第二話 この怒りに呼応するもの
アマンダがコピアガンを撃った後遺症から目覚めて数日が経った。後遺症による体調不良は心配していたほど深刻ではなく、アマンダは日に日に回復した。初めは全身の倦怠感と発熱、関節痛などの風邪に近い症状が出ていた。熱は目覚めた時には下がっており、関節痛も三日でなくなった。倦怠感はまだ抜けないが、一週間を過ぎると家の中を歩き回れるようになった。
近所の女性達がアマンダとビアンカの見舞いに訪れた。アマンダは挨拶をしようとリビングに顔を出した。お見舞いに来ていたのはお向かいのアンドレアおばさんとその隣のポリーおばさんだった。
「アマンダ、随分よくなったみたいじゃない」
「ここに運び込まれてきた時は死んじゃったかと思ったのよ」
おばさん達は仕切りにアマンダの体調を気遣ってくれた。アマンダは滅多に風邪を引かないのでこんなに心配されるのは初めてだった。色々質問をされても何と答えればいいのかわからない。
アマンダの受け答えが曖昧になってきた辺りで、おばさん達の興味はビアンカに移った。
「それで、ミランダ。ビアンカはまだ出て来られないのかい?」
ミランダというのは母の名前だった。おばさん達は複数の男の間に何人か子供がいるが、その中にアマンダの兄にあたるバークの息子もいる。おばさん達からすればミランダは義妹のようなものだった。
「ああ、それが……」
アマンダは何も言わなかったが、母の言葉を真剣に聞いていた。アマンダも目覚めてから一度もビアンカの姿を見ていない。
「まだ人に会うのは難しくて」
アマンダは数日前、母にビアンカについて尋ねたことがあった。何日経っても部屋から出てこないので様子を見に行っていいか聞いたのだ。母はビアンカは精神的に参っているから絶対に入ってはいけないと言ったのだった。
「あら、かわいそうに」
「それじゃあ、早く元気出してってビアンカに伝えてもらえるかしら?」
「それがいいわ。私達、皆で心配してるから」
おばさん達はその後もお喋りに花を咲かせ、小一時間で帰った。アマンダはこんなに長く人と話すのは久しぶりだったので疲れが出始めていた。
「疲れたのね。少し横になった方がいいわ」
母は水を持ってアマンダを部屋へと誘導した。ドアを開けると窓からアンドレアおばさんとポリーおばさんが見えた。お見舞いの後も話し足りなかったのか、二人は道端で立ち止まって喋っていた。
「男に襲われたくらいで大袈裟だこと」
「あんなの少しの間大人しくしてればすぐ終わるのに」
アマンダの耳にそのような会話が飛び込んできた。先程まであんなに心配そうにしてくれていたおばさん達の言葉とは思えなかった。母を見ると、聞こえていないフリをしているようだった。
「あれって私達のことなの?」
アマンダは衝動的に母に聞いた。母は素知らぬふりをして答えた。
「さあね。早くベッドに寝なさい。あなたはまだ本調子じゃないんですから」
「嫌なことを嫌だと言って何が悪いの?」
「お見舞いに来てくれた人達のことを悪く言わないの」
「そんな社交辞令みたいなお見舞いなら来てくれない方がマシじゃない。何なのよあの言い草は。まるで私達が悪いみたい」
「アマンダ。この町で生きるには我慢が大事なのよ。こんな閉鎖的な町で生きていくならね。だから力のある者に逆らってはダメ。気が済むまでやり過ごすのが賢い生き方よ」
「生きるためなら男の好きにさせろっていうの? それが母さんやおばさん達の生き方なの?」
母は一瞬、答えに詰まった。だが、すぐに眉間に皺を寄せて、アマンダを見つめた。これは母がアマンダを叱る時にするやり方だった。
「そうじゃないけど、そういうものなのよ」
アマンダを強引に寝かせて、母は部屋を出て行った。アマンダは疲れているのにおばさん達の発言への怒りで頭が冴えてちっとも眠れず、しばらくベッドの上で悶々としていた。
