。


*     *     *


 アトラスの部屋は宿舎の奥まった所にあり、ジョンとアマンダはアトラスの後ろをついていく間、沈黙に耐えなければならなかった。部屋に着くとアトラスは言っていた通りに缶に入った紅茶を淹れて二人に出した。

「あの子達も来ればよかったのにね」

 アトラスは仕事に戻ったはとこ達のことを言っているらしかった。ジョンとアマンダは訓練の日なので時間に余裕があり、断り切れずにアトラスの部屋に来ただけだった。なので何と言えばいいのかもわからずただ黙って出された紅茶のカップの紅い水面に視線を落としていた。

「ジョンもアマンダもよく頑張ってるよね」

 熱い紅茶を少しずつ飲みながらアトラスは雑談でもするかのように二人を褒めた。

「こんな暑苦しい集団に混ざってさ、アマンダは本当によくやってるよ。僕は比較的手が空いてるからいつも君達の訓練を見てるんだ。ジョンも妹の面倒をよく見てやっているし、偉い偉い」

 アトラスは驚くほどに優しいのだった。そこが逆にやりづらいのかもしれないとアマンダは思った。ギャングに入るような腕っぷしのいい兄達は、バティラ兄弟とまではいかなくても、誰しも己のプライドのために人と衝突することに躊躇いがない。だが、アトラスは身長は高いが痩せていて、戦場に出したら二度と返って来られなさそうな体型をしている。お世辞にも全く強そうには見えない。それなのに、アトラスのことを見下す人間はいないし、それどころかバークとギャバンの次に多くの部下を従えている。アトラスには人とは違う何かがあるらしい。それは戦場の女神と謳われたユリーカが戦場で産み落とした子供だからなのか、それともバークヒルズを取り仕切るバークの長男で幹部として長く働いてきたからなのか、それともその両方なのかわからなかった。

「ところで、アマンダはさ、スティーブ達はこの町を出てうまくやっていけると思うかい?」

 アトラスは唐突にアマンダに質問してきた。アマンダはどう答えていいかわからないが、とにかく何か言わなければと咄嗟に口を開いた。

「あ、その、さっき言ったことは慰めというか、なんていうか、スティーブに言ったらかわいそうかと思って……でも、この町を出てほしくはないし……だから、その……」

 アトラスは笑った。

「父さんがどうして町の人が外へ出るのを嫌がるかわかるかい?」

「え?」

 アマンダはさらに返答に困った。間違えたことを言ったら何が起こるのだろうと不安になった。

「人口が減少しているのに出て行ってほしくないから、とか……?」

「それもあるだろうけど、もっと根深い問題があるよ」

 アトラスは自分の机の透明カバーの下に敷いている国の地図を見つめていた。

「バークヒルズは1000万平方キロメートルもの面積を誇るこのイグニス合衆国の中南部に位置するほんの小さな町の一つだ。だけど、ここは他の町とは違って国家権力の支配の範囲外。政府のお抱えの研究機関だったリヴォルタの事故で人が住めなくなったウェイストランドの一部を武力により奪還した僕達は他の町の人からしてみれば厄介者だ。ウェイストランド出身者でも政府の指示に従って近隣の町に避難して、そこでリヴォルタの支援を受けながら新しい生活に馴染んだ人達も大勢いるのに、僕達ときたら意地を張って汚染地域に住み続けている。おかしいのはどちらかは明らかだよね。それなのに、今更になって別の町に住みたいですなんて言ったって、受け入れてもらえるはずがない」

 アトラスはカップを置いて椅子から立ち上がった。机の上の手に届きやすい所に置かれた雑誌をアマンダとジョンに見えるように掲げる。

「この本はおそらくこの町で一番新しい本だ。だけど、もう30年も前に発売されている。バークヒルズができて20数年が経った今、外の世界の新しい情報を知っている人間はボスと幹部の一部だけに限られてしまった。意地悪でそうしているわけじゃない。外との関係が良好じゃないからこういうことになっている」

