第43話 坊ちゃんのナースメイド
洞窟の地面は整えられていないむき出しの岩だった。けれど、光る玉に照らされているおかげでかなり歩きやすい。
洞窟の中は滑るイメージがあったけれど、ここはそうでもなかった。玉の光が苔が生えるのを抑えているのだろうか。
快適に歩けたので、どんどん進んでいけた。けれど、終着点はなかなか見えない。お屋敷の外に出るための脱出路だと思うので、階段か出口が見えてくるはずだ。
三十分は歩いただろうか。さすがに足が疲れてきていた。休んで坊ちゃんを待ってみるべきだろうか。
(でも本当に坊ちゃんが追ってきてるかもわからないし、洞窟を抜けた先で合流するつもりかもしれない。それなら休んでる暇はないよね)
わたしは休まずに歩き続けた。普段からアタッシュケースを持ち歩くようにしていたおかげか、歩けなくなるほど疲れたりはしない。
(お屋敷の中だと、立ちっぱなしのことが多かったから、わたしも結構鍛えられたのかな?)
けれど外の空気を感じるまで、二時間以上かかるとは思っていなかった。
さすがに休憩しようかと思い始めた頃に、広い場所に出た。見上げると、大きく空いた穴から虹に囲われた星たちが見える。
(ここから外に出られるのかな? でもどうやって上がればいいんだろう?)
穴はお屋敷の高さなど比にならないくらい、高い場所にあった。はしごなどがかかっていたとしても、わたしでは上れないだろう。
(他にも道があったりするのかな?)
わたしは広くなっている空間の真ん中まで出た。野球場くらいの広さはありそうで、そこらに光る玉が転がっている。夜の洞窟内としてはかなり明るいけれど、さすがにここからでは壁が遠すぎて、他の道があるかまでは見えなかった。
壁沿いに行こうと思い歩き出すと、洞窟内に固い音が反響するのが聞こえた。わたしの足音が響いているのかと思って足を止めたけれど、音は止まらない。
(もしかして、坊ちゃん?)
音が響いてくる方向は、わたしが来た方向と同じだ。わたしはそっちに駆け寄った。
通路が見えてくる。そこから、光る玉に照らされる一つの影が向かってきていた。
坊ちゃんのような小さな影ではない。
(黒ドレスさん……!)
心臓が止まるかと思った。黒ドレスさんは一人で歩いてきている。
「坊ちゃんは……?」
いや、坊ちゃんは絶対に無事なはずだ。黒ドレスさんは、坊ちゃんを危険にさらした人たちを処刑してきた。黒ドレスさんが坊ちゃんに危害を加えることはないはずだ。
(でももし推理が間違ってたら、坊ちゃんも危ない目にあってるかもしれない)
不安は考えれば考えるほど強くなる。けれど今は、自分の身の安全を一番に考えた方が良さそうだ。
黒ドレスさんは手にバケツのような物を持っていた。猫目メイドさんに使った棒状の凶器は今のところ見えない。けれど、あの棒をスカート内に収納しているのを見たことがあるので、油断はできない。
(わたし相手だったら、素手でも余裕なのかもしれないけど)
バケツで殴りかかられるだけで、わたしは抵抗できないだろう。
けれど黒ドレスさんはそんなことをしてこなかった。まるでわたしなどいないかのように周りを見回し、声を出して笑い始めたのだ。
わたしの後ろで地面が揺れた。
(いったい何が――)
振り向いた先には大きな影があった。人影などではない。一軒家と同じくらいの、本当に大きな影だ。それは二枚の大きな翼を広げると、黄色に光り始めた。
(え……! 翼を持った竜!? 本当に存在したの……?)
それは図鑑の絵や、謁見の間の石像にそっくりの翼竜だった。
翼竜はサイレンを低くしたような声を洞窟内に響かせる。全身が震えるような大きな声だった。
(え? これって、めちゃくちゃヤバいよね……?)
