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 インターネットの普及は人々の生活を大きく変えてしまった。

 何か調べたいことがあれば大抵のことはネットで調べればわかるし、買いたいものや施設の予約も今時すべてネットで済ませられる。だが、情報の速度や利便性以上に大きかったのは、誰もが発信者となりえるようになったことだろう。

 人々がネットに親しんでいくと同時に、創作物の在り方も変わっていった。漫画もアニメも、それまでは出版社やテレビ局といった企業があって初めて受け手に届けられるもので、それを作る側の人間も一握りのプロのみであった。

 だが、今ではネットを使えば誰でも自分の作品を世界に発信できるようになった。そしてそれに伴って、従来の方式ならば埋もれてしまっていたかもしれない才能が次々と発掘される時代が到来していた。

 『七月のロマン』は、そんな現代に彗星のごとく現れた、WEB上でのみ活躍する天才クリエイター集団の名称である。最初に動画投稿サイトのYouTubeに投稿したオリジナルアニメ『ダンテの肖像』が、その作画のクオリティと魅力的なストーリーでネット上で話題となり、一気にその名を轟かせた。

 一体、あれほどの作品を無料で公開する『七月のロマン』とは何者なのか。アニメーション系の専門学校生、名義を隠して活動するプロのアニメーター、新しく設立されたアニメ会社、あるいは海外の制作会社。ネット上では様々な憶測が飛び交った。だが、そのどれもが『七月のロマン』は間違いなくアニメーションのプロの集団だと断定していた。投稿された作品のクオリティを見れば、そう考えるのは当然のことだった。

 しかし、『七月のロマン』の活動はアニメ制作にとどまらなかった。今度はpixivにオリジナルの漫画を、小説家になろうで小説作品を投稿しはじめ、活動の幅を広げたのだ。さらには有名ボカロP(プロデューサー)の作品のMVも手掛け、その全ての名義を『七月のロマン』として公開していた。それまで単なる凄腕アニメーターチームと呼ばれていた彼らが、一気に一流のクリエイター集団と認識を改められた瞬間だった。


 「まさか伊藤さんが七ロマで絵描いてるとは思いませんでしたよ」

 助手席で窓の外の景色を眺めながら、宙色はぼんやりと呟いた。一人のクリエイターとして、『七月のロマン』が一体どんな人物で構成されているのかはずっと興味があった。しかし、所属メンバーはもちろん人数や結成経緯すら明らかにされていない彼らについて調べることは不可能に近い。

 つい二ヶ月ほど前に『七月のロマン』として初めてメディアの取材を受けた宮本アリスは、何度か出版社のパーティーで挨拶をしたことがある間柄だが、あのインタビュー以来、ほとんど外部との連絡を絶っている状態だと業界では専らの噂だ。宙色程度のつながりでは詳しい話を聞くことはできないだろう。

 学生時代からの知り合いで、イラストレーターとしての先輩である伊藤から連絡があったのは、そんな矢先のことだった。

 「まあ、そうだろうな。お前、正直まだ信用してないだろ?」

 「そんなことありませんよ」

 伊藤は冗談めかして笑っているが、宙色は真剣な顔でそう返す。確かに、伊藤のイラストレーターとしてのキャリアや知名度は世のトップイラストレーターたちに劣るが、その実力は間違いなく一流だ。『七月のロマン』のような、とことんクオリティを突き詰める作風の集団にいるというのは、むしろ自然なことだった。

 そんな宙色の考えを察したのか、伊藤は少し恥ずかしそうに笑った。

 「いやいや、新進気鋭の天才絵師様に褒めてもらえるとは、俺もまだまだ捨てたもんじゃないな」

 「やめてくださいよ……最近ちょっと人気出てきたくらいですから」

 「おいおい、それこそ謙遜が過ぎるだろ。素顔が知れ渡るくらい取材受けてる絵師なんて、この業界でもお前くらいのもんだろ」

 伊藤は打って変わって真面目な顔でそう言った。確かに、宙色は実力と同時にその整った顔立ちとメディア映えするトーク力が幸いして、最近ではテレビや雑誌の取材なども増えている。そのおかげで、従来の一枚物のイラスト以外にも、アニメ、スマホゲームのキャラクターの原案など幅広い分野で仕事の依頼をもらえるようになった。

