「あ、椿さんどこ行ってたんですか!ちゃんとメールしたでしょ!気付いてます!?」

 物凄い剣幕で玄関まで走ってくる由衣。

「悪い、全然気づいてなかったわ」

「もうっ……無事なら良いんですけどね」

 ふてくされて去っていく由衣。

「なあ、今回の事件……永野の母親としての想いが原因で起こった事件だったろ……?俺に母親の感情も記憶もないんだ……事件を起こすほどの愛情なんて湧くもんなのかな……」

「私はまだ結婚もしてませんし、子どもだっていないですから分かりませんけど……多分、湧くんじゃないですか?自分の子どもを守るためなら、事件どころか、他人を犠牲にできるほどの愛ってあると思いますよ。……少なくとも、私の両親はそうでした……」

「由衣……もしよかったら両親の話、聞かせてくれないか?」

「いっぱいありますよ、話したいこと……。私が幼稚園の入園式の時に、お父さんが緊張しちゃって、家族席に座るはずが教諭席に座りそうになったこととか、運動会の時にビデオは持ってきたのに、テープが入ってなかったとか……」

 由衣は家族との思い出を話し始めた。

「由衣のそのおっちょこちょいは、父親譲りってことか~」

「私はお父さんほどのおっちょこちょいじゃないですよ!でも……そんなお父さんが、あの事故の時は強くてすっごく……」

 事故の記憶が蘇ってきているのか、由衣の表情が曇ってくる。

「由衣、今日の晩ご飯決まってる?もし決まってなかったらさ、鷹斗呼んで外に行かないか?」

 椿は話を逸らした。

「家族の話をしてるのに、なんで急にご飯の話になるんですか!……でも、ありがとうございます。今日は外に行きましょうか……」

 由衣はコーヒーを二人分作り、自分と椿の目の前に置いた。

「椿さん、もしよかったら椿さんの家族の話聞いてもいいですか?」

「俺の家族?って言っても父さんくらいしか……あ、父さんから聞いた母親の話なら……そうだな~、俺がまだ生まれて間もないときに“この子をお願いします”って教会に連れてきたらしい。で、父さんがすぐ後を追ったけどもう姿はなくて、俺の名前も生年月日も何もかも分からないままで、父さんが何とかして俺の戸籍を作ってくれたらしい。俺はそれを十歳まで知らなかったんだ。まあ、薄々は気付いてたけど。で、俺はそのまま四十住椿として生きてきて、今こういう生活してるって感じだけど……これ聞いてて面白いか?」

 椿は苦笑いしながらそう由衣に尋ねる。

「面白いって言うか、椿さんの人生史が凄いって言うか……」

「自分でもたまに思うんだ。俺ってすごい人生歩んでるな~って。でもその凄い人生のおかげで、本当の家族を知らないおかげで父さんにも、鷹斗や由衣にも出会えたから、ほんと何が起こるか分かんねえよな。この生活、ずっと続くと良いけどな~」

 椿はそう言ってキッチンへ行った。

「……椿さん……?」

 由衣はふと彼のことが気になった。何かが引っ掛かるような、不思議な雰囲気に包まれた彼をじっと見ている。

「由衣、お前今日何食べたい?」



「古谷!ちょっと鑑識呼んで!」

 鷹斗は湯祖町で起きた事件を調べている。

「あ、松風さん!」

 駆け寄ってくるのは、鑑識係の西野だった。

「おお、お前が担当してたか!なら話は早いな」

「え、自分に何させる気ですか……」

「いや、悪いことはさせねえんだからさ。それより、この事件の遺体は?」

「到着した時にはすでに遺体は判別不能でしたし、うちの検査と初動捜査終えてるんで、ご遺体の搬送しちゃいましたけど……」

 鷹斗は「マジか~!」と頭を掻き、西野に近づく。

「これだけ炎上してたら遺体は……」

「真っ黒でしたけど……」

「遺体はどこに?」

「うちの管轄なら監察医務院になりますけど、最近上の指示で医務院ではなく現場で不審死扱いになった遺体はIHSに運ぶことになってます」

 鷹斗の頭上にはエクスクラメーションマークが浮かんでいる。

「え、何それ……旅行会社……?」

「もう……それはHISでしょ!?松風さん大丈夫です!?自分が言ったのはIHSです!“Institute of Human Sciences”の略で、“人間科学研究所”って意味です。この研究所に不審死や普通の死とは考えられないようなご遺体を搬送することになってるんですよ」

「なんで?」

「それは……自分に言われても分かりませんけど。噂では、すっごい人が赴任したらしくて、その人の研究の一環だとか……」

「ふ~ん……で、それどこにあんの?」

 西野は渋々ながらも、研究所の地図を鷹斗に送った。

「サンキュー!今度飯おごるからさ」

「絶対怒られる……」

 西野は身震いして持ち場に戻る。


「古谷!ちょっと俺出てくるから、もしなんか聞かれたら上手くごまかしといて!」

「え、ちょ……松風さん!え~……所轄の僕だけでどうしろと……」

 困る古谷をよそに、鷹斗は研究所へと急ぐ。



「え、ここ……!?いや、でかくね……?」

 目の前にそびえたつのは、全面ガラス張りの建物だった。

「こんな建物あったの!?マジか……」

 鷹斗は入り口を探し、柵の前に立つ男性警備員に事情を説明した。

「アポイントを取られてますか?」

「いや、現場から直接来てるんで……」

「ではお会いになる方のお名前は?」

「いや、それも分からなくて……あの、先ほどここに警察が来ませんでした?ご遺体の搬入を……」

「警察……?あ~マリア先生の!だったらご案内できますよ」

 男性は“マリア先生”につないだ。

「どうぞ!この先の直通エレベーターを上がってもらって、すぐ入り口に研究室がありますんで!」

「いや、俺今日初めてここに……」

「あ、それは大丈夫です!マリア先生のところならすぐわかりますんで!」

 彼はそう言って持ち場に戻る。

「いや、そんな……」

 不服な鷹斗だが、とりあえず行ってみる精神で直通エレベーターを目指す。

「え……階番号ないの……!?屋上と地下と“マリア”しかないんだけど……」

 彼は“マリア”を押す。すると箱はぐんぐん上がり、六階で止まった。

「いや、六階なんかい……しかも扉開いたらすぐ入り口って……確かにこれなら始めてきても迷わないか……」

 この研究所の中でも、六階にある“マリア先生”の研究施設だけは完全独立していた。

「あの~、警視庁の松風と申しますが、“マリア先生”はおられますか?」

 声を掛ける。すると、中から高校生ほどの女子が現れた。身長は一五〇cmほどだろうか、小ささに加え涙を浮かべた顔をしているせいか、幼く見える。

 事件関係者……ご遺体の家族なのかもしれない。鷹斗は細心の注意を払いながら接する。

「あの……マリア先生は……」

「用事?」

 彼女は関係者じゃないのか……?またも彼の頭上にはエクスクラメーションマークが浮かぶ。

「警察から届いたご遺体の件で……」

「こっち……」

 彼女はハンカチで涙をぬぐいながら、案内する。

 案内された先は、解剖室だった。

「え、ここ解剖室……あの、どこに……」

「だから目の前に……」

「いや、目の前にはご遺体しか……え、まさかこの女性の遺体がマリア先生!?」

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