第10話 放蕩息子のたとえ

ゆり:まあ、法的にはギャンブルの借金は、公序良俗に反するものとして払わなくていいそうだけど、それでもジャン友同士、喧嘩に発展することはよくあるわね。

 ただし、会社同士の接待麻雀は、わざが自分が負けて相手に花を持たせてやるのだけど、そうすることにより、取引がうまくいくようにとの下心があるからよ。

まりや:ギャンブルは、はまると怖いわね。勝ったら調子に乗ってするし、負けたらそれを取り戻そうとしてまたしてしまう。

ゆり:話はもとに戻るけど、その弟息子はお金持ちのおぼっちゃんからホームレスにまで、落ちぶれちゃったわけね。まあ、典型的なアホぼんね。

まりや:いや、ホームレスになる前に、父親を思い出したの。

「お父さんのところには、雇い人でさえも食べ物が有り余っているのに、私はここで飢え死にしてしまいそうだ。さあ、立ってお父さんのところへ行き、詫びを入れよう『お父さん、私は神様に対して罪を犯し、またお父さんに対して罪を犯しました。

 もう私はお父さんの弟息子と呼ばれる資格がありません。雇い人の一人にして下さい』」

ゆり:人間堕ちるところまで堕ちないと、反省できないものね。しかし、自業自得とはいえ、親子同士が主人と雇人との関係とは寂しい話ね。

まりや:そこで立ってお父さんの家に戻ったの。まだ家からずいぶん離れたところまで来たとき、あの日以来、ずっと彼をまちわびていた父親は、遠くから彼を見つけ、哀れに思って走り寄り、彼を抱きかかえて何度も何度もくちづけをしたの。

ゆり:まさに親の恩は、海よりも深いとはこのことね。親だけは、他人と違って利害関係でつながっていないものね。

まりや:そうね。他人の愛は条件付き、相手のいいところだけを見て好きになり、そうでなくなったら去っていくけど、やはり肉親はどんなときにも、どんな姿になっても愛してくれるよね。

ゆり:他人だったら、世話になっておきながら、相手の悪口を吹聴したりして、恩を仇で返すこともあるが、やはり親は子供から去っていってもいつまでも待ってくれているものね。

まりや:弟息子は言った。「お父さん、私は神様に対して罪を犯し、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう私はお父さんの子供と呼ばれる資格がありません」

ゆり:人間、世間に頭を打ちまくり、痛い目にあってから反省して、心を入れ替えたのね。そういえば、昔私も、新興宗教時代、脅し文句を言われたわ。

 あなたがこの宗教に入信しなければ、世間から頭を打ちまくり後悔したあと、涙ながらに私たちに泣きついてくるでしょう。あなたが笑っていられるのも今のうちですが、そのときまたお会いしましょうってね。

まりや:なるほど。人間の不安感を利用したうまいセリフね。話を戻すわ。

父親は、弟息子が反省しているのを見て、しもべたちにこう言った。

「さあ、急いで一番上等の服を持ってきて、この子に着せなさい。それから、手には私の子供のしるしとして指輪をはめてやりなさい。また足には上等の靴を履かせなさい。また、肥えた子牛をほふってご馳走を作りなさい。そして、みんなでお祝いしよう。この子は、死んでいたと思ったのに、生きて帰ってきた。いなくなっていたのに、こうして見つかったのだ」それから宴会が始まった。

ゆり:父親にとっては、弟息子が戻ってきたことが、よほど嬉しかったのね。しかし、子牛をほふって肉をとり、パーティーまで開くとは、絶望してものが、蘇ったのだから、当然といえば当然ね。

まりや:世間知らずがむやみに世間に出て失敗した挙句の果て、ボロを身にまとう羽目に落ちぶれたけど、それでも、父親はそんなドラ息子に、家出をする前の上等な服を着せ、家畜の牛までほふってくれるとは、父親の存在はありがたいわね。

ゆり:そういえば、子は母から産まれたから母と子は命でつながっているというが、父親はそうではない。だから父の愛こそ本物の愛だというわ。

 でも、世間の人はそうはいかないわ。人間の愛は条件付きというが、まさにその通りね。金持ちの人はチヤホヤし、騙すのが目的で近づいてくる人もいるが、金が無くなった途端に誰も相手にしなくなる。まさに金の切れ目が縁の切れ目ね

まりや:この場合の金というのは、単なる現金だけではなく、能力も意味するわね。

 タレントというのは、お金の単位であり、ドルやマルク同様、1タラントと呼ばれていたのよ。だからタレント性があるという言葉の意味は、金銭になるという意味ね。芸能人やスポーツ選手が能力がなくなった途端に、去って行く。遊び友達というのは、自分の快楽に利用する相手でしかないわね。

ゆり:人の悩みは、金、健康、人間関係というが、金と健康があると、人間関係も八割方、うまくいくわね。まあ、なかにはねたんで足を引っ張る人もいるけどね。

まりや:ところが、兄息子は、弟が帰ってきたことも、父親がパーティーを開いたことも知らず、畑仕事をしていたの。帰ってきて、家に近づくと音楽や踊りの音が聞こえていたので、びっくりして家へは入らず、召使いを呼んで「一体、あれは何事だ」

と尋ねると、召使は答えた。「弟さんがお帰りになったのでございますよ。ご無事でお帰りになったというので、ご主人様が肥えた子牛をほふらせて、祝宴が始まったところでございます」

ゆり:じゃあ、弟息子は借金を抱えていたわけでもなく、悪党やひもにつきまとわれているわけでもなかったのね。まあいえば、マイナスよりもゼロの時点で帰ってきただけ不幸中の幸いね。








 






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