「え……それが頼み事ですか……?」

「そうだ」

「その頼み事は聞けません……」

「何でもするって言っただろ?」

「言いました。でも……」

 椿は“俺がすることに目をつぶれ。鷹斗には言うな”と頼みごとをしたのだ。確かにこんな頼み事、聞けるはずもない。

「頼む……聞いてほしい」

「嫌です!こんな頼み事聞いたら、椿さんは何するか分かりません……危険なことはしてほしくない……」

 涙声でそう言ってくる由衣に、椿は心が痛んだ。だが、この事件を解決するには必要なこと。椿は心を鬼にし、「俺の助手なんだろ?助手は、サポートするのが役目だ。俺のサポートをするのが、お前の仕事だろ」と強く言う。だが、由衣も引き下がらない。

「私の仕事は確かに椿さんを全力でサポートすることです。でも、それと同じくらい、椿さんを守るのも私の仕事です。だからこの頼み事は聞けません……」

「……この事件、俺関連かもしれないんだ……それを確かめるために俺は、海野に資料を集めるよう頼んだ……。由衣、覚えてるか……?俺がこと……なのに、出てきたかもしれないんだ……。あいつが……今回の事件に絡んでるかもしれないんだよ……そうだとしたら、この事件は俺のせいだ……」

「でもそんな情報、鷹斗さんからも聞いてませんよ?違うんじゃないですか?」

「違ったらそれでいい。でも、もし絡んでるんだとすれば俺が何とかしないと……。その確認のために俺は……吉川がいる病院へ行く。そのための資料を、海野に頼んでいたんだ……」

 椿は「だからこのこと、鷹斗には言わないでほしい。言ったらあいつ……反対するどころか、多分俺は監禁されるからな」と笑った。

「でも……」

「大丈夫だ。理性さえ保っておけば何とかなる」

 椿は譲らなかった。


 その日の夜、海野からメールが届いた。

【病院の件、何とかなりました。あくまでも四十住さんは雑誌の記者って設定ですよ。一線は越えないでくださいね。地図と日時は下記に書いておきます。】

「雑誌の記者ね……ちょっと待てよ……」

 椿は海野からの短いメールに違和感を感じた。

「“あくまでも雑誌の記者って設定”……これどういう意味だ……」

 俺が海野に頼んだことは、警察官が起こした神隠し事件の詳細を知りたい。ついでに入院している病院と、現状を知りたいからまとめた資料をくれ。次の記事にする。これだけしか伝えていない……なのにどういうことだ……。

【海野さん、一つだけ聞きたいことが。“あくまでも”ってどういう意味だ?君は何か知っているのか?】

 そうメールした。数分の後、彼女から返信が来る。

【特に意味はありません。四十住さんは暴走しがちだから前もって釘をさしておくようにと笹倉さんから伺っていますので。先ほど伝え忘れていたんですが、一緒に行ってくれる弁護士、名前は荒木という男性ですので。】

 特に意味はないのか……?と椿は疑問が残るが、本人がそう言っている以上、詮索はしない。

「まあ、あの鬼の笹倉から俺のことを聞いているんなら……あり得るか……」

 椿は携帯を閉じ、パソコンで病院の所在を調べ、印刷する。

「ここにあいつが……」

 