わたしが作ったアニメーションでは、主人公を成長させる友好的なドラゴンとして描いた。けれど本物の翼竜が同じだとは限らない。
わたしを見下ろす竜の目からは、友好的な感情は読み取れなかった。無機質に睨みつける爬虫類の目だ。
(逃げないと……)
通路に入り込めば、あの大きな体では追ってこれないかもしれない。けれど、通路の入口には黒ドレスさんがいる。前門の虎後門の狼とは、まさに今の状況のことをいうのだろう。
案外、動かないでいるのが一番安全なのかもしれない。そう思っていると、翼竜は少しだけ静かに鳴いた。
「デテイケ……デテイケ……」
わたしには鳴き声がそう聞こえた。
「え……? 日本語……?」
きっと気のせいだ。猫がしゃべっているように見える動画などを見たことがある。きっとそれと同じだ。
もう一度翼竜は鳴いた。
「ココハ……ワタシトオウノバショ……デテイケ……」
日本語にしか聞こえなかった。まだ気のせいの可能性はある。けれど、翼竜と対話するのが助かるための一番の方法に思えた。
(対話? わたしが? 絶対に無理だ……)
わたしは話を聞こうとしてくれる人ととも、まともに話せない。明らかにこっちの話を聞く気のない竜相手に、話せるわけがない。
(でも、このままじゃ全部、黒ドレスさんの思うままだ)
それは悔しかった。お人形ちゃんや姫ちゃん、そして坊ちゃんの周りをぐちゃぐちゃにして、翼竜を見つけて笑っている。
目的はわからないけれど、絶対に思い通りにさせたくなかった。
「た、助けて……!」
絞り出した声は、思ったよりも響いた。洞窟の中だからだろうか。
翼竜は声に反応して、首を傾けた。
「タスケテ……デテイケ……タスケル……デテイケ……」
わたしの言葉を反芻しながら、自分の主張を忘れないように呟いているように見えた。言葉を操れるけれど、スムーズに会話ができるほど頭がよくないのかもしれない。
(それだったら、わたしと一緒じゃん)
翼竜は首を傾け直した。
「タスケル……ナニヲスル……」
「えっと――」
わたしの言葉が途切れたのは、いつものコミュ障のせいじゃなかった。
頭の上から一気に体が冷たくなったのだ。わたしの横を通って前に出た黒ドレスさんが、バケツを投げ捨てる。
わたしの体は濡れていた。頭から水をかぶせられたのだ。
心臓の奥が冷たくなっていく。頭は勝手に『ごめんなさいごめんなさい』と呟いている。
気が付けば膝をついていた。頭の中の呟きはどんどん大きくなっていって、他のことが考えられなくなってくる。何に謝っているのか。それすらも考えられない。
わたしの目には何も映っていない。代わりに、トイレの中で誰かに囲まれているという感覚だけがあった。
眠気に似た気持ち悪さが内側から広がってくる。それに身を任せてしまえば、楽になれるだろう。
(でもそうしたら、もう二度と坊ちゃんに会えなくなる)
思いだした。坊ちゃんとの関係もこの感覚から始まったのだ。
気に入らないこともあった。生意気で好き勝手するし、わたしを気遣わないで一人で行動しようとする。でも本当は優しくて責任感のある子だった。一人で毒が入っているかもしれない食べ物と向き合って、間抜けなわたしがお兄さんに蹴とばされそうになったときに助けてくれた。
今思えば、最初に態度が悪かったのは、坊ちゃんのナースメイドという危ない仕事に、誰かが就くのが嫌だっただけなのかもしれない。
(もしかして、坊ちゃんは自分を担当するナースメイドが殺されるのを、何度も経験してるのかな?)
気が付けば、頭の中がすっきりしていた。もう気持ち悪さも感じない。顔を上げれば、黒ドレスさんの後ろ姿と黄色い翼竜の姿が見える。
(坊ちゃんのナースメイドになった以上、殺されるわけにはいかないじゃん!)
わたしは立ち上がった。
「わたしを守って! 坊ちゃんのところに戻らないといけないの!」
間違いなく、わたしが今まで出した中で一番大きな声だった。
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