第7話


 コンコンッ──



 ノックの音と共に目が覚めたルージュ。目の前にはリージュがまだ寝ており、ゆっくりと起こさないように動く。


 身一つで立ち上がり、閉じられていた扉を開けると、男が二人立っていた。片方は誰にでも好かれそうな笑顔、もう一方はやけに不機嫌そうな表情であった。


「おはよう。俺は[[rb:流星 > りゅうせい]]、三月の兄なんだ」


「俺は[[rb:光輝 > こうき]]。三月の弟だ」


「あ、三月はしばらくしたら来るから安心してね。頼まれて来たんだ」


「あぁ……よろしく。俺はルージュだ」


 手を差し出そうとしたところで、二人の手は料理で塞がっていることに気付いた。


 ルージュは自分たちのものを持ってきてくれたのだろうと思い、二人を部屋の中に通す。まだ寝ているリージュの存在は気にせずにいた。


 そんな姿を見ながら、二人はテーブルに持っていたものを置いていった。


「もう一人もいたのか。そのうち三月が来るだろうから、それまでに食べていてくれるとありがたい」


「承知した」


 短いやり取りを終え、流星だけが手を振りながら去っていった。


「リージュ」


 再び視線をベッドに横たわっているリージュに向けて呼び掛けるが、起きる気配はなかった。


 溜め息を付きながら、汚れたままの自身の姿を見る。このままでいるのもどうかと思い、部屋の入り口の方を見る。


 もう一つ何か部屋があるようで、そこの扉を開ける。そこには浴室があった。


 これでようやく綺麗にできる、と思いながらルージュは入っていった。



 ***



 全身を体温より少し高い湯で流し、気分もさっぱりしたルージュは、部屋へと戻っていった。


 そこには、自分の呼び掛けでは起きなかったリージュが食事をしている姿がある。


「ようやく起きたのか」


「おはよ。起きたらいなくて心配したよ」


「シャワーを浴びていた。お前もあとで入れよ」


「はいはい」


 そんな返事を聞きながら、ルージュは向かい側に座り、食事を始める。


 手で食べられるような軽食が並んでおり、その色鮮やかさは食欲を唆るようだ。


 特に会話がないが、その手はやけに進んでいた。


 リージュが全体の半分程度を食べ終えると、立ち上がって浴室へと向かっていった。


 再び一人の空間になったルージュ。ここ数日の出来事を振り返ってはみるものの、あまりの慌ただしさに細かいことが思い出せないでいた。


 ただ一つ、早くワード国へと戻って平和を取り戻したい、それが願いであった。


 考え事をしているうちにルージュも食べ終わり、椅子に深く腰掛けてゆったりとし始めた。


 満腹感が広がり、眠気がやって来ようとしたところで、浴室の扉が開いた。


「ふぅー」


「おかえり」


 リージュが戻ってきながらルージュの元へと近付いていく。



  コンコンッ──



 そのとき、再びノックの音が部屋に響いた。


 二人は同時に扉の方を振り返る。


「入るわよ」


 三月の声が外から聞こえた。


「どうぞー」


 二人で同じように返事をし、三月を部屋へと招く。


 昨日のような格好は変わらないが、その手には白いワイシャツと黒いズボン、ネクタイが二人分あった。三月よりも大きいそれらは、誰のものなのかという疑問が浮かび上がる。


「おはよう。ぐっすり眠れたかしら?」


「あぁ。それよりも、昨日言っていたことを説明してもらおうか」


「随分とせっかちねぇ。あ、やってもらいたいことなんだけどね、一週間後にちょっとした劇をやるの。それをあなたたちにも役者として出てもらいたいの」


「……は?」


 突拍子もないことに、間の抜けた声が二人から出ていた。


 だが、そんな声を聞いても三月は笑顔を崩さずに二人を見ていた。どうやら本気のようだ。


「で、早速なんだけど……」


「待て待て! 俺たちそんな芝居なんてやったことない!」


「素人ができるわけない!」


「大丈夫よ。未経験者だけでやるから。それに、ここは一応学校ということになっているの。私がそのトップ。さっき来た流星と光輝も、先生ってことになっているわ」


「なっているってどういうことだ?」


「それはまだ教えられないわ。そのうち教えてあげる」


 不満を漏らしながら、手渡された制服へと着替える。


 ワード国においては、正装の際に着る服と非常によく似ているそれを、二人は難なく身に纏っていった。


 ネクタイも同じように巻いていき、キュッと締める。


「これで大丈夫そうだな」


「あぁ。随分と軽い格好だな」


 互いに確認をし、部屋の外へと向かっていく。


 外へ出ると、三月は部屋の前で待っていた。


「やっぱり似合ってるわね。あ、部屋の鍵は手をそこの黒いところに触れれば掛かるようになっているわ」


「……あんた、一体何者なんだ……?」


