第2話 二人きりの小屋のなかで

 小屋の中は思っていたより暗かった。明かりは左側の燭台に立つロウソクが一本と、それをほんのり強化したくらいのランプが、右奥のベッド脇に置かれているだけ。こんなものでも外からみたら明るいのだと、正直驚いた。


 女の子はベッドの近くまでわたしを連れていくと、手を離して白いシーツに体を滑り込ませた。腰のあたりまでを覆った掛布団は、暗い中でよく映える純白で、とても薄い。


 女の子はベッドの奥に少しだけ寄って、空いた横を叩いた。布団に入れということらしい。


「いや、あの……」


 休めと気を遣ってくれるのはうれしかった。でも人と同じ布団に入るなんて、わたしにはできない。それができるのは、パジャマパーティー慣れしている女の子だけだ。


 座るものがあればと思ったけれど、椅子は見当たらない。それどころか家具は女の子の寝るベッドと、そこに寄り添うテーブルが一つだけだ。


 テーブルは一人ぶんの食器がやっと並ぶくらいの大きさしかなく、半分くらい水の入った水差しと、空のコップが載っている。


(ん? もしかして、わたしの居場所がない? 床に座る?)


 手元のアタッシュケースに気付いた。寝かせると椅子にちょうどいい。


 座ってみると不本意ながら、横になった女の子とちょうど目が合う高さになった。


(でも言葉がわからないから、話しかけてくる心配はない)


 そう思っていたのは、わたしだけだった。


 わたしは座って、ただ見ているだけ。それなのに、女の子はずっとしゃべっていた。時折小さな咳を挟むのが、とても気になる。


 咳の頻度は次第に増えてきていき、一つ一つも強くなっていく。


「や、やめなよ。わたし……なにもわからないんだよ?」


 わたしが声を絞り出すと、女の子は少しだけ話すのをやめた。でもすぐにまた、しゃべり始める。


 わたしの言葉が通じたわけではない。わたしの声を聴くために、少し黙っただけだ。


 女の子は笑顔を見せたり、時折恥じらうような表情を見せたりと、とても楽しそうに話している。それと同じくらい、咳も苦しそうになってきた。


 見るからに女の子の体調はよくない。このまましゃべらせ続けたら、間違いなく悪化する。女の子を止めるためには――


「わたしが、しゃべるしかない……?」


 そんな一言を呟いただけで、女の子は静かにわたしの声に耳を傾けた。でもわたしが黙っていれば、また女の子は話し始めるだろう。


「無理だって……そんなの」


 自分でもわかるくらい、声が震えている。


「それ……もらっていい?」


 わたしはテーブルの水差しを指さした。転移前に炎天下を歩いていたせいか、もしくは緊張のせいか。どちらかはわからないけれど、喉がカラカラだ。


 わたしの意図は伝わったようで、女の子はコップに水を注いでくれた。わたしはそれを一気に飲み干して、覚悟を決める。


「あのさ、アニメってのがあるんだけど……日本の話ね? 少し前からアイドル系のがどんどん増えてて、わたしがアニメを観始めた頃は異世界ものと空気系が多かったけど、それの内容は大きく変えずに、音楽出したりライブやったりソシャゲ出しやすくしてファンにお金を使わすようになった感じ? わたしはあんまお金持ってないから、そのへんの熱の差みたいなのがさ――」


 とりあえず話せることを話す。どうせ伝わらないなら、内容はなんだっていい。わたしは自分のことを話すのより、好きなものの話をする方がずっと口が回る。


 女の子には何も伝わってないはずなのに、静かに話を聞いてくれた。時折相づちを打つように何か言っている。その相づちが何を意味するのかわからなかったけれど、黙ってじっと見られているより、ずっと話しやすかった。


 好きなものの話をしてるからだろうか。なんだか楽しい。こんなにしゃべったのはいつ振りだろう。でもこの時間はそんなに長く続かなかった。


「――――――――――――」


 その声は後ろから聞こえた。女の子の声とは似ても似つかない、底から響くような低い声だ。


 結構大きな声だったけれど、何を言ったのかは聞き取れなかった。知らない言葉。たぶん女の子と同じ言葉だ。


 女の子の視線は、この小屋唯一の出入り口である扉に向けられていた。


 そこに立っていたのは細身の男だった。パッと見の印象で背が高い。大きめの白衣と短めで軽くクセのある髪は、アニメに出てくるマッドサイエンティストのような見た目だった。大きめな鼻が印象的な顔だちは、完全に外国人のそれだ。


「あ、その……」


 自分の声が、一気に小さくなったのを感じた。


 男が何か言おうと口を開いたけれど、女の子の声がそれを止める。


 女の子は少し前のめりになりながら、わたしに話していたときよりも大きな声で男に何か言っていた。開いた手でわたしを示したりしていたから、わたしのことを紹介したりしているのだろうか。


