第6話 人付き合い(聡明)

「ふうむ……」


 梓達と分かれた後、俺は一人帝櫻の敷地を歩き回っていた。


「ここが中庭か……花見出来るだろ」


 高等部の校舎は一通り見て回ったので、今は中庭に出ている。


 その中庭には、大量の桜が植えられていた。今は春なので、桜はどれも満開。高等部の校舎を背景に、桜の花弁が舞うさまは、まるで小説の挿絵の様だ。


「夏は毛虫が凄そうだけど」


 桜はちゃんと対策しないと、本当にとんでもない事になるからな。


「ううむ。見てみたいような、見たくないような……」


 夏草や、害虫どもが、夢のあと。


「改悪が過ぎるでしょうそれは……。松尾芭蕉に謝ってください」


 いづれ来るであろう地獄を想像していたら、そんな風に誰かさんから言われてしまった。


 声がした方に顔向けると、これはびっくり。梓並の美少女様が、呆れ顔で立っていた。


「え、でも桜と毛虫は切っても切れない関係よ?」


「例えそうでも、桜を見ているなら桜の感想を述べるべきですよ。あと一応言っておきますが、帝櫻は害虫対策が万全です。毛虫なんて滅多に出ません」


「それは失敬しましたね。姫崎院瑠璃さん」


「別に私に謝る必要はありませんよ? 星野聡明君」


 あれ? 何でこの人、俺の名前を知ってんだ?


「えっと、名乗ったっけ?」


「それはこちらの台詞なのですが。 一体どうして私の名を?」


「姫崎院さんは有名だから」


 実際はただ勘だけどな。何となく御門環と似た気配を感じたから、同じ四大名家で、同じ学年の姫崎院の姫君かなって、当たりをつけただけだ。彼女のフルネームは、歩き回ってる途中で聞こえてきた。ちょっと移動しているだけで名前が出てくるのだから、流石のネームバリューと言える。


 だからまあ、俺が姫崎院の姫君の名を知っているのは不思議じゃない。だが、それが逆になると話が変わる。このお姫様は、何で俺の名前を知ってんだ?


「そんなに不思議そうな顔をされても……。単に貴方も有名だった。それだけですよ」


「んー? 有名になるような事はまだした憶えがないんだが」


「まだって、何時かやらかすつもりですか……。入試ですよ。貴方は特待生用のテストで満点だったんです。帝櫻初の快挙だそうで、先生方も驚いてましたわ」


「へー……ってちょっと待て。何で人の点数知ってんの?」


 それ個人情報じゃないの? 一般生徒が知ってるのは問題じゃね?


「姫崎院ですから」


「さいで……」


 これで納得出来る、いや納得しなくちゃいけない辺り、本当に四大名家って凄いよな。


「因みに、朽木梓さんは一点足らずで、惜しくも満点を逃したそうですよ?」


「よし良いこと聞いた。後で自慢しよう」


 これは良い楽しみが出来たな。盛大に煽ってやる。


「それはそれとして、梓の事も知ってるのか」


「ええ。とは言っても、彼女はこの辺りでは以前から有名でしたから。全国模試一桁台常連の天才美少女と、帝櫻でも耳にする機会がありました」


 あー、そう言えばアイツ、この辺じゃマジで有名人だったな。他校から告白しにくる奴とか結構いたし、そういう意味だと意外でもないのか? どっちにしろすげえ事だけど。


「四大名家の一族から、天才美少女と言わせるとはねぇ。幼馴染として鼻が高いな」


「その天才を下してる癖によく言いますね」


「いやほら、容姿では負けてるし。引き分けだよ」


「そうですか? 世間一般で言えば、星野君も十分整った容姿をしていると思いますが」


「そりゃどうも。それでも梓にゃ負けるんだよ」


 男と女だ。比べる事自体が間違いではあるが、それでも見た目は梓に負けていると断言出来る。梓は絶世のなんて冠詞がつくレベルの容姿だ。だが俺はそこまでじゃない。精々、クラスで上の方って言われるぐらいの容姿だ。


「そこまでの容姿をしているのですか。是非この目で直接見てみたいものですね」


「そうしてくれ。取り敢えず、系統は違うけど、姫崎院さん並の美少女だと言えば分かりやすいかな?」


 梓が活発後輩タイプの美少女だとしたら、目の前のお姫様はクールな大和撫子タイプ。系統としては全然違うが、二人が同レベルの美少女なのは変わらない。


「そこで私を挙げられても困るのですが……」


 どうやら、俺の例えは不満だったようだ。まあ自分自身を例に出されたら困るわな。


 ただ俺としては、中々ベストな例えだと思うんだが。


「んー、まあアレだよ。自分の雰囲気やら性格やらを反転させたのを想像してくれ」


「何故、星野君は妙にイメージしにくい例えを何度も出すのですか……」


 やっぱり俺の例えは不満らしい。何でや。


「ですがまあ、大まかなイメージは抱けました。星野君曰く、私とは真逆な方なんですよね?」


「お、おおう……」


 何でだろう? 今ちょっと怖かったよ?


