⑦
「由衣ちゃん、椿は?」
仕事から帰ってきた鷹斗は、開口一番にそう言う。
「いえ……まだ眠ってます……」
由衣は悲しげにそう言った。
「そうか……一体何が起きてるんだ……」
成す術もない椿の眠り。
彼の体に……精神に何が起きているのか、知るすべもなかった。
「父さん……」
椿は“境”にいた。
あの日、自宅に帰ってきた椿はベッドの上で“思念受術”を使った。
真壁や永野の様子をずっと見てきた彼は、どうしても陽行に会いたくなったのだ。
また怒られると分かっていながらも、会いたい気持ちが抑えられず、術を使った。
「椿か……?」
「父さん……俺……」
「体力が削がれる術を使うなんて、お前は一体いつからバカになったんだ?」
陽行はそう言いながらも、椿に近づいた。
「父さん……あの時……なんで俺を……」
「助けたのかって?そりゃ……愛だな」
「愛?」
「ああ。愛しているからこそ、何でもしたくなる。自分の命をお前にあげるなんて言い方をしたらおこがましいけどな、この命をお前に託すくらいなんてことなかった。この命でお前が助かるなら、渡してもいいと思ったんだ」
「でもそのせいで父さんは……」
陽行はそっと椿を抱きしめた。
「私は、お前の中で生きている……離れることなく、お前のそばにいる。これからもそれは変わらない。お前が生きていることで、私も生きていられるんだ……。椿、自分の命を大切にな……さあ、そろそろ帰りなさい。ここに長く留まるのは危険だ。分かっているだろ?長期間ここにいるのはやめた方がいい。ほら、帰りなさい……」
陽行は椿を体から離し、現世に戻るよう説得する。
椿は帰りたくないというが、陽行のその能力は椿に作用し、彼は戻された。
「くそっ!なんで!なんでだよ……」
突然二階から声が聞こえた。何かがなぎ倒される音が家に響く。
「え、椿さんもしかして暴れてます!?」
リビングで由衣とともに食事を摂っていた鷹斗は、慌てて二階へ駆けあがる。
「椿!どうした!?」
扉を勢いよく開ける。
「もう……俺……無理だ……」
散らかった床に座り込む椿の姿が目に入る。
「椿……何があった……?」
「なあ、鷹斗……俺のこの能力……何のためにあるんだ……」
急にどうしたんだと鷹斗は彼に視線を合わせる。
「境で……父さんに会ってたんだ……でも、帰れって言われて……戻された……」
「そうか。会えたんだな」
「父さん……死んでるんだ……抱きしめてもらった……でも冷たくてさ……」
そう涙を流す椿を由衣は見てられず、部屋に入ることすらできなかった。
「俺が父さんを死なせたようなものなんだ……」
「違うよ」
「いや、俺が死なせたんだ……」
「椿、お前のせいじゃない。何度も言っただろ?」
彼は首を横に振り、涙を流す。
「俺が……この能力なんか……こんな能力無くなれば……なんで俺にこんな能力が……もういらねえ……こんな……」
そう言葉を詰まらせる椿を、鷹斗はただ抱きしめ、涙を流させてやることしかできなかった。
何も言わず、動かず、ただ抱きしめる。
椿はずっと静かに涙を流し続けていた。
「椿さん……」
椿の様子を見ていた由衣が、声を掛ける。
「これ、渡しておきます……陽行さんから頼まれていたものです……」
由衣はそう言って椿に封筒を渡した。
「何だよこれ……」
「手紙です。陽行さん、実は私に手紙を預けていたんです……。“椿が自分の能力を疎ましく思い、なくなればいいという日が来たら、その時に渡してくれ”と伝言も……。今がその時ですから……これは椿さんに渡します」
椿は手紙を受け取り、封筒に書かれている文字を読む。
「父さんの字だ……」
封筒を開け、中に入っている三枚の紙を取り出した。
【愛する椿へ
手紙を受け取って驚いただろ?最後のサプライズってやつだ。これは椿に説教一つ、ラブレター一つ、願い事一つの手紙だ。
お前、自分の能力をなくしたいとか思ってんじゃねえよ。その能力は授かりもの。唯一無二の能力だ。皆が持っているわけじゃない。欲しくても手に入れられない者もいる。だがお前はそれを持っている。多分、ちゃんとコントロールできたら私より強い能力だ。そんな能力を疎ましく思うんじゃねえ!……これが説教だ。
