⑧
「は……!?私がマリアなの!いい?私がこの研究室の
「ちょ、ちょっと待って……あなたが“マリア先生”?」
「だから自己紹介したじゃない!ほら、身分証!これでいい!?」
目の前の女子高生はデスクに乱雑に置かれた身分証を手に取り、鷹斗の目の前に持ってきた。
そこには【人間科学研究所 法学研究部門・準研究員 夢野真璃亜】と書かれている。
「嘘……マジか……え、じゃあさっき泣いてたのは?」
「しらん」
「え~……そんな急に……俺何かしました?泣いてる理由聞いただけなのに……」
「だから理由言ったじゃない!しらんって」
「何で関西弁……」
「あなた、もしかしてバカなの?私、別に関西弁なんて話してないわよ。“シラン”って言う化学薬品のせいだって言ってんの」
女子高生改めマリアはそう説明する。
「シランっていうのは水素化ケイ素のことで、無機化合物。無色で臭気を放つ気体のことよ。で、この臭気がかなり特異でね……」
そう言って、マリアは透明の瓶を持ってくる。
「これ、こうやって嗅いで」
そう言って手で仰ぐしぐさを見せる。
「え、うわっ!なにこれ……」
「ね?涙出るでしょ?これのせいで泣いてただけ。この臭気が鼻を通じて刺激を起こし、涙が出ちゃうの。これでさ、お手製の催涙スプレー造ろうかと思ってさ~」
鷹斗はため息をつく。
「あの、マリア先生……ご遺体、ここに運ばれてますよね?俺、それについてききた……」
「それじゃなくて、ご遺体。男性と女性の遺体よ。ご遺体には敬意をもってちょうだい」
「え、遺体は男女だったんですか?」
「うん。一目瞭然じゃない」
「いや、でもかなり……その……」
「むごい状態って言いたいの?……骨盤を見れば性別が分かるの。で、そのほかのことは今検査中。まあ、明日には分かるから」
マリアはそう言って再び“シラン”の瓶を手にする。
「あの~、そんなに催涙スプレーが欲しいなら買えますけど……?」
「ああ、ただほしいだけじゃないのよ。どうして二人のご遺体がこの“シラン”を持っていたのか気になってね~」
「え……ご遺体が持っていた……?どうしてそれを……」
「だって持ってたんだもん」
マリアはそう言う。
「ですが、先生は現場をご覧になっていないから分からないでしょうけど、現場にあった車両は真っ黒こげですよ?ご遺体だってかなりの損傷を受けてます。車内だって骨組み程度しか残ってません。それでその瓶が残ってるとは思いませんけど……」
「あのね、ご遺体は確かに真っ黒だった。でも、内臓が残ってたの。いい?いわゆる生焼けの状態。で、遺体を調べていたら肺に炎症、目に炎症、焼けてない皮膚にも炎症があった。おまけにあの燃え方……で、まさかと思ったらシランが検出出来たってわけ」
マリアは鷹斗に近づきながら説明する。
「でもどうしてこの短時間でそれほどの情報を得るんですか……」
「え?どうしてって……私、天才だもん」
普段から口にしているのか、さらっというマリア。開いた口が塞がらないとはこのことを言うのか、鷹斗は文字通り口が閉じられなかった。
「あの……それで明日にはご遺体の何が分かりますか……?」
「う~ん……全部かな」
「全部……ですか?」
「うん。だから、また明日来てよ。じゃあ、ばいば~い!」
彼女はそう言って、半ば強制、鷹斗を部屋の外に出す。
「ダメだ……あのテンションについて行けないかも……」
どっと疲れを感じながら、彼は報告のため所轄署へと戻った。
「さっきの刑事さん、何かいまいちだったね~“ゼロ”」
『そうですね。あの刑事さんを“登録”しますか?』
「うん、しておいてくれる?」
『かしこまりました。データベースに登録します』
部屋の中にはマリア一人。
彼女は黙々と作業を行っていた。
*
【今晩、三人で外食しねえか?何時に終わる?】
警視庁に戻った鷹斗は、急にやつれを見せていた。
椿からのメールにでさえ、いつものようなテンションで反応できない。
【もう終わる。そのまま店に行くよ。決まったら教えて】
【お疲れ。店は決まってる。駅前の“回転すし・ほまれ”なんだけど食べれそう?】
鷹斗は返事し、今日は疲れが凄いからと残業せずに退勤した。
「あ、鷹斗さ~ん!」
道路を挟んだ目の前に、由衣がぴょんぴょん跳ねている。
「あれが……女子だよな……。さっきの女子は女子じゃない……」
信号が点滅し、横断歩道を渡る。
「あれ?鷹斗さんが疲れてる……何かありました?」
そう彼女が聞くが、何から話せばいいのか悩み、出した答えは「何でもないよ」だった。事件のことを話すわけにもいかない。研究所の変わり者について話したいが、要素が多くて話せない。
「椿は?」
「あ、先に行って席を取ってくれてますよ!この時間は混みますからね」
「そっか」
少し歩き、店の前に着いた。確かに列ができている。
「こっちこっち!」
椿が奥のテーブル席で手招きしている。
「おお……鷹斗、お前顔ヤバいぞ……どうかしたか?」
「いや……ヤバいくらいに疲れただけだ……」
「ふ~ん……」
椿はそう言って目を閉じる。
「……あ、お前!能力使ってるだろ!やめとけって!話すからそれ以上しょうもないことに使うな」
能力を使って、彼の疲れの原因を探ろうとした椿を鷹斗は必死に、さりげなく止める。そして今日の出来事を話した。
もちろん、事件のこと以外のみを。
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