第10話 合わせた手のひらと一人ぼっちのわたし
体は重いし、一歩足を出すたびに頭に響いた。けれど、お巡りさんが気を遣ってゆっくり歩いているのがわかったので、意識して足を早める。
少年の牧場を通り過ぎて、島のように孤立している森へと入った。道はあるものの、木が生い茂っていてかなり暗い。森の中央にある塔も、広がる枝葉に邪魔されて見上げることができなかった。
森自体は広くないので、塔のふもとにはすぐに着く。わたしは灯台みたいに、地面に直接塔が建っているものだと思っていたけれど、実際には三角屋根の上に生えていた。
三角屋根の建物は、塔と同じような石造りでなかなか大きい。ちょっといい神社の本殿くらいはありそうだ。シンプルな造りで、塔がなければ倉庫とかに見えていたかもしれない。
けれど塔があるだけで、だいぶ印象が違った。
(教会……かな?)
それならば、塔の上に
大きな木の扉から中に入ると、それは確信に変わった。
長椅子が左右に葉脈のように並んでいて、天井近くの丸い天窓が、正面からそれを照らしている。奥にはオベリスクのような柱があり、天窓の中央あたりまで伸びていた。三面鏡に似た祭壇が、その柱を支えている。
人は誰もいない。
誰かに会いに来たわけではないのだろうか。
(あの箱……)
長方形のベンチにも見える箱が、祭壇に置かれている。人が寝て入るのにちょうどいい大きさだ。それが何なのかは、なんとなくわかった。
(置かれてる場所が場所だし、棺だよね)
近寄ると右端の部分が正方形に開いていて、そこから女の子の顔がのぞけた。
眠るような穏やかな表情で、目はしっかりと閉じられている。殺された状態のまま棺に入れられたのか、首には湿布が貼られたままだ。胸元は隠れているので、ナイフが刺さっているかはわからない。
(さすがに刺しっぱなしにはしないよね。数少ない証拠だし)
女の子を眺めるわたしの横で、お巡りさんは跪いた。両手を開いて頭に載せて、深く礼をしている。これがこの世界でのお祈りの方法なのだろう。ただわたしには、この世界の神に祈る義理はない。
(わたしは女の子のために祈る)
手の平を合わせて黙祷する。神社スタイルだ。
(犯人は絶対に見つけるから)
そっと心に誓う。それが終わると、お巡りさんは入り口の方に向かい出した。わたしとしては、女の子の遺体も調べてみた方がいいと思うのだけれど、この状況で勝手に調べるわけにもいかない。
(仕方ないか)
教会の外に出ると、日が傾き始めていた。おそらく時刻的には十六時くらいだろう。日が暮れるまではまだ時間がある。
けれど、お巡りさんが次に向かったのは交番だった。
(忘れ物でもしたのかな?)
そう思ったものの、交番は狭くて物なんて何も置いていない。お巡りさんは一つだけある椅子を引いて、座面を叩いた。
(座れってことかな?)
恐る恐る腰を下ろすと、お巡りさんはうなずいた。間違っていないとわかって力が抜けると、足が一気に楽になる。
だるさが一気に押し寄せてきて、近くの机に体を預けたい欲求にかられた。
お巡りさんは手のひらをわたしに向けて何か言うと、こっちを見たまま交番の外に出て行った。
(トイレかな?)
欲求に負けて机に体を突っ伏した。吐き出した息と一緒に、疲れが抜けていく。
右手を開くと変わらずに黒い花があった。疲れて頭が回っていないのか、特に感想は浮かんでこない。ただなんとなく、目が離せなくて、眺め続けた。
それも長くは続かない。気がついたら目を閉じていたのだ。このまま待っていたら、間違いなく寝てしまう。
意識して目を開いた。お巡りさんはまだ戻ってこない。
(一人で聞き込みにでも行ったのかな?)
