10
夕食は、酒が入っていたこともあり、昼食の時以上の盛り上がりだった。
日が沈んで外でも過ごしやすい気温になっていることもあり、夕食は食堂ではなく、バルコニーのついた二階の広間で取ることになった。出前でも取ったのか机には大量のパーティー料理が並べられ、多種多様なアルコール類も用意されていた。昼食の時には起きてきていなかった面々も揃い、『七月のロマン』のほぼすべてのメンバーが立食形式での宴会に参加していた。
「いやあ、年取って食える量は減ったけど、やっぱりピザって旨いよね!体に悪い感じが最高だ!」
そう言いながら宮本がピール片手にピザをほおばっている。徹夜明けとは思えないバイタリティだ。二種類の分野でプロとして活躍できているのも、その体力あってのものなのだろう。
「ほら、宙色君も食べな食べな!まだまだ若いんだから!」
そう言いながら宮本にフライドポテトが山のように盛られた紙皿を渡される。もう少し他の料理も食べたいところだったが、酔った彼女に逆らうと妙な絡み方をされる危険がある。宙色は仕方なく紙皿を引き受けた。
「お疲れ様。宙色君。しっかり食べて……いるみたいだね」
酎ハイのロング缶を持った中井が、宙色の右手の皿を言った。
「宮本さんにいただいちゃって……中井さんもよければ食べてください」
「やっぱりか。じゃあいただくよ」
中井はそう笑いながら何本かポテトをまとめて掴み、一気に口に運んだ。少しだけ軽くなった紙皿を手近なテーブルに置き、宙色も適当な缶酎ハイに手を伸ばす。
「けど、なんか意外でしたね。別に作品を完成させた(あげた)日でもないのにこんな風に打ち上げみたいなことしてるのって」
「いやいや、こんな風にみんなでお酒飲むことなんて滅多にないよ。今日は宙色君が来たから、特別なんだよ」
中井ははにかみながらそう言うが、宙色はその言葉を素直に受け取れなかった。もちろん完全にリップサービスというわけではないのかもしれないが、この目で彼らの実力を目にしてしまった以上、その称賛をそのまま受け取ることもできない。
「それは……なんというか、恐縮です」
「なんだそれ」
宙色の半端な返事に、中井が気の抜けたような笑い声をあげる。
「本当の話、僕としてもとても勉強になったよ。僕も君と同じで割と頭使って創るタイプだけど、いきなりなれないアニメの話でも鋭い意見をくれていい刺激になった」
「いえ……俺なんかまだまだですよ。今日も結局何もいいアイデアは出せませんでしたし」
中井に余りに持ち上げられ、宙色はついにじみ出る卑屈な気持ちを吐露してしまう。だが無理もない。今日一日『七月のロマン』での制作を見学し、宙色は彼らと自分との間に深い溝があることを感じていた。
「ヒロインは、少し憂いを帯びた表情がいいと思います」
宙色の言葉に、宮本は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに興味を示すような強かな笑みを浮かべた。
「なるほど、その心は?」
宮本と同様に、中井も興味深そうに宙色の説明を待っている。宙色は
「このシーン、物語自体は主人公目線で進みますけど、この出会いはヒロインにとっても意味があるものだと思うんです」
宙色が言うと、中井が察したように口元に手を当てた。宮本も表情を変えこそしていないが、恐らく宙色が言わんとしていることは大方伝わっているのだろう。流石の勘の良さだ。
宙色は続ける。
「主人公にとって、特別な力を持つ少女との出会いが一つの契機だったのと同じように、この出会いがきっかけでヒロインの人生も大きく変わったのは間違いありません。だからこそ、そのギャップを示すために、主人公と出会う前の孤独な彼女の表情を描写すべきだと思うんです」
宙色がそう言い終えると、しばらく無言の間が続いた。中井は真剣そのものの表情で、宮本はどこか楽しそうな顔で宙色の意見を咀嚼しているようだった。
時間としてはそれほど長くなかったかもしれない。しかし、自分の意見が二人に吟味されているその沈黙の時間は、宙色にとってはとても長く感じられた。やがて、それまで俯いて考え込んでいた中井がちらりと宮本の方を伺って口を開いた。
「宮本さん、これ……」
「うん、多分私も同じ結論だ」
そう言うと、宮本は宙色の方を向き直って言った。
「宙色君、その解釈いいじゃん」
「検討してみる価値ありそうですね」
その二人の言葉は、この場に来てからかけられたどんな言葉よりも嬉しいものだった。
だが、結局宙色のアイデアが採用されることはなかった。最終的にこのシーンは、眩い月の光でヒロインの表情をぼかす、という形に落ち着いた。ある種凡庸な表現であるが、ストーリー全体を通してみれば、受け手に解釈の余地を残すこの表現が最適解だと結論付けられた。実際、宙色もその考えに納得している。
その後も何度か宙色は自分の意見を口にしたが、検討してもらえることはあっても最後には中井か宮本がそれを遥かに上回る演出を提案し、宙色のアイデアが採用されることはなかった。アニメの絵コンテづくりは自分の本業とは言えないが、それだけでは済ませられない大きな隔たりが、中井たちと自分の間にはあった。
しかし、中井はそんな宙色の思いはまるで気にしていない様子で、あけすけな調子で語り始めた。
「それはそうだろ。だって、アニメで負けたら僕に何が残るって言うんだ?」
「それは、そうなんですが……」
当たり前だろうと言わんばかりの口調の中井に、宙色は思わずそう返す。中井はこちらの言葉を遮るように、宙色がポテトフライを奪うように口にする。
「ここにいる他の人たちだって、まさか各々の分野で君に負けるわけにはいかないと思ってる。当然だ、僕らはそれで食っているわけだから。それでも、ここにいる人間と比べても、君は間違いなく一流のクリエイターだよ」
中井の言葉に、宙色は黙ってアルコールを喉に流した。普段なら一旦は否定したくなるようなだいそれた賛辞だとは思ったが、彼の真剣なまなざしは宙色に安易な謙遜を許さなかった。
中井は続ける。
「現時点でも、ウチで知名度で君に勝てるのは、宮本さんか菅谷さんくらいのものだろう。五年もすれば、国内では敵なしの絵描きになっているに違いない。そして、もちろん君が優れているのは知名度だけじゃない。多くの注目が集まる君のようなクリエイターは、既に一握りの人間にしかできない経験を積んできたはずだ。だから、そんな君と創作について語ることができて、皆嬉しかったんだろう」
中井は最後に、もちろん僕も含めてね、と冗談っぽく付け足した。
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