第9話 花を握った眠り姫
心電図のように左から右へと線が引かれていく。
視界の中にはそれ以外何もなく、まるで一つの画面が目の前に張り付けられてしまっているかのようだ。線はどんどんと増えていき、視界を覆いつくしそうになるとリセットされて、また一から線が引かれ始める。
わたしはそれが夢だと、すぐにわかった。初めて見る夢ではないからだ。
体調が悪くなると、いつもこの夢を見る。インフルエンザに罹ったとき。ただ夏風邪を引いたとき。食中毒でおなかを壊したとき。いつもこの夢で起きてから、体の異変に気付く。
「―――?」
女の人の声だ。ピアノのように優しく響く、落ち着いた声だった。静かな中でその声だけしか聞こえないのに、何を言っているのかわからない。
(この感じ、前にも……)
そうだ。小屋で最初に女の子の声を聞いたときに、同じことを思った。
「あれ……?」
それも夢の中の話だっただろうか。
まぶたの裏に光を感じて、線が引かれるだけの画面が白くなって消えていく。
自然と開いた目に映ったのは暗い天井だった。梁がむきだしになっていて、屋根の裏と思われる斜めの板が見えている。照明どころか、明り取りの天窓すらない。
わたしの顔に光を当てていたのは、ベッドのすぐ横の窓だった。教室の窓を思わせる大きな窓だ。
逆光になるところに、誰か立っている。
「だれ……?」
細いシルエットから、女の人なのはなんとなくわかった。
影が窓からずれても、その人の全身は真っ黒だった。肌の出ている顔だけが白く際立っている。強めの化粧が、彫りの深い顔にとても合っていた。
小屋の野次馬の中にいた、黒ずくめの女の人だ。首まで覆う黒いドレスは体のラインが強く出ていて、わたしにはないメリハリを強調していた。スカート部分だけが体から離れるように広がっている。
(あれ? たしか小屋の調査をしていたはず)
ここが調査していた小屋ではないということはわかる。あの小屋にはこんなに大きな窓はない。
(そうだ。たしか足跡を調べて……)
外に出たところまで思い出した。
黒ずくめの女の人――黒ドレスさんは何か言いながら、わたしの右手に触れた。
「おぅ……」
なんだかくすぐったくて声が出た。黒ドレスさんのつけていた黒の布手袋は滑らかで柔らかく、まるで水に触れているかのようだ。
黒ドレスさんはわたしの手を開いて、見えやすいようにわたしの顔の前に持ってきてくれた。
わたしの手の平のちょうど真ん中に、黒い花の模様があった。大きめのドングリくらいの、チューリップのような花だ。その周りを3枚の花びらが舞っている。
(何これ? 寝てる間に描いたの?)
手を握って指先でこすってみたけれど、落ちたりにじんだりすることはなかった。ただの汚れというわけではなさそうだ。
花から伸びる茎は手首に巻き付くように伸びていて、手の平1個分くらいのところで消えていた。肘までは届いていない。
(あれ? 腕出てるけど、長袖のジャージ着てなかったっけ?)
左手で体に触れると、そこにはTシャツすらなく、温かいわたしの素肌があった。
「うぁ! なんで!?」
思わず体を起こすと、頭が内側から叩かれたみたいに痛んだ。それと同時に吐き気が込み上げてくる。体もとても重くて、ただ座っていることすらできずに、ベッドに倒れ込んだ。
黒ドレスさんが、わたしの下着とTシャツをベッドの上に置いてくれた。
(あぁ……なんとなく思い出してきた。湖で水浴びしてたんだ)
下着に触れると、すでに乾いていた。結構時間が経っているみたいだ。
寝転がったまま下着をつける。大きな窓から太陽が降り注いでいるおかげで、裸でも寒くはない。
右手をもう一度見てみると、花の形には見覚えがあった。
(これ、湖の近くに咲いてた青っぽい花だ。たしか女の子のために摘んでいこうとして……)
手を伸ばしたあとに、何かが起きた。手に残る跡を見るに、花を握りつぶしてしまったのだろう。
(そうだ。何かに襲われて気を失ったんだ)
体の思い至るところを全て触って確かめてみたけれど、ケガをしていたり痛んだりするところはなかった。手に花の跡が残っていることと、体がやたらダルいこと以外に異常はない。
いったい何をされて気を失ったのだろう。
(驚きすぎて気を失っただけだったりして)
黒ドレスさんがジャージもベッドの上に置き、ものを羽織るような動作をわたしに見せてから、一個だけあるドアから部屋の外に出た。服を着なさいということなのだろうけど、体が重すぎて動きたくない。
そういえば、ここは何処なのだろう。
(黒ドレスさんの家なのかな? そもそもどういう経緯で黒ドレスさんが関わってきたの? 襲いかかってきた化物が実は黒ドレスさんだったとか?)
