第3話「金持ちが天国に入るにはらくだの穴を通るより難しい」
まりや:本日の御言葉は「金持ちが天国に入るには、らくだの穴を通るより難しい」(マタイ19:16-26)について、話してみたいわ。
ゆり:らくだの穴というのは、外国のトンネルの名前らしいわね。
すごく低くて、腰をかがめなければ通ることができないということから、傲慢になってはいけないという意味らしいわね。
まりや:そうね。聖書の話を具体的に言うと、金持ちの青年がイエスに「先生、救われるためには、どんな善いことをしたらよいでしょうか?」
イエスは言われた「どうして善いことについて、私に尋ねるのですか? 本当に善い方は、一人だけです。天のお父様だけではありませんか。
もし救われたいと思うなら、戒めを守ることです」
彼は「どの戒めですか?」と言った。そこで、イエスは言われた。
「殺してはいけない。姦淫してはいけない。盗んではならない。偽証を立ててはいけない。父と母とを敬え」また「あなたの隣人を自分と同じように愛しなさい」
その青年はイエスに言った。
「それらのことなら、以前からみな守ってまいりました。私にはほかに何が足りないのでしょうか?」イエスは彼に言われた。
「もしも、今までに守ってきたことが完全だと思っているなら、そうでないことを知ってもらうために、一つのためを教えてあげましょう。
自分の持ち物を全部売り払って、貧しい人たちに与えてしまいなさい。
そうすれば、あなたは天に宝を蓄えることになります。それから、私の弟子になりなさい」
ところが、この青年にこの言葉を聞くと、悲しみながら去って行った。沢山の財産をもっていたからである。
それから、イエスは弟子たちに言われた。
「よく言っておきますが、確かに、富に心が向けたままで、天国に入ることは不可能です。らくだが針の穴を通るよりも難しい」
弟子たちはこれを聞くと、非常に驚いて言った。
「それでは、誰が救われるのでしょうか?」
イエスは彼らをじっと見つめながら言われた。
「それは、人にはできません。しかし、神様にはどんなことでもできるのです」
ゆり:そういえば、占い師の細木数子が「金を積むより、徳を積め」と言ってたわね。
まりや:徳を積むというのは、天に宝を蓄えるという意味でもあるわ。
ゆり:細木数子は、赤坂のクラブを経営してたけど、不動産屋にだまされ、金、不動産、店舗すべてをだまされ、すっからかんになってしまったけど、知人が細木数子の商売の才能を見込んで、雇ってくれたそうね。
まりや:金はオレオレ詐欺などで、一瞬の間に無くなることもあるけれど、天に宝を積むと困ったときも、助け舟がでるわね。
ゆり:それにしても、オレオレ詐欺の被害は多額に渡るわ。最低五百円から始まり、まあ、五百円の場合は公けにならないだけどね。
大阪市住之江区は、2018年4月の終わりになんと千二百万円の被害がでたという。2018年の3月までにもう五千万円の被害がでているらしいわ。
この五千万という金額は、2016年一年間の被害額と同じらしいわ。
2016年の四分の一のスピードで、五千万円の被害額がでたというわけね。
どちらかというと、女性が多いけれど、アダムとイブの時代から、最初に蛇のささやきにだまされたのは、イブだものね。もしアダムだったら、だまされなかったかもしれないわね。
結婚詐欺といい、女性の方が「可愛い」とかいう甘言に弱いわね。
まりや:詐欺にひっかかるタイプとして、人付き合いはまったくせず、特に親戚づきあいは毛嫌いして一切せず、金ばかり握っているーそういう人は、金銭ばかりでなく、不動産、店舗までだまされ、すっからかんになるというわ。
ゆり:金は天下のまわり物、世の中を循環させる血液だというが、やはりため込んでてはいけないわね。
まりや:そうね。ストレスもコレステロールも、そして金もため込まないことよね。
ゆり:死海という大きな海は、たまるばかりで排出しない。
だから、生物が育たないというわ。要するに、新陳代謝がないから、細菌だらけなのね。金を守ろうとするあまり、かえって吝嗇(ケチ)になってしまうわ。
まりや:富は、やはり貧しい人のために使うべきよ。「健康な人に医者はいらない。医者を必要とするのは、病人だけである」というわ。
ゆり:この世の仕事は、必要とするニーズがあるから成り立つのよね。
もちろん、時代のニーズと共に変わっていくわ。
まりや:永遠に変わらないのは、聖書の御言葉だけね。
ゆり:この頃、報道番組でよく富の分配と言われているわ。富の分配の手段として、税金と教育があるけど、所得の高い人から税金をとって国家のために、教育手段として使っていくのは大切なことよ。
ちなみに、年収一千万円の人は2割以上が納税、それ以上の高年収の人は、半分くらいが納税する義務があるのよね。
余談だけど、男性は年収一千万円を超えると愛人をつくる率は一割以上、二千万円を超えると二割以上、それ以上だと確実に愛人をつくりたがるというわ。