(わたしが何者なのか、わからないはずなのに……)


 その間も咳はしている。


 男は小さくため息をついて、わたしに視線を向けた。困り顔に近い真顔だ。そして女の子に視線を戻すと、人差し指を口に当てた。


 女の子が黙ると、男はしゃべりながらベッドに近寄っていく。諭すような……というのだろうか。説教をしているけれど、怒っていない。そんな感じだ。


 たまに女の子が口を挟むけれど、反論というよりかは軽口といった感じに思える。


 男はベッドの脇に立つと、ランプを手に取って女の子の顔の近くまでもっていく。男が革の手袋をしていることに、そこで気付いた。


 女の子は自分から、口を大きく開けた。男はその中を覗き込んで、少しするとランプをもとの場所に戻す。そしてベッドの下から、ティッシュ箱より一回り大きな木の箱を取り出した。


 蓋を開け、箱の中から手のひらサイズのガーゼのようなものを取り出すと、水差しに残った水をそれにかける。


 手のひらに置かれたガーゼは水を吸いきれず、木の床を少し濡らした。そして女の子に上を向かせて、よく見えるようになった首にそれを貼り付ける。


(お医者さんなのかな?)


 湿布薬がベッドの下にあったということは、ここに通って女の子を治療しているのだろうか。


 医者は湿布を貼り終えると、水差しとコップを持って立ち上がる。そして扉に向かうと、近くの壁に立てかけてある棒を示して何か言い、扉を閉めながら出て行った。


 扉にはU字の金具が二つ、ついている。すぐ横の壁にも、同じ高さに似たような留め具があった。セットになっているようだ。


 女の子が立ち上がろうとしたので、開いた手でそれを止めた。


「ま、待って……」


 わたしは代わりに扉の近くまで行き、棒を手に取る。ずっしりとした重みが両手にかかった。お土産屋さんで見たことのある木刀より、少し大きいくらいの木の棒だったけれど、重さは倍くらいありそうだ。


 わたしはそれをドアと壁の金具に載せた。思った通り、棒は金具にピッタリとはまって、扉と壁を完全に固定した。扉を押してもガタついたりせず、鍵としての機能はしっかり果たしている。


 女の子を見ると、笑顔でうなずいてくれた。


 この扉さえ締め切ってしまえば、他には壁の高い位置にある小さな窓しか外と繋がる場所はない。これなら安全に朝を迎えられそうだ。


 わたしはアタッシュケースの椅子に戻った。すると、女の子はまた何かしゃべり始める。また咳がひどくなる前にどうやって止めようかと考えていたけれど、それは余計なお世話だった。


