⑫
「うん……一通り診察してみて、私の見解を言うね。彼はいわゆる植物状態。植物状態って言うのは、大脳が機能しなくなったことを言うの。けど、脳幹も視床下部も生きてるから……彼を助けられるかもしれない。どう?私に賭けてみる?」
マリアはそう言った。
戸惑う由衣をよそに、鷹斗は「頼む」と一言。
「オッケー。じゃあ、そこの先生……名前は?」
「加賀美だが……」
「カガミン、手伝って」
マリアは彼に指示しながら動き始めた。
「とりあえず、彼の全身状態を知りたいから採血して。あ、結果はうちで出した方が早いから採血だけでいいよ。あ、鳥さんはここに行ってこれを貸してもらって。私の名前を出していいから絶対借りてきて。多分断られるけど、粘ってね」
彼女は紙に何やら文字を書いている。
「君は彼に付いていてあげて。誰かが常にそばにいる方がいいからさ」
マリアは椿の全身状態をチェックし始めた。
「四肢の動きに制限はなし、関節も問題ない。痛覚刺激もない……声に反応もなし。うん……大脳だね……でも疾病じゃない。何かが彼を抑え込んでるんだ……」
「あの……お医者さんなんですか?」
「私?医者じゃないよ。研究者なの。それがどうかした?」
「研究者なのに医療に詳しいんですか?」
「うん」
「どうしてですか?やっぱり勉強したから……?」
マリアは手を止め、由衣に向き直る。
「私が天才だから」
由衣もまた、鷹斗のように開いた口が塞がらない。
そっか……この人が、あの時鷹斗さんが言っていた人なんだ……。
「マリア先生、よろしくお願いします……」
「任せといて」
*
その日の夕方、マリアは研究施設から戻ってきた。
採血の結果が全て出たようで、自分がプログラムした椿専用のデータベースに打ち込んでいく。
「よし、じゃあそれ着けようか。カガミン手伝って。プラスはこっち、マイナスはこっちね。で、それは……うんそこでいい」
電極が付いたパッドを、椿の頭や顔、体に取り付けていく。
そしてそれを機械に繋げ、状態を確認する。
「いい?今から、この機械を通して彼に電流を流す。これは四肢に、これは顔に、これは頭部に。で、この頭部についているのだけは少し他のと違っていて、大脳にダイレクトに届くようになってる。脳から発せられる電気信号をこの黄色い線で増幅させ、この青い線が脳に電流を飛ばす。この赤いのがそれを受けてこれにリアルタイムに記録していく。これは、私と他数名が作り出した最新機器なの。じゃあ、始めるわよ」
マリアは電源を入れ、【ON】を押す。
すると、何もなかった画面に波形が現れた。
「いい?覚えておいて。このまっすぐになっているのが彼の大脳の働きを表している。これをフラットいうの。このフラットの状態はいわゆる“何も感じていない”を示しているのね?これに小さな波形が現れたら、彼は少しずつでも反応を示しているということになる。これに波形が出たら、何時でもいいから連絡してちょうだいね」
マリアはそう伝える。椿に繋がれた電極から延びるコードは、機械に繋がっている。そしてそれと同じ画面が、マリアのパソコンに表示されていた。
鷹斗は祈るような気持ちだった。
「それはそうと、彼って何者?」
答えられない質問をするマリア。
「もしかして、何か普通じゃない人間なの?」
崎田が言っていた。彼女は何でも聞いてくる。気に障るようなことだって口に出すと。
「椿さんは特別な人です。私たちにとっても、みんなにとっても……」
「特別って?あ、鳥さんが言ってたこと本当なんだ」
由衣は鷹斗を見る。
「……椿を助けるために話したんだ……全部……」
彼女に謝る鷹斗。しかし、由衣は「いいんです。椿さんが助かればそれで……」と笑っていた。
「彼に話しかけてみて」
パソコンを監視していたマリアがそう言う。
「椿!」
「椿さん!」
二人の声に反応するかのように、フラットだった波形がかすかに波打った。
「こ、これ……」
「意識を取り戻すのも案外早いかもね。というか……彼は葛藤してるのかも。鳥さんが言う“境”ってとこで。ほら、霊感や霊体も、ある意味……電気って言われてるし」
マリアはニコッと笑った。
*
マリアが彼を診始めて、三日。
少しずつ、波形が大きくなってきた。
病室の隅に置かれたソファーにマリアが寝ている。
「椿さん、おはようございます!いつものコーヒー持ってきましたから、香り嗅ぎます?」
由衣はそう言って、彼の鼻の近くにカップを持っていく。
すると、波形は大きく波打った。
「……飲ませてみたら?もちろん、唇を濡らす程度だけど」
彼女の行動を見ていたマリアが声を掛ける。
「いいんですか?」