まりや:教育を受けていない人は、職場でも務まらないわね。私は飲食店でバイトしてたけど、失礼ながら教育を受けていない子は、同じことを何十回教えてもわからなかったり、人の注意をまったく聞かなかったり、床に変な細工をしたり、挙句の果て、失敗した翌日、ヤンキーのうんこ座りをいてタバコを吸いだしたり、まあ結局は解雇という出口を辿る羽目になったけどね。
ゆり:その子は、人の言うことを理解できなかったじゃないかな。
失敗した翌日に、ヤンキーのうんこ座りをしてタバコを吸いだしたのも、私は異次元の人間であると、自暴自棄になってたんじゃないかな。
まりや:教育を受けている子は、二回以内に覚えたけどね。
そういう状態から、社会になじめない貧困状態が生じるんでしょうね。
それが犯罪や殺人へと、つながっていくこともありかねないわ。
ゆり:殺してはいけないというのは、十戒の言葉だけど、人間誰でも殺人願望ってあるんじゃないかな。だからサスペンスドラマが流行るのね。
まりや:私も、サスペンスドラマは大好き、ということは、私にも殺人願望はあるってことね。殺人って、愛する人を守るために、憎い相手を殺すこともあるわ。
ゆり:愛のために殺人を犯す、まあなかには、不倫のような自己中心の勘違い愛もあるけどね。でも相手の男性からそそのかされ、妻を殺そうとした女子高生も存在してたわね。
まりや:結局は、妻を殺さずにすんだけど、その相手の男性は、そうすることで、その女子高生と別れようとしてたかもしれないわね。
ゆり:人は誰かを愛したり、何かを信じたいという欲望は誰でもあるけど、相手を間違えるととんでもない悲劇となるわね。
まりや:詐欺師はそこに付け込んでくる。詐欺師と身内との違いは、身内は正直に率直に「これは違う。今の時代には合わない」と言ってくれるが、詐欺師はいくら相手が間違っていても、そういった否定的なことは一切口にせず、ただただ相手に合わせ、寄り添っていく。残念ながら、年を重ね七十歳以上になると、学習能力が衰え、新しいことが覚えにくくなるから、本当のことをいう正直な身内よりも、多少嘘とはわかっていても、詐欺師に従い、気がつくと言いなりになってしまうなんてことは十分にありうるわね。
ゆり:詐欺師の長所は、徹底的に相手を研究し、相手の立場になって考えてくれるところだというが、他人が相手の立場に立って考えるなんてことは、金銭や名誉という相手の物が目的という余程のメリットがある限りあり得ないないわね。
まりや:あと十戒は、姦淫してはならない、盗んではならない、偽の証言をしてはならない、父と母とを敬えとあるわ。
しかし簡単そうで難しいのは「あなた自身を愛するように、あなたの隣人を愛せよ」というわね。
ゆり:まあ、近くにいていつも顔を合わせる人には、嘘をついたりだましたりはできないわ。近所でも学校でもクラスメートでも職場でも、だましたりすると噂は伝わり、もうその場にはいられなくなるわね。
まりや:だから、よそからやってきた成金さんよりも、いつもの見飽きた顔の方が安心できるのかもね。
ゆり:私とまりやとは、幼馴染みだけど、やはり少しずつ変わってきているわ。
まりや:私の場合は、神学校の生徒の勧めで洗礼を受けてから、見違えるように明るくなったと言われるわ。まるで私を覆っていた不安の黒雲が拭い去られたように。
ゆり:人間誰でも、どんな時代でも不安はあるわ。コロナ渦は当分の間、おさまりそうにないけれど、また新しいウィルスが生まれるでしょうね。
まりや:私は今までいろんな仕事をしていたが、時代が変わると、その時代の機械さえ製造されなくなり、その職種すら無くなっていくわね。今はOA化からAI化だものね。紙の時代は、少なりつつあるわね。
ゆり:時代の風に吹き飛ばされないように、時代の波に乗り遅れないように生きていかねばならないわ。
まりや:神様は、私がリストラの憂き目にあっても、その都度、私に合った仕事を与えて下さったわ。昔はできなかった仕事も、なぜかできるようにして下さった。
神様がついている限り、私はもう不安を感じる必要はないの。
ゆり:だから、財産を蓄えずにいても大丈夫なわけね。いくら多額の貯金をしても、オレオレ詐欺にだまされたり、挙句の果て、強盗にあって頭や足を怪我させられることだってありうるものね。金銭は、血液と同じだから有意義なものに使わなきゃね。
まりや:私は毎月、教会に什一返金といって、収入の十分の一を捧げてるわ。私たちの健康や金銭も、私たちの所有物ではなくて、神から預かっているものだから、十分の一だけ神様からお返ししなければならないわといっても、これは強制ではないけどね。
ゆり:実は私も、ユニセフやあしながおじさん(父親が死別した家庭)に寄付したことはあるけど、不思議と赤字になることはないわね。
まりや:主の祈りのなかに「我らに日用の糧を今日も与えたまえ」とあるけれど、それはその日一日、必要な物をお与え下さいという意味ね。
「明日を思い煩うな。今日の労苦は今日一日で十分である」(聖書)
労苦というのは、ひっくり返すと苦労と書くけれど、今日、苦労したなと思うほど精一杯労苦すれば、思い煩うヒマもなく、ぐっすり眠れるというわ。
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