第12話 3枚の金貨

 教会に人が集まっていた。みんな長椅子に座って、祭壇に目を向けている。すでに両手を頭の上に載せて、祈りをささげている人もいた。


 わたしも柱の陰からだけれど、両手を合わせる。静かで厳かな雰囲気が、余計にわたしの緊張を掻き立てる。


 神官として祭壇の前に立ったのは、意外にも牧場の少年だった。服装は昨日と同じ麻のボロだったけれど、頭に銀色のお皿を唐笠のように載せている。


(宗教的なセンスはよくわからないけど、予想通りのことが行われると思って間違いないかな)


 教会に集まった人々。


 祭壇の前に置かれた棺桶。


 祭壇の前に立つ神官。


 私のイメージするお葬式そのものだった。もし違っていたとしても、教会に人が集まっているというだけで、推理ショーの舞台としては上出来だ。


 日が昇ってきて、祭壇の上の窓から教会の中を照らす。見渡して集まった面々を確認していくと、小屋の前にいた人は全員確認できた。


(集落の全員が来ている……ってわけじゃないよね?)


 見たことのない顔は十くらいしかない。全部で二十人程度だろうか。


(まぁいいか。いて欲しい人は全員いるし)


 わたしは紐を握った。これを引けば後戻りはできない。ゲームならセーブポイントがある場面だ。


(心臓が破裂しそう。でも、やらなくちゃ。見てもらいたいものがあるんだ)


 冷静になったらおしまいだ。徹夜作業で昂っている気分に任せて、紐を引く。


 窓の外に引っ掛けておいた毛布が、窓を覆った。唯一の光源が失われて、教会内をもやがかかったような弱い闇が支配する。


 悲鳴混じりのざわめきが大きくなる前に、開いたアタッシュケースに載せた機械のスイッチを入れた。


 祭壇横の白い壁に、光が当たる。


 簡易的な映写機と、アニメ制作のキット。それがわたしの持ち歩いていた、アタッシュケースの正体だ。


 中学校に上がる前くらいに、お年玉をはたいて古本屋で買った。もともとは古い雑誌の付録か何かだったらしい。


 子供だましのおもちゃみたいなものだ。それでも買ったときは、これで最高の作品が作れると信じていた。


 でもわたしは作品を完成させたことがない。結局、理想ばかりが高くて技術も熱意も足りなかった。次第にこのアタッシュケースはわたしの『できない』の象徴みたいになっていった。


 それも今日でおしまいだ。これから初めて人に作品を見せる。推理ショーという名の、言葉を要しないアニメ作品だ。


 緊張と喜び、楽しさが合わさった昂りで、心臓が熱い。


 胸に手を当てて深呼吸し、ハンドルを一回転させる。すると、光の中心にアニメ調のいわゆる美少女が現れた。軽くウェーブした栗色の髪と、ゆったりとしたシンプルな服は、殺された女の子をイメージしてわたしが描いた。目の色だけはわからなかったので虹色だ。


 一人がそれに気づくと、次々と視線が集まっていく。悲鳴に近い声も上がったけれど、ざわめきを越える騒ぎにはならなかった。


 一人を除いては。


「――――!」


 女の子のお父さんが、大きな声を出して立ち上がった。お母さんのほうは体を縮こめて固まっている。


(よかった。まだ想定の範囲内……)


 女の子のお父さんが、光の中の女の子へ、ゆっくりと足を進め始めた。その姿はまるで、初めて立ち上がった赤子のようだ。


 わたしはハンドルに手をかけて――


「……え?」


 思わぬ動きにわたしの手が止まった。少年が両手を広げて、通せん坊をするように、女の子のお父さんの前に立ちふさがったのだ。


「――!」


 少年が大きな声で恫喝すると、女の子のお父さんは名残惜し気にではあるけれど、自分の席へと戻った。そして少年は女の子のイラストへと向き直り――


「――?」


 何かを問い始めた。これは想定外だ。


(ああもう! なるようになれ!)


 わたしにはもう、ハンドルを回すことしかできない。


 ハンドルの回転に合わせて女の子が動き、両の手の平を向けて『待て』のような動きをとった。混乱するであろう現場を静めるために描いておいた動きだ。


 もう静まり返っているこの状況では不自然かと思ったけれど、別の意味に捉えられたのか、少年は両手を頭の上にのせる祈りのポーズをとり、みんなもそれを真似した。


(とりあえず何とかなった……? 後に響かなければいいけど)


 少年が顔を上げるのを待ってから、ハンドルを回していく。


 次に登場するのはナイフだ。ナイフは風車のようにくるくると回転してアピールした後、女の子の胸へと突き刺さる。


 大量の血が噴き出し、周りを汚した。教会内から、悲鳴に近い吐息が漏れる。


 スクリーンの女の子は一度倒れたけれど、すぐに起き上がって、両腕でバッテンを作り首を横に振った。ハンドルを回す手をゆるめ、少年の反応をうかがう。


 少年は目を大きく見開いた後、みんなの方へ振り向いて、何かを早口に語り始めた。この状況で教義の話をしているわけではないだろう。


(きっと、ナイフで刺したら血がたくさん出るって言ってくれてるよね)