そんなことを考えていると、黒ドレスさんが出ていったドアがもう一度開いた。
頭だけ動かして視線を向けると、お巡りさんと目があう。
「ちょまっ……!」
全速力でジャージを手に取り、背中にかぶせてうつ伏せになる。もう体が重いとか言っていられない。
その態勢のまま、ジャージに腕を通していく。Tシャツは一旦あきらめる。
前のチャックを上げて体を起こすと、お巡りさんが開いた手をこっちに向けながら、ドアの外を向いて固まっていた。その隙にズボンも履いておく。
「と、とりま、オーケー……」
わたしが声をかけても、お巡りさんは振り向かない。横を通って中に入ってきた黒ドレスさんに肩を叩かれて、初めてこっちを向いた。
(一応デリカシーみたいのはあるんだ。なんか意外)
お巡りさんに続いて二人入ってきた。一人は背が高くて細身で白衣を着ている。女の子の小屋で会ったお医者さんだ。
もう一人も背は高かったけれど、こちらは横にも大きくてかなり大柄だ。その男が身につけている毛皮のチョッキには見覚えがあった。
小屋で野次馬していた木こり風の男だ。
「あっ……!」
あのとき見た二足歩行のクマのようなシルエット。それが目の前の木こり風の男とイメージが重なった。
「もしか――」
わたしが口を開くと同時に、木こり風の男が両膝をついた。そしてそのまま頭を下げる。
両手と頭を地面についていないので土下座ではないけれど、それに近い何かなのは間違いない。
「え……? な、なに…………?」
木こり風の男――木こりさんは頭を上げて、低く響く声で何か話してきたけれど、当然何を言っているのかはわからない。でもその表情は怯える子犬のようで、ひげを蓄えた丸い顔がパグみたいに見えた。
(意外とつぶらな目をしてるじゃん)
気づけば木こりさんから、怖そうな印象はすっかりなくなっていた。
わたしが黙っていても木こりさんは話すのをやめない。どうやって止めようかと考えていると、お巡りさんが木こりさんの背中に手を当てた。そしてヘラヘラと笑いながら背中を2回叩く。
木こりさんに何か話しかけながら立ち上がらせ、その後木こりさんを指さしながらわたしに何か言ってきた。その間、終始ヘラヘラと笑っている。
(なんだろう。やっぱりこの感じ好きじゃない)
そしてやはり何を言っているのかはわからない。
(とりあえず、木こりさんは悪い人じゃなかったってことでいいのかな? でもなんか謝ってきてるみたいだし、後ろめたいこと……もしくはなにか失敗してわたしに迷惑かけたとか?)
思い当たるのは裸でいるところを見られたこと。森の中で作業していたら、たまたま見てしまった――とかならありえそうだ。
(でも、腕を掴まれたよね? たしか)
たまたま出くわしてしまったのなら、その場で謝るか、気付かれないように隠れたりするのが自然な気がする。近寄ってきて腕を掴むなんて、悪意のある人間がやることだ。
実際、めちゃくちゃ怖かったのを覚えている。失神したくらいだから相当だ。
(あれ? 本当に怖さのせいで失神したのかな?)
そういえばあのとき、右腕に力が入らなくなって、それが体じゅうに広がって意識を失った。
それだけ思い返すと、木こりさんに掴まれたときに右腕の骨でも折れて、そのショックで気絶したようにも思える。でもわたしの右腕は骨が折れていないどころか、木こりさんに掴まれた跡すらない。
あるのは、そのときに握りつぶしたであろう、花の跡だけだ。
(え? もしかしてこれが原因?)
あの青い花は触ると危険な花だった。そう考えると辻褄があう。
木こりさんが突然大きな声を出して詰め寄ってきたのは、花を触ろうとしていたわたしが見えたから。腕を掴んだのだって、花から引き離すためだったら納得だ。
(もしかしたら、腕を掴んだのは木こりさんじゃなくて花だったのかも)
手首に残る茎が巻き付いたような跡に目をやる。びっくりして花を握ってしまうのはともかく、茎が腕に巻き付くのはおかしい。わざわざ誰かが巻き付けたわけでもないだろう。
(花が自分から巻きついてきて、それだけで人間を気絶させるほどの毒か何かを持っているんだとしたら、かなり危ない植物だよね)
もし木こりさんに見つからず、お巡りさんにも気付かれなかったら、命を落としていたかもしれない。
「危ないものがあるなら、教えてくれたらよかったのに……」
ぼそりと言ったのが聞こえたのか、今一度、木こりさんが両手を合わせて、おがむように頭を下げた。
言われた当人のお巡りさんは、木こりさんを馬鹿にするように笑っている。
その後ろで黒ドレスさんとお医者さんが何か話していた。黒ドレスさんは手の平や、わたしを指さしたりしていたので、花の跡のことを聞いたりしているのかもしれない。
(たしかにこのまま跡が残ったら嫌だなぁ。イタい刺青入れてる人みたいじゃん)
こすってもやはり薄くはならない。汚れているというよりは、染まっているという感じで、皮膚そのものが黒くなっているように見える。一目見た印象以上に黒くて、まるで炭のようだ。
お巡りさんが木こりさんから離れて、お医者さんに声をかける。わたしを指さしながら二、三言話すと、部屋の出口へと向かった。
「えっ、待っ……!」
思わず声が出た。お巡りさんがわたしをお医者さんに任せて、出ていこうとしたように見えたからだ。
体を動かすとやっぱり重い。頭に鼓動が響くような感覚もあって、立ったらすぐに頭痛に変わりそうだ。それでも、ここで休んでいるつもりはなかった。
理由は二つある。
一つはここが安全とは限らないからだ。誰かがずっと、ついていてくれるわけではないだろうし、一人になったところを犯人に襲われたらひとたまりもない。それに、親切にしてくれた人を疑うのは嫌だけれど、この中に犯人がいる可能性だってある。
もう一つは――
(わたしがじっとしていたら、犯人に逃げられてしまうかもしれない)
わたしがいても捜査の役に立たないかもしれない。犯人だって、もう逃げているかもしれない。
それでもじっとなんてしていられなかった。こんなに強く使命感を持ったのは初めてだったけれど、不思議には思わない。
使命感でも持っていないと、多すぎる不安に押しつぶされてしまう。ただそれだけだ。被害者の女の子のために心を燃やしているとか、そんなかっこいいものだけじゃない。
だから安心して、不調な体に無理をいわすことができた。
「わたしも、行く……」
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