第7話 あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む人にも親切にしなさい(ルカ6:27)

「あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む人にも親切にしなさい。

 あなたを呪う人を祝福しなさい。あなたを侮辱する人のために祈りなさい」

(ルカ6:27-28)


まりや:私がこの御言葉に出会ったのは、小学校六年の頃だった。

ちょうどその頃、三年間付き合ってた友人とトラブルがあってね。

ゆり:三年間も付き合うと、お互い慣れがでてきて、わがままや自己中心を相手に強要したりされたりするようになるわね。

まりや:その私の付き合ってた友人というのは、私にわがままを言うようになってきて、私がその誘いを断るようになってきたという単純なことだけどね。

ゆり:そういう子って、家庭にちょっと問題があるんじゃない? 親や周りの大人とうまくいっていなかったという。

まりや:ピンポン、ドンピシャ。その子は親とは折り合いが悪く、お姉さんだけをえこひいきすると愚痴ってたわね。

ゆり:親や周りの大人とうまくいかない子供が、周りの友人にわがままを言ったり、挙句の果て、疎外されて暴走族に入ったり、だまされたりする。昔からよくあるパターンね。

まりや:でも、私を教会に誘ってくれたのは、その友人だったのよ。五人グループで誘い合って、日曜学校に行ったわ。

 クリスマスの寸劇のときは、天使のドレスの衣装代わりにネグリジェで間に合わせたわ。でも、中学校にいっていからは日曜学校に行かなくなり、私一人だけがちょくちょく教会に通っていたけどね。

ゆり:まりやは「レムナント」残された者だったのね。

まりや:その友人とは、もうすっかり付き合いがなくなってしまったけどね。

 でもその子のおかげで、なぜか祈れるようになったし、この御言葉が常に頭にあったわ。

ゆり:昨日の敵は今日の友とか、敵に塩をおくるという言葉があるが、敵の正体ってなんなんでしょうね。自分の敵は自分という言葉もあるしね。

まりや:敵というのは、自分と違った意見をもった人であるというケースもあるわ。

 結婚は、妥協と忍耐の連続だというが、お互い自分は悪くないから、謝らないよなんて言ってると、別々の道を歩むしかなくなるわね。

「あなた(女性)は主に仕えるように、主人(男性)に仕えなさい」(聖書)という御言葉があるが、主に仕えるというのは、絶対服従という意味なのね。

 いくら理不尽に思っても主を信じてついていくという、主についていけば大丈夫であるという、絶対的な信頼感がなければついていけなくなるわね。

ゆり:そういえば、うまくいっている夫婦というのは、やはり奥さんが旦那に仕えているケースが多いわね。

まりや:「本当のことなど聞きたくない。耳障りのいいことを聞きたいのである」(聖書)のとおり、身内も含め自分に厳しいことを言う人を、敵だと勘違いし、ただただ自分に合わせ、こびへつらう人を味方だと勘違いするケースもあるわね。

「羊の皮を被った狼に気をつけなさい。彼らは従順そうに見えるが、その実は貪欲な狼である」(聖書)

ゆり:まあ、高齢になるにつれて新しいことを学ぼうとする学習能力が衰えていくので、つい自分に合わせてくれる人を、良い人だなんて勘違いしてしまうわね。

まりや:私の母方の祖母は、呉服屋から注文を受け、和服を縫う和裁のプロだったけど、七十年前の和裁学校のない時代は、師匠になんと長い定規を縦にして殴られたというわ。まあ、今はそのような愛のムチなど到底通用しないけどね。

ゆり;私もクラシックギターを習っていたけど、私の師匠は五十年前は、デュエットするとき、ギターの弦を押さえる左の指が遅れると、なんとタバコの火を押し付けられたこともあったというわ。

まりや:そのギターの師匠は、なんとか自分の技術やルール、ノウハウを忠実に教えようと熱心すぎて、熱血教師になっちゃったのね。

 そして、それと合っていないことを欠点や間違いとみなし、その間違いを治そうとして、体罰を与えたのだけど、今そんなことをしたら、傷害ということになりかねないわ。だから、子弟制度は廃れつつあり、そのために授業料をとる専門学校ができたというわけね。

ゆり:体罰のような愛のムチは通用しない時代ね。

まりや:反対に、自分が相手に親切心で注意したばかりに、逆恨みされるケースもあるわ。やはり年齢や職業などの立場が違ってくると、お互いわかり合えないことも多いわね。

ゆり:私が昔、クリスチャンから聞いた大好きな話だけどね。

 十歳未満の子供が数人でマッチ遊びをしていた。赤い炎は噴水のように燃え上がり、青白い炎へと変色したのを見て「うわっすごい。噴水みたいできれい。もっとやろうよ」そのとき、一見ホームレスのような風体の大人が、駆け付けてきて大声で

「止めろ」と怒鳴ったの。誰でも、危険のあまり止めろというのは当然のことね。

 でも、その子供たちはやめろと言われた意味がわからず、反抗してこう思ったの。

「僕たちは今、非常に楽しい遊びをしている真っ最中。それをホームレスのようなおじさんに、上から目線で偉そうに『止めろ』と怒鳴りつけられる権利がどこにある! 大人はそんなに偉いのか? 強盗や詐欺など大きな犯罪を犯しているのは、たいてい大人じゃないか。自分を棚にあげ、僕たちのささやかな楽しみの妨害をするな」

 しかし、その子供も大人になるにつれて、自分たちがささやかな楽しみだと思っていた火遊びがどんなに危険なことか、いやが応でもわかるというストーリーだったわ。「めくら蛇怖じず」と心の底から納得させられたな。

まりや:まさに「無知の知」ね。自分が無知であることを知ることが、大切ね。

火遊びというのは、恋愛にも例えられるわね。

 昔のアイドルの歌詞に「オレンジの雨の中燃えてる 二人なら火遊びといわれていい」(野口五郎)という歌があったけどね。

ゆり:そういえば、母親がときどき口ずさんでたわ。哀愁に満ちた昭和の歌謡曲ね。

 

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