 小屋の中が綺麗すぎると、最初に気づいたのは少年だ。それを説明してくれていると信じて、ハンドルを回し始める。


 次に説明するべきなのは、なぜ小屋が血で汚れていなかったかだ。


 女の子が歩く動作に合わせて、隣の映写機にパネルを入れる。すると背景に小屋の外観が映り、女の子が外を歩いているような絵になった。


 そして登場するのがナイフを持った黒い影。するどい三角の目が、禍々しさを表現している――はず。


 その影が女の子にナイフを突き刺した。血が噴き出して、現場や女の子を汚す。影はそれらをきれいに掃除して、女の子を小屋へと運んだ。


 ここでもう一人、全く同じ見た目の女の子が登場。その女の子は自分を運んでいく影を指さしてから、両手でバッテンを作って首を横に振った。


 お巡りさんの表情をうかがうと、やはり眉をひそめている。


 そう。女の子は別の場所で殺されたわけではないのだ。


 殺人現場は小屋の中。パネルを抜いてハンドルを回すと、その矛盾を解く鍵が映し出される。


「「――……」」


 ちょっとしたざわめきが、晴れた夜の風のように、数秒だけ教会の中を賑わせた。


 この集落に住んでいる人ならみんなが知っているのだろう。細い葉と青い花が印象的な草。


 名前はわからないけど、泉でわたしが触れただけで失神した毒草だ。そして、その下に白い長方形が表示される。これだけでは何かわからないのは百も承知だ。


 毒草は渦を巻いて雫になると、長方形へと落ちて染みわたった。長方形はひらりと舞い、女の子の首へと貼りつく。


 そう。これは湿布だ。


 さっきとは別のパネルを入れて、舞台を小屋の中へと変える。女の子はベッドへと入り、わたしが床に寝ていた。


 ハンドルを止めて少し間をおいてから、もう一度回し始める。すると女の子がのどに手を当てて苦しみ始めて、ぐったりとして動かなくなった。


 女の子は毒草によって殺されたのだ。ここで起きたざわめきは、それが伝わった合図だろう。


(伝わってなくても、続けるしかないけど)


 描いたアニメーションを途中で変更することはできない。次にわかるのは、女の子にナイフがどうやって刺されたかだ。


 小屋の扉が揺れ、わたしが起きる。一度も女の子に目を向けずに扉へと近寄り、閂を外した瞬間に突き飛ばされた。


 開いた扉から駆け込んできたのはお医者さんだ。後から入ってくる女の子の両親が姿を見せるのよりもずっと早く、女の子の元へと駆け寄り、ナイフを取り出して――突き刺した。


 本当の悲鳴が教会に響き渡る。


 二人の男が立ち上がった。女の子の父親と、お医者さんだ。最初に口を開いたのはお医者さんだった。


 女の子の映る壁を指さして、わめき散らし始めたのだ。女の子のお父さんはそれを上回る大声を出して、お医者さんを黙らせると、一気に詰め寄った。


 たった五歩ほどしかない距離は一瞬でなくなり、今にも殴り掛かりそうな剣幕でまくしたてる。お医者さんは首を横に振りながら何か言うけれど、女の子のお父さんがそれを遮るように大声を出す。


 そんなことが繰り返されても、お巡りさんは有名な彫刻のように、あごに手を置いているだけで、動こうとしなかった。


(わたしのときはすぐに逮捕したくせに)


 癪に障るところはあるけれど、これは想定内だ。証拠もないのに信じてもらえると思うほど、馬鹿じゃない。


(作品を自分で解説するなんて、野暮なんだろうけど、わたしの実力じゃ仕方ないよね)


 お巡りさんから借りておいた革の手袋をつけて、祭壇の前へと出た。視線が集まるのを感じて、膝の力が抜けそうになったけれど、息を思いっきり吸ってなんとかこらえる。


 お医者さんがチョークでも投げるんじゃないかという勢いでわたしを指さし、わめき散らした。でもそれは怖くない。


 皆に背を向け、静かに眠る女の子に手を伸ばす。近くにいた少年もそれを止めようとはしない。


 首に貼られた湿布をつまんで引くと、ユニクロのタグシールみたいに簡単に剥がれた。女の子の首には四角い湿布の形そのままに、黒いあざのような跡だけが残っている。それを覗き込んだ少年が息を飲んだ。


 そう。これがわたしが確認したかったもの。あの毒草が使われた何よりの証だ。


 わたしはその湿布を、祭壇の杯に入った水に浸した。お医者さんがこれを貼る前にやっていたことだ。それを両手で広げて近づけば、お医者さんも何をされるのかわかるはずだ。


(貼ってやる……貼ってやるぞ……)