椿が初めて自分の出自を知りたいと言った時、正直言うと話すのを戸惑った。まだ十歳の子どもに話してもいいのかと悩んだ。だが、お前は既に色々なことを知り、好奇心も旺盛で、賢い子だった。だから話していいと判断したんだ。覚えているか?私が話した内容を。お前につけた名前の意味を。“つばき”は邪を祓う霊木だ。お前を守り、力を授けるものとして付けた。いいか?何があっても自分を忘れるな。お前は強いんだ。きっといつか、その名前が助けてくれる。それに、今のお前には鷹斗も由衣さんもいる。それにお前の中に私がいる。それを忘れるなよ。私はお前を愛している。だからこそこの命をお前に託すことができた。お前が生きてくれているからこそ、私もお前の中で生きていられる。何があっても絶対に最後まで諦めるな。人生は一度しかないんだ。全力で楽しめ。何度でもいう。私はお前を愛している。これがラブレターだ。
最後は願い事だが……一言で言うと“助けろ”だ。お前のその能力は人を助ける。確かに、この能力は自分の体力が削がれる。辛い思いをすることもあるだろう。だが、その能力を使っても我を忘れることなく、自分の命が尽きないのが、強い証拠だ。現に、その能力に溺れ事件を起こした者がいるだろう?それは心が弱かった者だ。お前はそうはならない。お前は強い。だから、助けを求めた人間を助けろ。私が力になる。これが私の願いだ。
椿、共にいてやれなくて無念だが、今のお前には仲間がいる。信頼でき、共に助け合い、共に暮らす仲間がいる。私は嬉しいよ。
あ、最後に一つ聞きたいことがある。
お前、鷹斗のこと好きか?……なんて言ったら怒るだろうから、やっぱりやめておくことにするよ。
あ、でも気になったままってのは性に合わないから、いつか聞かせてくれよ。
いつまでもお前を愛している。お前にとって大事な人をちゃんと大切にな。
いつかまた語り合おう。お前の父、陽行】
手紙を読み終えた椿の目からは大粒の涙が流れる。
「……いつの間にこんな手紙を……父さん……」
そう声を震わせる椿。そんな彼の背に手を当てようと鷹斗が自らの手を伸ばす。と同時に、小さな笑いが聞こえた。
「椿……?」
「父さん、俺がお前のこと好きか気になってるってよ……どんな父親だよ……」
「は……?父さん、まだ言ってたのか……」
重い空気はいつの間にか明るくなっていた。
「……陽行さん、凄いです……椿さんをこんなに笑わせるなんて……」
数日後、椿の体調と精神バランスが安定したのを皮切りに、三人そろって警視庁へと向かった。
「俺があいつ関連の事件を全部切ってやる……」
椿は建物を前に、そう誓った。
「あ、椿くん……もう大丈夫かね?」
「大元さん……何とか戻りました。それより頼んでいたことは……」
「ああ、ちゃんと用意できているよ」
そう大元が言った。しっかり頷く椿。
そして大元、椿、由衣、鷹斗は大会議室へと向かう。
扉をノックする大元、音もなく静かに開いた扉。目の前には森本が立っていた。
「俺がドア番してますから、安心してください」
森本はそう椿に言った。
「助かります」
三人を中に招き入れ、森本は扉を閉める。そして鍵を掛け、ドアノブの前に立つ。
部屋の中央には透明の板が四方に立てられ、ある男を囲っていた。
「あの板は頑丈ですか?」
椿がそう言う。
「ええ。防弾ガラスですから」
立本は素っ気なく答える。
「相変わらず素っ気ないですね」
椿がそう言うと、「愛想を振りまくキャラじゃないんで」と彼は返事する。椿は微笑みながら一歩前に進む。
三畳ほどしかない、防弾ガラスの透明な小部屋。その中にいたのは、吉川だった。
「四十住さん……」
扉の前に立つ土屋。
「本当にいいんですか……?あなたが危険なんじゃ……」
土屋はそう言う。
「大丈夫ですよ。俺は強いんですから……ね?」
椿は振り返り、鷹斗と由衣を見つめる。
彼らは何も言わず、一度だけ頷いた。
そして、椿はその防弾ガラスの扉に手を掛ける。
椿と吉川の最後の戦いが始まったのだ―――。
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