 だが、多少人気が出たところで、宙色はまだキャリアが十年に満たない新米イラストレーターだ。自分としては、まだまだ多くの仕事をこなして地の力をつけていきたいところだ。

 だからこそ、なぜ伊藤が自分に声をかけてきたのかがわからない。唐突に『七月のロマン』事務所に遊びに来ないかと誘われ、こうして東京から遠く離れた離島までやってきたが、未だに宙色は伊藤の真意を掴みかねないでいた。

 「ところで、なんでわざわざこんな遠いところで活動してるんですか?普通に都内か、せめて関東に事務所があった方が活動しやすいでしょうに」

 宙色の疑問に、伊藤は苦笑いを浮かべている。

 「その辺は、俺らのボスの趣味でな。まあ、買いたいものは通販で済むし、打ち合わせもWebで済ませられる時代だからな。意外と不自由しないぞ」

 伊藤がそう話していると、彼のポケットでスマホが鳴った。一旦路肩に車を停めてスマホを確認すると、Uターンして来た道を引き返し始めた。

 「どうしたんですか?」

 宙色が尋ねると、伊藤は軽くため息をついてから答える。

 「悪い、ちょっと人を拾っていくことになったわ」

 「人?一体誰をですか?」

 伊藤は宙色の質問には答えずに、笑みを浮かべて車を走らせた。


 海沿いの道を走り続け、人気のない堤防の付近で伊藤は車を停めた。車を降りる伊藤に倣って、宙色も外に出る。

 人のいないと思っていた堤防のへりには、一人の男が腰かけていた。見たところ、釣りでもしているようだ。だが、地元の人間にしては妙に身なりがいいことは、その後姿からも見て取れた。

 男の元へと歩み寄る伊藤について、宙色も堤防の奥へと歩いていく。近づいてみると、男の纏う裕福な格好が明確にわかった。高級そうなジャケットに身を包んだ男は、退屈そうに背中を丸めて釣り糸を垂らしている。隣に置かれた安っぽい空のバケツとクーラーボックスが、正装で身を整えた男の場違いさを強調していた。

 「どうです?釣れてますか?」

 そんな異質な人物に一切遠慮せず、伊藤は声をかけた。呼びかけられた男は、まるで宙色達がやって来ることを分かっていたかのように一切動じずに、釣り糸の先を見つめたまま答えた。

 「いや、全くだ。素人がいきなりこんなところで釣りなんかするものじゃあないな」

 男の口調は、言葉とは裏腹にどこか楽しそうですらあった。伊藤はやれやれと首を振りながら呆れた声をあげる。

 「何やってるんですか、こんな暑い中。あなた、そんな暇な人じゃないでしょうに」

 「何を言う、釣果なら十分あるじゃないか」

 伊藤の言葉に反論した男は、おもむろに立ち上がって振り返った。予想以上に背の高い男は宙色を見下ろしながら、勝気な笑みを浮かべて言った。

 「ほら、現に一流のクリエイターがここに一人」

 「連れてきたのは俺ですけどね」

  伊藤はそう言って笑うが、宙色はつい呆けた顔で男の顔を見つめてしまう。どこか見覚えのあるその面影に、思わず戸惑いが顔に出てしまった。

そんな宙色を見た男は、表情を緩めてその右手を差し出してくる。

 「初めまして、宙色君。今日は遠いところわざわざありがとう。私は辰巳黒和たつみくろかず。職業は投資家だ。よろしく」

 残暑が残る日差しの元、藍色のジャケットに身を包んだ男は汗一つかかない涼しげな顔でそう挨拶してきた。

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