 心の中で強く念じて、表情に出ることを祈った。


 お医者さんの顔は幽霊を見たように引きつり、わたしは口元が緩んだ。お医者さんが自白するなりして逮捕されれば、わたしの作品は完成する。


 もう犯人がお医者さん以外かもしれないとか、そんな心配はしていなかった。女の子のために作品を完成させる。それだけが頭を支配している。


 お医者さんが倒れるように尻餅をついた。あと十歩ほどでお医者さんへ手が届く。


 一歩進むごとにお医者さんの表情が引きつっていく。そして三歩目を踏み込んだとき、地震を怖がる子供のように、頭を両手で抱え込んだ。


「――――――!」


 裏返り気味の声で何か叫ぶ。懺悔しているようにも見えるれけど、真意を知ることのできないわたしは、前に進むしかない。


 まだ、お医者さんは逮捕されていないのだから。


「――――」


 その声はお巡りさんのものだった。


 わたしとお医者さんの間に入ったお巡りさんは、わたしが足を止めるのを確認すると、お医者さんに向き直ってしゃがんだ。そして一言だけ声をかけると、お医者さんの手首に縄をかける。


 それを見た途端、一気に力が抜けた。深く出た息と一緒に、魂まで出て行ってしまうのではないかと思ったくらいだ。


 湿布がべちゃりと汚い音をたてて床に落ち、それを追うように手袋が落ちる。黒い花の模様だけが、わたしの右手に残った。


(本当に終わった……? わたしがやり切ったの? なんだろう。うれしいような。さみしいような。これが達成感?)


 二度と流されることのない作品。人を楽しませるための作品ではなく、一人の女の子の無念を晴らすためだけに作られた作品。


(わたしらしいといえば、わたしらしいのかな。人を楽しませるなんて、わたしにはできっこないし)


 お巡りさんが立ち上がって、わたしの前に立った。その顔を見たとき、雪をかぶったような寒気が、わたしの心臓を凍らせた。


(え? どうして……なんでよ)


 お巡りさんの表情はお医者さんと同じ――幽霊でも見たような怯え顔だった。


 周りを見回すと、他の人たちも同じような顔をしている。優しかった木こりのおじさんも、少年もだ。唯一、黒ドレスさんだけは口元に笑みをたくわえて、こっちをじっと見ていた。


(な、なんで……? 喜んでくれないの?)


 一歩近づくと、お巡りさんは一歩下がった。その拒絶は、わたしの足を簡単に止める。


 お巡りさんはポケットからお守り袋のような巾着を取り出し、中から何かを握ってわたしへと差し出す。


 反射的にその下に手を差し伸べると、手のひらに落ちてきたのは金色のコインだった。たった三枚しかない駄菓子のようなそれは、わたしの心のように重い。


「わたしは……」


 力いっぱい握ると、砂がこすれるような感触がした。


「こんなもののために頑張ったんじゃない!」


 床に叩きつけたコインは、とても軽い音を鳴らした。


 ただコインを床に投げつけただけなのに、全力で走った後みたいに心臓が暴れる。呼吸も乱れて、落ち着けようとすればするほど荒くなっていく。


 お巡りさんを見ると、その瞬間に目を逸らされた。周りを見る勇気なんて、わたしにはない。


 目元が熱くなり、涙が溜まるのを感じて、ぐっとこらえた。一滴でもこぼれたらもう止まらなくなる。こんなやつらの前で思いっきり泣くなんて、絶対に嫌だ。


(ここから離れないと)


 そう思って向かったのは教会の出口ではなかった。ほとんど考える力なんて残っていなかったのに、開いて置いたままになっていたアタッシュケース――映写機へとわたしの足は向かっていた。


 手癖だけで映写機をたたみながら、思っていた以上に、これを大事に思っていたのだなぁと、他人事のような感想が浮かんでくる。


(これのせいで、ここのみんなに嫌われたかもしれないっていうのにね)


 アタッシュケースの留め金をはめたときには、呼吸はだいぶ落ち着いてきていた。それでも周りの顔を見ることはできない。


 板張りの床を見たまま、感覚だけで出口へと向かう。靴が見えたら横へと避けて――


「え……?」


 避けたのに靴は大股で横に一歩動き、わたしの前へと戻ってきた。ヒールのついた黒いブーツだ。


 顔を上げれたのは、誰の靴なのかなんとなくわかったからだろうか。


 黒ドレスさんが口元だけで微笑みかけてきていた。目元が笑っていないように思えたけれど、拒絶が見えないだけで今は天使の笑顔に見える。


 黒ドレスさんが一歩寄ってきたときには、抱きしめられるのかと思った。ただ頬をハンカチで拭われただけなのだけれど、撫でられているようで心地いい。


(そうか。わたし、もう泣いてたんだ)


 涙をこらえきれていないと知ってからは、早かった。


 表面張力の決壊したコップの水のように涙がボロボロと落ち始める。黒ドレスさんはハンカチを握らせて、背中を押してくれた。


 そのまままっすぐ走って、木の扉を体当たりするように開けて、太陽の下に出る。空はわたしの気持ちとは裏腹に、晴れ渡った涙色で、すがすがしかった。


 わたしも泣き切れば、晴れやかな気持ちになれるのだろうか。


「わぁー!!」


 人生で一番大きな声が出た。

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