「じゃあ行ってくる。鷹斗に何か聞かれたら上手く言っといてくれ」

「でも環状線ですよね……人、かなりいますよ?一人で大丈夫ですか?」

「大丈夫だ。じゃあまた連絡するから。鷹斗に悟られないようにしてくれよ?あいつうるさいから」

 椿はそう由衣に頼み、予定よりも少し早く自宅を出た。

 環状線に乗りこむと、普段とは比にならないほどの人の多さに、軽くめまいを感じる。

「やっぱりヤバかったか……?」

 そう言いながらも、何とか立ち続け、ようやく最寄り駅に。

「もしかして四十住さん……ですか?」

「そうだけど……」

 筋肉質ながらも長身の男性が立っている。三つ揃えのスーツは体に合っており、違和感なく着こなしていた。胸には“弁護士バッジ”が付いている。

「良かった。間違っていたらどうしようかと不安になりましたよ。申し遅れました、私、荒木と申します」

 彼はそう言うと、ごく自然に手を差し出した。

「あんたが弁護士の。俺は四十住だ……今日はよろしく」

 荒木は「こちらこそ」と言ってほほ笑む。

「それにしても、なぜあの事件を?何か関係でも?」

「個人的に何かというのはない。でも、あの事件は気になることが多すぎた。国民もいまだに気になる人がいるようだし、何せ警察官が起こした事件だからな……書けば儲かる。それだけだよ」

 あえてそう言ったものの、荒木は猛禽類のような鋭い視線を向けていた。

「それより、どうして受けてくれたんだ?」

「春ちゃんの……いや、海野さんの頼みですし、それにあの事件は私も興味があったものですから」

「荒木さん、もしかした海野さんと知り合いなのか?」

「ええ。大学の後輩ですよ」

 彼はそう言う。

 しばらく歩き、目の前には“あの人”が入院している病院へ到着した。

「私が先に声かけてきますから、少しお待ちください」

 荒木はそう言って、総合受付へ向かう。

「何かありそうな人だな……」

「お待たせしました。四階の四〇六号室だそうです」

 いよいよご対面か……。彼は若干、手に汗をにじませていた。

 エレベーターに乗り込み、四階へ。階が近づくにつれ、鼓動が早くなるのを感じていた。

「大丈夫ですか?」

「何が……?」

「いや、汗……。かなりかいてますよ?これ、良かったら……」

 そう言って荒木はハンカチを差し出す。

「あんたってスマートだな」

「良く言われます。でも、似合ってるでしょ?」

「ふっ、なんだそれ」

 彼から差し出されたハンカチを手に、額の汗を拭い、ポケットにしまう。

 そして四階。エレベーターから降りると、何とも言えない空気が漂っていた。

「独特な雰囲気ですよね、ここ。さすが隔離病棟だ……」

 ナースステーションにいる看護師に声を掛け、案内してもらう。

「鍵があるんですか?」

 椿は尋ねた。

 廊下を隔てるのは色の塗られた鉄格子。鍵が付いており、専用の鍵でないと開けられない仕組みになっている。

「ええ。患者さんが逃げ出したりしないように、細心の注意を払っています」

「でも、緊急時は手間取るんじゃ……」

 よし、大丈夫だ俺……。ちゃんと記者してるぞ……。そう自分に言い聞かせる。

「それに関しては問題ありません。この病棟には廊下の端と端にナースステーションを設置しており、中と外どちらからでもすぐ対応できるようになっていますから」

「なるほど……それにしても、行き届いた病棟ですね……。隔離病棟だと伺っていたのですが、全然開放的だ……」

 壁は薄いグリーンに塗られ、植物の模様が描かれている。造花とはいえ、至る所に緑や花が設置され癒しの空間のようにも感じる。

「ありがとうございます。これ、センター長のアイデアなんですよ」

 看護師はそう言って、四〇六号室の前まで案内してくれた。

「ここです。あ、一つだけ……今は落ち着いていますが、ふとした時に錯乱状態になることがあります。なので、医師が立ち会うことになっていますから、それだけはご了承ください」

 看護師はそう言って、部屋をノックする。

 病室から出てきたのは、屈強な男性医師だった。

「お話は聞いています。では、あちらの談話室で……ご案内して」

 二人は病棟の奥にある談話室へと案内された。

「俺に会いたい人って珍しいけど一体誰なんだ……殺しに来たのか?」

「普通に面会ですよ!あと少しお話を聞かせてほしいって言ってます。なんでも、刑事時代の話に興味を持ってくれたそうで」

 男性医師・あずまはそう言った。

 椿の前に現れたのは、一年前とは似ても似つかない吉川の姿だった―――。

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