⑩
「えーっと……刑事さん誰だっけ……」
目の前に立つ鷹斗をじっと見るマリア。
だが、名前が思い出せないのか、ずっと髪を触っていた。
『警視庁、刑事部、捜査一課の松風鷹斗警部補です』
「あー、そうだった!そうだ、鳥さんだ!」
「……鳥……?それに今の何の声です……」
「名前に鷹が入ってるから、君は鳥。で、今の声は私の相棒の“ゼロ”だよ。まあ、気にしないで」
マリアはそう説明する。
「それで……マリア博士、昨日のご遺体のことなんですが……」
「博士はやめて。先生にしてくれない?博士って言葉なんかむず痒いの」
「失礼しました。マリア先生、昨日のご遺体……」
「全部結果出てるよ。はいこれ」
彼女はそう言って何枚もの紙を束ねた資料を手渡す。
「え、これ……一体何枚あるんですか……」
「二十三枚。でも全部、この人たちに関すること。この人たちの生まれてから昨日亡くなるまでの人生史、たったの二十三枚分しか情報がない。二十三枚なんて少なすぎるよ……」
マリアはそう言って解剖室を見つめた。
そこに遺体はない。だが、マリアの脳裏には自分が調べた遺体の様子が残っているのだろう。
「ありがとうございました。この資料、しっかり目を通して上に伝えます。そしてご家族にも……」
「家族はいないよ。この二人に家族はいない……二人で生きてきたの」
マリアがそう言う。鷹斗は資料に目を通した。
【
そう記載されていた。
「自動車衝突って……」
「骨組みの損傷から、何かが思いきりぶつかった痕跡が見つかった。だから、警察のNシステムと、周辺の防犯カメラを確認して、一部始終が分かったってわけ。警察はそこまで調べてないの?」
「……昨日、上司から連絡があって事件性がないから捜査は終了だと……」
「やっぱりね。これだから日本警察は……」
マリアは呆れていた。
「事件性がないからと捜査しない。そして新たな事件が起こる。いつもそう。日本警察のシステムを根本的に見直した方がいいわよ」
ハンガーにかけてある白衣を羽織り、マリアは「じゃあ、それ持って帰ってちょうだい」と鷹斗を追い払う。
「……失礼します。ありがとうございました」
マリアの様子がおかしいことに気づいた鷹斗は、素直に従った。
「あの人も何かありそうだな……」
資料を手に、鷹斗は非番ながらも所轄署へと急ぐ。
*
「事件が解決したのか……」
「ええ。ですが、やはり事件性はなく追突した車両もすぐ特定できました。ご遺体に家族はいませんので、こちらから手配し火葬を。……崎田部長、あの研究施設の女性は……」
「マリアちゃんか?」
「マリアちゃん……?」
「彼女は私の友人の娘だよ。友人も優秀と言うか秀才だったが、マリアちゃんはそれを優に超えてる。いわゆるIQが高いんだとさ。それで一度は外国に行ったが訳あって帰国。今の職に就いたんだ。まあ、あんまりかかわることないだろうから、そんなに気にしなくていいぞ。マリアちゃん、口調がきついし、気に障ること普通に言ってくるからな。適当に流しとけ。あ、これありがとうな」
崎田はそう言った。だが、そう話す彼の視線が合うことは一度もなかった。
何かを隠している。直感だった。
*
「ただいま……」
「あ、おかえりなさい!この後は予定通りお休みですか?」
「そうだよ。どうかした?」
「あ、いえ。お昼にお好み焼きを作ろうかって話になって、三人で買い出しに……」
由衣は遠慮がちに言う。
「いいじゃんお好み焼き!用意できてるならこのまま行こうか」
彼がそう言うと、由衣は笑顔になり、椿を連れてきた。
「おかえり」
「ただいま」
三人は近くのスーパーへと足を運ぶ。
店内に入る前に、椿はいつも通り耳栓を付けた。
「さっと済ませちゃいましょうね!キャベツでしょ……あ、お好み焼き粉にしよ……あとはシーフードミックスを使って、あ、ソースは……」
由衣は食材を手にすると、鷹斗が持っているかごに次から次へと入れていく。
「事件、解決したのか?」
椿が尋ねる。
「ああ。事故死だったんだ……まだ若い男女の姉弟でさ……不慮の事故だよ……」
「そうか……辛かったな。……大丈夫か?」
鷹斗を気遣う椿。彼は「ああ。なんとかな……ただ、ご遺体の損傷が激しくて……」と話を続ける。
「忘れたいなら俺に……」
「いや、問題ないよ。一応刑事なんだ、これくらい問題ないさ」
まるで自分に言い聞かせるように、鷹斗はそう繰り返した。
「ソースってどうします?私は甘口買いますけど、お二人はどれにします?」
「中辛だな」
「中辛かな」
声をそろえて答える二人を、由衣は小さく噴き出して笑った。
「そんなに揃えなくても。じゃあ、中辛と甘口買いますね!」
ソースをかごに、由衣は肉コーナーへと向かう。
「それで、体調は?あれから、能力使ってないよな?」
「ああ、使ってないよ。俺だって死ぬのは嫌なんだから、制御してるさ」
そう答えた矢先、椿に女性がぶつかる。
「あ、す……すみません……」
女性はそう言うと慌ててその場を去った。
「なんだ……椿、怪我無いか?」
「ああ……でもあの人……なんか……どこかで……」
椿は無意識に“記憶の中”へと飛んでしまった。
遠くに鷹斗の制止の声が聞こえる。だが、その声は水の中で聞いているような、はっきりとしないものだった。
「椿!戻ってこい!ダメだ、やめろ!」
その声に従って戻ろうとする。だが、何度やっても戻れない。椿は視界が暗くなるのを感じた。
まさか……これで終わりとかいうなよ……まだ俺……。
それを境に彼の意識は暗闇に飲み込まれた―――。
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