 アトラスは雑誌を置くと、今度は暖炉に薪をくべて火を強くした。

「この町には電気もガスも水道も通っていない。寒くなったら暖炉に火をつけて、料理をするにも灯りをともすにも火を用いらなければならない。近くの井戸から水を汲んで、まるで産業革命以前の暮らしをしているみたいだ。だけど、外へ出たらどうだろう。スイッチを入れれば部屋全体が明るくなる蛍光灯の部屋に住んで、電気やガスで動くコンロやヒーターを見て、使い方がわからない人が外の世界にいるだろうか。何でこの人はこんなこともわからないのかなって思われて当然だよね。それが今の僕達だ。外の世界の人達が見たらすぐにどこから来たかバレてしまう。そんな世界でうまくやっていけると思えるかい?」

 アトラスが話し終える。が、アマンダは何も言えなった。バークヒルズと他の町の歴然とした格差をアマンダはなんとなく察していながら見て見ぬふりをしていた。外の世界の常識を何も知らないまま出て行ったら、どんな目に遭うか想像するだけで恐ろしい。

「夢がある若者達には悪いことをしていると思うよ。ここで生まれたというだけで選び取れる選択肢が限られているのだから」

 紅茶を飲み終えると、アトラスは訓練をしっかりするようにと言い添えて、ジョンとアマンダを部屋から追い出した。ジョンとアマンダは渋々訓練に戻ったが、二人ともどことなく心ここにあらずだった。


*     *     *


 アマンダは訓練を終えてからスプラッシュを連れ出してある場所へ向かった。久しぶりの遠乗りでスプラッシュはご機嫌で町中を走り抜けた。少し遠回りをして、道行く人に行先がバレないように慎重に目的地へ向かった。秘密の場所に到着したのは、日が落ちる寸前だった。

 そこはバークヒルズを出て西南に位置する場所だ。ただ、枯れた大木が一本ぽつんとそびえて立っている。それ以外には何もない場所だった。

 木の幹の近くで影が動いた。それはスティーブだった。

「来ると思っていたよ」

「うん」

 アマンダは軽く返事をした。

「ジョンはいないのか」

「夜は別の仕事があるって」

「そうか」

 ここはアマンダとスティーブとジョンが小さい頃に遊んだ秘密基地だった。大木の上には古い小屋があり、大木を登って、小屋で三人でこっそり遊んだのだ。小屋には20年ほど前に使用期限が切れた消毒液や黄ばんだガーゼなどが残っていて、おそらくバークヒルズ奪還紛争の際に使われたのだと思われた。

アマンダとスティーブは大木の根元に腰かけた。

「ここに来たの何年ぶりだろうね」

 スティーブが言った。

「わかんない」

 アマンダはリラックスした声で返した。

「あれ覚えてるか? ジョンがここに来るまでの間に転んで怪我して、二人で木に登って消毒液とガーゼ持ってきてジョンの膝を手当てしたこと」

「覚えてるよ。あの頃はジョンが一番背が低くて気弱だったよね」

「今は一番デカくて強情そうだけど」

「そうだね」

 二人は笑い合った。まるで昔を取り戻したみたいに穏やかな時間が流れていた。こんな時がずっと続けばいいのにとアマンダは思った。誰も傷つかず、誰も脅かさず、こんな風に大事な人と幸せな時間を過ごせたらいいのに。だが、それはただの願望にしか過ぎなかった。

「昼間の君の返事を聞いて、僕は決心がついたんだ」

 スティーブはそれを伝えに来たのだとアマンダは確信した。

「僕達は明日の朝、日が出る前にこの町を出て行く」

 アマンダは黙って聞いていた。

「僕と父さんの他にも何人かの人達が賛同してくれているんだ。町の人が目を覚ます前にこっそり抜け出して、二度とここには戻らない」

「……できると思うの?」

「やるしかないんだ。僕達が生きるためには」

 アマンダは小さく頷いた。

「スティーブがそう思うなら、私に止める権利はない」

 アマンダから情報が洩れる可能性については考えなかったのだろうか、と聞こうとしたがやめた。日が落ちて、スティーブの顔は暗くて見えなかったが、アマンダがスティーブ達の身に危険が及ぶことをするわけがないと信じているからだとアマンダは思った。

