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 再び目を覚ますと、既に時刻は夕方だった。カーテンもかけずに眠ってしまったせいで、窓から差し込む西日が容赦なく起き抜けの宙色を照らす。

 スマホで時刻を確認して、自分が大体八時間ほど眠っていたことを知る。徹夜明けとはいえ十分に睡眠をとった後だというのに、頭は未だにぼうっとしているようだった。

 今朝、梨子のの元に宙色は自力では絶対にたどり着けない作品を産み落とした。まるで現実味のない夢のような出来事だったが、長時間地べたに座って作業していたことによる腰の痛みが、あの出来事が夢ではないことを物語っている。

 今なら辰巳の語ったことの意味も分かる。彼の言っていた通り、『七月のロマン』の面々が梨子の言葉に導かれるままに創作をしているのであれば、彼らが迷いなく同じゴールに向かって作品を制作していたことにも納得がいく。梨子と会話をした時点で、彼らの中には既に作品の完成形が与えられているのだから、創作の方針を話し合うことも途中で作品のゴールを再定義する必要もない。宮本が言っていた、『最初から傑作になることが決まっている』という戯言のような言葉にも頷けてしまう。恐らくこれは、梨子に導かれたことがないものには分からない感覚なのだろう。

 そして、今となってはもう『七月のロマン』の在り方を否定することができない。昨夜、宙色は一人の創作者として彼らのスタンスに対して明確な嫌悪感を覚えていた。あの時の宙色は彼らの行為を、年端も行かぬ少女のアイデアを盗むような卑劣な行為だと思っていたが、実際には違う。彼らが梨子のアイデアを元に作品を創るのではなく、梨子が彼らに理想の作品を創らせている、といった方が正しい。例えお互いにその気がなくとも、傑作を求めている作り手に対して、梨子が理想の作品のイメージを告げる時点で、クリエイターには既にその理想を具現化する以外の選択肢はなくなる。それほどまでに、梨子の提示する理想の作品の原型は強烈なものだった。

 宙色は垣間見えた事実に対して深く首を垂れるように頭を抱えた。その心にあるのは深い絶望だった。

 もしこのまま『七月のロマン』の一員となれば、宙色は他のメンバーと同じように、梨子の中にある至高の創作のイメージに従って作品を創ることになるだろう。その行為の善悪は、今となっては論じる気にもなれない。少なくとも、事実としてそれが良い作品を創る最も確実な道であることに間違いはない。目の前に創作の一つの正解が提示されているのに、わざわざそれを見ないふりをする意味はない。

だが、そうして出来上がった作品を、宙色は誇りをもって自分の作品だと言えるだろうか。恐らく、宙色にはできない。なぜなら、自分はあくまで梨子に示された理想を具現化させたにすぎないからだ。まだ形になっていないだけの理想の作品像がたまたま自分に示されて、それを形にしただけの行為を、胸を張ってオリジナルだというのは憚られる。そして、同じように考えているからこそ、ここにいる者の作品は全て『七月のロマン』の名義で発表されているのだろう。

 かといって、彼らからの誘いを蹴ってこれからもフリーランスとして活動することも、心情的には簡単なことではない。本質的には梨子から授けられた正解の道を無視することと同義だからだ。果たして、理想の作品を追い求めて創作を続ける自分に、そんな背信行為ができるだろうか。

 深く、深く吐き出すようなため息をつく。宙色が今感じている絶望は、梨子と出会った他の全てのクリエイターが感じたものなのだろう。創作という、終わりのない旅路に殉じるものに唐突にもたらされる終わり。梨子という信託の巫女の存在は、創作者に対する救いであり、同時に絶望を与えるものなのかもしれない。

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