「ただいま……」

 夜、家に帰ってきた椿は目の前にそびえたつ高い壁……いや、鷹斗を見てすべてを悟った。

「悪い……」

「お前の“悪い”は聞き飽きた。なんで相談しない?」

「……したら行かせてくれないだろ」

「当たり前だ。あいつは会わせたくない人間ナンバーワンだからな」

「だから言えなかったんだよ」

 静かに、声を荒げることなく言い合いをする二人を見て、由衣は「二人とも怒ってて怖い……」と呟く。

「言えないってなんだ」

「そのままの意味だ」

「どういう意味なんだ?」

「俺が行くって言ったら、お前は止めるだろ。だから相談なんかできやしねえって言ってんだ」

「お前はを知らないのか?」

「知ってるさ。“ヒユ科アカザ亜科ホウレンソウ属の野菜で、緑黄色野菜の”……」

「ふざけるな!俺が言いたいこと分かってるだろ!?」

 ダメだ……鷹斗さんが切れた……。由衣はそっと階段方面へ移動する。が、「由衣、どこ行くんだ?」と椿に捕まってしまった。

「あ、あの二人とも……ケンカしないでくださいね?ほら、鷹斗さん椿さんのことまた殴ったら……」

「殴られるようなことするこいつが悪い」

「すぐ殴るのもどうかと思うけど?」

「殴られたくなければ、何もしなかったらいいんじゃないの?」

「そういうわけにいかないよな?俺だって本業なんだし」

「じゃあ、それだけやってろよ」

「そうしたいけど、警察が依頼してくるんだから仕方ねえだろ」

 言葉に詰まる鷹斗。それもそうだ。自分たちが依頼さえしなければ、椿が術を使うことも、倒れることもない。

「鷹斗、お前心配しすぎなんだよ。俺だって大人なんだから、ちゃんと考えてるって。そりゃ、相談なしにいろいろやってるけどさ……。でも、俺が勝手に何でもできるのって、お前や由衣がいるからなんだし?」

 そう椿に言われ、またも何も言い返せない鷹斗。

「頼むから相談してくれよ……」

「努力はする」

「なんだよそれ」

 二人はいつの間にか笑い合っていた。

 その様子にホッとする由衣。

「二人とも、ご飯できましたよ!」

 そう声を掛ける。

 二人はテーブルにつき、目の前の食事に手を付け始めた。

「二人を見ていると、お母さんってこんな感じなのか~ってなりますね、ほんとに」

「どういう意味だよ」

「そのままの意味です。ケンカはする、手がかかる、いつも目が離せない。そのままですよ」

 してやったりとでも言わんばかりの由衣の顔に、思わず笑いが込み上げる二人。

 そんな様子を見ていた由衣もまた、笑い出し、ようやく部屋は明るくなった。


 深夜、椿は一人リビングにいた。

 ソファーに座り、パソコンを開いている。

「寝てないのか?もう二時だろ……何か考え事か?」

 後ろから話しかけられ、慌てて振り返るとあくびをしながら鷹斗が近づいてきた。

「ちょっとな……」

「吉川のことか?」

「まあ……」

「会ってどう思った……?」

 グラスに注いだお茶を手に、椿の隣に座る鷹斗。

「錯乱状態になった彼を見た。と言っても、すぐに鎮静剤で眠らされたから一瞬だったけど。でも、逆に言えばその一瞬が違和感しかなくて、焼き付いてんだ……」

「その一瞬で何があったんだ?」

 椿は記憶を手繰り寄せ、彼に話す。

「錯乱状態に陥ったとき、彼は俺を睨んできた。単に患者として俺を睨んだのかと思ったが、そうじゃなかったんだ……。あいつは、完全に自分を失ってるわけじゃない……何らかの方法で、記憶を取り戻してる。自分を……取り戻してるんだ。俺ははず……なのに、自我はしっかり残って……」

「吉川も、お前と同じだろ。ということは、術が効かなかったってこともあり得る。それに、あいつは人を騙すのが上手い。何とでもなるんじゃないのか?腐っても元刑事だしな」

 鷹斗にそう言われ、ふと思い出した。

「これ、気づいたらポケットの中にあったんだ。これさ……」

 そう言って渡したのは、ハンカチに挟まれた一枚の紙だった。

「これ、お前の指紋だけか?」

「え?ああ……触ったのは俺だけだけど……」

 鷹斗はキッチンへ行き、ビニール手袋をはめ、その紙を触った。

「これ、鑑識に回してもいいか?何か分かるかも」

「鷹斗おまえ……俺が何言いたいのか分かったのか?」

 得意げに笑い、「まあな。これ調べられるか?って聞きたかったんじゃねえの?」と言う。

「その通りだよ。マジかお前凄いな……」

「何年付き合ってきてんだよ。それくらい簡単だって。てか、これ開けるぞ?」

 彼はそう言いながら髪を丁寧に開く。

「“おぼえているぞおまえのこと”……これどういうことだ……」

「そのままの意味なら、俺はお前に記憶を触られたが、忘れてなんかいない。覚えているぞってところだろうし……」

「なあ椿、とき、お前はどうやったんだ?」

「あの時は確か俺も気が高ぶってて……あ、首を絞めて弱らせてから術を掛けたんだ。気絶状態の時に掛ければ、効き目は強くなるから……それで……どうやったんだっけ……」

「その時に使った術ってのは?」

「忘れさせるための〈忘却の術〉と、人格を殺すための〈削除の術〉を組み合わせて、あいつと一緒に“境”に行って、

 そう話す椿をじっと見ている鷹斗。

「ん?どうかした?」

「いや、どうかしたって言うか……お前、あの短時間でそんなことしてたのか……てか、すげえな……なに、人格を殺す術って……そんなのあんの!?」

「ああ。父さんが昔にお祓いに来た人に使ってて、俺も使えるようになりたいって習得したんだ」

「それ、どういう術なんだ?」

 椿は説明する。

「そのままさ。。使うかどうかは、その人を視てから決める。使う必要がなければ使わない。これは術を使うときの鉄則だ。例えば、“狐憑き”みたいに、暴れて手が付けられないとき、その人を視て何がそうさせているのかを判断する。そしてそれが、何か分かれば、術を使う。あの時、吉川は自分の能力に溺れてた。あのまま闇を抱えていると、この能力に殺される。だから俺は、術を使った。これを使われると、人が変わるんだ……。弱いものは強いものへ、凶暴なものは穏やかに、悪人は善人に、もちろん逆も……。俺は吉川さんを善人に変えようとした。そして自分の能力でさえ忘れてしまえばと思ったんだ。でもそれは失敗だったってことだ……。一年ぶりに会って思ったよ。この事件、ってな……」

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