時刻は昼前。時計は十一時四十五分を指していた。

「遅くなって申し訳ありません!もっと早く来るつもりが、こんな時間になってしまって……」

 女性警察官に案内されながら、真壁は慌てて入ってきた。

「大丈夫ですよ!奥で四十住さんがお待ちしています。ご案内しますね」

 誰かがそう言ったのが聞こえる。声からして立本か……?

 だが、今は声の主が誰かなど正直気にする余裕はなかった。

「四十住さん、真壁さんがいらっしゃいましたが……」

 そう声を掛けられているが、なかなか意識が戻らない。

 椿は今、にいた。

 と言っても、本当にいるわけではない。意識だけ、公園に飛ばしているのだ。集中しないと、途切れそうなほど体力を使う。

 だから本来なら、式神にでもやらせればいいのだろうが、椿はなぜかいつも自分が動いてしまう。陽行がそうであったから、その影響だろう。

「……さ……ん!椿さん!」

 由衣の声が聴こえる。目を開くと、彼女は椿の肩に手を置き、名前を呼んでいた。

「真壁さんの声、ちゃんと聞こえていたんでしょ?だったらさっさと戻ってきてください!」

 彼女はなぜか、のあとに“椿を現世に戻す”という力が芽生えていた。本人はそんなつもりはないというが……これもなのかもしれない。

「真壁さん、申し訳ない……。それで、言った物は持ってきてくれました?」

「ええ。椿さまに言われたものをちゃんと……」

 真壁はそう言って、リュックから小さな袋を取り出す。

 鷹斗らが、ミーティングルームに入ろうとする。

「あ、ここから先は入るな。お前に怒られたくないからな」

 椿はそう言って、鷹斗らを外に出す。

「物はこれか?」

「はい、これです」

 彼はそう言うと、袋を椿に差し出した。受け取った椿は、それを開け、中を確認する。

「うん……これなら、大丈夫そうだ。その前に話を聞かせてほしい」

 椿はそう言うと、目の前に真壁を座らせ、話すよう促した。

「警察の方にお話ししたのとほぼ同じになるんですが……勇気がいなくなった朝、私は仕事が立て込んでいて、一緒に公園に行ってやれなかったんです。でも、どうしても公園に行きたいって言うから、公園なら家のベランダから見えるので一人で行かせてしまいました……。五分おきくらいに見て、公園にあの子がいるのを確認していたんです。ちょっと落ち着いたから、私も公園に行って少しだけでも遊んでやろうと確認したら、ちゃんといたのに……私がそこに行ったときにはすでにいなかったんです……。ほんの二~三分ですよ!?すぐにあちこち確認したんです。でもいなくて、怖くなって警察に……」

 真壁は声を震わせながら話す。

 後悔の感情が、椿に伝わる。

「子どもはたった数分でも目を離すといなくなる。だから、何回も確認していた。仕事の手を止めてまで……。でも、自分が公園に向かうわずかな間に、勇気くんがいなくなった。なぜ初めから一緒に遊んでやらなかったのかって、あんたがどれだけ後悔しているのか、今……俺に伝わってきてる。いいか?俺の能力を知ってるだろ。俺が助けるから、だからあんたにも協力してもらわないと困る」

「もちろんです……椿さまのお力のことも、あなたがお父上のお力を引き継いでいることも存じ上げています。……私は何をすれば……」

 椿は一瞬笑った……ように見えた。

 彼は真壁の隣に移動する。真壁から預かった袋から出てきたのは、椿が用意させた“息子がいつも使っているもの”だった。

「確認だが、このサッカーボールは、本当に勇気くんがいつも使っているやつなんだな?」

「ええ。間違いありません。それは妻が勇気にプレゼントしたものなんです。それを勇気はいつも大切に手入れして、使っているんです。いなくなる当日の朝も、それを触ってました……」

