14

 宙色が辰巳の部屋を後にしたころには、時刻は深夜四時を回っていた。

 この島は都内よりも気温が高いようだが、夜明け前のこの時間帯ともあれば比較的過ごしやすい。それもあって、建物の中はどの部屋もエアコンをつけず、代わりに廊下も含めてすべての窓が開けられているようだ。廊下を歩く宙色の額を、心地よい風が撫でる。

 先ほどまでの騒ぎが嘘のように静かな廊下を歩きながら、宙色は二階中央の階段へと向かっていた。途中で通ったバルコニーでは宮本アリスをはじめとする何人かが酔いつぶれてその場で寝落ちしていたが、全員に薄いタオルケットがかけられていた。宙色よりも先に、誰かがここを訪れていたのだろう。

 寝ている者たちを起こさないよう、静かに階段を降り、重い扉を開く。辺りがうっすらと明るくなり始めている中、一人の人間が玄関前の段差に腰かけていた。

 扉が開く音に振り向いた先客は、一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに穏やかな笑みを浮かべて言った。

 「おはようございます。まだ起きていらしたんですね、宙色さん」

 「まあ、ちょっとね。君こそ、さすがにそろそろ寝たほうがいいんじゃないか?」

 「私はさっき起きたところですよ。皆さんみたいな昼夜逆転の生活はしていませんよ」

 昼間に一度だけ出会った少女、辰巳梨子はそう言ってあどけない笑みを浮かべた。


 「『七月のロマン』の原案担当は、私の姪だ」

 「は?」

 真相を語り始めた辰巳の第一声に、宙色は間抜けな声をあげた。

 辰巳はその反応を予想していたのか、動揺している宙色を気にも留めず、言葉を続けた。

 「私の兄夫婦の子なんだが、両親は去年から仕事の都合で海外に行っていてね。日本に残りたいという彼女の希望で、今はここで一緒に暮らしている。最も、基本は部屋にこもっているからまだ会ってはないだろうけどね」

 「辰巳、梨子さんですよね?」

 淡々と語る辰巳に対し、宙色は食い気味に問いかけた。辰巳が驚いたように目を見開く。

 「ああ、知っていたのかい。そう、梨子だよ梨子。どこかで会ったのかい?」

 「ここに来てすぐの時に、ロビーのところで少し話しましたが……」

 そう言いながら、宙色は昼間に出合った少女のことを思い返す。が、彼女はどこからどう見ても普通の、どこにでもいる十代の少女だった。あの平凡な子が、『七月のロマン』が作り出してきた傑作たち元となるものを作り出しているのとは、俄かには信じがたかった。

 「……とてもじゃないですけど、信じられないですよ。アニメの原案って、言うなれば監督みたいなものじゃないですか。あんな普通の子が、世間であれだけ評価されている作品の話の大本を考えていたなんて……」

 「いや、監督や原案というとニュアンスが違うね」

 宙色はこぼした言葉を、辰巳はそう否定した。含みを持たせたようなその物言いに、宙色は一層眉間の皺を深くする。

 「そもそも、梨子は自分が『七月のロマン』の作品に関わっていることすら気づいていないよ」

 「……どういうことですか」

 話が見えてこず、問い返す宙色の口調も自然とイラついたものになってしまう。話の大本は作っているのは辰巳梨子でありながら、その本人は作品制作に関わっているのに気づいていないなんて、そんなことはありえないはずだ。辰巳の言っていることは、大きく矛盾しているように見えた。

 しかし、宙色とは反対に辰巳は落ち着きはらった様子で静かにうなづいた。それは、これから話す内容が虚構の類ではないことを、態度で表しているためのように思われた。

 そうして辰巳は、宙色がこれまで耳にした『七月のロマン』に関する物事で最も荒唐無稽な事実を口にした。

 「彼女がやっていることは、クリエイターと話す。ただそれだけだ。彼女の話を聞き、インスピレーションを受けたクリエイターが、その衝動のままに作品を創る。本当にそれだけで、ち密なプロットも、考え抜かれたネームも、綿密な打ち合わせもなく理想の作品が出力される。そして、小説も、漫画も、MVも、アニメも、『七月のロマン』から発表される作品は、全てそうやって作られているわけだ。」

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