④
「ただいま……」
夜、家に帰ってきた椿は目の前にそびえたつ高い壁……いや、鷹斗を見てすべてを悟った。
「悪い……」
「お前の“悪い”は聞き飽きた。なんで相談しない?」
「……したら行かせてくれないだろ」
「当たり前だ。あいつは会わせたくない人間ナンバーワンだからな」
「だから言えなかったんだよ」
静かに、声を荒げることなく言い合いをする二人を見て、由衣は「二人とも怒ってて怖い……」と呟く。
「言えないってなんだ」
「そのままの意味だ」
「どういう意味なんだ?」
「俺が行くって言ったら、お前は止めるだろ。だから相談なんかできやしねえって言ってんだ」
「お前はホウレンソウを知らないのか?」
「知ってるさ。“ヒユ科アカザ亜科ホウレンソウ属の野菜で、緑黄色野菜の”……」
「ふざけるな!俺が言いたいこと分かってるだろ!?」
ダメだ……鷹斗さんが切れた……。由衣はそっと階段方面へ移動する。が、「由衣、どこ行くんだ?」と椿に捕まってしまった。
「あ、あの二人とも……ケンカしないでくださいね?ほら、鷹斗さん椿さんのことまた殴ったら……」
「殴られるようなことするこいつが悪い」
「すぐ殴るのもどうかと思うけど?」
「殴られたくなければ、何もしなかったらいいんじゃないの?」
「そういうわけにいかないよな?俺だって本業なんだし」
「じゃあ、それだけやってろよ」
「そうしたいけど、警察が依頼してくるんだから仕方ねえだろ」
言葉に詰まる鷹斗。それもそうだ。自分たちが依頼さえしなければ、椿が術を使うことも、倒れることもない。
「鷹斗、お前心配しすぎなんだよ。俺だって大人なんだから、ちゃんと考えてるって。そりゃ、相談なしにいろいろやってるけどさ……。でも、俺が勝手に何でもできるのって、お前や由衣がいるからなんだし?」
そう椿に言われ、またも何も言い返せない鷹斗。
「頼むから相談してくれよ……」
「努力はする」
「なんだよそれ」
二人はいつの間にか笑い合っていた。
その様子にホッとする由衣。
「二人とも、ご飯できましたよ!」
そう声を掛ける。
二人はテーブルにつき、目の前の食事に手を付け始めた。
「二人を見ていると、お母さんってこんな感じなのか~ってなりますね、ほんとに」
「どういう意味だよ」
「そのままの意味です。ケンカはする、手がかかる、いつも目が離せない。そのままですよ」
してやったりとでも言わんばかりの由衣の顔に、思わず笑いが込み上げる二人。
そんな様子を見ていた由衣もまた、笑い出し、ようやく部屋は明るくなった。
深夜、椿は一人リビングにいた。
ソファーに座り、パソコンを開いている。
「寝てないのか?もう二時だろ……何か考え事か?」
後ろから話しかけられ、慌てて振り返るとあくびをしながら鷹斗が近づいてきた。
「ちょっとな……」
「吉川のことか?」
「まあ……」
「会ってどう思った……?」
グラスに注いだお茶を手に、椿の隣に座る鷹斗。
「錯乱状態になった彼を見た。と言っても、すぐに鎮静剤で眠らされたから一瞬だったけど。でも、逆に言えばその一瞬が違和感しかなくて、焼き付いてんだ……」
「その一瞬で何があったんだ?」
椿は記憶を手繰り寄せ、彼に話す。
「錯乱状態に陥ったとき、彼は俺を睨んできた。単に患者として俺を睨んだのかと思ったが、そうじゃなかったんだ……。あいつは、完全に自分を失ってるわけじゃない……何らかの方法で、記憶を取り戻してる。自分を……取り戻してるんだ。俺はあいつを殺したはず……なのに、自我はしっかり残って……」
「吉川も、お前と同じだろ。ということは、術が効かなかったってこともあり得る。それに、あいつは人を騙すのが上手い。何とでもなるんじゃないのか?腐っても元刑事だしな」
鷹斗にそう言われ、ふと思い出した。
「これ、気づいたらポケットの中にあったんだ。これさ……」
そう言って渡したのは、ハンカチに挟まれた一枚の紙だった。
「これ、お前の指紋だけか?」
「え?ああ……触ったのは俺だけだけど……」
鷹斗はキッチンへ行き、ビニール手袋をはめ、その紙を触った。
「これ、鑑識に回してもいいか?何か分かるかも」
「鷹斗おまえ……俺が何言いたいのか分かったのか?」
得意げに笑い、「まあな。これ調べられるか?って聞きたかったんじゃねえの?」と言う。
「その通りだよ。マジかお前凄いな……」
「何年付き合ってきてんだよ。それくらい簡単だって。てか、これ開けるぞ?」
彼はそう言いながら髪を丁寧に開く。
「“おぼえているぞおまえのこと”……これどういうことだ……」
「そのままの意味なら、俺はお前に記憶を触られたが、忘れてなんかいない。覚えているぞってところだろうし……」
「なあ椿、吉川を殺したとき、お前はどうやったんだ?」
「あの時は確か俺も気が高ぶってて……あ、首を絞めて弱らせてから術を掛けたんだ。気絶状態の時に掛ければ、効き目は強くなるから……それで……どうやったんだっけ……」
「その時に使った術ってのは?」
「忘れさせるための〈忘却の術〉と、人格を殺すための〈削除の術〉を組み合わせて、あいつと一緒に“境”に行って、置いてきた」
そう話す椿をじっと見ている鷹斗。
「ん?どうかした?」
「いや、どうかしたって言うか……お前、あの短時間でそんなことしてたのか……てか、すげえな……なに、人格を殺す術って……そんなのあんの!?」
「ああ。父さんが昔にお祓いに来た人に使ってて、俺も使えるようになりたいって習得したんだ」
「それ、どういう術なんだ?」
椿は説明する。
「そのままさ。その人の人格を殺す。使うかどうかは、その人を視てから決める。使う必要がなければ使わない。これは術を使うときの鉄則だ。例えば、“狐憑き”みたいに、暴れて手が付けられないとき、その人を視て何がそうさせているのかを判断する。そしてそれが、何か分かれば、術を使う。あの時、吉川は自分の能力に溺れてた。あのまま闇を抱えていると、この能力に殺される。だから俺は、術を使った。これを使われると、人が変わるんだ……。弱いものは強いものへ、凶暴なものは穏やかに、悪人は善人に、もちろん逆も……。俺は吉川さんを善人に変えようとした。そして自分の能力でさえ忘れてしまえばと思ったんだ。でもそれは失敗だったってことだ……。一年ぶりに会って思ったよ。この事件、永野と吉川は繋がっていたってな……」
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