第3話 土色の背中と小さな背中

 小屋から少し下ったところに、農村と思わしき集落があった。土地のほとんどが畑に使われていて、簡素な家が100メートル間隔で建っているような所だ。


 わたしはその集落で、牢屋に入れられた。ラップトップくらいの小さな格子窓のついた木の扉が、外から閂で閉じられている。


 紐の手錠もつけられたままだ。


(この後どうなるんだろう?)


 格子窓から土色のコートの男――お巡りさんの背中が見えた。小さな机に座り、わたしのアタッシュケースの中を見ている。


 交番らしき小屋には、牢屋とお巡りさんのいる部屋の二部屋しかなかった。ここに連れてこられてから一時間くらいたつけれど、荷物を調べる以外のことをしている様子はない。


(どうしよう。このままだと犯人にされちゃう)


 時折小屋の中を覗く人はいるけれど、毎回お巡りさんに追い払われているので、証拠を持ってきているわけではないのだろう。もしかしたら、もう捜査をするつもりは無いのかもしれない。


(罪に問われたら、よくて懲役。下手したら死刑だよね?)


 そんなの絶対に嫌だ。たしかに御飯が運ばれてくる一人だけの環境を望んだけれど、そういうことじゃない。


 お巡りさんがわたしに気付いて振り向いた。赤毛赤眼で、人のよさそうな笑顔を見せる西洋人。現実世界だと間違いなくモテるだろう。わたしとしては、陽キャ感があって怖い。


「――――」


 お巡りさんの声ではない。外から子供の声が聞こえた。


 お巡りさんが席を立って、外に出ていく。また野次馬を追い払うのだろう。


 そう思っていたのだけれど、お巡りさんと子供は何やら話し込んでいた。声の調子を聞いていると、お巡りさんが子供に何か聞いているようだ。


 お巡りさんが戻ってくると、わたしに向かって手を払うようなジェスチャーをした。


(ドアから離れろってことかな?)


 わたしが離れるとドアが開いた。外には閂を杖のようして立つお巡りさんがいる。


「――」


 お巡りさんは短く何か言うと、紐を手に持った。わたしの手錠につながる紐だ。


 人差し指で手招きして外に出たので、わたしもそれについていく。


(やっと出られた。子供が伝令係だったのかな?)


 だとしたら何を伝えたのだろうか。


 手錠が外されていないので、わたしの無実が証明されたわけではないだろう。だとすると、わたしの処遇が決まったということだろうか。


(ちゃんとした収容所に入れられるってこと? それはマズいかも)


 事件と関係ない場所に連れていかれたら、無実を証明するのが難しくなる。何か方法を考えなければ。


「あ……」


 交番の外にはまだ子供が残っていた。ボロを来た少年だ。


(小屋で野次馬してた子だよね……?)


 身長はわたしよりも少しだけ低くて、肌は浅黒い。間違いなく歳下だろう。中学校に入ったばかりか、一年後に入るくらいだ。


 おとなしそうな顔だちだけれど、大人のお巡りさんを前にしても緊張や委縮した様子は見せない。落着きにおいては、完全にわたしよりも上だ。


 少年はわたしにぺこりとお辞儀をする。日本人みたいな仕草に、ちょっとした親近感を覚えた。


 お辞儀を返そうとすると、その前に少年はお巡りさんと話しかけながら歩き出してしまった。お巡りさんはそれに応えながら、並んでついていく。もちろん紐につながれたわたしは、それについていくしかない。


(でも、このままじゃ……そうだ)


 紐を引っ張るとお巡りさんは立ち止まった。わたしは何も言わずに、お腹を押さえる。


 するとお巡りさんは察したようで、少年に声をかけて立ち止まらせると、交番らしき小屋の裏を手で示しながら、そちらに向かった。


(よし、作戦通り。トイレの窓から脱走って定番だから、わたしにもできるかも)


 手錠は紐なので、トイレットペーパーを切るところにゴリゴリすれば、きっと切れる。


「――」


 お巡りさんが一言いって示したのは、電話ボックスのような箱だった。木製なので中は見えない。


(え? もしかして、これがトイレ?)


 そのトイレは交番の裏の広場に建っていた。周りには何もない。


(窓なさそうだけど、上は開いてるのかな?)