「ま、まあ、個人的な感想だけど、梓と姫崎院さんは仲良くなれると思うぞ?」


「あら、そうなんですか?」


 俺が予想を口にすると、お姫様は意外そうな声を上げた。よしもう怖くない。


「これは勘なんだけど、二人は馬が合いそうなんだよ。というか似てる気がする」


「似てる、ですか?」


「いや、具体的にどこが似てるって言える訳じゃないんだけど、何処か似てると俺の本能が言ってる」


「何ですか本能って……」


「さあ?」


「……一応、頭の隅に留めておきます」


 頭痛を堪えるようにした後、お姫様はそう言った。おう、そうしてくれ。


「所でお姫、失礼。姫崎院さんは俺に何か用でも?」


 話が一段落ついた所で、俺は気になっていた事を尋ねた。


 何となく会話を続けていたけれど、お姫様と俺は別に親しい訳では無い。というか初対面だ。それなのにいきなり話しかけてきたという事は、相応の要件があるのだろう。


 そう思って尋ねたのだが、お姫様の雰囲気的に、答えはどうも違ったようで。


「いえ、別にそういう訳では……。噂の特待生の方がいるなと思っていたら、予想外の感想を聞いてしまって、つい話し掛けてしまったのです。……ところで今、私の事をお姫様って呼ぼうとしませんでしたか?」


 ただのツッコミだったらしい。俺そんな変な事言ったか?


「そっか。じゃあ特に用事は無いんだ」


「はい。……それはそれとして、お姫様って呼ぼうとしませんでしたか?」


「やけにそこ拘るなオイ……」


 二回も訊いてきたぞこのお姫様。重要な事かそれ?


「答えてください?」


「ついうっかり言いかけました許して?」


 その笑顔やめて? 怖いよ?


