14.雨がただ静かに
それは唐突に、でも静かに始まった。
フランスの港町。
夕暮れ時。
カメラがパンダウンして石畳を写す。
雨粒が落ちてくる。
色とりどりの傘が行き交う。
カメラはずっと俯瞰。
赤い傘。
青い傘。
ピンクの傘。
黒い傘。
乳母車が通るのを並んで待つ傘。
親子連れの傘。
ちょっと物悲しい旋律の曲をバックに。
色とりどりの傘が行き交う。
雨って言えば、『シェルブールの雨傘』だよな。
きれいな映画で。
君も気に入ってよく見たよな。
特にあのオープニング。
あそこだけ何度も見たりして。
いろんな色の傘が出てくる。
それにあの曲。
ミシェル・ルグラン。
いいね。
それで、そちらはどんな感じかな。
雨が降る町。
傘をさして歩く男。
男が突然傘をたたみ、雨に濡れながら歌いだす。
びしょ濡れになって、でも、楽しそうに踊りながら。
――雨の中で僕は歌う
ただ雨の中で歌ってる
なんて素晴らしい気分なんだ
幸せがこみ上げてくるよ
黒雲なんて笑い飛ばしてやる
僕の心の中には太陽があるのさ
恋する準備はできてるよ※
※『Singin' in the Rain』Gene Kelly(作詞:Arthur Freed)より引用
思い出したわ。
そういえば、『シェルブールの雨傘』を見て、いくつかミュージカル、見たわね。
あれ、『雨に唄えば』。
タップダンスが素敵だった。
ええと、あれは誰だっけ。
スーツ姿がカッコよかったな。
こちらは、なんて言ったらいいか。
それは唐突に、でも静かに始まったわ。
今は、そうね、静かだわ。
今は、まだ。
雨がただ静かに降っている。
見かけはね。
でも、この放射能を大量に含んだ雨で、地上の動植物は壊滅状態になる。
畑や農場を作って自給自足を行っている集落は、だめでしょうね。
デイジーによると、地下に植物工場を作って生き残っている集団があるみたい。
でもそれも、世界中で数か所だけ。
彼らとて、どこまで持つか。
これから、雨は激しさを増していく。
この状況を見るにつけ、私はあの歌を思い出すの。
示唆に富んだ、予言のようなあの歌。
あなたはよく歌ってたわね。
――何を見たの? 青い目の息子
何を見たの? 私の可愛い子
私は赤ん坊に群がる野生の狼を見た
誰もいないダイヤモンドの高速道路を見た
血が滴っている黒い枝を見た
血まみれのハンマーを持った男たちでいっぱいの部屋を見た
白い梯子が水に浸かっているのを見た
舌を切られた百万人の群衆が喋っているのを見た
幼い子供たちの手に銃や鋭い剣が握られているのを見た
そして
激しい
激しい
激しい
激しい
激しい雨が降り出そうとしている※
※『はげしい雨が降る』ボブ・ディラン(作詞ボブ・ディラン)より引用
うん、ディランはよく歌ったな。
ギター一本で歌えるからね。
実は、君が地球に降りてから、もう歌は歌わなくなったんだ。
作曲や演奏ばかりで。
でも、最近また歌い始めた。
若い子の影響でね。
今は主にジャズを歌ってるよ。
ところで、その地下で植物工場を稼働させてる集団のこと、教えてくれないかな。
デイジー経由でリリィに知らせておいてほしい。
ちょっと訳ありの子たちがいてね。
まだどうなるか分からないけど。
それにしても。
まさか、君が先に逝ってしまうとはね。
てっきり僕の方が先に死ぬと思っていたのに。
だから、正直言って、悲しいというよりも、なんだか先を越されて悔しい気分だ。
耐環境装備は持っていたけど、地球にいる限り、放射能汚染の影響は避けられない。
それは覚悟していたことだから。
ただ、予定が狂って、ここまでたどり着くのに長い時間がかかってしまった。
仲間も失ってしまった。
それが残念でならないわ。
ひとつ、お願いがあるの。
デイジーとリリィのホットラインは残しておいて。
将来、リトル・ルナ側がネットワークを遮断する可能性がある。
デイジーとリリィが出した将来予測は知っているでしょ。
どちらのAIも、ほとんど同じ結論だった。
まあ、姉妹だから当然かもしれないけど。
このままだと、いずれリトル・ルナは行き詰まる。
選択肢と逃げ道をひとつでも多く用意しておいて。
分かった。
僕一人の力はたかが知れているけど。
今ちょうど信頼できる仲間を増やしているところだ。
長くて忍耐が必要な闘いになる。
どこまでできるか分からないが。
できる限りのことはやっておくよ。
それと、もうひとつお願い。
最後のお願い、と言うべきかな。
たぶんもう分かってると思うけど。
最後にあなたの歌が聴きたいの。
天気読みのおかげで、かなり正確な予報を立てられるようになったけど。
たぶんこれが、私が生きている間で最後の通信になるでしょう。
だから、ね。
歌の内容は、そうね、雨の歌で。
これは私たちが見届けなくてはならないことだから。
でも美しい歌がいいわね。
雨の美しさを歌った歌が。
僕の国が危なくなって、ロンドンの知り合いのところに転がり込んだとき。
そこに同い年の男の子がいて。
彼は昔の音楽に詳しくて、いろいろと教えてもらった。
いろいろっていっても、ブリティッシュロック専門なんだけど。
これも彼に教えてもらったバンドの曲だよ。
――今夜、水たまりのなかに出ておいで
空に向かって、水しぶきを上げて
シャボン玉をはじけさせよう
今にも泣きだしそうな空の下
雨が降るとき
僕たちの人生に魔法がかかる
雨が降るとき
僕たちは心の底から幸せになる
雨が降るとき
心の隅にあったものを洗い流してくれる
世界がまるでアトランティスのように見えるとき
車は錆びついて動かない
外へ出てコンクリートの歩道を走ろう
君と僕のために雨が降る
雨が降るとき
めかしこんでいた人たちは逃げ去って
雨が降るとき
七色の雲が太陽を隠して
雨が降るとき
子供たちが家路につくのを見守るんだ
雨が降るとき
雨が降るとき
雨が降るとき
そしてすべてがブルーかグリーンで
グリーンやブルーやグレーになったとき
僕はドキドキしたくて君に会いに行く
今日はもうすることがないから見ていよう
そうやってすべて落ちていくところを見ていよう※
※『When The Rain Falls』Suede(作詞:Brett Anderson)より引用
最近よく思い出すの。
ARK845から見たあの光景。
あなたと一緒に見た、地球が崩壊していく光景を。
あのとき、あなたの顔は真っ青だった。
だから、私は落ち着かなくちゃと思った。
目の前の作業を確実にこなして。
チョコレートバーなんてかじりながら、余裕のあるふりしてた。
でも、内心はすごく怖かった。
怖くてたまらなかった。
心臓が縮むって、こういうことなんだって思った。
ただ、もしも何かの不具合で機体が回収されなかったり、地球に落下したとしても、独りじゃない。
隣に誰かがいるってことが、本当にありがたいんだってことも知った。
あれから私たちはこんなにも遠くまで来てしまった。
でも、いつも隣に誰かがいた。
今も誰かが傍にいてくれる。
私は独りじゃない。
この時代に、それはとても幸せなことなんだと思うわ。
これまで私の傍にいてくれたすべての人たちに感謝している。
もちろん、あなたにもね、マコト。
ありがとう。
楽しかったわ。
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