アマンダは体が回復したら学校に行かなければならないと思った。だが、おばさん達のあの発言や母の言い分を考えると、学校にアマンダの居場所はもうないような気がした。咄嗟のこととはいえ、コピアガンナーから盗んだコピアガンでビアンカを押さえつける男達を撃ったのは事実だ。そういえば撃たれた男達がその後どうなったのか聞いていない。ビアンカが無事なら男達も無事だったのだろう。ビアンカを誘拐した罪に問われているかは疑問だが。報いを受けたのはコピアガンで男達を撃退したアマンダの方だ。これだけ体を壊せば十分すぎるものだが、それでもきっと世間のアマンダを見る目は変わってしまったかもしれない。表面上はいつも通りでも、陰ではアマンダのことを悪く言っている可能性はある。
やるせない気持ちを抱いたまま、アマンダはいつの間にか眠りについていた。眠っている間だけがアマンダにとっての安息の地であるかのような穏やかな眠りだった。
* * *
ある日の夕方、アマンダが夕飯の皿をテーブルに並べていると、突然の来客があった。馬の足音でアマンダはそれがバークだと悟った。バークの愛馬エルガルドはバークヒルズで一番の脚力を誇っている。止まる時の力強い足音でアマンダはそうだとわかった。
父が来るとは珍しい。バークヒルズを支えるために奔走している父が寝泊まりしているのはギャングの宿舎だ。それに、バークにとって子供と妻がいる家はここだけではない。何人もの女との間に子供がいて、バークはどの家族とも距離を置いている。子供の誕生日にもプレゼントすら送って来ないバークが来るなんて誰も予想しなかった。
バタンと大きな音を立ててドアを開けたバークは皿を置こうとしていたアマンダの目の前に立ちはだかった。汗と焦げ臭いようなよくわからないにおいが鼻をついた。アマンダよりはるかに背が高いバークは威圧感があり、とてもアマンダの身を気遣って見舞いに来たとは思えなかった。
「アマンダ、調子はどうだ?」
「え?」
だから、アマンダはバークに聞かれてすぐに答えられなかった。
「コピアガンの後遺症はどうなんだ?」
「あ、あの……大丈夫です」
「そうか」
キッチンから母が出てきてバークの来訪に驚いた。
「バーク、来るなら来ると言ってください。こんな時間に一体何です?」
「娘の見舞いに来て何が悪い」
「それはありがたいですけど。もううちは夕飯の時間なんです。ビアンカだってまだ寝込んでいるのに」
「ビアンカはどうだ。あいつは美人になったんだろう?」
「ええ、そりゃあ、もう。私の娘ですからね。男に狙われるくらいには魅力的な女になったでしょうよ」
アマンダは母の得意げな言い方に何か言い返してやりたいと思ったが、父と母の言い合いに割って入れるような空気ではなかった。
「それじゃアマンダはどうだ。この子はお前とは似ても似つかない無法者だ」
バークは褒めているような口調で言うが、ちっとも嬉しくない事を言う。
「いくら何でも言い方ってものがありますよ」
アマンダは何も言えず、ただ置きかけていた皿をそのまま縦にして握ったままでいた。
「なあ、アマンダ。お前、自分が何をしたか覚えてるか?」
バークはいきなりアマンダに話を振ってきた。そして、近くの椅子にどかりと座ってタバコに火をつけた。ギャングでも幹部にしか行き渡らない貴重なタバコだが、ギャングのボスともなれば数を気にせず吸えるのだろう。タバコの煙をふーっと吐いて、まだアマンダが何も言わないのでバークはもう一度聞き返した。
「アマンダ。お前、あの夜何をしたのか覚えているのか?」
アマンダははっとして答える。
「姉さんを襲った男達に向けてコピアガンを撃ちました」
「そうだな。で?」
「で?」
バークはまだその続きを聞きたがっていた。だが、アマンダには何を答えればいいのかわからない。
「それで、どうした?」
「それで……」
