8.空白に

 どうしても行くのか。

 何度も君は尋ねたね。

 うんざりするくらい、何度も。

 そのたびに、私は答えたね。

 もう決めちゃったんだ。

 そのたびに、君はうんざりした顔をしたよね。

 そのときは、正直言ってよく分かってなかったんだ。

 本当の孤独ってどういうものなのか。

 IQ百四十の頭脳にも、分からないことはたくさんあるんだね。


 君がいなくなった空白を、僕はどう埋めればいいんだ。

 君はそう言ったよね。

 何言ってるの。

 私がいなくなったって、空白になんかならないよ。

 そんなこと考える暇もないくらい、ここは忙しいって知ってるでしょ。

 リトル・ルナ。

 人工の小さな星。

 その内部で暮らす私たちには、やるべきことが山ほどあった。

 食料の生産と管理、環境衛生チェック、健康状態の把握、設備のメンテナンス、新しい素材や技術の研究開発、そして地球の観測と情報収集、分析、予測、計画立案。

 気をつけなければならないことも。

 五層のアルミニウム合金と、三層のカーボンナノファイバーを練りこんだ強化プラスチック複合材に守られた球体。

 それでも、その外側は真空絶対零度の世界で、ちょっとしたミスがその中にいる全員の命を危険にさらす。

 全員が細心の注意を払って暮らし、全員が大事な役割を持って生きていた。

 そして、地球に降りることは、私に与えられた役割の延長でもあったのだ。


 メタマテリアル変換素子。

 赤外線から水素を取り出すその素材は古くからあったけど、ほんのわずかな赤外線から大量の水素を発生させることに、私たちは成功した。

 この技術を地球に伝えなければならない。

 私はそう訴えた。

 長い話し合いが行われ、三人が地球へ降下することになった。

 新しい素材は、プロジェクトリーダーの私の名前を取って、ツェリン素子と名付けられた。

 

 君じゃなければならないのか。

 何度も君は尋ねたね。

 そのたびに、私は手をかざしたね。

 ナノマシンによって、ツェリン素子を埋め込んだ両手を。

 私の体を介して、携帯用の小型燃料電池に水素が送られ、電気を生み出す。


 厚い雲に覆われている地球に降りる意味はあるのか。

 何度も君は尋ねたね。

 そのたびに、私は説明したよね。

 エヴァンズたちのチームが予測を立てた。

 今後百年以内に、地球に雨季が訪れ、その後、空が晴れる。

 その前に、この技術を地球の人たちが使いこなせるようにしておかなければ。

 まだ奇跡的に地球には生きているサーバーがあるし、デイジーのような超高度AIとの接触もできた。

 でもそれもいつまで続くか分からない。 

 だから今行かなきゃ。


 地球が今どれだけ危険な状態か知ってるだろ。

 特に女性にとって、どれだけ危険か。

 何度も君は言ったよね。

 そのたびに、私は姿を変えたよね。

 光学偽装で、外見はいくらでも変えられる。

 身を守る装備もある。

 大丈夫だよ。


 君がいなくなった空白を、僕はどう埋めればいいんだ。

 君はそう言ったよね。 

 あなたには、歌があるじゃない。

 私はそう言ったよね。

 歌手で音楽家のあなたには、そうやって、感情に寄り添える能力を持っている。

 私はうらやましかったよ。

 君にはそんなことは言わなかったけどね。


 地球に降下する前日、私は君にお願いしたよね。

 君の歌を聴かせてほしい。

 毎日のように君の歌は聴いていたけど、やっぱり最後は君の歌を聴いて行きたいんだ。

 どんな歌がいい。

 そう君は尋ねたね。

 日本語の歌がいい。

 私は言ったよね。

 内容は、そうね、空白を埋めるような歌がいい。

 誰かが去って、今は悲しくても、いつかその気持ちは変わっていく。

 そんな、悲しいけど、どこか前向きな歌。

 君はうなずくとギターを弾き始めて、そして歌ったよね。

 

――黄昏映す 窓辺へと舞いおりる

  きらめくそよ風 吸い込んで

  空を見る時


  悲しい出来事が ブルーに染めた心も

  天使の絵の具で 塗りかえるよ

  思いのままに


  出会った頃は 宇宙にさえ憧れた

  私をいつでも守ってた

  愛に気づかず


  少しの間だけあなたに サヨナラしたら

  I love you

  この気持ちは 涙にかわるでしょうか


  瞳をそらせば 全てが離れてしまう

  いつかは永遠の光 私を誘う


  悲しい出来事が ブルーに染めた心も

  天使の絵の具で 塗りかえるよ

  思いのままに※


 小型のシャトルに押し込められる前に、君は私に手渡したよね。

 小さな端末。

 地上では電磁波を帯びた雲で、ネットワークには接続できないだろうから、嬉しかった。

 最後に君が歌った曲も入っていたよね。

 もちろん、今でも持っているよ。

 行ってくる。

 私は言ったよね。

 帰って来いよ。

 君は言ったよね。

 うん、ヒューストンかバイコヌールが生きていればね。

 君は何も言わず、私たちは手を振ったよね。

 そしてハッチが閉じられて。


 目を開けると、心配そうな瞳があった。

 天気読みが、私の顔を覗き込んでいる。

 私、何か言ってたかい。

 天使が。

 天使がどうとかって。

 寝言で。

 そう。

 私は起き上がる。

 テントを出て、空を見上げる。

 あいかわらず厚い雲。

 マコト。

 君の心は塗りかわったかな。

 私はなんとかやっているよ。

 当初の予定からは、かなり狂ってしまったけどね。

 あのとき正直言ってよく分かってなかった、本当の孤独っていうやつも知ったよ。

 さあ、移動するよ、天気読み。

 次の村まではあと半日だ。

 どうしても行くのか。

 何度も君は尋ねたね。

 そのたびに、私は答えたね。

 もう決めちゃったんだ。


  ※『天使の絵の具』飯島真理(作詞:飯島真理)より引用

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