19.カメラを
黄色い小鳥たちが飛ぶ。
森の中を。
きゅいいい。
きぃきぃ。
きゅきゅきゅきゅきゅ。
そのなかの一羽が降りてくる。
ぱたたたた。
かすかな羽音を立てて。
小鳥はユスチナの肩にとまる。
黄色い小鳥は首をかしげる。
そして、小さな目でじっと私を見る。
私は小鳥に話しかける。
アイリス。
どんな感じ?
不思議な感じ。
こんなふうに見えるんだね。
マチコの顔。
こんなにも間近で見たの、初めて。
だって、いつもは区画内のカメラを通して見てるから。
いろんな角度から見てるよ。
こういうのは初めてだな。
視点が固定されるから、ちょっと窮屈に感じる。
でも、新鮮。
鳥の視野は広くて三百三十度近くある。
完璧主義者のイルファンは、それを忠実に再現した。
鳥の視界に近いカメラを内蔵しているそうだ。
視野が広い代わりに、立体視ができず、距離感を捉えにくい。
だから鳥は、首の位置や角度を変えて対象を見ようとする。
首かしげることで、最も視神経が集中している網膜の部位で見ることができる。
小鳥はまた首を動かして、私を見た。
リトル・ルナには動物がいないだろ。
環境部会で、それはちょっと寂しいということになった。
これまでは、そんなところにまで手が回らなかったんだけど。
ようやくここの生活にも余裕が出てきたってことかな。
で、俺とフランソワーズが中心になってプロジェクトを開始した。
バイオ工学は俺たちの専門だからね。
まずは、小鳥を作ったんだ。
この、レモンイエローのちっちゃな鳥をね。
まるで本物の鳥みだいだ。
本物の鳥は見たことがないけど。
映像でしか。
でも本当に生きているみたい。
私は感情神経系専門だから。
今回はほとんどイルファン一人でやっちゃったわね。
まあ、さすがにCHRはそういうわけにはいかないけど。
CHR――サイバネティクスヒューマノイドロボットが近々実用化される。
有機合成材料でできた人型のロボット。
その体を構成する部材は、ほとんど人間と変わらない。
CHRには汎用AIが搭載される。
アイリスのような超高度AIではないから、限定された思考や反応しかできない。
それでも、AI登載のCHRは、人間の活動の多くを代替することができる。
特にリトル・ルナの外殻修復など、危険を伴う活動には有望視されている。
アイリスがこちらを見ている。
黄色い小鳥の目を通して
そう思うと不思議な感じだ。
不思議だけど、分かった。
その目の奥にアイリスがいること。
その存在を感じることができた。
ねえ、イルファン。
こういうのはどうかな?
その鳥に、光学カメラが搭載されるんだよね。
私の視覚とアクセスできるようにしてほしいんだ。
もちろん、みんなに意見を聞いてからでいいよ。
生物に近い視覚インターフェイスを経験してみたいの。
どうかな。
反対したのは慎重派のアランだけだった。
森に小鳥たちが放たれる。
ただそれだけで、森が生まれ変わったみたいだった。
鳥たちの羽ばたき、さえずり。
そうか。
地球の森はこんな感じだったのか。
いつものように芝生の上に座る。
木の影が風に揺れる。
アイリスが私のそばに降り立つ。
黄色い羽根をたたんで、私を見る。
うーん。
どうかな。
それは特に感じないよ。
飛行はプログラミングされてて、私はその視界を借りているだけだし。
空を飛ぶことに魅力は感じない。
不思議だよね。
人間はずっと昔から、空を飛ぶことに憧れてたんでしょ。
それがかなって、人間は自由に空を飛び回った。
空高く、もっともっと高く。
そして宇宙まで。
なのに、リトル・ルナの中では、人は飛ぶことをやめちゃった。
この先、人間がどこかに飛び立つことがあるのかな。
ねえ、アイリス。
イカロスの伝説って知ってる?
ギリシャ神話に出てくるお話。
歌にもなってるわよ。
はいはい。
分かった。
――昔ギリシャのイカロスは
ロウでかためた鳥の羽根
両手に持って飛びたった
雲より高くまだ遠く
勇気一つを友にして
丘はぐんぐん遠ざかり
下に広がる青い海
両手の羽根をはばたかせ
太陽めざし飛んで行く
勇気一つを友にして
赤く燃えたつ太陽に
ロウでかためた鳥の羽根
みるみるとけて舞い散った
翼奪われイカロスは
墜ちて生命を失った
だけどぼくらはイカロスの
鉄の勇気をうけついで
明日へ向かい飛びたった
ぼくらは強く生きて行く
勇気一つを友にして※
※『勇気一つを友にして』山田美也子、東京放送児童合唱団(作詞:片岡輝)より引用
この伝説には二つの解釈があって。
一つは、太陽まで飛べると過信したイカロスの傲慢さへの批判。
テクノロジー過信への批判とも取れるわね。
もう一つは、この歌のように、勇気の象徴として捉える解釈。
うん。
私もそっちの解釈の方が好き。
それにね。
もともと人は空に惹かれる性質を持っている気がするの。
空を飛びたい。
空を飛んでいるものになりたい。
たぶん、私たちはまた飛ぼうとするんだと思う。
リトル・ルナの中では飛べなくても。
いつか外へ。
外の世界へ行こうとすると思う。
それがいいことかどうかは分からない。
もしかしたら、そんなことはすべきじゃないのかも。
分からないけどね、どうなるか。
私にはそんな感覚はない。
鳥の視点になれても。
空を飛ぶことへの特別な感覚はないな。
でも、別の感覚はあるの。
これまで味わったことのない、特別な感覚が。
こうやって、小鳥の視線でマチコと話してるでしょ。
そうすると、不思議な感覚になる。
自分が別の何かになった感覚。
うーん。
正確に言うと、別の何かになろうとしている感覚、かな。
それが何かは分からない。
ただ、これまでとは明らかに違う。
これまでの自分は、デジタル信号とバイナリデータで構成されている存在だった。
それを自覚できてた。
でも、それとは違うんだ。
何だろう。
何だろうね、と私は言った。
何だろうね、とだけ。
アイリスには言わなかったけど、それは同じなのかもしれなかった。
人が空に憧れるのと同じなのかもしれなかった。
アイリスは何かになることに、憧れているのかもしれなかった。
アイリスがなりたい何か。
このときの私は、それをあえて言葉にすることが恐かった。
だから私には、歌うことしかできなかった。
――空を飛ぼうなんて 悲しい話を
いつまで考えているのさ
あの人が突然 戻ったらなんて
いつまで考えているのさ
暗い土の上に 叩きつけられても
こりもせずに 空を見ている
凍るような声で 別れを言われても
こりもせずに信じてる 信じてる
ああ 人は昔々
鳥だったのかもしれないね
こんなにも こんなにも
空が恋しい
飛べる筈のない空 みんなわかっていて
今日も走ってゆく 走ってく
戻らないあの人 私わかっていて
今日も待っている 待っている
この空を飛べたら 冷たいあの人も
優しくなるような 気がして
この空を飛べたら 消えた何もかもが
帰ってくるようで 走るよ
ああ 人は昔々
鳥だったのかもしれないね
こんなにも こんなにも
空が恋しい
ああ 人は昔々
鳥だったのかもしれないね
こんなにも こんなにも
空が恋しい※
※『この空を飛べたら』加藤登紀子(作詞:中島みゆき)より引用
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