アマンダは何の話をすればいいのか必死で頭を巡らせた。コピアガンを撃って、その後どうしたのだったか。アマンダはこの時やっとあの夜のことを鮮明に覚えていないことに気付いた。コピアガンを撃ったことまでは覚えている。その後、急に頭がくらくらとしてきて、力が抜けたのだった。それからどうやってビアンカと家まで帰ったのかわからない。いつから寝込んでいたのかも疑問だ。
「ミランダ、言ってないのか?」
バークは母に向かって言った。母は渋い顔で首を横に振った。
「この子にはすぐに話しておけと言っただろう。今後のことにも関わるんだから」
「だけど、あんなこと……」
父と母の不穏な空気を感じ、アマンダは冷や汗をかいた。アマンダは何か重要なことを覚えていないようだ。だが、それがわからない。何の話だろう。今後に関わるとは何のことだろうか。
「この人殺し!」
その時、大声で叫ぶ声がリビングに響き渡った。三人は声がする方に注意を向ける。
廊下に続くドアがいつの間にか開け放たれていて、そこにビアンカが立っていた。
「ビアンカ! どうして出てきたの!?」
母が慌ててビアンカを部屋に連れ戻そうとする。アマンダは先程ビアンカが言ったことを思い返し、事態を把握しようとした。人殺しとは誰のことだ? まさか……?
「あなたは人を殺したのよ! 覚えてないの? アマンダ! あなたは人を殺したの!」
ビアンカはアマンダを指さして何度もそう言った。その形相はもはや妹を見る目ではなかった。ビアンカの語気からは恐怖や怒りをはるかに超えた狂気に近いものを感じさせた。
「部屋に戻りなさい!!」
母が強引にビアンカを連れて行った。ビアンカは奇声を上げていたが部屋に戻りドアが閉められると静かになった。残されたアマンダは父の顔を見ることができなかった。顔は真っ青になり、全身から血の気が引いていた。皿を持つ手が震えていた。
あの夜、自分が何をしたのか思い出せない自分が信じられなかった。とんでもないことをしでかしたのに、数日間を何事もなかったかのように過ごしていたなんて。自分の無神経さに鳥肌が立った。アンドレアおばさんとポリーおばさんがどんな気持ちで見舞いに来たのか想像するのも恐ろしい。おばさん達が自分の健康と引き換えに男達を殺した殺人犯の顔を見に来たつもりだったとしたら――。
「いいか、アマンダ。よく聞け。これはお前のしたことだ。お前が背負っていかなければならないお前自身の話だ」
アマンダが震えながらバークの目を見ると、バークはタバコを消して、真剣な顔つきでアマンダを見据えた。そして、あの夜にあったことを話し始めた。
* * *
暗くなりかけているウェイストランドの立入禁止区域ではスクラムバッファローが暴れ回り、その真ん中で馬車が横転し、男達とビアンカが馬車から這い出てきていた。アマンダはスプラッシュから振り落とされ、地面に転がったままビアンカ達を見ていた。
アマンダはビアンカを助けようと立ち上がる。だが、無力なアマンダには勝算がない。自分が行ってもどうすることもできないだろうと思う気持ちがアマンダの足取りを重くし、それでもなお自分はどうなってもいいから姉を救いたいという気持ちがなんとかアマンダを歩かせた。その時、アマンダの怒りに呼応するコピアガンの音がアマンダの耳に届いた。聞いているだけで勇気が湧いてくる音だった。
アマンダは落ちているコピアガンを拾い上げ、引金の位置を確認し、容器の中で激しく回転するコピアを見つめた。それはまるで希望の光のようだった。見たこともないまばゆい光にアマンダは見入った。
「何するの! 触らないで!」
アマンダは顔を上げてビアンカ達の方へ向き直った。ビアンカが逃げられないように男達が地面に押さえつけている。ビアンカは足をジタバタさせて抵抗している。
アマンダはコピアガンの銃口を男達に向けた。