「もちろん。寝たきりの患者でも、医療の現場ではあえて飲ませたり、食べさせたりしてるよ。医者が付き添ったり、看護師が付き添ったりしてるけどさ。彼の場合、病気がこうさせてるわけじゃないから、とりあえず刺激を与えることが大事なの。刺激と電気信号を組み合わせれば、きっと彼は帰ってくるよ」
マリアがそう言うと、由衣は嬉しそうに動き始めた。
小さなスプーンを取り出し、ほんの少量のコーヒーをすくう。それを椿の唇にそっと触れさせた。
「……あっ!」
コーヒーが口唇に触れた際、今までよりもさらに大きく波打つ波形。
「ね?彼は分かってるよ。多分、今は真っ暗闇だ……でも、いつかはきっと光が見える。その光さえ見つけられるように私たちが手伝ってやればいいと私は思ってる」
彼女はそう言うと、再びソファーに寝ころんだ。
ありがとうございます。由衣はそう心の中でいい、彼の口唇にまたスプーンを当てる。
*
実験じみた治療から、一週間。
「なんで……」
由衣と鷹斗は再び頭を抱えていた。
「あれだけ希望の言葉を吐いていながら……またフラットに戻ってるじゃないですか!マリア先生にとっては実験なんだろうけど、俺たちにとっては今できる最良の治療だと……そう信じて……」
「私がいつ実験だと言った?私は彼を治療するためにここにいる。助けたいと思うからここにいるんだ。君だってそうだろ?助けたいと思ったから、私のところに来たんじゃないのか!?」
マリアと鷹斗の口げんかが始まった。
こんな時、いつも止めたのは椿だった……由衣は「二人ともいい加減にしてください!椿さんを治すためにみんながここにいるんでしょ!?ケンカしてる場合じゃないじゃないですか!」と珍しく声を荒げた。
マリアの視線は手元のパソコンに行っている。そして、由衣を見上げた。
「君は強いんだな」
マリアがそう言う。
「強い?私が?……強くなんかないです。怖いですよ……このまま椿さんが戻ってこなかったらって考えたら、死ぬほど怖いです。でも、怖がってても椿さんは助けられないですよね……だからしっかりしないとダメなんです」
「君は彼のことが好きなんだな」
「あなたね……どう解釈したらそうなるんですか!?好きとか嫌いとか、そういう問題じゃないです!」
「好きだからそんなに、やけになるんじゃないのか?」
「やけって……」
「彼は恵まれてるんだな。こんなにも心配してる人がいて、愛されてるな……それは彼の境遇によるものか……?親に捨てられ、環境には恵まれなかったが、友人には恵まれ……」
マリアがそう言うと、由衣は顔を赤らめ、手を振り上げた。
「あ、由衣ちゃん……っ!」
由衣の手は、マリアの頬を捉えていた―――。
*
「え……!?」
「あ……っ!」
振り下ろされる瞬間、由衣の手を掴んだのは椿だった。
「つ、椿さん……どうして……」
「おかえり、四十住椿くん……葛藤から抜け出せたようで何より」
マリアはそう言う。
「由衣、大丈夫だからその手を降ろそうか……」
椿さんが話してる……私の腕をつかんでる……。由衣は自然と涙が溢れた。
「鷹斗、由衣、ごめん……心配かけて……。全部聞こえてたよ。二人の話も、由衣がいつも話してくれてたのも……。このマリア先生が、俺を治そうと必死になってくれてたのもね。みんな、ただいま……」
彼がそう言う。
由衣は椿に抱きついて泣き、鷹斗は抱きつきたい気持ちを抑えながらも彼と抱擁を交わした。
「……友人か……いいものだな……」
「マリア先生、ありがとうございました……俺、さっきは……」
「あ、それは全然。でも、二人が怒ってくれてよかった」
マリアがそう言うと、二人は「へ?」と口をそろえる。
「……先生はきっと、そのパソコンで俺の波形を監視してた。それで、俺が多分“光”を見つけたときに、波形が跳ね上がったんじゃないかな。それを確認して、俺を戻すために敢えて気に障るような言葉を吐いた。鷹斗と由衣を怒らせるために。時に必要な治療ってことじゃないのか?」
椿はそう説明する。
「ご名答……さすがだね、椿くん。その通りだよ。波形に表れているのは、あと一歩のところで浮かび上がれない彼そのものだった。誰かが引き上げてあげなきゃならない。でも、誰もそっち側には行けないでしょ?だったらここで、刺激を与えて出口を示してやらないと。それには彼が心から大切に想い、愛する者の声……それしかない」
「俺は、二人の声……いや、二人の発する“音に宿るもの”に救われたんだよ」
椿が前と変わらぬ微笑みを見せる。
「椿、おかえり……帰ってくるの遅すぎだ……」
「本当ですよ……。でも、椿さん……おかえりなさい」
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