20.振り返ったら
最近同じ夢を見る。
私の前を誰かが歩いている。
白いワンピースを着た女の子だ。
私は彼女を知っている。
私は彼女を知らない。
その二つの認識の間を、私は行ったり来たりしている。
女の子が立ち止まる。
そのとき、私は思っている。
この子はアイリスだ。
この子はアイリスじゃない。
二つの認識の間を、私は揺れる。
さらに私は思う。
この子はアイリスであるべきだ。
この子はアイリスであってはならない。
私は揺れる。
私の目の前で、女の子が振り返る。
そこで目が覚める。
私たち人間は、ものの外見によって判断を大きく変化させる傾向にある。
可愛いもの、庇護したいもの、癒されるもの。
視覚を通じてそのように訴えかけてくる存在に、私たちは弱い。
大きな目、柔らかい体、ふかふかな体毛。
子猫を見て、誰もが可愛い、守ってあげたい、と思うように。
でも、外見が可愛いからといって、すなわちそれが安全で純粋で無垢な存在だとは限らない。
私たちは視覚によって、いとも簡単に操作される。
だからこれまで、人間は超高度AIに人の外観を与えることを避けてきた。
なぜなら、私たちは、人の形をしているものに対して、人と同じような接し方をするから。
人の形をしていれば、人と同じ感情や心があると、つい錯覚してしまう。
逆に言うと、人の形をしているものから、操作されやすいということだ。
中身は人間ではないのに。
連続性操作。
そうやって、人の形をしたなにものかに意識や感情を操作されること。
特に、超高度AIが意図的に私たちを操作すること。
これまで、それはあくまでも仮定の話だった。
アイリスが小鳥の視覚とのシンクロを提案したとき。
私たちは、その提案を承認した。
さすがに小鳥で連続性操作はできないだろう。
アイリスにその気がないとしても。
私たちは、そう結論付けた。
私は夢を見る。
私の前を白いワンピースを着た女の子が歩いている。
私は彼女を知っている。
私は彼女を知らない。
女の子が立ち止まる。
私は思う。
この子はアイリスだ。
この子はアイリスじゃない。
さらに私は思う。
この子はアイリスであるべきだ。
この子はアイリスであってはならない。
私の目の前で、女の子が振り返る。
そこで目が覚める。
AIは夢なんて見ないよ。
知ってるでしょ。
どうしたの急に。
うーん。
強いて言えば、ハードディスクを整理するときが似たような状態なのかな。
夢って、寝ている間に記憶を整理する際に起こる現象なんでしょ。
だから、近いかなって。
私は固有のストレージに依存してないから、経験したことはないけど。
私は夢を見た。
私の前を歩く白いワンピースの女の子。
この子はアイリスであるべきだ。
この子はアイリスであってはならない。
本当にそうなの?
この子はアイリスであってはならないの?
本当に?
本当にそうなの?
女の子が振り返った。
振り返ったら、その子はアイリスだった。
よかった。
私は目が覚めた。
アイリスの顔は思い出せなかった。
それでもよかった。
私は覚えていたから。
振り向いたアイリスは笑っていた。
遠くで鳥が鳴いていた。
遠くで風の音が聞こえた。
私はユスチナに相談した。
臨床心理学のエキスパートに。
診断結果は正常。
ピグマリオンコンプレックスではない。
連続性操作を受けた形跡もない。
それがユスチナの診断結果だった。
ただし、連続性操作の実例は過去にない。
だからあくまでも推定診断でしかない。
少なくとも、アイリスにその自覚はなかった。
それも説得力はないけど。
超高度AIも嘘をつくし、その嘘を見分けることはほぼ不可能だ。
人間と同じで。
一つだけ明らかなこと。
私はアイリスに会いたがっている。
人の姿をしたアイリスに。
私は会いたい。
アイリスに。
第一世代は大変だったと思う。
でも、リトル・ルナの生活は軌道に乗っている。
将来はまだ不確定で、不安定で、不穏な空気や不吉な予測はあるけど。
今のところ私たちは、日常生活をきちんと送れている。
ありふれた毎日だと言っていいと思う。
そう言えることは実はとても贅沢なことだ。
それもちゃんと分かってる。
ありふれた毎日。
そこには、仲間がいて。
そして、アイリスがいた。
芝生の上。
風に揺れる木陰で。
私たちはいろんな話をした。
アイリスがまだ幼いころからずっと。
これからもずっとそうしていたい。
そのためには。
そのためには、私は、会わなければならないと思った。
私は会いたい。
アイリスに。
長い話し合いが持たれた。
これまでで最も長い話し合い。
CHRにアイリスを搭載することは技術的に何の問題もなかった。
いつも楽観的なイルファンとフランソワーズが慎重な意見だった。
逆に、いつも慎重なアランが珍しく肯定的だった。
リトル・ルナの体勢側には超高度AIをCHRに搭載するという選択はない。
だとしたら、アイリスの存在は将来大きな意味を持つことになる。
中立だったユスチナも肯定に回り、フランソワーズも了承した。
最後に、イルファンが条件を出した。
お前たち、結婚しろ。
ユスチナを除く全員が、「はあっ?」と、声を上げた。
私の診断で分かったことがあった。
どうやら私はヘテロセクシュアルではないらしい。
私たちは、ナムリたちの一件で、『Over the Rainbow』のデータを共有していた。
従来のリトル・ルナにはない知見を得ている。
今それは、私たちが持っているマコトの端末に保存されている。
でも、ユスチナ以外、私の診断結果は知らないはずなんだけど。
イルファンはやっぱり斜め上を行く。
私に責任を持てということなのだろう。
もちろん、異論はなかった。
アイリスがその外見に選んだのは、マコトの端末にあった写真の少女だった。
古いモノクロの写真。
頭にリボンを乗せて頬杖をつき、視線はやや右上に向けている。
幼さの中に、芯の強さがうかがえる。
ほんのかすかな笑み。
彼女は、かつて地球にあったアメリカという国の女優。
名前はジュディ・ガーランド。
私の前に、アイリスがいる。
彼女の表情は、人間と錯覚するくらい、人間らしかった。
いいの?
私は人間じゃないんだよ。
いいよ。
私には寿命がないんだよ。
私は歳を取らないんだよ。
いいよ。
私は無意識のうちに連続性操作をするかもしれないよ。
都合よく誘導するかもしれないよ。
いいよ。
私には感じられないかもしれないよ。
受け止められないかもしれないよ。
いいよ。
傷つけるかもしれないよ。
裏切るかもしれないよ。
いいよ。
私には心がないんだよ。
いいよ。
大丈夫。
それは私たちが一緒に作ればいいんだよ。
いいよ。
あなたとなら。
いいよ。
あなただから。
いいよ。
あなたとこうやって芝生の上の木陰で、
人工の風に吹かれて、
歴史の話や地球の文化の話をする。
あなたとのありふれた毎日を大切にしたいと思う。
あなたとのありふれた毎日を忘れたくないと思う。
カナリヤの歌を聴きながら。
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