 カタカタと身体を震わせていると、お姫様は大きく溜め息を吐いた。


「はぁ……。何でお姫様なんですか?」


「いやほら、姫崎院って名前長いじゃん? だからつい略称を頭の中で使ってたんだ」


「会って間もない相手の名前を、長いと言いますか普通?」


「脳内なら治外法権は適用されるんですよ?」


「口から出してるじゃないですか」


 うん。だから取り調べを受けてるんです。


「兎も角、流石にお姫様呼びは止めてください」


「頭の中でも?」


「駄目です。うっかり口に出しそうですし」


「ありゃま」


 そう言われると返す言葉も無い。


「でもさ、姫崎院さんは実際お姫様だろ? それなのにお姫様って呼ばれるの嫌なの?」


 普通に言われてそうなもんだけど。


「別に影でどう言われてても気にはしません。ですけど、面と向かって言われると少し恥ずかしいんです」


「そんなもんかな?」


「そういうものですよ。大体、この年でお姫様と呼ばれて嬉しいと思いますか? 羞恥心の方が先にきます」


「なら【宝石姫】は?」


【宝石姫】とは、お姫様の呼び名の一つである。宝石のような美しさを持つ姫崎院の姫君ってのと、瑠璃という名前を掛けているのだそうだ。


「……何故、入学したての星野君が、その呼び名を知っているのです?」


「姫崎院さんだから」


 そう言うと、お姫様はぐっと黙り込んだ。姫崎院ってだけで納得してしまったからだろう。


 実際、俺がこの呼び名を知ったのは、動き回っている時に話題に出ていたからだ。流石は姫崎院。そこらを歩き回っているだけで、無駄に色んな情報が流れてくるとは。


「その呼び名も、裏で言われている分には構いません。ですが、私の前では呼ばないでくださいね?」


「うっす」


 何か言う前に釘を刺されてしまった。


「私の事は、普通に姫崎院と。別に瑠璃でも構いませんが」


「じゃあ瑠璃で」


 どちらでも構わないと言われたので、名前で呼ぶ事にする。


 すると、瑠璃は虚をつかれたような表情を浮かべた。どうやら名前で呼ばれるとは思っていなかったらしい。


「……即答ですか。ちょっと驚きました。普通の方だと、こういう時は苗字で呼ぶ方を選ぶのですけど。相手が異性で、あまり親しくない場合だと特に」


 言外に、そっちで呼ぶんじゃねーよと言われている気がするが、気にしない。


 呼び方ってのは、相手との距離感を測る手段の代表みたいなもんだ。日本人の場合、無駄にその手の警戒心が強いから、いきなり名前呼びをする奴は少ない。


 するのもそうだが、されるのも嫌がられる場合が多い。実際、初対面の相手に許可を取らずに名前呼びなんてしたら、結構な確率で距離を取られたりする。


「俺さ、これでも結構色んな場所に行ってるんだわ」


「いきなり何ですか?」


 急に何言ってんだコイツ、みたいな目で見られた。唐突なのは認める。


「まあ聞けって。それでさ、基本俺の行く場所って、見ず知らずの土地な訳。そこで手っ取り早く知り合いを作る時に俺がする方法にな、適当な相手に話しかけて、相手が隙を見せたタイミングでドンドン距離を詰めるってのがある。そうすると、結構簡単に仲良くなれるんだわ」


 勿論、急に距離を詰めると警戒されるが、それは特に気にしない。そんなもの、自身の魅力で警戒を解いちまえばいい。そしたら後に残るのは、詰められた距離感だけだ。


「ま、相手によっては磁石の同極みたいに、詰めたら詰めただけ距離を取る奴もいるから、その辺はちゃんと見極めなきゃいけないんだけど。それでもやっぱり、距離感ってのはさっさと詰めた方が色々と楽な訳よ」


 そんな感じで説明すると、瑠璃は関心した素振りを見せる。


「経験から語っているだけあって、中々に興味深い話ですね。ただそうなると私は、距離を詰めるのが簡単な相手という事になるのでしょうか?」


 距離を詰めるかどうか見極めた上で、名前呼びをしたのだから、自分はそういうタイプなのかと気になっているようだ。若干不満そうにしているのは、自己分析とズレているからだろう。


「いや、瑠璃はどっちかと言うと、距離を詰めるのは難しいタイプだな。流石に磁石の同極、とまでは言わないが、いきなりグイグイ距離を詰めると、下手すりゃ逃げられる」


 四大名家の一角、姫崎院の一族なのだから、警戒心は普通よりも高いだろうよ。


「なら何故です?」


「ただそれ以上に、自分の言葉に責任を持つタイプっぽいから。自分が原因ならと、仕方なく諦めそう」


「ぐっ……」


 つまりは頑固。吐いた唾は飲まないタイプだ。


 んで、この人はさっき、姫崎院でも瑠璃でも、好きな方を呼べと言いました。


「言ったろ? 隙を見せたらさっさと距離を詰めるって。下手な事言ったそっちが悪いのよ」


 油断したそっちが悪い。だから名前呼びは諦めろと、言外に告げる。


 すると何故か、瑠璃の眉間に皺が出来た。


「……勘違いしないでください。別に名前で呼ばれるのが嫌という訳じゃありません。ただ少し意外だっただけです」


「……おーい、何か悔しそうにしてるけど、どった?」


「悔しそうになんかしていません!」


 いやしてるって。今までそんな大きな声出さなかったじゃん。


「まあ良いです。ですが私の事を名前で呼ぶ以上、私も貴方の事を聡明と呼ばせてもらいます」


「ん? そりゃ構わないけど、急にどうしたの?」


「……単に片方だけが名前呼びというのも、おかしいと思っただけです。これで私と聡明は対等です。良いですね?」


「対等て……」


 別に今まで上下関係を決めてた訳じゃないんだが……。


「……ん? 上下?」


 何となくだけど、瑠璃が何を考えてんのか分かった気がする。……もしその通りなら、滅茶苦茶くだらないが。


「なあ瑠璃さんや。お前さん、名前呼びの件、やり込められたとか、負けたとか思ってないよな?」


「負けてなんていません!」


「……OKその返答で分かった」


 コイツ、さっきの件、勝手に自分の中で勝負事にしてやがる……!


「頑固だとは思っていたけど、負けず嫌いでもあったか……」


 それも面倒な勘違い系の負けず嫌いだ。


「誰が負けず嫌いですか!」


「お前だお前」


 後、サラッと対等って言ってたけど、自分の中の負け判定を無効化する気だろ。


「地味にセコいぞ」


「急に失礼な事を言わないでください!」


 否定してるけど、今一瞬目が泳いだぞ。


「……はぁ。そりゃ梓と気が合いそうな訳だよ」


 この姫崎院瑠璃という女、一見すると頭の回転が速く、冷静ではあるが、その実頑固で負けず嫌い。後、恐らくだが思い込みも激しい。


 一皮剥けばポンコツだぞコイツ。

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