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 辰巳の話を聞いた後でも、玄関先で出会った梨子は年の割には少し落ち着いている程度の少女にしか見えなかった。上下ともにシンプルなジャージを着ているが、学校指定のものだろうか。服装も相まって、本当にただの高校生にしか見えなかった。

 「にしても随分早起きだな。毎日こんな時間に起きているのかい?」

 先ほど辰巳から聞いた話と目の前の少女とのギャップが不気味さから、宙色は当たり障りのない話題を選んだ。迂闊な話をして、彼女の中の隠れた一面に遭遇してしまうのを恐れていたのもあった。

 「まさか。今日はたまたま目が覚めてしまったので。でも、他の人たちと比べたら割と早起きかもしれません」

 「それは比較対象が悪いな。あの人たち、ほっといたら昼過ぎか夕方まで寝てるだろ?」

 「そうなんです。それも、作品作りで忙しい時に限らず、毎日のようにそんな生活されてるので……真似すると、叔父さんや伊藤さんに叱られるんですけど、ちょっぴり羨ましいです。とっても楽しそうで」

 そう楽しそうに語る彼女は、完全に自分と『七月のロマン』の存在を違う世界のもののように捉えているようだった。


 「……意味が分かりません」

 辰巳の話を聞いて宙色が最初に絞り出したのは、怒りでも嘲笑でもなく、理解への拒絶の言葉だった。

 確かに、辰巳の言ったようなやり方で本当に作品が完成するのなら、『七月のロマン』の様々な疑問が解消される。一度創作に取り掛かった彼らが、途中で目指すべき作品の完成形を話し合ったり再定義しないのは、揺るぎないゴールがあるからだ。辰巳梨子という他者の中に明確な完成形があるからこそ、彼らは迷わずに一直線にそこに向けて作品作りに励める。

 創作とは、広大な砂浜で宝物の正体がわからない状態で挑む宝探しのようなものだ。どんなに優れた道具を揃え、卓越した技術を持った者たちが大勢集まろうと、探すべき宝が何かわからなければ理想の作品(たからもの)を手に入れるのは困難を極める。

 辰巳の話が本当ならば、『七月のロマン』は最初から求めるべき宝が何なのか、明確にわかった状態で宝探しに挑めることになる。それだって容易なことではないだろうが、一人一人が一流と呼ばれたクリエイター達が集まれば、至高の創作を具現化させることも不可能ではなくなる。創作において、絶対的な正解が与えられるというのはそれほどのアドバンテージを意味する。

 だが、それらは全て仮定の話だ。宙色は混乱した頭を整理するかのように、絞るように言葉を続ける。

 「昼に少しだけ話しましたが、梨子さんはとてもそんなクリエイターにとって神のような人ではありませんでした。ここのクリエイターたちすべてが、一介の少女のいう通りに作品を創っているなんて、俄かには信じられません。それに何より、」

 宙色はそこで一呼吸おいた。そして、プロのクリエイターとしてではなく、創作という目的地のない旅路に殉ずる一人の人間として、絶対に譲れない矜持を口にした。

 「他人に正解を与えられた作品を、真の創作とは呼べません」

 宙色の強く尖った言葉に、辰巳はわずかに表情をゆがめたような気がした。

 それは、なかなか本心を見せない辰巳がわずかに覗かせた明確な嫌悪感だったのかもしれない。辰巳の語ったことが全て事実であれば、宙色の言葉は『七月のロマン』の作品もメンバーも、その在り方すらすべて否定することになる。それは彼らの支援者である辰巳にとっても、看過できない言葉だったのかもしれない。

 それでも、宙色は否定せざるを得なかった。宙色にとって、『七月のロマン』は現在、この世で最も秀でたクリエイター集団であり、憧れの創作者達だった。その実態が、理念もヴィジョンも持たず、ただ他人の言葉のままに作品を創る人間たちだったことが、そしてなにより、そんな集団から誘いを受けたことが、宙色を強く苛立たせていた。

 互いに無言の中、静かな緊張感が部屋を包んでいたが、その静寂を破るように辰巳が細く息を吐いた。彼なりに言い返したいことはあったのかもしれないが、呼吸を整えた彼の顔はもういつもの落ち着いた表情に変わっていた。

 「……確かに、君のいら立ちは最もなものだ。今うちに在籍している者の中にも、同じように最初嫌悪感を抱いていた人間もいたよ。菅谷君なんかが特にそうだったかな」

 辰巳はそう静かに語りながら、だがね、と話を一旦区切る。そして、それまで俯きがちだった目線を上げ、宙色の顔を正面から見つめて言葉を続けた。

 「多くの創作物は、多数の人の手によって作られる。話を考える人、キャラクターをデザインする人、実際に絵を描く人、作曲する人……数えていけばキリがないだろう。それはもちろん、大掛かりな作品を創るのは一人の人間の手にはあまるということもあるだろう。だが一番の理由は、各々が得意とする部分を担当することで、作品としての質を向上させるためだ。要は適材適所というやつだね」

 淡々と語る辰巳の目をじっと見据えて話を聞いていた宙色は、すぐに彼の言わんとすることに気づいた。辰巳自身もそのことを察したようで、一度そこで話を中断する。

 「つまり、年端もいかない、創作に精通しているわけでもないただの少女からインスピレーションを受けて作品を創っているのも、その一環だと?」

 宙色の棘のある言葉に、辰巳はわずかに苦笑しながら言葉を返す。

 「ただ単に、理想の作品をイメージするということに置いては、ここにいるどんな人間よりも梨子が長けていたというだけだよ。彼女の導きの元、創作者(クリエイター)達は至高の作品を作り上げる。その結果、他のどんな方法でも生み出すことのできない傑作が、この世に産み落とされる」

 これは、本当にただそれだけの話なんだよ、と辰巳は話を結んだ。

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