第8話 化けの皮(聡明)
姫崎院瑠璃。彼女を一言で表すなら、完璧である。
総理大臣すら上回りかねない影響力を持つ四大名家。その一角である、姫崎院家の姫君。
その容姿は絶世。濡れ羽色の髪、夜を凝縮したかのような黒の瞳、スラリとした細身の身体、声をかける事すら躊躇する気品。
また彼女は才媛でもある。帝櫻でもトップクラスの成績と、高い運動能力。更に姫崎院家での教育と、各種の習い事によって培われた高い教養。
更に性格も素晴らしい。真面目で礼儀正しく、しかし固すぎる事も無くユーモアにも寛容。厳粛であり自他共に厳しい一面も持つが、それと同じぐらい情に厚く、困っている生徒の相談にもよくのっているそうだ。
家柄、容姿、才覚、性格。全てにおいて完璧。それが帝櫻の関係者、及び交流のある者たちが持つ、姫崎院瑠璃に対する印象だ。
「コホン。ところで、聡明は何をしているのですか?」
この、少ししてから熱くなっていた事に気付き、必死になって外面を取り繕おうとしている、残念な娘が、である。
噂は本当に当てにならない。いやこの場合、表面しか見えていないと言うべきか?
俺が実際に見た上で感じた瑠璃の印象は、思い込みが強く、負けず嫌いで頑固、だが同時に小心者で小賢しくもあり、感情の浮き沈みが激しいタイプ。つまり全体的に子供っぽい。
そんな本性を無理矢理抑え込んで、完璧な外面を被っている。狼の皮を被った子犬とか、恐らくそんな感じ。
「……何ですか? 急にジッと人の顔を見て」
「いや別に。単に噂とかって当てにならないって、思っただけだ」
「……私の顔を見ながらその感想が出てきた訳、お聞かせしてくれますか?」
「多分想像の通りだけど何か?」
「侮辱されているという事だけは分かりました」
とっても素敵な笑顔で、瑠璃はそう言った。下手に怒った顔よりも、この笑顔の方がよっぽど恐ろしいだろう。だが悲しいかな。既にコイツの本質を察している俺としては、全然怖くない。
というか、必死になって化けの皮を被っていると思うと、なんだか可愛く見えてきた。
「その生暖かい視線は止めてください!」
ほらまた、必死に取り繕った仮面が剥がれかけている。
「なんというか、分かりやすいな」
よくもまあ、これで完璧なんて評価を貰えるものだ。こんな簡単に剥がれる仮面なら、とっくに本性バレてると思うんだが。
ああ、そうか。普通に考えればバレないか。一般評価の内、家柄、容姿、才覚については事実であるし、性格だって、ちゃんと立ち回る事が出来れば、そうそうバレるもんじゃない。
瑠璃が本性を覗かせたのは、俺が揺さぶったから。だが姫崎院の一族相手に、そんな事をする奴などいない。時代が時代なら、王族を揶揄うようなものだ。そんな自殺行為紛いの事、やろうとする奴は普通いない。俺だって、問題ないという確信が無ければ、多分やらない。……やったんだけどな。
あとはアレだ。俺が相手だったからだ。いや、自惚れとかじゃなくて。
知っての通り、俺は国内外問わず色々な所に行っている。なので言葉が通じない、話が通じないなんてザラだ。そういう時、俺は相手の一挙一動を観察し、相手の性格その他諸々を判断して、交流を測ってきた。そんなある意味ワールドワイドで活動していた俺と、せいぜいが学校と家の付き合い程度の経験しかない瑠璃とでは、勝負にならない。隠し通せる訳が無い。
だからこの場合、相手が悪かったのだろう。
「勝ち誇った顔も止めてください!」
おっと。顔に出てたか。そろそろ止めにしないと、本気で怒られる。こういうのは、イラっとするぐらいで留めておいた方が良い。引き際大事。
「で、俺が何してたかだっけ?」
仮面を取り繕う為に出た話題を、もう一度引っ張り出す。これで気が付いてくれればいいんだが。
「え? あ、はい。入学したばかりで、中庭にいるのは何故ですか? 用事らしい用事などない筈ですが」
どうやら俺の願いは通じたようで、瑠璃は直ぐに仮面を被り直した。……仕向けた俺が言うのもなんだが、大丈夫この娘? 騙されたりしない?
「単に散策だよ。何処に何があるのかとか、出来るだけ早く把握したいからな」
「そうだったのですか。なんでしたら、私が案内しましょうか?」
瑠璃がそう提案してきた。うん、中々に嬉しい提案だ。やはりこういうのは、地理に明るい案内役がいてくれた方が捗る。
「そりゃ助かる。けど時間とかいいのか?」
「ええ。今日は用事もありませんし、問題ないです」
へえ、そりゃ意外だ。金持ちって放課後とか習い事で埋まってると思ってた。後はお茶会とかパーティとか。
「色々なところに引っ張りだこかと思ってた。暇してる時ってあるんだな」
「当たり前です。私だって学生なんですから、自由な時間ぐらいありますよ」
「そりゃそうだろうけど、むしろ学生だからこそ、習い事とかいっぱいあるんじゃないのか?」
うちのクラスでも、習い事が〜とか言って帰ってった奴、何人もいたぞ?