 開いていたとしても、中に足場になる物がなければ抜け出せそうにない。


(まぁいいか。無理そうだったら、普通にトイレしよう)


 そう思っていたけれど、お巡りさんが扉を開けたとき、そんな考えは一瞬で消え去った。


(ああ、これはやばいやつだ……)


 開かれた扉のなかは土がむき出しで――というか、それ以外何もない。便器の代わりにあるのは、扉の外からでは底が見えない程度には掘られている穴だけだ。


(ボットン便所に便器がついてなくても問題ないのかもしれないけど……)


 幼いころに連れていかれた、海の家のトイレが最悪だと思っていたけれど、それを軽く超えてきた。


 ただ臭いがそこまでキツくないのが救いだ。扉を開いてすぐ近くに立っていても、クサイと思う程度で済んでいる。


(海の家のトイレは完全に刺激臭で、息をした瞬間に気を失うかと思ったんだよね……)


 今は笑い話だけれど、あのときは死ぬ思いで離れた駐車場のトイレまで走ったのを覚えている。


 お巡りさんを見ると、空いた手でトイレの中を示した。相変わらず人のよさそうな笑顔がこちらを向いている。でも手錠を外してくれたりはしないみたいだ。仕方ないのでこのまま中に入ると、さすがに扉は閉めてくれた。


(あ、紙ないし)


 トイレの中には木刀を思わせる棒が一本立てかけてあるだけで、トイレットペーパーどころかペーパーホルダーすら見当たらない。


(そうか。ここは異世界だから、ペーパーホルダーなんてないんだ。でもここで大きいのはできないな。他のトイレもこれだったらどうしよう)


 仕方ないので、小だけ済まして外に出た。


 外に出ると、お巡りさんは何か言って笑顔を見せた。なんだかデリカシーのないことを聞かれたような気がする。


 正直鬱陶しい。容疑者のわたしに、どうしてこんなに親しげに接してくるのだろうか。


(怒鳴り散らされたりするのよりはマシだからいいけど)


 道では少年が何をするでもなく待っていた。お巡りさんが手を上げると、わずかにはにかむ。そのときの顔は、親を見つけた子供みたいで、なんだか可愛かった。


 何か話しながら並んで歩き出した二人の後ろをついていくと、少年はちらちらとこちらを見ている。最初は殺人犯――と思われているわたしを怖がっているのかと思ったけれど、時折笑顔を見せるあたり、そうではなさそうだ。


(まさかあのお巡りさん。わたしがトイレに行ったのを話のネタにしてる?)


 そうだ。そうに決まっている。でなければ少年がこっちを見て笑う意味がわからない。わたしが何もわからないと思って、目の前にいるにもかかわらず、そんな話をしてるのだ。


 でもそんなことに腹を立てている余裕はなかった。


 今どこに向かっているのか。本当にこの人たちについていっていいのか。どうせ無実を証明できないなら、今すぐ逃げたほうがいいのではないか。


 色々考えていたら、ただの紐の手錠がとても重く感じた。


「あっ……」


 重みが足に伝わったのか、つま先が地面をこすった。


 足が前に出ない。


 それでも体は進もうとして、そのまま前に――


「――――!」


 マイケルジャクソンのダンスみたいな角度で、体が止まった。


 目の前に少年の顔がある。


(あ、瞳が茶色なんだ)


 そんな関係ないことを思ったわたしは動揺していたのかもしれない。人に――しかも男の人に体を触られるなんて、慣れないとかいうレベルを遥かに越えていた。


(あ、相手子供だし……)


 気持ちを落ち着けようとしている間も、少年は体の下に入るようにして、支えてくれていた。


 何か言わなければと思っていると、少年は目の前でにっこりと笑う。


 わたしの体重はそんなに重くない(はず)とはいえ、自分より大きな体を支えているのに、少年は余裕そうだ。子供とはいえ、男の子としてのたくましさは、すでに備えているらしい。


 少年が口を開いた。


「――――?」


「あ……ごめん……」


 少年に声をかけられて、やっとお礼が言えた。どっちが子供なんだと自分でも思う。


 そして姿勢を戻しながら思った。よく考えたら『ごめん』はお礼じゃない。


 少年はそれでも嬉しそうに笑ってくれた。少年はわたしが何を言ったのかなんて、わからないのだ。それでも意図は伝わった。きっと、わたしの拙い言葉以上に。


(あれ? もしかして、コミュニケーションとれたのでは?)


 心の中でガッツポーズを取る。でもわたしの気持ちは一瞬で盛り下がった。お巡りさんが少年の顔を覗き込んで笑ったのだ。


(いるよね。こういう、何かあるとすぐに茶化す人)


 苦手なタイプの人間だ。でも少年は嫌そうな顔は一切せずに、はにかむ。


 すぐ後に、文句を言うように大きめな声を出したけれど、怒っているというよりかは、鬼ごっこを楽しむ子供のように見えた。正直、わたしと向き合っていたときよりも、全然楽しそうだ。


(やっぱり会話できた方が楽しいよね。わたしも言葉がわかれば……)


 そこで考えるのをやめた。少年に言葉が通じたとしても、わたしが笑顔を引き出せるわけがない。


 だって、まともに話せないのだから。

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