 話を聞いているうちに女の子の声は小さくなっていき、寝息に変わった。


 わたしも固い床の上に横になる。アタッシュケースを枕にしてみたけれど、高すぎたのでやめた。


 それでも疲れ切ったわたしの体には十分だったようで、眠気はすぐに降りてきた。



~~~~~~~~~~~~~~~



 わたしの眠りを遮ったのは太鼓の音だった。体の芯に響く重たい音。それがわたしの体を揺さぶる。


 いつもだったらそれくらいじゃ起きなかったかもしれない。でも今日のわたしは違った。寝心地のいいベッドに、寝ているわけではないからだ。それは、昨日の出来事が夢でなかったということでもある。


 重い音は止まらずに鳴っていた。よく聞くと、いくつか声が混じっている。目を開いて体を起こすと、重い音は太鼓ではなく、扉が叩かれている音だとわかった。ゆっくり寝すぎただろうか。


「い、いま開けるから……」


 立ち上がりながら体を伸ばすと、背骨が一回だけ鳴った。その間も、急かすように扉は鳴り続ける。


 わたしは自分のペースで扉に近寄り、閂に手をかけた。寝起きのわたしにはかなり重い。ちょっと持ち上げただけで目が覚めそ――


「きゃっ!」


 強い力に突き飛ばされ、思いっきり目が覚めた。待ってましたとばかりに扉が開いたのだ。幸い持ち上げた棒が盾代わりになって、扉に叩かれはしなかった。


「痛い……」


 思いっきりついた尻餅をさする。こっちはあざになっているかもしれない。


 入ってきた足音は、わたしなんてお構いなしで、女の子の寝ているベッドに駆け寄った。


 不審者でも入れてしまったかと、棒を握る手に力が入る。でもベッドに寄り添う白衣の後ろ姿は、昨日来た医者のそれだった。


 そして今日の訪問者は一人ではないらしい。医者を追うように、二つの足音が入ってきた。


 一人は短髪の男で、医者よりも背は低いけれど、見るからに肩幅が広くて、体が大きく見える。四十歳くらいだろうか。


 膝くらいまである大きめなシャツのウエストを、紐で結んだような服に、麻のような素材の大きなズボンを合わせていた。足首のところも紐で止めている。


 寄り添うように立っている女も、麻っぽいワンピースのウエストを、二本の紐で靴紐のようにして絞っただけの格好だった。


 二人だけを切り抜くと、まるで世界史の教科書に出てくる絵画ようだ。


 二人は不安そうな表情で、医者の背中を見ている。医者はしゃがんで、ベッドで寝ている女の子の体をゆすっていた。


 気配を感じてドアの外に目をやると、人の姿がたくさんあって心臓が跳ねた。


(な、なんでこんなに人が集まってるの?)


 ところどころに穴の開いたボロをまとった少年や、土色のコートを着た大学生くらいの男。毛皮をチョッキのようにして着ている猟師か木こりのような恰幅のいいおじさんや、全身黒ずくめのドレスを着た、喪に服しているようにしか見えない綺麗な女の人など、バリエーション豊かな人たちが集まっている。


 共通しているところがあるとすれば、全員が時代を間違えたような服装をしているということと、はっきりとした目鼻立ちをしていて、日本人には見えないということだろうか。


(さすが異世界。服装がバラバラなのは、職業の違いとかかな?)


 幸い、誰一人わたしに興味を示していない。全員が不安そうな表情で小屋の奥をうかがっている。


 そう思っていたら、黒いドレスを着た女の人と目が合った。その人だけは、わたしを見て微笑む余裕があるみたいだ。


「――――!」


 耳を裂くような悲鳴が、わたしの意識を小屋の中に引き戻した。男に寄り添っていた女が膝をついている。


「な、なに……?」


 立ち上がりはしたけれど、駆け寄る勇気はない。


 医者が脇によけて、ベッドの上が見えた。もちろんベッドに寝ているのは、あの女の子――


「……え?」


 女の子の白いワンピース。その胸の部分に、手の平くらいの赤いシミができていた。中心には金色の十字が突き立てられている。


 それが装飾されたナイフだとわかるくらい、わたしの頭は落ち着いていた。


 いや、何を考えればいいのかわからなくなっていただけだ。女の横にいた男が、どうしてこっちに向かってきているのか、わからないくらいに。


「―――――――!」


 男の図太い声と同時に、大きな手で突き飛ばされた。転びはしなかったけれど、壁に背中を打ち付ける。さっきの尻餅の何倍も痛い。


 鬼のような剣幕で男が詰め寄ってくる。何を言ってるのかわからないけれど、身の危険を感じた。


「な、なに……? どうして……?」


 問いかけても答えてはくれない。もし言葉が通じたところで、まともに会話できる状態ではなさそうだ。


 助け舟を出してくれそうな女の子も、もういない。


(あ、そうか……!)


 わたしが扉を開けるまで、この部屋は密室だった。そしてわたしと女の子の二人しか、この部屋にはいなかったのだ。


 間違いない。わたしが女の子を殺したと思われている。


 わたしは思いっきり、首を横に振った。


「い、いや……ちが……」


 それでも男の態度は変わらない。体格の割には小さな握りこぶしを作り、振りかぶった。


――――殴られる。


 そう思ってもわたしの体は動かない。目をつぶって、体をこわばらせるので精いっぱいだ。


「…………!」


 訪れるはずの痛みの代わりに、こんにゃくを思いっきり壁に叩き付けたような音がした。それと若い男のうなる声と、何か大きなものが近くに転がる気配。


 目を開けると、土色のコートを着た男が倒れていた。その男は自分の左頬をさすりながら、人のよさそうな笑顔を殴ってきたであろう男に向けている。


 コートの男はなだめるように手の平を怒鳴る男に向けて、何か言ってから立ち上がる。そして自分の胸に手を置いて二言ほど話したあと、わたしのほうを向いた。


 さっきみたいな情けない笑顔ではなく、引き締まったスポーツマンを思わせる真面目な表情だ。左頬が真っ赤なせいで、あまりキマってはいない。


「――――?」


 何か尋ねるように語りかけてきたけれど、わたしは何も答えることはできない。それは言葉がわかっていても同じだっただろう。


 コートの男はため息をつきながら頷くと、何かを宣言してポケットから紐を取り出した。あやとりでもできそうな細い紐だ。


 コートの男はわたしの手を取り、前に出させて紐を広げた。紐は二つの輪っかが作ってあって、それがわたしの腕に通される。コートの男が紐の端を引っ張ると、輪っかが閉じて私の手首を締め上げた。


 手錠だ。


「わたしじゃ……!」


 わたしの抗議を、コートの男は舌を鳴らしながら、指を振って流した。


 言葉がわからなくてもわかる。わたしは逮捕されたのだ。

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