孤独を癒すラーメン 後半
オレが向かったのは『小烏亭』という店だ。
ちなみにコトリではなく、コガラスと読む。
この店はごく普通の住宅街の一角にあり、しかも民家を改装した隠れ家的な店だった。実際のところ隠れ家すぎて店だと気づかれないから、いつも店内はガラガラだった。店だとわかるのはカラスをあしらったヨーロッパ風の鉄看板だけだが、これも樹木の陰に隠れてよく見えなくなっている。
「ジローさん、店やってますか?」
オレは玄関の扉をあけながら、廊下の向こうに声をかける。
ちなみに間取りも普通の家と同じ。玄関には下駄箱があって、廊下が伸びてて、居間に通じるドアがある。まぁこっちも慣れたもんで靴を下駄箱に入れてスリッパをはいて、テーブル席に座る。やっぱり客はいない。
「おぉ、セキカワさん、久しぶり。珍しいっスね」
カウンターキッチンの向こうからそのジローさんが姿を現す。スラリと背が高く、目鼻立ちののくっきりとした美形のお兄ちゃんだ。だがクシャッとして笑う笑顔はなんとも人懐っこい。黒いエプロンには『亭主・ジロー』と書いたバッチが貼ってある。だから名前も知っているのだ。
「今日は久しぶりにジローさんのラーメン食べたくなってさ」
「うれしいこと言ってくれますね。いつもの味噌チャーシューにします?」
「今日は煮卵もつけてほしいんだけどあるかな?」
「もちろん! ではしばしお待ちを!」
ジローさんはそう言ってキッチンに戻る。すぐに中華鍋とお玉がカンコンとぶつかるこぎみいい音が聞こえてくる。もうこの音だけで美味しいとわかる不思議。そして待つことわずか十分。お盆にのせた味噌チャーシューが運ばれてきた。
「うっわ、やっぱいい匂いだわ、ジローさんの味噌ラーメン!」
味噌の豊潤な甘い香りとガツンと聞いたにんにくの香りが絶妙にまじりあっている。見るからに濃厚そうな味噌のスープに、こんもりと盛られた野菜炒め、その山を覆う厚切りのチャーシュー! てっぺんに乗った煮卵からははやくも黄身がこぼれそうだ。
「では、いただきます!」
まずはスープを一口。うん、美味いという言葉しか思いつかない。濃厚な出汁と野菜から溶け出したうまみと、濃厚な味噌のハーモニー。表面を覆う油がまたこってりとした味を演出する。
続いて具材の下から黄色く縮れた太麺を引きずり出す。これこれ、北海道産の黄色い麺、しかも極太。ズルズルっとすすると、もう天国だ。野菜と合わせてまたズルズルとすすると、キャベツとニラのうまみが加わる。
「ホント、セキカワさんはいつも美味しそうに食べますね」
珍しいことにジローさんがオレの前に座った。そのまま頬杖をついて、ラーメンを食べるオレをニコニコと眺めている。
「実際、ここの味噌ラーメンは美味しいよ。これまでオレが食べた中で一番に美味しい。ラーメンの専門店じゃないのにこの味が出せるのはホントすごいよ」
「ほめ過ぎっスよソレ。でも家庭のキッチンで作れるってところをほめてくれたのはうれしいっスね。自分の目標なんですよ。実は昔は料理研究家だったんです。本も出したことがあるんですよ」
「へぇ、それはすごい! なんて本なの?」
「いやぁ、ずいぶん昔の話です。それより食べてください、麺が伸びちゃいます」
「それもそうだな、このチャーシューがまた今日も完璧だね」
チャーシューをつまむ。よく煮込まれていて、箸で持ち上げただけでホロホロと崩れてくる。それが落ちないうちにパクリと食べる。はぁぁ。味噌のスープと合わさるとまた何とも言えないおいしさだ。その余韻を口の中に残しつつまた麺をすする。
「あれ、セキカワさん、ビールは?」
「おお、そうだった。瓶ビール一本とグラス二つで。付き合ってよ」
「お。いいんですか?」
「たまにはいいんじゃないか? お客さんもいないみたいだし」
「ハハ。ですね」
それから二人で乾杯してビールをぐびり。
これもまた至高の組み合わせ。また味噌ラーメンに戻る。麺をすすって、野菜をワシワシ食べて、チャーシューを頬張って、とろとろの煮卵に舌鼓をうつ。今日は塩分のことは考えまい。たっぷりと味噌のスープを飲む! 全部飲む!
「はぁぁ、うまかった! なんか元気出たよ」
「それは良かったデス。なんか落ち込むことでもあったんですか?」
こうして誰かと話しながら食事をするのも平九郎が去ったあの日以来だった。
「まぁね。ビールもう一杯付き合ってくれるかい?」
「もちろん。じゃ、つまみも持ってきます」
ジローさんがキッチンの奥に消え、二人分のおつまみと瓶ビールをもって戻ってくる。つまみはザーサイ、どうやら自家製のようだ。
「実はさ、不思議な男の子を拾ってさ、いや、犯罪じゃないよ、しばらく一緒に暮らしてたんだ。それが急にいなくなってしまってね」
「そりゃこたえますね。セキカワさん独身でしたよね?」
ジローさんがいいタイミングでビールを注いでくれる。だからついついオレもいろいろと話したくなってしまった。出会った時のこと、一緒に料理を作ったこと、お姉ちゃんの登場、それがある日二人とも消えるようにいなくなってしまったこと。
「急に一人ぼっちになってさ。なんだか全部がマボロシみたいに思えてさ」
「なんか不思議な話ですね……ひょっとして人間の子じゃないとか?」
ジローさん、かなり鋭いところをついてきた。というか核心をついてきた。
若いのにすごい洞察力だ。
「実はさ、そうなんだよね。平九郎っていってね……」
「……ヘイクロウ? ひょっとしてその子『カラス天狗』ですか?」
ズガーンと雷がオレの体を貫いた。
今の話だけでそれが分かるわけないのに。
「なんで分かったの? てか、カラス天狗がいるって普通に話しているけど?」
「セキカワさん、今度はオレの話を聞いてもらえますか?」
「お互い長話になりそうだね?」
「デスね……とりあえずもう一本ビール持ってきます」
この後、わたしは意外な事実を知ることになるのだった……
~おわり~
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