「姉さんに触るな!」
アマンダがコピアガンの引金を引くと真っ黒い煙が噴出した。男達とビアンカは瞬く間に黒煙にまかれた。
「ぎゃああああ!!」
男達の叫び声はすっと消えていった。ビアンカは男達の最期を黒煙の中で感じていた。コピアによって作られた黒煙はビアンカには何もせず、男達だけを骨まで燃やし尽くした。男達は蒸発し、跡形もなく消え去った。
コピアガンが残りの黒煙を全て吐き出すと、アマンダはその場でふらつき、倒れた。アマンダは全身のエネルギーをコピアに吸い取られていた。手足に力が入らなくなり、関節が軋んだ。高熱と吐き気もあり、意識はあっという間に飛んでしまった。
役目を終えたコピアはキラキラとした光を放ちながらアマンダの手に握られたコピアガンの中に戻っていった。
家ではミランダが姉妹の帰りが遅いので心配して家の外に出ていた。馬の足音が聞こえてきたので道へ出るが、帰ってきたのはスプラッシュだけだった。
「スプラッシュ! アマンダはどうしたの?」
ミランダはスプラッシュの手綱を手繰り寄せ顔を撫でる。スプラッシュは興奮していてまたどこかへ行こうとしている。
「何? どうしたの、あなた」
何かがおかしいと思ったミランダはバークを呼びに行った。バークはギャング達を連れてスプラッシュが案内する場所へ向かった。スプラッシュが立入禁止区域へ入って行くのでこれはただ事ではないとバーク達は焦りを見せた。
スクラムバッファローの足跡ででこぼこした地面が続く荒地に到着すると、バーク達は横転した馬車を見つけた。ビアンカが馬車に背を預けて座り込み、体を震わせながら泣いていた。
バークがエルガルドから降りてビアンカに近づくと、ビアンカは怯えた様子で真正面を指さした。
「父さん、アマンダが……」
ビアンカの指し示す方向にアマンダが仰向けになって気を失っていた。バークは部下にビアンカを預け、アマンダに駆け寄る。アマンダの手にはコピアガンが握られていた。
「ボス、これって……」
部下の一人がアマンダが握っているコピアガンを見て言った。バークはアマンダの手からコピアガンを強引に奪い取り、自分の胸元のガンホルダーにしまった。
「これを他人に見られてはまずい。俺が預かる。アマンダを頼んだ」
バーク達は姉妹をミランダの家まで送り届けた。ミランダはずっと外で帰りを待っていた。姉妹が馬に乗せられているのを見てぱっと顔を輝かせた。
「バーク、この子達は大丈夫なの?」
「ミランダ、聞くんだ」
バークはエルガルドから降りてミランダを家の物陰に誘導した。ミランダはバークの深刻な表情に不穏な空気を感じ、大人しく従う。
「何です?」
「アマンダがコピアガンでビアンカを連れ去った男達を焼き殺した」
「そんなまさか……!」
「ビアンカがそう言っていた。真偽は確かではない。だが、アマンダがこれを持っていたのは事実だ。目を覚まさないのも……」
ミランダはバークの胸元のガンホルダーに入れられたコピアガンを見て悲鳴を上げる。
「何てこと……!」
「いいか、ミランダ。よく聞け。あの子が目を覚ましたら俺の所に連れてこい。コピアガンは俺が預かっておく。自分が何をしたのかアマンダにはよく言い聞かせろ。わかったな」
青ざめるミランダを置き去りにして、バーク達はギャングの宿舎に帰って行った。ミランダはしばらく肌寒い夜風に吹かれながら頭を抱えてしゃがみ込んだ。とても立っていられるような状況ではなかった。
* * *
アマンダはバークから全てを聞かされた。あの夜にあったことはアマンダに全ての責任があるわけではない。姉を守ろうとしてやったことが結果的に男達を殺すことに繋がってしまっただけなのだ。
「お前はビアンカを助けようとした。それは悪いことではない」