「ここでは先生よ」


 はっきりと語ろうとしないその口ぶりに、リージュは少しずつ苛立っていた。しかし、まだ我慢のできる状態ではあったため、そのまま飲み込んで押さえ込んだ。


 ルージュが手を翳すと、ガチャっと音がして部屋が施錠された。しっかりと確認したところで三月の方へと振り返る。


「それじゃ、移動するわよ」


 広くない廊下を進んでいく。いくつもの扉が並んでおり、その一つ一つに番号が書かれている。その数字はどんどん下がっている。


 下がりきる手前のところで、廊下を曲がっていく。奥の方に部屋があるようで、灯りが見えている。三月はそこへと向かっているようだ。


 開け放たれた部屋へと入っていく。そこには流星と手に何かを抱えている光輝がすでに来ていた。他にも、二人と同じくらいの少年少女が五人、椅子に座っていた。


「みんなー、新しく入ってきた仲間よー」


 三月の言葉に部屋にいた全員が振り返る。


 それと同時に、二人は彼女によってぐいっと一歩前へと出された。


 突然の注目と振りに驚かされるものの、すぐに切り替えて前を向く。


「はじめまして、俺は朔です。よろしくお願いします」


「俺は周。朔の双子の弟だ」


「二人にも一緒に劇に出てもらうわ」


 喜びと驚きの声が同時に聞こえてきた。


 自分たちが歓迎されているのであろう、と解釈し、二人は五人の方を見渡す。


「じゃ、私から自己紹介ね。私は理恵。よろしくね」


 薄茶色い髪を下ろしている彼女は、無邪気な笑顔を二人に向けていた。


「私は千秋。理恵とは一緒にここに入ってきたの」


 そう言う彼女は、落ち着いた物腰で微笑んでいた。


 二人はさらに隣へと視線を移す。今度は二人より大柄な少年であった。


「俺は飛鳥だ。主役は譲らないぞ」


「お前に主役が務まるかよ。……あ、俺は紗輝也。よろしく」


 眼鏡を掛けた紗輝也は、飛鳥を制しながら眼鏡を上げる。


 そんな四人はとても明るく接し、仲がよいのだと伺える。その端にもう一人、無表情のまま座っている少女がいた。


 ルージュが先にその存在に気付いたようで、チラリと視線を向ける。


 彼女はすぐにそれに気付いたようで、ゆっくりと口を開く。


「……綾子よ。よろしく」


 凛と透き通る声は、小さいながらもルージュの耳にしっかりと響いていた。


「よろしく」


「じゃ、自己紹介も終わったところで、早速役決めをしましょう。光輝、あとはよろしく」


「ったく……朔、周、端から椅子を取ってきて適当に座ってくれ。それから話を始める」


「はい」


 二人は部屋を見渡して椅子を探す。


 全員が揃ってもかなり広いこの部屋には、壁一面の本棚や机など、様々なものがびっしりと並んでいた。


 そこから皆が座っている椅子と同じものを取って戻っていく。


 ルージュが先に進んでいき、それを綾子の隣へと置いて座る。さらにその隣にはリージュが座る。


「それじゃ、劇でやる話の概要をする」


 光輝はそう言い、手に持っている本を手にしながら語り出した。




 地上より遙か上空、そこには天空の城と呼ばれる存在があった。普通の人間では辿り着けないそこへ、ある青年は足を踏み入れる。


 その城を探索していると、城の中央で大きな花を見つけた。彼はそれへと近付いていく。


 触れようとしたその瞬間、中から少女が現れた。彼女はトワと名乗り、青年と共に城で過ごしていた。


 ある日、突然地上から兵士が攻めてきた。そこには青年の幼馴染みもいた。どうして、と問うが、彼は問い掛けに応えなかった。


 青年はトワを守るために必死になっていたが、二人は城から落ちてしまった。


 幸いにも命は助かったものの、トワには青年の記憶がなくなっていた。それでも彼は、彼女と一緒に過ごしていきたいと思い、地上で静かに暮らしていた。


 徐々に記憶を取り戻していくトワ。それと同時に彼女は子どもを身籠った。日々を生きることに精一杯だった二人であったが、それでも子どもがほしいと願った。


 今にも産まれそうになった頃、二人の存在を再び見つけた兵士たちは二人の住む場所に火を放つ。


 気付いたときには火で包囲されていた。このまま死ぬ運命しかないと思っていたそのとき、二人の前に神が舞い降りた。


 神は、三人を助けるが一生会えないかこのままただ死を迎えるか、この二つの選択を示した。


 切羽詰まった二人は、即座に前者を選択した。


 すると、眩い光が周囲を包み込んだ。


 次に目を開けると、火も兵士もなかったようになっていた。それと同時に、トワの身体から子どもの存在もなくなっていた。


 先ほどの感覚は全て現実であった。そう実感していた。二人の中には悲しみだけが残っていた。


 そしてそれから何年も、二人きりで静かに暮らしていた。


 ある日、二人は夢の中でも隣にいた。何事かと思っていると、二人の前に光が現れた。それは徐々に大きくなっていき、人の形をしていく。


