第4話 冷たい包丁が切ったもの

 仲良く歩いているお巡りさんと少年の後ろを、わたしは一人寂しく歩いていた。


 暇つぶしに周りの風景を眺めてみても、物がほとんどなくて面白みに欠ける。


 広がっているのは、青々とした細い葉と穂が、所狭しと生える畑ばかりだ。その隙間を埋めるように、家なのか作業小屋なのかわからない物がまばらに建っている。


 畑の中に人を見つけたと思ったら、案山子だった。交番を出てから、他の人と会っていない。見えてる家の数から察するに、人口はかなり少ないのだろう。


 目の端に森が入った。この集落自体が森に囲まれているから、森そのものは珍しくない。


 それなのに目を引いたのは、畑の中に島のようにぽつんと存在していて、その中心から塔の頭が顔を出していたからだ。塔の頭には把手とってのように、輪っかがついている。


(なんだろう? ラプンツェルの塔だったりして)


 もしそうだとしたら、こんな集落のど真ん中に塔を建てるなんて、魔女はよっぽどラプンツェルを自慢したいのだろう。ラプンツェルだって、きっと集落の人気者で――


(あ、良くない。妄想癖が暴走してる)


 現実に意識を引き戻した。

 

 塔の高さはそれほどでもなくて、2階建ての建物より少し高いくらいだ。平屋しか見当たらないこの集落でなければ、そこまで目立たないかもしれない。


 石造りのように見えるけれど、それもこの集落では異質だった。他の家は木目丸出しの、遠目でも木造だとわかる質素な小屋なのに――


「ぶっ――」


 何かに体全部でぶつかった。痛みはほとんど無い。


「あ、ご、ごめんなさい……」


 反射的に謝ってしまった。


 顔を上げて目に入ったのは、意外と大きな土色の背中だ。振り向くまでそれがお巡りさんなのか、少し自信がなかった。


 お巡りさんは怒るわけでもなく、逆に手刀を顔の前で動かして謝るような仕草をした。そして前を指さす。そこにあったのは他の家に比べたら少し大きな、しかしさっきの塔には全然及ばない平屋だ。


 その中に少年が消えていった。


(ここは……牧場?)


 小屋の奥に広がっていたのは畑ではなく、ただの草原だった。そして木の柵が、道と草原を隔てている。近くに動物の姿は見えないけれど、少しだけ獣臭さは感じた。


(でも、なんでこんなところに?)


 お巡りさんの様子をうかがうと、わたしの視線に気づいたのか目が合った。お巡りさんは懐中時計を見ていたようで、それをわたしに見せてくる。


(別に時間が気になったわけじゃないんだけど)


 時計はわたしの知っているアナログ時計と、ほとんど同じデザインをしていた。文字盤にいくつかの点が打ってあり、長針と短針がある。短針はほぼ真上を向いていて、長針は少しだけ右にずれている。


(読み方が現実世界と同じなら、正午を過ぎたくらいかな)


 そう思った矢先、長針が短針に近づいた。針が逆に動いたのだ。


(いきなり時間がわからなくなった。でもだいたいお昼くらいだよね)


 そういえばお腹が減った。


 少年の声が聞こえて顔を上げると、柵の向こうにその姿があった。お巡りさんと同じように、紐を引いている。紐の先に繋がれているのは、もちろんわたしではない。


(牛……でいいのかな?)


 赤茶色の太い体に、短い首と大きな頭。ずっしりとした四足歩行の姿はまさに牛だった。ただ頭から伸びている角は枝分かれしていて、まるで鹿の角のようだ。


(ヘラジカとかに近いのかな? 詳しくないからよくわかんないけど。それにしてもすごく大きい)


 高さだけで見ても少年より大きくて、重さでは倍では済まないだろう。そんな大きな動物が、バイクの空ぶかしに似た低いうなり声を上げながら、後ろに下がろうとしている。


 少年は紐をしっかりと握って、それを抑え込んでいた。


 少年はわたしたちから見て左側を指さした。柵にそって学校のプール一個分行った先に、もう一つ平屋がある。相変わらず木の質感を、これでもかと押し出している平屋だ。


 少年はその小屋に向かっているようだ。


 牛は相変わらず後ろを向こうとしていたけれど、少年が頑なに緩めない紐によって、前を向かされ続けている。確実に少年の指さした方向へと、進まされていた。


 わたしの手首に繋がれた紐も、ぴんと張った。


「ちょ……」


 お巡りさんが少年と同じ方向に歩き始めたのだ。さっきまではあまり気にしてなかったけれど、牛と同じように歩かされてると思うと腹が立ってきた。


(後ろを歩いてるから引っ張られるんだ)


 幸い、今は目的地がわかっている。わたしは足を速めた。


 わざとお巡りさんにぶつかりながら、追い抜く。お巡りさんはわたしの倍くらい体重がありそうなのに、簡単によろけた。


 そういえばお巡りさんの前を歩くのは初めてだ。大きな背中が前からなくなると、一気に視界が開けた。といっても、こんな場所では見える物なんて変わらない。少し道が広く感じるくらいだ。


 道の正面にはさっきの塔が見える。それを二倍に伸ばしたくらいのところで、お日様がこっちを見下ろしていた。


(あ、虹が輪になってる)


 太陽を縁取るように虹が出ている。そういえば、昨日の星空も星一つ一つが、光の輪に囲まれていた。この世界の空はいつもこうなのかもしれない。


 太陽に気を取られて歩調が遅くなったのか、お巡りさんはすぐにわたしを追い抜いた。そして小屋の前に立つ。


 お巡りさんが軽自動車くらいなら入れそうな、大きめの引き戸を開けると、小屋の中は真っ暗だった。ただわたしの足をすくませたのは、暗闇ではない。


(うわ……! なにこの臭い)


 吹き出てきた風は生暖かい。それなのに、鼻の奥で感じた生臭さは、とても冷たかった。


 吐き気が一気に押し寄せてきて、それが何の臭いなのか考えることもできない。口で呼吸していても、臭っている気がする。吐いてしまうのだけは、なんとかこらえたけれど、長くいたら体を壊してしまいそうだ。


 お巡りさんも、手で口鼻を覆っていた。それでも立ち止まることなく、中に進んでいく。


(え? 正気?)