バークの言葉には重みがあった。バークヒルズを勝ち取るまでにバークがくぐり抜けてきた修羅場はこんなものではないからだ。大勢の人を殺したし、多くの友人を失った。それでも欲しいものがあったのだとその目は語っている。
「だが、死んだのはこの町の人間だ。もちろん、そいつらにも家族がいる。お前はその人達から今後一生恨まれて暮らしていくことになる。なら、お前はどうする?」
アマンダは自分が殺してしまった男達のことを知らない。いくら小さい町とはいえ、バークヒルズには400人が住んでいる。接点がない人がいてもおかしくない。しかし、その人達からしてみれば、アマンダは家族を殺した仇になるのだ。ビアンカを襲おうとした男達だが、この町ではどうやらそれは罪にはならないらしい。男の誘いに抵抗した女が過剰防衛で殺してしまったことの方が重大事件なのだ。
アマンダの腹の底から怒りが沸々とわき上がってきた。嫌な目に遭わされた方が責められる理不尽に耐えきれなかった。しかし、ベッドでそのことについて考えていた時と今は違っていた。アマンダは理不尽を許さない。辛い目に遭わされた女が泣き寝入りをする世の中は間違っている。それを正したい。この町をよりよくするためなら、どんな苦しみも耐えられる気がする。
アマンダはあの夜と同じ感覚が蘇ってくるのを感じた。強い怒りとそれに呼応する希望の光だ。そうか、父はアレを持ってきてくれたのだ。アマンダの怒りを武器に変えてくれるコピアガンを。
「そんなやつら、片っ端から燃やし尽くしてやりますよ」
考えるまでもなくアマンダの口からその言葉が出た。それは以前のアマンダなら絶対に口にしない言葉だった。女の子らしくないと言われるアマンダでも暴力的なこととは無縁だった。それが今は本能的にその言葉を発している。それはきっとバークに似た娘だったからでもあるのだろう。
「よし、わかった」
バークは上着をめくり、ガンホルダーからコピアガンを取り出した。アマンダが思った通りの場所にコピアガンは収納されていた。アマンダが持つと、コピアが光り輝いた。
母が戻ってきて、コピアガンを手にしたアマンダを見て小さく悲鳴を上げた。
「アマンダ、どうしてそれを持っているの。バークが持ってきたのですか?」
コピアの光を反射したアマンダの瞳は妖しく光り、口元は不敵な笑みを浮かべていた。母はそんな娘の様子を見て声も出ない。
「アマンダは今日からギャングに入る」
バークは母とアマンダに向けてそう言い放った。
「何てことを……!!」
我に返った母はアマンダの両肩に手を乗せぐっと引き寄せた。恐ろしい光を目に湛えたアマンダを母はしっかりと見つめ返し、説得しようとした。
「アマンダ、そんな物騒な物はお父さんに返しなさい」
アマンダはコピアガンを強く握り直した。
「ミランダ、口を挟むな」
バークは母とアマンダを引き離そうとした。母はアマンダをぎゅっと抱きしめた。
「今まではあなたに従ってきましたけど、これだけは譲りません。アマンダは私の娘です。危険な目には遭わせられません」
「アマンダは俺の娘だ。この子には才能がある。コピアガンもこの子を認めた。女としてこの町で生きるよりいい生き方がこの子にはある」
「どうしてそこまで言うのですか? アマンダが人を殺したからですか? それがビアンカを守るためでもいけないって言うんですか?」
「人間には覚悟を決めなきゃならない時がある。この子にはそれが今だ。これからこの子が生きていくためには俺のところに来た方がいい」
「冗談じゃありませんよ! うちには娘しかいなくて助かったと思っていたのに……!」
母はその場で泣き崩れた。温かい涙がアマンダのパジャマに吸い込まれ、アマンダの肩に濡れた感触を残した。アマンダは初めて母がこんなに小さくて弱いのだと気付いた。アマンダには我慢すべきだったと言っていたが、本心では母はアマンダの味方だったのだ。それはとても愛おしいようでもあり、同時に哀れでもあった。母の愛を再確認してもなお、アマンダの中では何の力も持たない女でいたくないという思いが強まるばかりだった。