「分かった。なら、俺が合図したら……」

 椿はそう言って、真壁の耳元に顔を寄せ何かを発する。

 聞き取れなかった……由衣は、椿の表情を何とか読み取ろうと必死だった。

「……分かりました。でも……椿さまは大丈夫なん……」

「気にするな。大丈夫だから」

 由衣が声を掛けようと動いた瞬間、椿は目を閉じ、何かを呟き始める。

 そして、部屋の空気が変わった。

 彼の左手にはサッカーボール。右手は真壁の手を掴んでいる。

「今だ―――!」

 椿がそう言うと、真壁は「勇気!」と息子の名を呼んだ。

 いったい何をしているんだと、隣にいた大元らがミーティングルームへ入ってくる。

「あ、やば……」

 由衣がそう口にする。

「由衣ちゃん、椿は俺らを中に入れなかったけど……あいつ、何してるの?」

「それが……私にも分からないんです。……鷹斗さん、ごめんなさい……」

「由衣ちゃん悪くないから。由衣ちゃん、あいつから何か感じる?」

「ダメなんです……感じ取ろうとしても、遮断されてる感じがして……椿さん、今、真っ暗なんです……」

 そう由衣は心配そうに椿を見た。

「……椿さま……?」

 真壁が声を掛ける。反応がない。

「真壁さん、俺のこと覚えてますよね?」

「あ、確か……椿さまの……」

「そう、椿の親友。で、この間話を聞かせてもらった刑事。真壁さん、椿は何をしてるのか、教えてくれませんか?」

「話していいのか……」

 真壁は躊躇う。だが、鷹斗は譲らない。

「話してください。こいつ、すぐに無茶するんだ。誰かが止めないといけない。能力を使いすぎると、大変なことが起こる。だから、正直に話してください」

 鷹斗の目力に圧倒され、真壁は口を開く。

「椿さまに、息子がいつも使ってるものを持ってくるよう言われました。私はサッカーボールを持ってきて、渡しました……。椿さまは、息子のボールから居場所や今の様子を探れるかもしれないと……自分が、あっちへ飛ぶから、私は息子の名前を呼べばいいって……」

 申し訳なさそうに彼は言う。

「まさか……」

 鷹斗には思い当たる節があった。

「椿!おい!」

 声を掛け、体をゆする。だが反応はなく、びくともしない。

「鷹斗さん……?」

「由衣ちゃん、声かけてもダメ?」

 そう言われ、椿に近づいた由衣は肩に手を置き、声を掛ける。

「……ダメです……椿さん、ここにいません……どうしよう……私が止めていれば……」

「使ったんだ……父さんの“侵入の術”を……こいつ、いつの間に……」

「侵入の術って……?」

 由衣がそう尋ねる。

「これは、現世では父さんしか……四十住陽行しか使えなかったんだ。椿ですら使えなくて、その……由衣ちゃんを取り戻すときにも、父さんと椿が使ってた術なんだ。かなり体力を消耗するらしい……あの父さんがぐったりしてたから……。これね、相手の感情の中へと侵入する術なんだって説明された。人を探したりできるって、相手の感情の中にさえ入れば、居場所を突き止められるかもしれないからって……。でも、この術を使うときは〈結界〉も同時に張らないといけない。向こうから邪が来るかもしれないから強力なのを張るんだって。だから……」

「体力を凄く使うんですね……椿さん、多分これを練習していたのかもしれません……時々、凄く疲れていたんです……陽行さんがいなくなったから、自分がって思ったんだ、きっと……」

 由衣は鷹斗にそう言った。

「前にもあったの……?」

「はい……というか、昨日です……。夜中の三時とかに……」

「俺がいないときか……」

「はい。椿さん、いつも何かするときって、鷹斗さんがいないときなんですよ……怒られるからって……」

 鷹斗は石像のように動かない椿をじっと見つめる。

「こうなった椿は多分、なかなか戻ってこない……せめて、隣にいるくらいしかできることはないな……」

 鷹斗は真壁をずらし、自分が彼の隣に座った。

 そんな様子を、やはり土屋がじっと見ている。

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