 そこに現れたのは、二人の娘であった。彼女は神の元ですくすくと成長していた。


 直接は会わせてもらえないものの、こうして再会することは許されたのであった。


 三人はようやく再会できたことを喜び、互いに抱き合っていたのだった。




 二人が想像していた内容とは違っており、果たしてやり切れるのかという不安が広がっていった。


 ルージュは皆の反応が気になり、チラリと左の方を見る。


 すぐ隣の綾子が、今にも涙を流しそうな状態になっていた。


「大丈夫……?」


「えぇ……」


 ボソリと話し掛けると、同じような声音で返される。


「配役に関してだが、俺の方で勝手に決めさせてもらう」


 光輝の意見に、全員が驚き、一部の者が不満を漏らしていた。


「有無は言わせない。俺が最適な配役を決めた。主役のトワは……」


 全員が息を呑む。一体誰が選ばれるのか、予想もつかなかった。


「綾子だ」


 全員が驚いた表情で彼女の方を見る。


 一方の本人は、無表情を崩さないまま、少し俯いているようにも見えた。それでも、光輝の配役に文句を言おうという気配は見えなかった。


「続いて青年役は朔だ」


「えっ、俺?」


「幼馴染みの兵士は飛鳥、神の役は紗輝也、二人の娘役は千秋。理恵と周は後から出てくる兵士の役だ。配役は以上とする。午後から通しながら練習をするから、それまでは適宜休憩しながらしっかりと台本を読んでおいてくれ」


 今まで抱えていた紙の束を、光輝は一人ずつ渡していく。そこには、びっしりと台詞が書き込まれていた。


 ルージュは、自分が覚えなければならない範囲が多いことにげんなりとしながらも、やらなければ帰れないと頭の中で思っていた。


「それじゃ、ひとまず解散」


 それだけ残し、光輝、一言も話さなかった流星は去っていった。


 残された七人は、しばらく無言になっていた。


「……とりあえず、台詞を頭の中に叩き込むか」


 ルージュはボソリとそう呟き、自分だけで台本を読み始めた。


 ***


 昼になり、流星の料理を全員で囲みながら食事をした。


 二人にとって見たことのない料理であったが、不思議と二人の口に合っていたようですぐになくなってしまった。


 雑談を交えながらの楽しい食事であったが、綾子だけはあまり会話にいないようであった。


 ルージュは気遣いながら接していたが、そこまで深く関わろうとする様子はなかった。


 そうした中で、午後は通しでの読み合わせから始まった。


 何度も繰り返しているうちに、皆の台詞の中に感情が込められていく。それは光輝の指摘を取り込んでのことであったが、努力のおかげでもあった。


 陽が暮れてようやく練習が終わると、すっかりとくたびれていた。各々部屋へと戻っていく。


 二人は部屋へ戻ると、バタリとベッドへ倒れ込んだ。


「あー、疲れた……」


「主役、頑張れよ」


「んー……」


 顔をリージュの方へと向けるルージュ。今日はもうこれ以上動きたくない、と言わんばかりに全身の力を抜き、時折目を閉じていた。



 コンコンッ、ガチャッ──



 ノックしてすぐ、誰かが入ってくる音が聞こえた。反応もなしに入ってきたせいか、思わず飛び起きて身構える。


「あ、すまない。急いでいたから勝手に入ったよ」


 そこには、料理を持った流星と、寝間着を持った光輝の姿があった。


 見知った顔が入ってきたことに安堵し、緊張していた二人の雰囲気はすぐになくなった。


「誰かと思ったよ」


「すまない。夕食は各自に持っていくから、冷めないうちに食べてもらいたくてね。テーブルに置いておくよ」


「俺はついでにお前らの寝間着を持ってきた。そういえば届けるのを忘れていたのでな」


「あぁ。ありがとう」


 ルージュは光輝から服を受け取り、自分の分をベッドに放り、残りをリージュへと渡した。


「劇の役だが、途中で入れ替わるようなことはするなよ。俺はそれぞれの個性を見て選んだからな」


「そんな中途半端なことはしない。俺は、精一杯自分の務めを果たすだけだ」


「……そうだと思ったよ。試すようなことを言って悪かったな。期待してるぞ、ルージュ。リージュも頼んだぞ」


 リージュにも一言伝えると、光輝はそそくさと部屋を去っていった。


 そんな彼の姿に少々呆れながらも、自分も行かなければ、と流星も二人に手を振っていた。


「じゃ、食べてゆっくりと疲れを癒やして」


 扉を閉める音がし、再び二人きりの空間となった。


「はぁ……とりあえず食べるか」


「そうだな。俺はたくさん喋って疲れたから早く寝たい」


 短い会話をしながら、二人は朝と同じように椅子に座り、食事を始めた。

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