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 用意してもらった自室に戻り、着替えも後にして宙色は丁寧に整えられたベッドに寝転がって天井を眺めていた。

 振り返っても見ても、今日は今まで体験したことがないような濃い一日だった。東京から遠く離れたこの島で、『七月のロマン』という憧れの集団に出会った。そこで彼らの仕事ぶりに感動し、会話を重ねて創作への造詣の深さを知りって敬意を表した。同時に自分の、未熟さを痛感させられたかと思えば、今度は彼らの一員にならないかと誘いを受けた。これが僅か一日で起こった出来事とは到底思えない。それほどに濃密な時間であった。

 伊藤から受けた誘いへの返答は、心の中では既に決まっていた。たった一日『七月のロマン』の活動を見学し、話をするだけで普通に仕事をしているだけでは得られないような経験と知見を得ることができた。彼らの一員となって共に創作に取り組めば、間違いなく高い技術と特別な経験を積むことができるだろう。個人で受けている仕事の量はある程度減らさないといけないかもしれないが、『七月のロマン』としてもある程度給料は出るようなので問題ない。何よりも、この一流のクリエイターたちと作品作りができるというのは、他のどんなことよりも魅力的だ。

 明日、一旦東京に戻ったらすぐに身辺の整理を始めよう。今引き受けている仕事に目途がつき次第、伊藤と連絡を取って『七月のロマン』としての活動に参加させてもらおう。そう心に決め、そのままの体勢で宙色は目をつぶった。着替えても居なければシャワーも浴びていないが、今日はこのまま寝てしまうのが一番気持ちいいだろうとそのままゆっくりと意識を閉じにかかる。

 だが、体は確かに疲れているはずなのに、なぜか意識ははっきりとしたままで全く眠りに就けなかった。憧れの集団から勧誘を受けたことに興奮しているのだろうか。だとすれば我ながら幼稚で笑ってしまう。

 しかし、次第に眠りにつけない理由に心あたりが出てきた。ずっと頭の隅にひっかりがあったのだ。『七月のロマン』は少数精鋭とはいえ、集団で創作に取り組んでいる。だとすれば、は一体だれが担っているのか。

すると、芋づる式に疑問が出てくる。改めて考え直してみると、『七月のロマン』には歪な点が多い。我の強い複数のクリエイターが一つの同じ作品作りをしているのに、彼らはなぜを行っていないのか。

 そして、先ほど伊藤と話した際に彼が最後に見せた表情。彼はまるで、宙色を『七月のロマン』に勧誘したことをどこか後悔しているような顔をしていた。

既に酔いはさめ、宙色の頭は覚めわたっていた。少し考えたのち、ベッドから体を起こして立ち上がる。もう既に時刻は深夜だが、一刻も早く真相を確かめたい。音を立てないように扉を開けて、廊下を歩きだす。

 自分の中に湧き出た疑問を確かめるために、宙色は彼が寝泊まりしているという部屋へと足を向けた。


 音を抑えたノックをすると、どうぞ、と短い返事が返ってきた。

 なるべく静かに扉を開くと、薄暗い室内に小さな明かりがともっていた。部屋の電気を消して、机の上の照明だけつけているようだ。

辰巳黒和はまるで誰が入ってくるかを最初から知っていたかのような落ち着いた様子で、木製の椅子に腰かけてロックグラスに口をつけていた。空いた方の手で文庫本を持ち、片手で器用にページをめくっている。

 「……こんな遅くに読書ですか?」

 「まあね。今日は少し寝苦しいから、眠くなるまで読んでいようかと思ってね。それに、こうして誰かが尋ねてくるかもしれないだろう?」

 辰巳は飄々とした様子で、ニヤリと笑みを浮かべた。食えない人だと、宙色はため息をつきそうになったが、ぐっとこらえた。向こうのペースに乗せられてはいけない。宙色はおもむろに空いていた椅子に腰かけ、辰巳と向かい合う。

 「さっきの飲み会の席で、伊藤さんに『七月のロマン』に入らないかと、誘われまして」

 宙色が早速本題に切り込むと、辰巳はパタリと文庫本を閉じてこちらに向き直った。少しは彼の表情も崩れるかと思ったが、宙色の言葉にも辰巳は眉一つ動かさない。

 「そうか。メンバーの選出は彼らに一任しているが、まあそういうこともあるだろうとは思っていたよ。『七月のロマン』は全体的に人手不足だが、とりわけイラストレーターが不足しているからね。なんせ、キャラクターのデザインが専属でできるのが宮本君くらいという状況だ。人物から無機物まで幅広く描ける君のような絵描きがいれば、彼らの活動の幅もぐっと広がるだろう。もちろん、伊藤君が君に声をかけたのは、人手不足だけじゃなくその実力を買ってのことだろうけどね」

 酒を飲んでいる割には流麗に語る辰巳の言葉に、嘘はなさそうだった。きっと、『七月のロマン』という団体は本心から宙色の実力を買っているし、認めてくれているのだろう。

 「ただ、うちはかなり特殊な団体だ。すぐに決心してくれというのは土台無理な話だろう。一度本土に帰ってからでもいいから、時間をかけてゆっくり考えてくればそれでいい。我々は、いつでも君を歓迎するからね」

 そう語る辰巳の目はまっすぐで、その言葉が嘘偽りや社交辞令ではないことが伺われた。その申し出は非常にありがたいし、一クリエイターとしてこれ以上ない歓待といえるだろう。だが、宙色はきっぱりとした口調で返答する。

 「せっかくのお申し出ですが、お返事を返す前に聞かなければならないことがあります」

 「ほう。何かな?今さら隠し事をするつもりはないから、聞きたいことがあればなんでも言ってくれ」

 堂々と構える辰巳の様子は、誤魔化すつもりはないという意思の表れのようだ。確かに、秘密の多い『七月のロマン』の中核を担う人物でありながら、これまでの彼の言葉にほとんど嘘はないように思えた。

 だが、彼には一つ明確に隠蔽している事実がある。宙色は目の前の男を見据えながら静かに口を開いた。

 「今日一日、ここの人たちと話していてわかったことがあります。たった一日ですが、彼らの技術と作品作りに対する姿勢のレベルの高さは十二分に実感しました。『七月のロマン』は間違いなく一流のクリエイター集団です」

 「当然だ。でなければ、大枚はたいて彼らのためにここまで環境を整えたりしないさ」

 「ええ。ですが、彼らには不自然なまでに欠けているものが一つあります」

 宙色がそう言い切ると、微かに辰巳の目の色が変わるのを感じた。気分を悪くするでも、いつものように調子よく言葉を返すでもなく、彼は無言のまま空になったグラスに追加のウィスキーを注いだ。宙色は辰巳の様子をしばらくうかがっていたが、目の前の男が何も言い返してこないことを認めると、小さく息を吸って言葉を続けた。

 「彼らは、作品のゴールを定義するという行為を一切行っていませんでした。にもかかわらず、作品を作る彼らの目に一切迷いはなく、皆が同じ方向を向いているように感じられました。まるで、作品の完成形など最初から決まっているかのように」


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