わたしがいたら警戒する人もいるだろうし、言葉のわからないわたしを同行させる意味もない。わたしだって、知らない人には極力会いたくない。
けれど、ちょっと無理してついてきたのだ。置いていかれるとさすがにへこむ。
(お巡りさんからしたら、わたしが捜査の手伝いをしているって感覚はないのかな? 『犯人を見つけよう』って言ったのだって伝わってないんだろうし)
一人で何かできることはないかと考えてみたけれど、何も思いつかなかった。事件を整理しようにも、わかっているのは小屋が完全に密室だったということと、怪しい足跡などの痕跡はなかったということだけだ。
(あ、女の子が小屋の外で殺されたってこともわかってるか)
問題はどこで殺されたかだ。それがわかれば、犯人に近づける気がする。
(一人で集落の中を歩いてみる? でも家の中とかにはさすがに入れないし、わたしを犯人だと思ってる人と会ったら、危ない目にあうかもしれない。犯人に直接襲われる可能性もあるし)
そんなことを考えていたら、交番に一人でいるのも怖くなってきた。もともとトイレか何かだと思っていたから、待っていようと思えたのだ。
「ほんと……どこに行ったの?」
「――――」
無いと思っていた返事に心臓が飛び跳ねた。声の先にはお巡りさんがいる。
「え? な、なに……?」
探していた相手が見つかったというのに、そんな反応しかできなかった。
お巡りさんの手にはお盆が握られていて、その上にはコップが二つと紙の包みが二つ載っている。あと腕には毛布のようなものがかかっていた。
お巡りさんは何か言いながらお盆を机の上に置くと、コップと包みを一つ、わたしの前に移動させる。
コップに入っていたのはただの水だったけれど、一日歩き回ったわたしにとっては高いジュースよりもうれしかった。今ならペットボトルの水に、高いお金を出す人の気持ちがわかる気がする。
紙の包みのほうはハンバーガーが――
(いや、挟まっているのがハンバーグじゃなかったらハンバーガーじゃないのかな?)
パンに挟まっていたのは、ステーキのような肉の塊だった。一センチほどの厚みがあって、食べ応えがありそうだったけれど、黒くなるまで焼かれていてとても堅そうだ。
丸みがあって一見柔らかそうなパンも、持ってみると古いフランスパンのように堅い。
(野菜はどこにいった……)
外には畑がたくさんあるというのに、今日はパンと肉しか食べていない。男の食事というのはこんなものなのだろうか。
そこまでヘルシー志向でないわたしからしても、少し重い。それでも一日歩きまわった私のお腹は、ぐるぐるとうなり声を上げる。
「いただきます……」
ハンバーガーもどきにかぶりついて、口を離すまで三十秒くらいかかった。あごがだるくなるくらいまで噛み締めて、やっと食いちぎれたのだ。
そこから飲み込むのも大変だった。噛もうとしても、パンのもっちりした固さと、肉の筋張った固さが歯を押し返してくる。卓球のラケットをふやかして食べているんじゃないかと思ったくらいだ。
食感がこれなのだから、せめて味だけでもと舌に神経を集中させるも、塩味も肉の旨味もパンの甘さも皆無に等しい。
ただあごがだるくなるだけの、トレーニングをしている気分だ。
(少年のホットドッグは、もっとおいしかったはず。お巡りさんは料理が下手なだけなんだ)
これがこの世界の料理の水準でないことを、祈るばかりだ。
こんな食事なのにお巡りさんはあっという間に食べきり、毛布を椅子の背もたれに引っ掛けて牢屋を指さした。わたしは二口目をなんとか飲み込む。
(ここで寝ろってこと?)
手で作った枕に頭をのせるような仕草をすると、お巡りさんは大きくうなずいた。そして手を振り、おやすみの挨拶であろう一言を口にして去っていった。
「うぶ……」
三口目に取り掛かっていた私は、力いっぱい噛み切ってから交番の外に出る。お巡りさんは、走れば十秒くらいでつきそうな小屋に入るところだった。
交番二つ分くらいの狭い小屋だったので、すぐに出てくるだろう。そう思ってじっと眺めていたけれど、出てくる気配はない。
口の中のものは、とっくに飲み込んでいた。
(もしかして、あそこってお巡りさんの家なのかな?)
あそこで水とハンバーガーもどきを用意して持ってきたのなら、時間的にもぴったりだ。寝る場所を指定して去っていったのも、帰宅するつもりなら納得がいく。
(でもちょっと早くない?)
いつでも虹に囲まれている太陽は、だいぶ傾いていた。それでも森に沈むまでは、まだ時間がありそうだ。
スマホを見てみると、十七時になるところだった。この時間がこの世界において、どれほど正確なのかはわからないけれど、感覚的には正しい気がする。日没まであと一時間はあるということだ。
(まだ寝るのは早いよね)
だからといって、一人で交番の中にいても仕方がない。
(少し調べに行ってみようかな。でも集落の中を調べるのは危なそうだし……)
こうなると行ける場所は一つしかない。涼しくなり始めているのを感じたわたしは、毛布を手に取って、ハンバーガーもどきをかじりながら交番を後にした。
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