「いえ、実は私、習い事の類はやっていないんですよ」
「え、そうなの?」
瑠璃の予想外の一言に、俺は素で驚いた。姫崎院の一族である以上、その手の教育を欠かすとは思えないんだけど。
「正確には、今はやっていない、ですけどね。中等部までは色々やってました」
「何で今はやってないんだ?」
「殆どの先生に、もう教える事が無いと言われてしまいまして」
免許皆伝みたいな事をやらかしたらしい。教える事『は』ないではなく、教える事『が』無いというあたり、先生方の苦悩が感じられる。優秀過ぎるだろ。
「じゃあ部活の方は?」
「護身術の延長として、合気道部に所属しています。ただ今日は活動日では無いので、櫻華の会に少し顔を出して、帰宅しようと思っていたところでした」
「櫻華の……ああ、あのトップの会か」
「あら、ご存知で? 外部生の方には、あまり馴染みの無いものだと思っていたのですが」
「いや入学資料に書いてあるから」
入学資料の後半、殆ど櫻華の会についてだったぞ。知らない方がどうかしてる。
「にしても櫻華の会か……中庭の先に専用の施設があったが」
「ええ。小規模なパーティや、お茶会などをしたりする施設です。他にカフェなども入っていますが」
「さいで……」
瑠璃は当たり前のように言っているが、これどっからツッコミを入れたらいいのだろうか。何で学校の一団体に専用施設があるんだよ。カフェって何だ。飲食店いれるな学食入れろや。
「あそこ入ろうとしたら止められたんだよな」
「あそこは櫻華の会専用の施設ですから、一般の生徒は原則出入り禁止ですよ」
「そっかー。じゃあ忍び込むしかないか」
「止めてください」
えー。
「……何故不満そうな顔をするのですか。忍び込むなんてもってのほかです。それとも会館に何か用事でも?」
「いや単に興味本位」
「絶対に止めてください」
いやでも、禁止されてる場所って行きたくならない? 後こういう身近なところで、行った事無い場所があるって結構落ち着かないんだけど。
……駄目? ダメ、そっかー。
じゃあ瑠璃がいない時に忍び込もう。
「なら他の場所を案内して貰うわ」
「……あっさり引きますね。貴方はもっと粘ると思ってたんですが」
「いや出会ってまだ少しだろ俺ら」
俺の何を知ってるって言うんだ。
「この短い時間でも、聡明がこういう事で中々引かないであろうという事は、簡単に想像できますよ」
俺ってそんなに分かりやすいかな?
「……まあいいです。追求したところでどうせ堂々巡りですし。勝手に忍び込んで捕まればいいんです」
捕まる気は無いから、つまり問題ないという事ですね分かります。
「それで、どの辺を見て周りますか?」
「んー、そうだな……高等部の校舎の方はもう見て回ったから、それ以外で」
「それならーー」
そう続けようとしたところで、瑠璃の携帯が鳴った。
「あら」
こちらの方に視線を向けてきたので、お構いなくとジェスチャーで返した。すると瑠璃は軽く頭を下げた後、携帯を取り出した。
そして、瑠璃の顔が強ばった。
「少々失礼します」
そう俺に断りを入れてから、瑠璃は声が聞こえない距離まで離れていく。
そして少し時間が経ち、戻ってきた。
「申し訳ありません。父に呼ばれてしまいまして、直ぐに帰らなければならなくなりました」
「ん? ああ、そりゃ全然構わないけど」
「こちらから提案したにも関わらず、このような事になってしまうとは。このお詫びはいつか必ず致します」
深く頭を下げる瑠璃に、俺は慌てて頭を上げるように促す。
「いやいやいや! 別にお詫びとかいいから。そんな大袈裟な」
元々善意からの協力だったんだから、それが出来なくなったって、そこまで真剣に謝る必要なんてないぞ。
「しかし、これは私から言い出した事です。それを投げ出すなど言語道断」
「いやそうは言ってもなぁ……」
別に気にしないんだけど。
「これは私の性分の問題です。聡明だって言ったじゃないですか。私は言った言葉に責任を持つタイプだって」
「むぅ……」
それを言われたら、これ以上強く言えないじゃねえか。あーもう、しょうがないなぁ。
「分かった分かった。じゃあ、何かあったら頼らせて貰うわ」
俺が折れると、瑠璃は満足そうな顔になった。何か立場逆転してねえか?
「ではまた明日。さようならです、聡明」
「おう。さようなら瑠璃」
そして、俺と瑠璃は別れた。
さて、それじゃあ散策を再開するかね。
こうして俺は、一日掛けて、帝櫻の校舎を散策したのだった。因みに、櫻華の会の施設にもしっかり忍び込んだぞ。勿論誰にもバレなかった。
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