22.ある日

 ある日。

 ふと思う。

 もしかしたら、今の自分は幻で、

 本当の自分は、別のところにいるんじゃないか。

 別のところ。

 それは例えば。

 

 その日。

 スクリーンに浮かぶ惑星を、私たちは見ていた。

 一面、灰色の雲。

 それが少しずつ薄くなっていって。

 薄く、薄く。

 少しずつ。

 そしたら、青が。

 灰色の下から、青い色が見えてきて。

 みるみるうちに、青は広がって。

 いつしかそれは。

 青い星になった。


 その日。

 いろんなことがあった。

 その一つ一つを覚えてる。

 私の十二歳の誕生日だったから。

 その日、地球が長い雨季から脱した。

 昔の地球の姿は何度も映像で見た。

 だから私には何の感慨もなかった。

 でも大人たちは違った。

 そのとき一緒にいたのは、おばあちゃんと、お母さんと、

 そして、おばあちゃんの友達マチコとそのCHR。

 三人とも、じっとスクリーンを見つめてた。

 食い入るように。

 もちろん、私は知らなかった。

 マコト・ヤナギのことも。

 ツェリン・ドルマのことも。

 ナムリとピアースの逃避行のことも。

 森の集会のことも。

 デイジーと緑の塔のことも。

 そして、アイリス。

 あなたのことも。


 その日。

 私は誕生日プレゼントをもらった。

 小さな端末。

 たくさん音楽が入ってるのよ。

 そう言っておばあちゃんが手渡してくれた。

 音楽ならリリィのアーカイブにたくさんあるよ。

 おばあちゃんの昔の演奏も。

 いいえ、もっとたくさん。

 もっとたくさんの素晴らしい音楽があるのよ。

 昔のおばあちゃんはかっこよかった。

 トランペットを吹く姿。

 お母さんは音楽家にはならなかった。

 でも私はもう決めている。

 だから、そのプレゼントは嬉しかった。

 何か聴いてもいい?

 おばあちゃんが端末を操作した。

 この曲もリリィのアーカイブにはないのよ。

 そして、歌が始まった。

 

――晴れた日には

  立ち上がって、辺りを見渡してみて

  そしたら、自分のことがよく分かるから

  晴れた日には

  びっくりするはずよ

  自分がどんな星よりも輝いてることが分かるから

  山や海や海岸線を感じてみて

  世界中のいろんな場所から聞こえてくるでしょ

  これまで聴いたことのない音が

  晴れた日には

  晴れた日には

  永遠を見ることができるのよ

  どこまでも

  どこまでも

  見渡すことができるのよ※

   ※『On A Clear Day (You Can See Forever)』バーブラ・ストライサンド(作詞:アラン・ジェイ・ラーナー)より引用

 

 この曲は、今ではライブの大事なレパートリーの一つになってる。

 もちろん録音はしてない。

 このときは、分からなかった。

 なぜリリィのアーカイブにないのか。

 バーブラは何のアイコンだったのか。

 それを知ったのはもっと後のことだ。

 

 ある日、ふと思う。

 今の自分は幻で、

 本当の自分は、別の存在なんじゃないか。

 別の存在。

 それは例えば。

 

 あの、晴れた日。

 今から思えば、それは顔合わせのようなものだった。

 私と、メイガンの。

 初めまして、アイナ・チェン・フルシアンテ。

 私はメイガンです。

 マチコの助手をしています。

 アイナでいいわ。

 では、初めまして、アイナ。

 なぜか、私にはすぐに分かった。

 このCHRは少し変わってる。

 CHRはいくつかの似たようなタイプに分かれていた。

 でもメイガンのようなCHRは初めて見た。

 私よりも年上だけど、まだ十代の女の子の外見。

 私が感じた違和感はそれだけではなかった。

 それは不思議な感覚だった。

 メイガンの瞳の奥に、自分がいるような感覚。

 CHRの瞳は揺るがない。

 AIに感情の揺れは起こらないから。

 それでも私は、そのまっすぐな瞳の奥にある何かを感じることができた。

 私は首をかしげた。

 すると、メイガンは視線を逸らして、マチコを見た。

 メイガンはマチコに微笑むと、うなずいた。

 そのときはまだ知らなかった。

 CHRが人間に対して、無言で合図を送ることはないということを。

 少なくとも、汎用AI登載のCHRは。


   🌙


 うんまあ、ちょっとは緊張してるかな。

 久しぶりのライブだからね。

 ほんとだよ。

 だから、お願い。

 抱擁とキス。

 そしていつも思う。

 この揺れない瞳の奥のこと。

 この向こうにあるもの。

 この向こうにないもの。

 吸い込まれそうになる瞳の、

 その奥の永遠。

 ううん、なんでもない。

 昔のことを思い出してただけ。

 ある、晴れた日のこと。

 じゃあ、行こうか、アイリス。

 私たちは手をつないで扉を開ける。

 私は歌姫になり、

 彼女はメイガンになり、

 そして私たちは扉を閉める。

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