「ここへ来た時にはこんなに生活が大変だなんて思わなかった……!」
母の言葉はバークヒルズへ来てからの全てのことを指していた。母はバークがやっと取り返した故郷で幸せな生活が送れると思って戻ってきたのだ。だが、現実は甘くなかった。コピアの影響は深刻で、自分達が生きていくので精一杯だった。
「いつかこうなるんじゃないかと思っていたんですよ。アマンダが女の子にしては元気がよすぎるから。あなたがある日突然うちにやってきてアマンダを連れて行ってしまうんじゃないかって。だから私はアマンダに女の子らしくしなさいとあれほど言ったのに……」
バークの息子達はほぼ全員がギャングに入れさせられていた。極端に体が弱いとかでもなければ例外はなかった。彼らはバークヒルズを支えるために危険な仕事を与えられ、若くして命を落とす者もいた。ミランダは息子が亡くなった母親を何人も横目で見てきた。その度に、自分には娘しか生まれなくてよかったと思っていたのだ。
母の考えていたことをアマンダは知らなかった。アマンダは自分の思うままに生きてきただけだった。馬に乗るのが好きで、男の子達と外で遊ぶのが好き。ただそれだけだった。乗馬を教えたのはバークだったが、バークが自分をギャングに入れるつもりで訓練していたなどとは考えたこともなかった。バークもおそらく、そんなつもりで乗馬を教えたわけではないと思う。町中でどんなに女らしくないと陰口を叩かれてもへっちゃらで、ちょっとした嫌がらせくらいで復讐したりしようとも思わなかった。
状況を変えたのはコピアガンだった。
「母さん、私は自分の思うように生きてきただけだよ。あの夜も姉さんを守りたかった。今はギャングに入りたい。コピアガンは私を選んだ。私はもう今までの私じゃない。私はこの力でこの町を変えていきたい」
アマンダは母から離れようと身をよじった。母はしばらくアマンダを抱きしめ続けたが、アマンダが強烈に嫌がるので観念してアマンダを放した。
「どうしてあなたはいつもそうなの?」
アマンダは母の目を見ずに、バークの方を見た。バークはにやりと笑って自分の被っていた帽子をアマンダの頭に被せた。
「行くぞ、お前の家はもうここではない」
アマンダはバークに連れられて家を出た。母は出てこなかった。エルガルドが軒先で静かに待っていた。バークはアマンダに自分の馬に乗るように指示した。アマンダはスプラッシュを馬小屋から出し、背中に乗った。道に出ると、スプラッシュは待ち構えていたエルガルドとバークに一瞬たじろいだ。
「大丈夫だよ。父さんもエルガルドも優しいから」
バークが優しいというのは嘘だったが、エルガルドが優しいのは本当だ。小さい頃、馬に乗る練習でバークはアマンダと一緒にエルガルドに乗ったことがある。アマンダが上手に乗れないとエルガルドはしゃがんで乗りやすいようにしてくれた。スプラッシュはエルガルドとはすぐに打ち解けて仲良く並走した。エルガルドはスプラッシュがついてこられるスピードで走った。
馬の背中の軽やかな揺れに身を任せながら、アマンダは今後のことを考えていた。これからはギャングとして自らを危険に晒すことになる。当然、町の人の目も変わるだろう。人を殺してギャングに入ったバークの娘として生きていかなければならない。だが、アマンダに不安はなかった。コピアガンさえあればどうにかなると思っていた。自分には力がある。これさせあればどんなことも切り抜けられる。
ギャングの宿舎に着くと、バークは初めにアマンダにこう言い渡した。
「アマンダ、お前が一人前になるまでそのコピアガンは預かっておく。俺に渡せ」
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