「えーっと……刑事さん誰だっけ……」

 目の前に立つ鷹斗をじっと見るマリア。

 だが、名前が思い出せないのか、ずっと髪を触っていた。

『警視庁、刑事部、捜査一課の松風鷹斗警部補です』

「あー、そうだった!そうだ、鳥さんだ!」

「……鳥……?それに今の何の声です……」

「名前に鷹が入ってるから、君は鳥。で、今の声は私の相棒の“ゼロ”だよ。まあ、気にしないで」

 マリアはそう説明する。

「それで……マリア博士、昨日のご遺体のことなんですが……」

「博士はやめて。先生にしてくれない?博士って言葉なんかむず痒いの」

「失礼しました。マリア先生、昨日のご遺体……」

「全部結果出てるよ。はいこれ」 

 彼女はそう言って何枚もの紙を束ねた資料を手渡す。

「え、これ……一体何枚あるんですか……」

「二十三枚。でも全部、この人たちに関すること。この人たちの生まれてから昨日亡くなるまでの人生史、たったの二十三枚分しか情報がない。二十三枚なんて少なすぎるよ……」

 マリアはそう言って解剖室を見つめた。

 そこに遺体はない。だが、マリアの脳裏には自分が調べた遺体の様子が残っているのだろう。

「ありがとうございました。この資料、しっかり目を通して上に伝えます。そしてご家族にも……」

「家族はいないよ。この二人に家族はいない……二人で生きてきたの」

 マリアがそう言う。鷹斗は資料に目を通した。


武村美里たけむらみさと・24歳・女性・血液型A型Rh+/武村寛人ひろと・23歳・男性・血液型A型Rh+。身元は両名とも歯科記録から判明。家族は同乗者の姉弟と二人。大学等で扱う薬品を運ぶ仕事をしており、当日も“シラン(水素化ケイ素)”を運んでいる最中に、自動車後方から追突。業者から預かった瓶が割れ車内に充満。慌てて窓を開けようとするも、目に炎症が起き前が見えなくなり、電柱に追突。炎上する。シランの性能により、自動車は爆発。遺体は炭化した。】


 そう記載されていた。

「自動車衝突って……」

「骨組みの損傷から、何かが思いきりぶつかった痕跡が見つかった。だから、警察のNシステムと、周辺の防犯カメラを確認して、一部始終が分かったってわけ。警察はそこまで調べてないの?」

「……昨日、上司から連絡があって事件性がないから捜査は終了だと……」

「やっぱりね。これだから日本警察は……」

 マリアは呆れていた。

「事件性がないからと捜査しない。そして新たな事件が起こる。いつもそう。日本警察のシステムを根本的に見直した方がいいわよ」

 ハンガーにかけてある白衣を羽織り、マリアは「じゃあ、それ持って帰ってちょうだい」と鷹斗を追い払う。

「……失礼します。ありがとうございました」

 マリアの様子がおかしいことに気づいた鷹斗は、素直に従った。

「あの人も何かありそうだな……」

 資料を手に、鷹斗は非番ながらも所轄署へと急ぐ。



「事件が解決したのか……」

「ええ。ですが、やはり事件性はなく追突した車両もすぐ特定できました。ご遺体に家族はいませんので、こちらから手配し火葬を。……崎田部長、あの研究施設の女性は……」

「マリアちゃんか?」

「マリアちゃん……?」

「彼女は私の友人の娘だよ。友人も優秀と言うか秀才だったが、マリアちゃんはそれを優に超えてる。いわゆるIQが高いんだとさ。それで一度は外国に行ったが訳あって帰国。今の職に就いたんだ。まあ、あんまりかかわることないだろうから、そんなに気にしなくていいぞ。マリアちゃん、口調がきついし、気に障ること普通に言ってくるからな。適当に流しとけ。あ、これありがとうな」

 崎田はそう言った。だが、そう話す彼の視線が合うことは一度もなかった。

 何かを隠している。直感だった。



「ただいま……」

「あ、おかえりなさい!この後は予定通りお休みですか?」

「そうだよ。どうかした?」

「あ、いえ。お昼にお好み焼きを作ろうかって話になって、三人で買い出しに……」

 由衣は遠慮がちに言う。

「いいじゃんお好み焼き!用意できてるならこのまま行こうか」

 彼がそう言うと、由衣は笑顔になり、椿を連れてきた。

「おかえり」

「ただいま」

 三人は近くのスーパーへと足を運ぶ。

 店内に入る前に、椿はいつも通り耳栓を付けた。

「さっと済ませちゃいましょうね!キャベツでしょ……あ、お好み焼き粉にしよ……あとはシーフードミックスを使って、あ、ソースは……」

 由衣は食材を手にすると、鷹斗が持っているかごに次から次へと入れていく。

「事件、解決したのか?」

 椿が尋ねる。

「ああ。事故死だったんだ……まだ若い男女の姉弟でさ……不慮の事故だよ……」

「そうか……辛かったな。……大丈夫か?」

 鷹斗を気遣う椿。彼は「ああ。なんとかな……ただ、ご遺体の損傷が激しくて……」と話を続ける。

「忘れたいなら俺に……」

「いや、問題ないよ。一応刑事なんだ、これくらい問題ないさ」

 まるで自分に言い聞かせるように、鷹斗はそう繰り返した。

「ソースってどうします?私は甘口買いますけど、お二人はどれにします?」

「中辛だな」

「中辛かな」

 声をそろえて答える二人を、由衣は小さく噴き出して笑った。

「そんなに揃えなくても。じゃあ、中辛と甘口買いますね!」

 ソースをかごに、由衣は肉コーナーへと向かう。

「それで、体調は?あれから、能力使ってないよな?」

「ああ、使ってないよ。俺だって死ぬのは嫌なんだから、制御してるさ」

 そう答えた矢先、椿に女性がぶつかる。

「あ、す……すみません……」

 女性はそう言うと慌ててその場を去った。

「なんだ……椿、怪我無いか?」

「ああ……でもあの人……なんか……どこかで……」

 椿は無意識に“記憶の中”へと飛んでしまった。

 遠くに鷹斗の制止の声が聞こえる。だが、その声は水の中で聞いているような、はっきりとしないものだった。

「椿!戻ってこい!ダメだ、やめろ!」

 その声に従って戻ろうとする。だが、何度やっても戻れない。椿は視界が暗くなるのを感じた。

 まさか……これで終わりとかいうなよ……まだ俺……。

 それを境に彼の意識は暗闇に飲み込まれた―――。

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