 入口からの光が照らす床面は、むき出しの地面で、少し奥に進んだところが黒ずんでいるように見える。なんの跡かはわからない。


(霊感に目覚めて、見えちゃいけないシミが見えてるわけじゃないよね?)


 本気でそう思えるくらい、気味が悪かった。


(ここに入っていけるとか、頭おかしいって)


 紐で繋がれてなければ、絶対に外で待っていた。


 思い切って足を踏み入れると、奥から光が差し込んだ。わたしたちが入ってきたのと同じような扉が、反対側で開いたのだ。


 光の中に見えた小さな影と大きな影は、少年と牛だ。


 少年は牛を左の壁にくくり付けると、反対側の机に置かれたランプに火をつける。そして牛の足元を照らしながら紐で固定し始めた。そんなことをされても牛は暴れることもなく、おとなしくしている。よほど少年を信頼しているのだろう。


(それでもここに向かうのは、嫌がってたみたいだけど)


 この中でわたしと感覚が一番近いのは、牛なのかもしれない。


 少年は牛の足を固定し終わると、自分が入ってきた扉を閉め始めた。お巡りさんも少年に何か確認すると、同じように扉を閉める。


 建物の中ではランプが灯っていたけれど、室内灯としては心もとない。月明かりよりマシというくらいで、ギリギリ物の場所がわかるくらいだ。


 少年は机の下からバケツを出して、そこに入っている棒を取り出した。棒の先には分厚い刃がついていて、大きな包丁のように見える。


 ランプをお巡りさんに渡すと、少年は牛に近づいて、テニス漫画の必殺技の構えのような、低い姿勢をとり――


「え? ちょ――」


 牛の首めがけて大きな包丁を振り上げた。遊覧船の汽笛のような、大きな悲鳴が部屋全体を揺らす。


 でもそれはすぐに途切れた。声を失った牛が体をうねらせる姿は、鼻先と四肢が拘束されているのを忘れてしまうくらい激しかった。近づいたら、間違いなく無事では済まない。


 牛がぐったりとして動かなくなるまで、どれくらい時間がたっただろうか。その間もずっと、わたしは目が離せなかった。


 息ができないくらい気分が悪いのに、今すぐにでも目を逸らしたいのに。目をつぶるのが罪なことな気がしてならなかった。


 気が付くと、わたしは座りんでしまっていた。


 少年は牛に近寄り、足元を指さした。お巡りさんはそこをランプで照らして、考えるようにあごに手を当てる。


 そのまま二言ほど会話を交わすと、少年は包丁を牛から抜いた。そのままバケツに戻すと、すぐに取り出し、刃先を布で拭いてお巡りさんへと手渡す。


(いったい何をしているの?)


 その疑問が聞こえたかのように、お巡りさんがこっちを見た。ランプで顔は照らされていたけれど、表情を読み取ることはできない。


 お巡りさんが包丁を持つ手を少し上げた。刃先がこっちを向いている。


 近くまで来ると、能面の翁みたいな黒い笑みが見えた。そして手に持っているのは、牛を殺した包丁だ。


(え? ま、まさか……!)


 そうだ。わざわざ包丁を持って近寄ってくるなんて、それしか考えられない。少年が一生懸命説明していたのは、牛をわたしに見立てて――


(殺される!)


 そう思った瞬間、脳天に響くような悲鳴が体の奥底から出た。自分の悲鳴で気を失いそうだ。


 お巡りさんが耳をふさいで顔をしかめている。そうやってひるませている間にも、わたしは叫ぶことしかできなかった。


 お巡りさんがわたしの右腕をつかむ。


「いやぁ! 痛い! 離して!」


 つかまれた場所が千切れそうなくらいに痛む。振り切りたいのに、力の差がありすぎてまともに腕を振ることすらできない。わたしにできる抵抗は、肩を振ることだけだった。それでもお巡りさんの癪に触ったのか、舌打ちをする。


「―――――!」


 お巡りさんが叫ぶと、少年も近寄ってきて左腕をつかんだ。そのまま後ろに押されて背中が壁に触れる。


「やめて! 痛いの! やだ!」


 わたしはもう叫ぶことしかできなかった。近寄ってくる刃物は、そんなことじゃ止まらない。冷たさが伝わってくるんじゃないかと思えるくらい近くまできた包丁は、わたしの――


「え?」


 手首を拘束する、紐の手錠を切った


 お巡りさんはわたしの肩を撫でるように叩いて何か言うと、包丁を少年に返す。少年は包丁を戻しにバケツへと向かい、お巡りさんもそれを確認するように私から離れた。一人残されたわたしは、自由になった両手を確認する。


(あ……解放されたんだ)


 それを理解するのに十秒は要した。もしかしたら、もっとかかっていたかもしれない。


 目が眩むような光が建物内に差し込み、自由になった両手を照らす。開かれた両開きの扉には、お巡りさんと少年の影があった。逆光でよく見えなかったけど、お巡りさんが手招きしている気がする。


 外に出ると、光が一気に薄まったような感じがした。視界が開けて、まず見えたのは牧場の草原だった。


 道とは反対側に出たようだ。すぐ横にお巡りさんが立っている。


「うぇ……!」


 お巡りさんの土色のコートは、血で赤黒い水玉模様になっていた。

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