「さようなら、スティーブ」

「そうだね。さようなら」

 スティーブはアマンダの顔を見ずに去って行った。アマンダはしばらく時間を置いて、スティーブと会わないように帰り道を遠回りして帰った。

こんな時、宿舎ではなくシンディばあさんの家に帰れるのは幸運だった。誰にも見られずに夜を過ごせることを感謝した。


*     *     *


 翌朝、アマンダは目が覚めると、もうスティーブには会えないのだと思い出して悲しい気持ちになった。暗がりだったけど、ちゃんと顔を見て来ればよかったと後悔した。

気持ちを切り替えてベッドから出た時、窓の外がやけに騒がしい事に気付いた。

 上着を着て外に出ると、町の人が向こうでギャングの報復があったと教えてくれた。アマンダは嫌な予感がした。

「それはどこですか?」

「二番地の辺りよ。夜中に逃げ出そうとした人がいるんだって」

 アマンダは急いで二番地に向かった。そこは鉄工所で働く人達が多く住んでいる地域だった。

「アマンダ、何してるんだ。仕事に行け」

 走っていると後ろから腕を掴まれた。振り向くとアトラスがいた。

「兄さん、待って。嫌だ。私、あそこに行かなくちゃいけないの」

 アトラスにはアマンダがどこに行こうとしているのか一目瞭然だった。いつになく強い力で腕を掴んで放そうとしないことにアマンダは苛立った。

「放して!」

「絶対に行くな。お前のするべきことはそれじゃないだろ」

「どうしてよ?」

「僕に言わせるな。早く持ち場に行け」

「それってそういうことじゃないの!?」

「いいから早くこっちへ来るんだ」

「嫌だ!!」

 アマンダは渾身の力でアトラスの手を振りほどいて先程よりも早いスピードで町中を走り抜けた。

「アマンダ! 戻れ!」

 アトラスの声はアマンダには届かなかった。仕方なしにアトラスはアマンダを追って走り出した。

 アマンダは近道となる細道を横切り、角を曲がって二番地に到着した。ギャングのメンバーが黒く細長い大きな袋の端と端を持って、二人掛かりで馬車に乗せている最中だった。袋は複数あって、成人男性と同じくらいの大きさがあった。

「アマンダ、何でお前……」

 その声はジョンだった。気が動転してアマンダはジョンがいることに気付かなかった。

「スティーブは……?」

 ジョンを見ると、その目は涙を必死に堪えていた。

「嘘でしょ……」

「……やったのは俺じゃない」

「そんなのどうだっていい」

「俺はただ……スティーブの遺体を袋に詰めただけだ……」

「どうでもいいって言ってるでしょ!」

「でも俺がやったようなもんだ……俺はギャングの一員だから……」

「ジョンじゃない。ジョンは関係ない。これは全部私達のせいじゃない」

「冷たくなったアイツの体を袋に詰めたのは俺なんだ……!」

「やめてよ!」

 アトラスがやっと追いついてきてジョンと話しているアマンダを発見した。

 抱き合って泣いているジョンとアマンダに、アトラスは厳しい言葉をかける気を失くした。そして、ジョンとアマンダの背中を両腕で抱えた。

「全く君達はまだ子供だな」

 アトラスはジョンとアマンダにしか聞こえない声でそう言った。アマンダはそれを聞いてアトラスの胸に顔を押し付けてわんわん泣いた。まるで小さい子供が母親にしがみついて泣いているような有様だった。

 ジョンもいつになく震えて泣いていた。アマンダより長くギャングとして活動してきたジョンはこんな事態を何度も経験してきているはずだ。だが今日のジョンはただ友達の死を受け止めきれない普通の少年に戻っていた。

「これじゃジョンは仕事にならない。すまないが、今はそっとしておいてやってくれないか?」

 アトラスはジョンと一緒に遺体を運んでいた部下達に向かって言った。部下達の顔ぶれはアトラスも見知った弟達だった。彼らも沈んだ顔をして作業をしていたが、黙って頷いて作業に戻っていった。

 アトラスはただ兄として二人の弟妹が泣き止むまでずっとそばにいてくれた。

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